第5話 雨の職人街・2


 カオルが興味深そうにきょろきょろと壁の刀を見ていると、イマイが戻って来た。


「お待たせしました。冗談抜きに粗茶ですけど、さ、どうぞ」


「ありがとうございます」


 つつー、と3人が茶を飲む。


「さてと。問題なんだけど、掃除は、ちゃんと鞘師に任せよう」


「そうした方が良いですか?」


「うん。信用出来る鞘師に預けるから。

 中の状態にもよるけど、補修なしで割って掃除だけなら、何日かで済むからさ。

 戻ってきたら届けるから、マツ様に直してもらおう」


「ささっと中の錆なんかを出すだけでは?」


「ささっと、で出来る作業じゃないんだ。見えないくらい小さい錆なんかが、木目に入ってたりするからね。ガタつきが出ないように、薄ーく削って、薄ーく磨いて、完全に綺麗にしてもらう。これは本職じゃないと出来ないよ」


「なるほど。分かりました。で、研ぎの方は」


「うん・・・寝刃研ぎだからね。もう終わってるよ」


 イマイが立ち上がり、引き出しから白鞘を出す。

 この反りは、鞘に入っていても特徴的だ。


「どうぞ」


 出された刀を両手で受け取り、


「では」


 鞘を握ると、カオルが横から覗き込む。

 くい、と少し抜いた所で、


「う!」


 とカオルが目を見開いて声を上げた。

 鎺(はばき)から2寸程が窓開けされている。

 マサヒデの手も、そこでぴたりと止まった。


「む・・・む・・・ううむ・・・」


 あの古い年鑑に載っていた。

 雲の隙間から差す光の如く美しい。それ故、雲切丸という名が付いた、と。


「これほどとは!」


 マサヒデは大きな声を上げてしまった。

 イマイは引き締まった顔で、低い声で、


「凄いよね。最初は見たい見たい、なんて研ぎながら、正直言って怖くなったよ。これ、研ぎの腕が云々とかじゃないね。もう地鉄が違うんだよ。普通じゃない。窓開けしてたらさ、1回砥石の上を滑る度に、恐ろしく光るんだよ。これがコウアンなんだね」


「・・・」


 マサヒデもカオルも、無言で窓開けされた部分を見つめる。

 雨で薄暗い部屋の中、雲切丸から反射する光が、美しく冴え光る。


 すー・・・と、静かにマサヒデが刀を引き抜いた。

 窓開けされていない所は、寝刃研ぎで曇っている。

 腰の踏ん張り。深い反り。切っ先へ向かって細くなる形が優美だ。


「ラディちゃんに、古い年鑑見せてもらったよ。

 雲の隙間から差す光で、雲切丸。全くそのままだよね。

 その窓開けした所さ、本当に凄い光ってるもん」


「ええ・・・」


「じゃあ、ちょっと寝かせてくれるかな。

 刃を上に向けて」


 マサヒデが雲切丸を寝かせると、イマイが砥石の横に重ねてあった懐紙を取って、刃の上に乗せた。


「ま、まさか!?」


 カオルが声を上げて、膝立ちになった。

 ちら、とイマイがカオルを見て手を離すと、はらりと懐紙が斬れて落ちる。

 お伽噺などではよくある話だが、現実はここまで斬れる物など、ない。

 それが、目の前にある。


「僕の仕事、どうかな」


「お・・・お見事、です」


 やっと、それだけの言葉を喉から絞り出した。

 膝立ちになったままのカオルが、ごくりと喉を鳴らす。


「ま、僕の腕だけじゃないけどね。僕の研ぎは半分・・・いや、半分もないな。

 元々の刀の方が良すぎるというか・・・言葉は悪いけど、おかしいんだ」


「・・・」


 固まった2人を前に、ぷち、とイマイが髪の毛を抜く。

 す、と乗せると、髪の毛まで斬れて落ちる。


「ほら。ここまで来ると、もう研ぎの腕がどうこうって話じゃない。

 他の刀を研いだって、どう研いでも、僕程度の腕じゃあこうはならない。

 この雲切丸が、普通じゃないんだよ。これがコウアンの作って事なんだ。

 六ツ胴なんて楽な物だね。トミヤスさんが使えば、きっと竜の首も落とせるよ」


 ぶるっ、とマサヒデが一瞬だけ震えた。

 これが、自分の得物になる・・・


「うん」


 震えたマサヒデを見て、イマイが頷き、そっと手から雲切丸を取り、鞘に納めた。

 とすん、とカオルの腰が落ちる。

 マサヒデの腕が、ゆっくり下がる。

 イマイが立ち上がり、引き出しに雲切丸をしまった。


「今日は雨だし、持って出歩くのもね。晴れたら柄巻に持って行くから。

 何日かしたら、鞘の掃除も柄巻も終わる。

 そうしたら、マツ様に鞘を直してもらって、拵えも完成だ」


「はい・・・ありがとう、ございました」


 イマイがマサヒデとカオルの湯呑に茶を注ぎ足す。


「さ、飲んで落ち着いて」


「は・・・」


 2人はやっとという感じで湯呑を取って、ぐいっと一気に飲み干した。

 人心地つくと、ふう、と深く細い息が2人の口から出る。

 にこっとイマイが笑って、


「じゃ、折角来てくれたんだから、お楽しみの時間といこう!

