十五、翼なきもの

「先代世界樹の活動を完全に停止しない限り、上書きは難しいかと」

「どういうこと? 世界樹の代替わりは済んでいるはずよ」

「ええ。ですが、完全に枯れたわけではありません。世界樹としての権能はエルヴィ様に受け継がれましたが、生命体としての活動は続いています」

「そんな、まさか」


 狼狽えるあまり、ミアの身体から力が抜ける。

 それに気付いたナハトが、倒れ込まないようにと無意識で彼女の腰へと腕を回した。


「停止しないとどうなる」


 顔色が真っ青になってしまったミアの代わりにナハトが質問を投げかけた。


「術式を書き換えたとして、お前は活動限界を迎えるだろうな。それだけじゃない。お前の片割れの暴走も激しさを増すかもしれん」

「……」


 ラベンダーを宿した瞳の中に、一瞬だけ苛烈な炎が灯った。

 そんな彼を、ドーンは黙って見つめ続ける。

 

 しん、と嫌な静けさが空間を支配した。


「……生命体としての活動を停止すれば、先代世界樹はどうなるの?」


 堪えかねたのは無論ミアだった。

 口火を切った彼女の様子に、ドーンが虚空へ視線を彷徨わせながら言葉を紡ぐ。


「ゆっくりとではありますが、その身体は崩れて魔力となり、新しい世界樹の元へ還っていくはずです」

「そう。じゃあ、あの丘の見晴らしが随分と良くなるってことね」

「……その可能性は高いでしょうね」


 ミアの言葉に、ドーンは思わず笑みを返した。

 次いで、世界樹の成り立ちについて語り始める。


「これまでの代替わりで、世界樹は同じ本体を共有してきました。代替わりするたびに、その身体を大きくしてきたのです」

「じゃあ、エルヴィのような代替わりは初めてってこと?」

「はい。人型を得たのもそうですが、蕾の守り人を人間にしたことも初めてだったはず」

「守り人って代々居たんだ……」

「ええ。精霊が選ばれることが多かったですね。人と違って寿命が長いですから」

「あ~~……なるほどね、」


 シュラが守り人に選ばれたとき、あの旭日でさえも僅かに狼狽えたと聞く。

 開花に早くて十年、遅くて五十年の時を要するとなれば、人間に守り人が務まるはずもない。

 改めて、シュラは運が良かったのだろう。

 あるいは、旭日たちの介入を見越して先代世界樹が彼を選んだのかもしれないが。


「先代世界樹を壊す、か。簡単に言ってくれるけど、妨害があることも予想済みなんでしょう?」

「はい。これの片割れは間違いなく、やってくるかと」

「……どうやって、気を逸らすかなのよねぇ」

「それなのですが、完全な上書きは難しくても、魔力炉と核を新しいものにすれば後継機は時間制限付きで活動可能なはずです」


 ミアとナハトは思わず顔を見合わせた。

 数分ぶりに真正面から互いに向き合った所為で一瞬だけ奇妙な間が生まれるも、ほとんど同時にこくりと首を縦に頷かせる。


「ありがとう、ドーン。おかげで問題は解決できそうよ」

「お役に立てて嬉しく思います。それでは、地上で待つ皆様の元へ送る準備をいたしましょう」

「お願い」

「かしこまりました」


 ドーンは静かに一礼すると、両手を合わせて何事かを呟いた。

 ミアの足元に術式が浮かぶ。


「申し訳ありません、マスター・ミア。私の技量では一人ずつ送るのがやっとです。後継機(これ)はあなたの後に送り届けることをお約束します」

「分かったわ。ナハトくん、先に向こうで待ってるね」

「ああ」


 言うや否や、ミアの姿が光に包まれて見えなくなった。

 完全に彼女の姿が光の向こうに消えるのを待ってから、ナハトはドーンに向き直る。


