第3章『偉大なる魔女へ捧ぐ』

十四、かわたれどき

「――失礼。人が訪れたのは随分と久しぶりだったもので、解除に手間取ってしまいました」


 突如、頭の上に降り注いだ言葉の雨に、ミアは目を白黒させた。

 先ほどまですぐ傍に居たはずのナハトの姿が見えないことに、半分安堵している自分と、不安を抱く自分とが胸中でせめぎ合っている。


「ここは?」


 努めて冷静に問いかけると、声の主はどこか嬉しそうに笑い声を上げながら、その姿をミアの前に現した。


「初めまして、ヴァルツの子」


 黄金の瞳を宿したそれが、ふわりと宙を舞う。


「――《守護獣》?」

「はい。貴女が人型と呼ぶ彼らの先代機に位置付けられます」


 背中に翼を生やした人間、否――原型にしている生物は恐らくハーピィだろう、とミアは検討をつけた。

 弟のクオンが契約している個体に造詣が近かったからだ。

 だが、それにしてはやけに小柄な姿に、思わず唇を尖らせた。


「貴女の抱いた疑問に答えるより先に、アレをこちらに招かねばなりません」

「え?」

「今にも水晶結界を砕かれそうなので」


 アレ、と守護獣が示した先に居たのは、苦悶の表情を浮かべながら拳を水晶に叩きつけているナハトその人だった。


「私は彼に比べて性能が劣っています。結界を維持できる知能はあっても、再構築するほどの魔力は有していません」

「ってことは、ここの結界はあなたが管理してるってこと?」

「その通りです。私はこの落陽の洞窟――《守護獣・ドーン》。水晶の生成や管理をマスター・アウロラ、マスター・グルスより仰せつかっております」


 アウロラに次いで告げられた名前に、「へあ!?」とミアが間抜けな声を漏らす。


「マスター・グルスって、まさかグルス・ネイヴェスのこと!?」

「はい。グルス・トルメンタ・ネイヴェス氏、並びにアウロラ・ソルシエール・ヴァルツ氏が機体と術式を生成。東の王族であられる薄明ノ君が魔力炉の充填を担当し、完成したのが我ら《守護獣》でございます」


 恭しく頭を垂れたドーンに、ミアは目眩を覚えた。

《落陽の洞窟》の魔力濃度が異様なほど高いのは、自然現象じゃない可能性が浮上したからだ。


 ヴァルツ家の歴史の中でもアウロラ・ヴァルツと、ミアの曾祖母であるメリッサ・ヴァルツの二人は偉大な魔女としてその名を残している。

 当時、そんなアウロラと共に西の国の誌面を騒がせていたのがネイヴェス家きっての異端児――グルスだった。

 

