第二章 雨の職人街

第4話 雨の職人街・1


 職人街に着くと、まずはホルニ工房。

 昨日、ラディに貸し出したカオルの刀を受け取る為だ。


 入り口の前で傘を閉じ、雨を払って脇に立てかけ、がらりと戸を開ける。


「こんにちは」


「あ、これはトミヤス様、いらっしゃいませ」


「昨晩、ラディさんにお貸しした刀を取りに来ました」


「ああ! あれ、トミヤス様のだったんですね」


「いえ、こちらのカオルさんのです」


 ぺこ、とカオルが小さく頭を下げる。


「ふふ、うふふふ」


「どうされました」


「いえいえ。昨晩から、今朝も起きてから、ラディも旦那も顔を突き合せて、そりゃあもう、ずーっと見てるんですよ! 朝からずっと! 仕事もしてないんですから。余程の物なんですね」


「ははは! 仕事もせずにですか!」


「ええ! 昨晩なんか、イマイさんもいらっしゃって、3人でずーっと遅くまで!

 言っても聞かないんですから、早く寝ろ! って怒鳴っちゃいましたよ!

 イマイさんも、もう少し、もう少しなんて、泣く泣く帰っていく有様で」


「ははは! カオルさん、これは悪い物を貸し出してしまいましたね」


「ふふ。申し訳ありませんでした」


 カオルが小さく笑いながら、頭を下げる。


「またまた、何をおっしゃいますやら!

 あんなに夢中になっちゃうなんて、こっちがお礼したいくらいですよ」


「まあ、私の実家にはいくつかありますから。

 父上は、ご亭主ならいつでも歓迎すると仰っておられましたので」


「実家? いつでも、と言いますと?」


「あれ、カオルさんが父上から貰ってきたんですよ。

 他にも似たような物はあるので、興味があればいつでも、と」


「あらまあ! あれ、カゲミツ様の物だったんですか!?」


「はい」


「そうだったんですか! はあ、それは夢中にもなりますね・・・

 全く、それにしたって、いつまでも。仕方ない旦那と娘だこと」


「取り上げてしまうようで、悪いですが」


「構いませんよ。仕事もしないで、ずっと眺めてるんですから・・・

 それより、カゲミツ様がいつでも、なんて言わないで下さいよ?

 旦那が帰ってこなくなっちゃいますから」


 う、とマサヒデとカオルは気まずそうに顔を合わせ、


「あ、ええっと・・・申し訳ありません。

 もう、ラディさんには言伝を預かったと、伝えてしまって」


「あっははは! じゃ、取り上げたら、合羽着て飛び出して行っちゃうかしら!

 注文はちゃんと仕上げるように、きつく言っておかないと!」


「申し訳ありませんでした・・・」


「良いんですよ! カゲミツ様から歓迎だなんて、うちの旦那も名誉な事ですから。

 ささ、2人は仕事場ですから、行きましょう」


 ラディの母が立ち上がって、仕事場の戸をがらっと開ける。

 いつもと違って、全く熱気がない。炉に火を入れていなかったのだ。

 本当に、朝からずっと眺めていたのか。


「こら! あんたたち、目を覚まして!

 トミヤス様がそれ取りに来たよ!」


 は! と、ラディとラディの父が顔を上げる。


「こんにちは」


 ぺこ、とマサヒデとカオルが頭を下げる。

 かくん、と肩を落として、ラディの父がイエヨシを鞘に納めた。


「どうも・・・」「いらっしゃいませ・・・」


 2人の目に、明らかに落胆の色が見える。


「如何でした」


 ラディの父は持ち直して、ぱっと髭面に笑みを浮かべ、


「それはもう、素晴らしい出来栄えで!

 時を忘れて、ずっと眺めておりました。

 いやはや、眼福で御座いました」


 と、綺麗に頭を下げ「おい」とラディを突付いた。


「あ・・・カオルさん、ありがとうございました」


「お楽しみ頂けたようですね?」


「はい。それはもう」


 カオルは少し考えて、


「では、私とご主人様はイマイ様の所に用が御座いますので、帰りに取りに来ます。

 おそらく遅くなりますので、それまで御覧下さっても結構です。

 ご主人様、よろしいでしょうか?」


「カオルさんの物です。カオルさんがそう言うなら、私は構いません」


 ちら、とラディの母を見る。


「その・・・お仕事に、差し支えがなければ」


 くす、とラディの母が笑い、


「ラディ、お父様を手伝ってあげなさいよ?