「あなたほどの術者であれば、俺たち二人を一緒に送ることも容易かったはずだ。それなのに、どうして俺だけを残した」

「人間の機敏には疎いくせに、こういうことには目敏いんだな。だからお前は愚鈍なのだ」


 ふう、と呆れたような、それでいて少し楽しそうにため息を漏らしたかと思うと、ドーンはそっとナハトの胸に拳を叩きつけた。


「よく聞け、夜の子。お前と光の子は、その核を二人で共有している。この意味が分かるか」

「……俺たちの核は、元々一つだった、ということか?」

「そうだ。私はお前たちが造られる過程を全て記憶している」

「それは、」

「回りくどいのは嫌いだから、簡潔に告げよう。――お前が停止すれば、お前の片割れも活動限界を迎える」

「!!」


 驚きのあまり、ナハトは目を見開いた。

 黄金の瞳に宿った光が冷たく、ナハトを射抜く。


「今のお前は、マスター・ミアの魔力を糧にして無理やり動いている状態だ。だがそれも、魔力炉と核が新しいものに変われば問題はなくなる」

「ミアを巻き込まず、リヒトを止めろということか」

「最悪の場合は、な。私の予知はお前たちのように万能ではないから、」

「……っ」

「忘れるなよ。最優先事項は『マスターの命』だ。お前はよく理解しているだろう」


 その言葉に、ナハトは奥歯を食いしばった。

 ゆっくりと瞼を閉じれば、旭日の凶刃に倒れたアウロラとグルスの姿が鮮明に思い起こされる。


「あまり遅くなると怪しまれる。もう行け」

「ドーン、」

「これをマスター・ミアに。魔力を流せば、いつでもこの場所に辿り着けると伝えてくれ」

「あなたは、」

「――ナハト。今度こそ、必ずマスターを守れ」


 必ずだぞ、とドーンが紡いだのを最後に、ナハトの身体は光に包まれるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 言い出したら聞かないのは父似か、それとも母似か。

 少し先を勇足で歩く妹の背を追いかけながら、桔梗は呆れたようにため息を吐き出した。

 

「約束を忘れたの? 鈴蘭」


 桔梗の声に、鈴蘭は漸くその歩みを止めた。


「わ、忘れてなどおりません。で、ですが、その、」

「蘭月が心配なのは分かるけれど、少し抑えなさい。殺気だけならまだ良いけど、魔力が隠しきれていないわ」


 本日何度目になるのか分からないため息を吐き出して、桔梗は空を仰いだ。

 こんな風に妹と二人で故郷の地を歩むことが出来るようになったと知れば、子どもの頃の自分はきっと大はしゃぎするだろう。

 今は違う意味で心躍らせている――蘭月の救出というのは建前で、強者と戦えることに飢えている――鈴蘭にもう一度ゆっくりと視線を戻した。


 緋色の瞳が桔梗を真っ直ぐ射抜く。


 無言のまま、二人は己が武器を手に取った。


「――驚いた。魔力を隠していたつもりだったが、気付かれるとは」


 愉悦混じりの声が姉妹の耳に届く。

 視線を少し持ち上げた先――なだらかな坂の上に、リヒトが立っていた。


「姉上」

「……ダメ、と言っても聞かないんでしょう?」

「はい!」

「良いお返事すぎて頭が痛くなってきたわ」

「参ります!!」


 桔梗の静止など、無意味である。

 爛々と目を輝かせた鈴蘭は、姉のため息を背に受けながらリヒトへ向かって走り出した。


「穢らわしい龍を宿す分際で、私に勝てると思っているのか!」


 翡翠が閃く。


 無数に浮かんだ剣は、然して鈴蘭には当たらなかった。


「縮地の前に、そんなものが通じるとでも?」


 そう言って、鈴蘭が笑みを深める。

 