 魔術のヴァルツ、封印のネイヴェスとは元々この二人を表す代名詞のようなもので、いつしかそれが家名に掲げられるようになったと伝え聞く。


「……少しじっとしなさい。座標が安定しないでしょう」


 まったく、と呆れたようにドーンが右手を掲げた。

 すると、水晶が左右に割れ――大きく口を開いたようにも見えた――ナハトの身体を吸い込んだ。


「うおっ!!」


 瞬きを繰り返しながら、ナハトがミアにぶつかる直前で体勢を立て直す。

 ともすれば、鼻先が触れてしまいそうな距離で止まった彼に、ミアがぎくり、と身体を強張らせた。

 かさついた唇の感触まで蘇ってきそうになって初めて、足が逃げを打つ。


「ミア……っ! 良かった、無事だったんだな!」

「う、うん」

「どうした? 何故、後退する」

「あ、いや、その……」


 じりじりと後退を続けるミアの姿に、ナハトは困惑しながらも距離を詰めようと一歩を踏み出した。


「立場を弁えろ、後継機。マスターは貴方に不快感を抱いています」


 そんな彼に、ドーンが待ったをかける。

 ミアは助かったと言わんばかりに、彼――あるいは彼女――の背中に隠れた。

 それを見たナハトの目が驚愕に見開かれるも、彼から身を隠すことに精一杯なミアは気付かない。

 ドーンだけがナハトの一挙一動を鮮明に記録していた。


「ふ、不快感、だと? な、なぜ……」


 目覚めたときでさえ、ここまで狼狽えたことはなかった。

 ミアに嫌われたかもしれない、と考えるだけで目の前が真っ暗になる。


「ち、違うの、ナハトくん。不快感っていうほどでもなくて、」

「でも嫌がっているのは事実でしょう」

「ちょ、ややこしいな。いいからあなたは壁役に徹してよ」

「承知しました」


 ドーンはくすくすと笑いながら、ミアの命に従う姿勢を示した。

 身体に見合わず大きなドーンの翼の影から、半分だけ顔を出して、ナハトの様子を窺う。


「ど、どうして、先代機に密着するんだ」

「いや、好きで密着しているんじゃなくて、」

「なら離れたら良いだろう」

「そしたら、ナハトくんが私とくっつこうとするじゃない」

「当たり前だ。魔法の使えないあなたの武器は『俺』だけなのだから」


 武器、という言葉に、ミアは唇を引き結んだ。

 確かに《守護獣》の分類は武器に位置付けられるかもしれない。

 獣の姿を象った《守護獣》であれば、ミアもそう割り切ることは簡単だった。


 けれど、ナハトたちは違う。

 自分たちと同じ《形》をしている。

 そんな彼らを武器として扱うのに、戸惑いと抵抗が生まれるのは仕方のないことだった。


「ミア、」

「……恥ずかしいの!!」

「え?」


 仕方なく、ミアはもう一つの理由を吐露することにした。


 触れられた場所の熱が引かない。

 唇にずっと彼の感触が残っていて、落ち着かなかった。


 他人に触れるのも、触れられるのも、初めてだったのだ。


 得体の知れない感情がぐるぐると胸中で蟠を巻いている。

 それをどう処理したら良いのか分からない内に、ナハトがまた自分に触れるものだから。

 ミアは情緒が不安定になっていた。


「マスター・ミア。発言の許可を頂いても?」


 どういうわけか、ドーンの肩が小刻みに震えている。

 こいつさては笑っているな、とミアは鋭い視線を突き刺した。


「……どうぞ?」

「感謝します。――後継機、お前はマスター以外が魔力欠乏症になったらどう対処する?」


 黄金色がナハトを捉える。

 その懐かしい色合いに、ナハトは思わず言葉を詰まらせた。


「…………俺の髪を口に含ませる」

「その理由は」

「俺の炉心には今、世界樹の葉(エルヴィの髪)が入っている。魔力量も大幅に向上しているため、髪の一本に回復を補えるほどの魔力が宿っているからだ」

「では何故、それをマスター・ミアに提案しなかった」

「そ、れは、」

「動揺したんだろう? それで非効率な方法を取った。違うか?」

「違う! 俺は、ミアを一刻も早く、……?」

「くくくっ。どうした、何か疑問が生まれたか」


 聞いているだけで、頭が沸騰しそうだった。

 ドーンは随分と性格が悪いらしい。

 ミアが恨めしそうに睨んでいることにも気付いているだろうに、ナハトを質問責めする手を一向に緩める気配がなかった。


「ミアを、助けたくて……? ミアに、触れようと、」

「お前は本当に鈍いな」

「鈍い? とは、どういう意味だ。俺の行動速度は愚鈍ではない」

「アウロラ様も人が悪い。私には潤沢な知識を与えたくせに、自立演算式に拘りすぎたな。まさか、ここまでとは」

「勿体ぶらずに、さっさと教えろ!」

「――弁えろ、と言っているのが分からんのか、貴様は。私はお前の先代機だぞ」


 ドーンの声色が、子どものように甲高いそれから、低い獣の唸り声のようなものへと変わる。

 空間を揺蕩う僅かな魔力が震えるほどの恐ろしい声だった。


「…………っ」

 

