『放課後』

「はぁ…」


私は、ため息をついた。


今いるのは、理科準備室。


湿布のお蔭で、だいぶ楽にはなったけど、左手は痛い。


私が、ここにいるのは…


『佐藤、ちょっといいか?』


担任で理科担当の古川先生。


メガネの温和な先生。


でも、生徒をよくこき使うので有名。


『はい…』


帰り用意していた私は、返事をする。


『ちょっと、資料の整理を頼みたいんだが…』


古川先生が私の左手を見る。


『あー、それじゃ無理か…』


困ったような表情。


今から1回家に帰ってから、病院に行こうと思っていたんだけど…


『あ、あの!大した事ありませんから!』


私が、そう言うと


『大丈夫なのか?』


古川先生は、心配そうに言う。


私は手を振って


『大丈夫です!!こんなの平気です!』


そう言ってから


『準備室の何を整理したらいいんですか?』


そう古川先生に聞く。


『そっか?じゃあ頼む。資料を五十音順に棚に戻すだけだから簡単な仕事だ』


古川先生の言葉に、一瞬顔が引きつる。


それって、膨大な作業じゃない?


前にも1回そんな事あったような…


でも、自分で引き受けたんだから。


『分かりました』


笑顔を作る。


向こうで


『やだぁ、あの子また古川に捕まっているよ』


平沢さんが、聞こえるような大きな声で言う。


『ばっかみたい』


それを同調するのは古瀬さん。


『ねぇ、航平君』


そう言って、航平に甘える素振りを見せるが


『別にいいんじゃね』


航平君は、冷たく言い放つ。


平沢さんは、言葉に詰まっていた。


キッと私を睨んだ気がした。


私は居たたまれなくなって、教室から急いで出て行った。


…もうやだ


予想通り、理科準備室の有様は散々だった。


痛む手を我慢して、資料を拾って、仕分けしてから、棚へと戻す。


段々と、また手が痛くなってきた。


もうちょっとだから、頑張って私の左手。


高い位置に置いていた資料が手から零れ落ちる。


バラバラに散らばった資料。


はぁ…何か憂鬱。


廊下で誰かが歩いてくる音。


古川先生かな?


じゃあ、急いで片づけないと…


慌てて資料を拾う。


でも、先生のスリッパの音じゃない。


これ、生徒の上履きの音。


だけど、こんな時間に生徒が、こんな所には来ないはず…たぶん。


私と同じように、先生に頼まれた子かな?


さすが担任…


私がトロい事を、よくご存じで…


あ、関心している場合じゃない。


その子にも迷惑かけないようにしないと。


再び慌てて資料を拾う。


ドアの前で足音が途絶える。


私は、息を飲む。


【ガラ…】


ドアを開けた瞬間-


心臓が止まるかと思った。


そこにいたのは-



航平君だった。



固まって動けない。


航平君は、何気ない仕草で中に入ってくる。


「あれ?センセーは?」


私に、問いかける。


え?今、私、話しかけられた?


嘘!マジ!?


えぇー!!


私の心は天にも上る思いだった。


「あのー聞いてる?」


航平君の言葉で我に返る。


し、しまったー!!


「あ、あの…そ、その…先生は…まだ来てません…」


恥ずかしさのあまり声が裏返ってしまう。


何やってんの!


せっかく、航平君と話すチャンスなのに!


何、声を裏返らせているのよ…


情けない…


航平君は、気にも留めていない様子で中に入る。


彼の視線は、私の左手を捉える。


私は、パッと手を後ろに隠した。


その瞬間に持っていた資料が、再び散らばってしまう。


何てドジなんだ、私は!!


彼は、顔を曇らせて


「ごめんな」


と言う。


え?何が?


私が、訳わからずに戸惑っていると


「優奈が、昼休みにやったヤツだよな?ごめんな」


航平君が、すまなそうに言う。


少し、胸がチクリと痛んだ。


航平君と深田さんは、幼馴染みだから。


幼馴染みの為に、航平君は、私に謝ってくれている。


…深田さんが、羨ましい。


大切にされている彼女が、


すごく羨ましい…な


「あ、あの…」


私は、声を絞り出す。


「安藤君が謝ってくれる必要ないよ…大した事はないから」


頭の中は、ショックで真っ白。


でも、何とか言えた。


航平君は、私に近づいてくる。


な、何?


固まってしまう。


近づいてきた航平君は、急に屈んで、散らばっていた資料を拾う。


あ、いけない。


私も、慌てて資料を拾う。


「…っつ」


痛みがして、一瞬躊躇する。


航平君は、私の手を取る。




ドキッ!!



私の心臓、飛び出そうだよ。


呼吸が出来ない。


心臓はバクバク


頭は真っ白


もう、どうしていいのか分からない。


航平君は、包帯をするするほどいていく。


露わになった私の手の甲。


湿布を剥がすと、少し青く腫れている。


「また、我慢していたのか?」


航平君が私に聞いてきた。


「え…あの…」


返答に困ってしまう。


「…まったく!人が良すぎるのにも程がある」


そう言ってから


「佐藤、お前もう帰れ」


「え?」


航平君からの言葉に、私は驚く。


「早く病院行けよ」


「で、でも…」


「それとも…」


そう言って私の顎を手に取って


「俺とイイ事したい?」


甘く囁いてくる。


近づく唇。


神様!!


どうしたらいいんですか!?


憧れの航平君とのキス…


それは、とても嬉しいけど…


でも…


こんな形のキス、絶対に嫌!!


でも、私は動けない。


甘く輝いている航平君の顔に見とれてしまって…


震える唇…


近づく航平君の顔…


触れるか触れないかの直前


【ペタ!ペタ!】


サンダルの音。


古川先生だ。


「おっと…」


航平君は、パッと手を離す。


「時間切れだ」


そう言って、妖しげに私に微笑む。


あ、遊ばれた…


私は、かぁっと赤くなって、


その場にいるのが恥ずかしくて、


キュッと唇を噛んだ後に、鞄を持って慌てて理科準備室から飛び出した。



遊ばれた!



遊ばれた!



遊ばれた!!



私の心は、乱れて


頭も真っ白になって


胸も、ぎゅーっと何かに掴まれた位に痛い


私は、【遊び】小バカにする対象


バカにして嘲笑う対象


深田さんと何も変わらない!


あの人と同じ…


私を見下している人…


現実を突きつけられて…


泣きたい…


瞳には涙が溢れていた。


ダメ!!


今、泣いたら…


凛ちゃんと楓ちゃんに迷惑かけちゃう!


凛ちゃんは、大会が近いし


楓ちゃんは、七夕祭りが近い。


忙しい二人の貴重な時間を私の為に使って欲しくない。


それに、今泣いたら、きっと負けだから…


涙をぬぐって、頬を叩く。


…っつ!左手痛いよ。


痛みを我慢して、靴に履きかえると急いで学校を後にした。

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