『……あれは少しはしゃぎすぎではないか?』

「何度注意しても聞かないんです。旭日様から提言してください」

『王妹である自覚が足りんな』

「それは、本当にそうですね」

『――談笑に興じているところ水を差すようで恐縮なのですが、そろそろ加勢しては?』


 苦笑を浮かべる創世龍の二人に、桔梗はまたしても重いため息を吐き出した。


「雷と風、どっちが効くと思います?」

『順当に考えれば、雷でしょうが、』

『ヴァルツとネイヴェスだぞ。そんなもの対策しているに決まっておろう』


 旭日が珍しく眉根を寄せながら、桔梗を睨んだ。


「じゃあ、旭日様ならどうやって攻撃を仕掛けるんですか」

『……龍の魔力にも耐性があるようだしな。ここは男らしく拳で語るが一番だろう』

「私、女なんですけど?」

『蹴りで巨漢を吹き飛ばす女が何を言う』


 カカ、と今度は楽しそうに笑った旭日に、桔梗は肩を竦めた。

 次いで、地面を強く蹴り上げる。

 あっという間に、リヒトと鈴蘭の頭上まで飛び上がった彼女は、重力に従うままその身を稲妻へと変えた。


――ドォオオン!


 激しい雷の魔力に、地面の雪が溶け、岩肌が顕になる。

 寸でのところで、桔梗の攻撃を交わしたリヒトが、水蒸気へと変わった雪の隙間から二人を睨んでいた。


「小賢しい真似を」

「あら、これを避けられたのは貴女が初めてだわ」


 地面に突き刺さった足――さっきの攻撃は右足に雷を宿した強烈な踵落としだったのだ――を引き抜きながら、桔梗が口元を綻ばせる。


「姉上の攻撃を避けるとは、」

「……鈴蘭。その顔は王族として完全にアウトです。もう少し隠す努力をなさい」

「はっ、す、すみません」


 興奮するあまり瞳孔が開き、涎まで垂らしそうな妹の姿に、桔梗は呆れながら愛刀に手を伸ばした。


「今度は同時に。いいですね?」

「はい!」


 桔梗は、ゆっくりと息を吐き出すと握る刀に魔力を集中させた。

 じんわり、と熱を帯び始めたそれに気付いた旭日と華月が、桔梗の中で感嘆の声を上げる。


『なるほど……。アメリアの入れ知恵だな?』

『これならば、魔力を込めるだけで魔法の発動は気付かれない。よく考えましたね』

「……お二人の中に、手伝うっていう概念は存在してます?」

『我らが出たら、お前の命が危うくなるが?』

『そうですよ、桔梗。貴女は特に龍の魔力と結びつきが強いのですから』


 高みの見物を決め込む二人に、桔梗は片眉を持ち上げた。

 仕方ない、と口の中だけで音を紡ぐと、鈴蘭に視線を送る。

 彼女はそれだけで桔梗の意図に気付いた。


 姉妹の足が同時に地面を蹴る。


「――《雀蜂・乱舞》!」


 次の瞬間、閃光が弾けた。

 四本の剣がリヒトを捉え、激しい軌跡を描く。


「……っ、このっ!!」


 一際鈍い金属音が、雪山に木霊する。

 翡翠の剣が桔梗の刀を一本、受け止めたのだ。


「へえ?」


 桔梗は興味深そうに目を細めたが、次いで、容赦なくもう一方の腕を振り下ろした。

 リヒトの左肩から右脇腹まで深い斬撃が入る。


「ぐああっ!」


 衝撃のあまりよろめいたリヒトを、鈴蘭は見逃さなかった。


「――《黒雷》!!」


 黒い稲妻がリヒトの身体を劈く。


「~~~っ!!」


 今度の悲鳴は声にもならなかった。

 膝から崩れ落ちたリヒトの身体が、剥き出しになった岩肌に倒れ込む。


 ふう、と一息吐いて、刀を戻した鈴蘭に、桔梗は顔を顰めた。


「油断しないで。これは腐っても龍を殺すために造られた兵器なのよ」

「ええ。ですが、姉上の一撃で弱っていましたし、暫くは起き上がれないかと、」