 あんたも、一緒になってずっと眺めてたんだから」


「は、はい! カオルさん! ありがとうございます!」


 ぱあ、とラディ達の顔が明るくなる。

 マサヒデはくすっと笑って、


「お母上、申し訳ありませんが、また夕方か、夜に来ます」


「いえいえ。ありがとうございますね、カオルさん」


「ふふふ。では、ラディさん、また後で」



----------



 ホルニ工房を出て、マサヒデ達はイマイの店に向かう。


「ははは! 朝から今まで、ずっと見ていたとは!」


「この調子では、道場の方はいつまで経っても見終わりませんね」


「全くですよ! ははは!」


 ばらばらと傘に当たる雨の音が心地良くなる。

 蔵に入ったら、またラディが卒倒してしまわないだろうか。


「虎徹・・・この橋の向こうに、イマイ様の店が?」


「ええ。渡ってすぐです」


 橋を渡る途中、ふと川の方に目が行った。

 船宿に留めてある船が、雨で少し強くなった川の流れで、ぐらぐらと揺れている。


「どうなさいました」


「あ、何でもありません。あそこ。船が揺れてるなあ、と」


 マサヒデが留めてある船を指差す。


「ああ、虎徹は船宿でしたね」


「ええ。行きましょう」


 ぴちゃ、という音に混じって、ぎしりと足元の橋の板が鳴る。

 橋を渡って少し歩き、


「ここですよ」


 足を止めて、カオルが傘を上げて『イマイ研店』という看板を見る。


「ここですか? イマイ様は、国の職人大会で何度も入選しておられるとか。

 それにしては、随分と小さな店構えですね」


「お一人でやっていますし、広い場所を必要とするお仕事ではないですからね」


「確かにそうですね」


 軒先に入り、傘を閉じて軽く振って、雨を払う。

 がらりと戸を開け、


「こんにちは!」


 少し待ったが、返事がない。

 まさか、また白鞘を抱いて眠っているのか?


「留守でしょうか?」


「いや、研ぎ師が鍵を開けたまま、出掛ける事はないでしょう。

 お客様から預かる物は、高価な物ばかりです。

 また、寝ているかもしれませんね」


「また? 以前も寝ておられたのですか?」


「はい。コウアンの白鞘を抱いて、よだれを垂らして、笑いながら」


「ええ?」


「ふふふ。それで、許す代わりに稽古を、という話に持っていったんですよ。

 勿論、白鞘は作り直して頂きましたが」


 ぷ、とカオルが噴き出し、


「ふふふ。そうでしたか!」


「鍵も開いていますし・・・うん、入ってしまいましょうか。

 昨晩は遅くまでカオルさんの刀を見ていたそうですし、昼寝でもしているかも」


 框に腰掛けて、濡れた足を綺麗に拭い、静かに入って行く。

 カオルが囁き声で、


「む。寝ていますね。寝息が」


「この雨の音の中、流石ですね。私には分かりませんよ」


 すー、と静かに仕事場の戸を開けると、予想通り、イマイが子供のように丸くなって寝ていた。幸いな事に、刀は抱いていない。


「イマイさん」


 マサヒデが一声掛けると、


「んん・・・あっ、あっ? あ!」


「お休みの所、申し訳ありません」


「あ、ああ・・・トミヤスさん? カオルさん?」


「どうも」


 ごしごしと両手で顔を擦って、イマイが起き上がる。


「うわー・・・申し訳ない! 昨日は遅くてさ、眠気に耐えられなくって。

 こりゃあまともに手が動かないって思って、寝てたんだ・・・」


「ふふふ。イエヨシですか? モトカネですか?」


 イマイはふわあ、と小さく欠伸をして、ぱん! と頬を叩く。


「モトカネ。ううん、両方見たかったね。カオルさんのだったよね」


 ふ、とカオルが小さな笑みを浮かべ、


「お譲り頂いた物はお見せするとのお約束です。

 イエヨシは後程お持ちしましょう」


「え! ほんと!?」


「はい」


「うわあ、イエヨシも見れるのか!

 古刀の大傑作だもんね、もう感動だよ! ありがとう!

 あ・・・ああ、それで、今日はどうしたの? 何か見に来た?」


「勿論、見せてくれるのであれば見たいのですが、まずはあのコウアンの鞘です」


「ああ、ごめん。その、いくつか売り先の候補に話はしてあるけどさ。

 どこもこれ出せなくてね。まだ保留なんだ」


 と、イマイが親指と人差し指で輪を作る。


「良かった。まだ売ってないんですね」


「あ、売るのやめる? あれは凄いもんね。

 鞘としてはちょっと使えないけど、飾って置いとくだけでも良いもんね」


「いえ。実は、あの鞘を使おうかどうか、迷ってまして」


「ええ? あれはちょっと・・・作り直した方が良いよ?」


「マツさんが凄い魔術を持ってるんです。

 壊れた物を、完全に元に直せる魔術です」


「え? ええ!? それは凄いね・・・流石は大魔術師と言われるだけはあるね」


「ですので、ぱかっと割ってしまって、中を綺麗に掃除して、と」


「なるほど・・・ううん、そうか」


 イマイが腕を組んで考え込む。


「何か問題がありますか」


「うーん・・・まあ、座ってて。お茶持ってくるからさ」


 イマイは立ち上がって、奥へ入って行った。

 マサヒデとカオルは座って、部屋の中を眺める。

 相変わらず、すごい数の刀が壁に掛かっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る