 それを間近で聞いたミアを、再び目眩が襲う。

 マスター、と二人の守護獣が、傾いだ彼女の身体を、ほとんど同時に支える。


「離れろ、愚図。お前のような未熟者に、マスターは任せられん」

「貴様こそ離れろ。誰の所為でこんなことになったと」


 黄金とラベンダーの光が激しくぶつかり合う。

 その間にも、ミアは魔力を欲して、踠き苦しんでいた。


「かはっ……」


 魔力だけではない。

 呼吸さえもままならなくなりつつあった彼女の喉が、おかしな音を発した。


「ミア!」


 迷わず顔を寄せたナハトの脳天に、ドーンが鋭い手刀を振り下ろす。


「き、んきゅう事態だぞ! ふざけている場合では、」

「私とのやりとりをもう忘れたのか。お前の髪を一本咥えさせれば良いだけだろう」

「あ、」

「何だその間抜けな顔は。まさかとは思うが、マスター・ミアに触れたかったのか」


 頭上でのやり取りに、ミアは胸を抑えながら耳を疑った。

 それはナハトも同じだったようで「え」や「あ」と意味のない音を繰り返している。


「呆けているのは勝手だが、さっさと髪を寄越せ。このままだと意識障害を引き起こすぞ」

「…………あ、ああ」


 慌てて髪を引き抜いたかと思うと、困惑に揺れるラベンダーがミアの顔を覗き込んだ。

 顎を引かれ、唇に何かを挟まされる。


「…………ふう、」

「すまない、マスター・ミア。魔力濃度が低いことをすっかり失念していました」

「う、うん」

「どうしました? 顔が赤いようですが」

「な、何でもないの。暫くそっとしておいて」

「ですが、」


 食い下がろうとしたドーンの前に、ナハトが立ち塞がった。


「嫌がっているのが見えないのか」

「……お前にだけは言われたくない台詞だな、それは」

「何だと!?」

「あーもう、二人とも静かにして! 頭に響く! また私が倒れてもいいの!?」


 ミアの一声に、守護獣たちは渋々その口を閉ざした。

 だが、眼差しだけは雄弁に互いを威圧している。

 それを見て、呆れたようにため息を吐き出すと、ミアは漸く連れてこられた空間へ目を向けることが出来た。


 ドーンが水晶の生成と管理を任されていると言っていたことを鑑みるに、ここが《落陽の洞窟》中枢部なのだろう。

 それにしては制御盤やら術式やらの類が一切見受けられないのが不思議だった。


「そう言えば、あなたは何を動力にしているの?」


 ふと疑問に思ったことを言葉にすれば、ドーンが嬉しそうに破顔した。


「私はそこの阿呆と違って、微量の魔力で活動することが可能です。グルス様の『複製』魔法を術式に組み込んでいただいたおかげで、魔力炉と核が無事であれば半永久的に活動できます。このように造られてから百年余りが経過致しましたが、一度も不具合が起こったことはありません。そこの欠陥品と違って」


 所々に嫌味を挟まないと気が済まないのだろうか。

 チクチクとトゲを飛ばされたナハトの顔が不満そうに歪んでいるのを横目に、ミアは顎に手を添えて「ふーん」と相槌を返した。


「ってことは、ナハトくんにも『複製』の術式を組み込めば、安定するのかな」

「残念ですが、それは推奨しかねます」

「どうして?」

「彼らの核に用いられているのは魔水晶だけではありません。世界樹の新芽が一部組み込まれていたはずです」

「え!?」


 ここにきて初めての新事実である。

 てっきり魔力純度の高い魔水晶を核に使っているとばかり思っていた。

 碑文に世界樹の魔力が込められている時点で気付くべきだった。


「盲点~~~~~~!!」

「ふふっ。あなたは本当に愉快なマスターですね。この愚鈍と違って」

「先ほどから黙って聞いていれば、少々言葉が過ぎるのではないか? 俺を起動したのはミアだぞ」

「起動したのはマスターでも、お前は自立演算式だろうが。術式が欠陥してもある程度は自分で修復可能なはずだ」


 私と違ってな、と睨みを効かされて、ナハトは言葉を詰まらせた。

 そんな彼らのやり取りを右から左に流しながら、ミアがある一つの仮説を立てる。


「お母様は循環式だけエルヴィの魔力で上書きすればいいって言っていたけど、もしかして魔力炉と核を入れ替えたら自動修復するってこと?」

「その可能性は大いにあります。魔力炉と核の魔力に馴染むよう、術式を組み替えるはずです」

「なら、エルヴィに手伝ってもらって、」

「お待ちください。まずはこれらの核に使われた世界樹の芽を排除しなければ」

「え、」


 代替わりしているため、とっくに枯れているとばかり思っていたミアは、ドーンの言葉に瞬きを繰り返した。

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