「――鈴蘭っ!!」


 桔梗は咄嗟に妹の身体を突き飛ばした。

 腹部を痛みが襲う。

 次いで、熱い何かが足を濡らしたのが分かった。


「姉上!!!!」


 脇腹にリヒトの剣が突き刺さっている。


「……だ、から、言ったでしょう」

「そ、そんな! 姉上!」

「落ち着きなさい。本体から距離を取れば、大丈夫なはずよ」


 恐らくは本体の意識が途切れたことで、自己防衛機能が活性化したのだろう。

 桔梗の言葉通り、リヒトの身体が視認できるギリギリまで離れる。


「ごほっ」


 突き刺さったままの剣を放置し、無理に動いた所為で、桔梗が吐血した。

 だが、ここで下手に抜いてしまえば、大量出血するのが目に見えている。


「姉上、」

『落ち着け。今、華月が内から傷を修復している』

「旭日様」

『我らが出ればこやつを危険に晒すと思ったが、よもや妹を庇うとは思わなんだ』


 旭日の口調は怒りを孕んでいたが、何故か眩しいものでも見るかのように一つしかない眼を細めていた。


『結界を張るくらいであれば、龍の魔力と悟られまい。桔梗が回復次第すぐに――!?』


 然して旭日の読みは甘かった。

 リヒトは学んでいたのである。

 人間は剣を刺されても、出血を恐れて剣を抜かない、ということを。


 桔梗に刺さったままになっていた剣が怪しい光を放つ。


「見つけたぞ、旭日――っ!!」

『しま、』


 剣に描かれた術式からリヒトの腕が旭日へと伸びた。


「ああ。だが、俺の方が早かったな」


 かくれんぼは得意なんだ、と弾む声が、地面を突き破った。

 リヒトと旭日の間を割くように、シュラが姿を見せたのである。


『……お前、』

「お待たせしました。どうです? タイミングばっちりだったでしょう?」

『…………ほんに、可愛げがなくなったな。世界樹はこれのどこか良いのか』

「こういうところ、ちょっと可愛くて好きなんだけど、」


 苦々しくそう呟いた旭日に、シュラが開けた大穴から顔だけを出したエルヴィが楽しそうに答えた。


「……ごほんっ。無駄話は後にしよう。叔母上、母上を頼みます」

「え、ええ」

「エルヴィ」

「うん。任せて」


 エルヴィは頷くと、鈴蘭と桔梗の二人を木の根で包み込んだ。

 気付いたリヒトが攻撃を再開しようとするも、それを許すシュラではない。


「そう何度も思い通りにさせてたまるか。お前の相手は俺だ」

「小僧!!」

「来いよ!! 《守護獣》!!」


 激しい火花がぶつかり合う。

 それを横目に、エルヴィは桔梗たちを包み込んだ木の根に魔力を込めた。

 淡い光を発したそれは、転送魔法陣が成功したことを意味する。


「シュラ」

「……分かっている」


 啖呵を切ったものの、シュラに出来ることは精々が時間稼ぎである。

 桔梗という戦力を失った今、この場所からの離脱が最優先事項だった。


 異なる色彩を放つ双眸がシュラをじっと見つめる。

 人間とは異なる縦に走った瞳孔の奥で、金色の魔力が淡く瞬いた。


「エル、お前の魔力を」

「うん」


 エルヴィが、シュラの武器に手を添える。

 ミアたちの検証が正しければ、エルヴィの魔力で術式の綻びが改善されるはずである。

 だが、それはあくまでも核を置き換えることを前提とした話だ。

 一撃二撃加えたところでどうなるか、未知数だった。


「術式をどうにか出来るとまでは思っていないが、動きが少しでも鈍れば万々歳だ」


 蒼を冠する龍を宿した青年は、そう言って不敵に笑ってみせた。

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