 今日は何がいいかな?」


 イマイが引き出しを開け、これかな、これかな、と刀を指差す。


「よし。これにしよう・・・うん、丁度良い。

 カオルさんにはモトカネ見せてもらったから、これ」


 すー、とん、と引き出しを閉めて、白鞘を出す。


「どうぞ」


 イマイがカオルに刀を差し出し、


「拝見します」


 と、カオルが受け取る。

 くい、と引き抜いて、


「む?」


 反りは深めだが、これは古刀ではない。

 厚い。身幅も広い。切っ先も大きい。


「ふふふ。銘は切ってあるけど、見ずに当てて欲しいな」


「は・・・」


 地金は板目が詰んでいる。

 互の目に丁字・・・


「む。分かりました」


 マサヒデが頷いた。


「なるほど。モトカネを見せてもらったから、というのが分かりました」


「あ、分かった!?」


 マサヒデは笑って、


「ええ。同じ国の刀工ですよね」


「その通り! さすがトミヤスさん!」


「む・・・む・・・」


 カオルが眉を寄せる。


「ふふふ」


 イマイとマサヒデは、口に笑みを浮かべてカオルを見る。

 同じ国の刀工。誰だ・・・


「うむ。尖り心が、こう・・・混じっていて、何と言うか、賑やかな感じですね」


「良いよねえ」


 は! と、カオルが顔を上げた。


「分かりました。確かに、モトカネとあらばこちらも外せない刀匠ですね」


「聞かせてくれるかな。どんな人だろう?」


「はい。モトカネと並んで双璧と呼ばれ、世では人気を二分しておりました。

 ですが、当人達は兄弟の契りを結び、互いに作刀に励んだ・・・

 サダカネと見ました。如何でしょう」


「ご名答!」


「ううん・・・モトカネを見せてもらったから、というのが分かりました。

 サダカネと言えば、三十六歌神が有名ですね」


「ふふふ。あまり良い逸話の刀じゃないけどね」


 落ち着いて見ると、やはり素晴らしい。

 この反りがあって豪壮な姿は、正にサダカネの本領が発揮された作だ。

 大切先で重く、正に戦場の刀、という感じがする。


「どうかな」


「ずしりときます」


「モトカネも、本来はこういう厚くて重いのを作る刀匠だからね。

 カオルさんのモトカネ、あれがどれだけ特別か、良く分かるでしょ」


「はい」


「元々、この2人は数打ちって言うか・・・

 綺麗さよりも、とにかく実戦で使うっていう所を重視した刀匠なんだ。

 だから、残ってる作は、肉厚で幅の広い物ばかり。

 何と言うか、剣に近い感じの作り、と言うか・・・」


「やはり、私の物は注文打ちですね?」


 イマイは頷いて、


「カオルさんのは、間違いなく注文打ちだね。

 モトカネは、作ろうと思えば、ああいうのを作る事も出来たんだ!」


 イマイが目を輝かせて、拳を握る。


「普段作っているのと、完全に逆の作風じゃないか!

 それでも、あれだけ見事に作れてしまうんだ!

 当然だけど、見た目だけじゃない! あれは斬れる!

 どんな作りも自由自在だよ! 凄いよ!」


「・・・」「・・・」


 驚いてマサヒデ達がイマイを見ていると、とすん、と腰を落として胡座をかき、ぎゅっと目を瞑り、


「いーやあ・・・ほんと、凄いよね・・・

 あの作は、モトカネの技術の高さを証明する1振なんだよ。うん」


「・・・全くです。恐ろしい技術ですね」


 ふう、とイマイは息をつき、


「じゃあ、次はこれだ。

 トミヤスさんは前に見たけど、カオルさんにも見てもらおう。

 凄いよ、これは・・・」


「お、あれですか」


「そうそう。滅多に見られる物じゃないからね」


 カオルがそっとサダカネを納め、イマイに返し、


「滅多に見られないと言いますと?」


「新々刀の大傑作と言えば? あ、後期のね」


「新々刀の・・・後期ですか? 大傑作と言いますと、3人居ますね」


「さすが、よくご存知で。その中で、一番人気は誰?」


 は! とカオルが目を見開き、


「え!? まさか、ナミトモですか!?」


 イマイは答えず、にやっと笑って、白鞘を差し出した。


「どうぞ」


「は、は、拝見します!」


 がば! と頭を下げて、カオルが刀を受け取った。

 ナミトモと言えば、どれほど安い作でも、脇差で金貨300枚が相場。

 太刀ならば、一体いくらすることか・・・

 そう言われているだけで、そもそも、売りに出る物ではない。

 まだ魔術の掛かった品の方が出るという程、希少な物だ。


 展示の際に美術館へ行けば、見る事は出来る。

 だが、よもや生きてこの手にすることが出来るとは!


「で、では、では・・・」


 喉を鳴らすカオルを見て、マサヒデとイマイがにやにやと笑う。

 カオルがゆっくりと鯉口を切った。

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