『キスー幻想と現実、そして余韻』

「どうしたの?」


家に帰った途端に、お母さんが、素っ頓狂な声を上げる。


仕方ないか…


私が泣きそうな顔をして帰ってきたんだもんね。


「まさか、学校で何かされたの?」


心配そうに聞くお母さん。


私は、首を横に振って


「違うよ。今日は、凛ちゃんか楓ちゃんが、ずっと側にいてくれたし…それに…」


そこで言葉が詰まる。


「彼女たちは…学校サボったし…」


言葉の力が抜けていく。


「じゃあなんで、今にも泣きそうな顔して…」


「それは…手が痛かったの」


「は?」


「…私、ドジだから、途中でぶつけて…それで…」


胸が痛む。


お母さんにウソをついている。


でも、あんな事お母さんには言えない。


そしたら、凛ちゃんや楓ちゃんにも知られる。


だって、お母さんの事だから、航平君の事を凛ちゃんに聞くだろうし。


そしたら、凛ちゃん、すごく怒る。


同意なしのキスだし…


もしかしたら、私のキモチに知られるかもしれない。


そしたら、凛ちゃん達に嫌われる…


それに、凛ちゃんと楓ちゃんの性格だから、航平君に詰め寄るだろうから。


…そうしたら


航平君にも嫌われちゃう。



だから、嘘をついた。


"嫌われたくない"


って一心で…


何てズルい人間なんだろう。


逃げてばかりで。


お母さんは、納得していない様子だったけど


「とりあえず、制服着替えてきなさい」


とだけ言って台所に戻った。


しばらくすると、鼻歌まで聞こえてくる。


ホっと胸を撫で下ろしてから、自分の部屋に向かう。


入った途端…ドアに凭れながら


そのまま、ズルズルと座り込む。


また涙が溢れてきた。


私の生まれて初めてのキス。


大好きな航平君とのキス。


…でも、それは何ともないキス。


少なくとも航平君にとっては…


ただのキス"


でしかない


そう、今まで付き合ってきた彼女達と何度も交わしてきたハズ


だから、私とキスしても何とも感じてない…きっと


そんな事実が、心の奥に圧し掛かってきて苦しかった。


大好きなのに…


大好きな人とのキスなのに…


私の心は晴れない。


晴れるはずがない。


だって…それは…


私が夢見ていたキスじゃないから。


私が夢見ていたのは


告白されて


頷いて


肩に手を置いて


照れながら…震える唇で口づけを交わす。


バカみたいな妄想かもしれないけど


それでも、夢を見ていた。


でも、現実は違う。


いきなり顔を近づけて


キスされて


航平君は、少し震えていた。


でも…


それでも、心の準備とかそういうのが欲しかったよ。


お互いに"好き"っていうキモチが欲しかったよ。


ファーストキスくらいは、夢を見たかった。


あっけなく崩れ去る夢。


指先で唇に触れる。


…航平君の唇、柔らかかったな


私の脳裏にキスした瞬間が、蘇る。



キス…したんだね。



そう思うと、今さらながら赤くなってくる。


何で今頃?


と、自分でツッコミ入れてみる。


でも、すごく恥ずかしい。


航平君とキス…


な、なんて事をしたんだ私は!!


たぶん耳まで真っ赤になっているであろう、私の顔が熱い。


あーーーーーーーー!!


明日から、航平君とどう顔を合わせたらいいの!?


どうしよ


どうしよ


でも…


だけど…


そこで冷静になってみる。


そうだ、航平君にとっては何ともない。


ただの冷やかしのキス。


だから、航平君は、何も変わらない。


私だけ動揺していたら、私のキモチに気付かれてしまう。


そうだ…


なんとないフリしないと…


私みたいな女の子に好かれているって分かったら、迷惑だから。


胸が痛い。


痛くてたまらない。


でも、何ともないフリしないと…


航平君に迷惑かかるから。


私みたいな女の子。


すごく嫌だろうから。


だから、何にもなかったフリしないと。


でも…


淋しい


航平君にとっては、何も感じないキスだったって分かっているから。


淋しくて…せつない…


大好きな人とのキス


ファーストキス


それは、あっけなく終わって


あっけなく、無かった事になる。


それが、悲しくても


苦しくても


現実なんだって


気付かされる。


明日、ちゃんと普段通りに出来るかな?


不安になる。


誰にも気づかれてはいけない。


そうよ…誰にも…


忘れなきゃ。


早く、忘れなきゃ。


航平君も、きっと…もう忘れているだろうから。

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