十三、守護石

 《落陽の洞窟》深部で作業を進めること、約半日。

 滞在期間は移動日数を差し引いて二日しか申請できなかったこともあり、一同は休む間も惜しいと言わんばかりに夢中で発掘作業に取り掛かっていた。


「これだけ回収したら、どれか一つは当たりが入ってるでしょ」


 ふう、と珍しく額に滲んだ汗を拭いながら、ミアが厳選された水晶の山を見遣る。


「本当はここで組み立てるのが一番楽なんだけどな~」

「検証しながらって言うんでしょ。私だってそうしたかったけど、制御盤開いた途端、濃度が高すぎて表示が歪むんだもの。性質上、結界も張れないし、」

「そうだねぇ。流石に魔力反発が起きたらどうなるか僕にも分からないし……。こればっかりは地道にいくしかないよ。もしダメだったら、またシアンに入場許可証取り付けてもらいなさい」


 子どもみたいに八重歯を見せて笑ったホロに、肩を竦めながらミアは頷きを返した。


「ナハトくんは、気になる水晶あった?」


 意識を取り戻してからこっち自分の後ろを付いて離れない《守護獣》に、そう問い掛ければ、彼は視線をミアと水晶の間で行ったり来たりさせた。

 忙しないその様子にミアが首を傾げれば、一拍置いてから「そうだな」と小さな声が返ってくる。


「……これとか、良いんじゃないだろうか」


 ナハトが手にしたのは、ラベンダーを溶かして煮詰め込んだような色に染まった水晶だった。


「これぇ? あんまり純度高くない気がするけど」

「む。そうか? 俺はこれが気になったんだが」

「――君って案外、分かりやすいんだな」


 ホロがくつくつと笑い声を漏らすのに、ミアとナハトが二人して瞬きを繰り返す。


「どういう意味だ?」

「自立演算式なんだろう? 自分で考えてみたら、どうだい」

「分からないから聞いているんだが」

「そうですよ、ホロ先生。急に訳の分からないことを言わないでください」


 頭が良い癖に、色恋沙汰にはとんと鈍いらしい。

 まるでミアの両親を見ているようだ。

 今や偉大なる魔女と、泣く子も黙る東支部・支部長になった彼らの姿を脳裏で思い浮かべて、ホロは堪えかねたようにクッと喉を鳴らした。


「……先生。あまり揶揄わない方が身のためですよ」

「分かってるよ。だけど、ああも見せつけられると、突かずにはいられなくてね」


 作業には参加せず、監督役に徹していたアンナが、ため息混じりにホロを諌める。

 こんなに楽しそうなホロを見るのは、随分と久しぶりだった。

 父親と同じ歳の彼の横顔が、少年のように見えて、知れず眦を和らげる。


「満足しました?」

「うん。《守護獣》の術式も見られたし」

「じゃあ、我々はそろそろお暇しましょうか」

「そうだね。あ~あ……。まぁた、元老院の連中と顔を突き合わせなきゃならないのか~」


 ぶつぶつと文句を垂れ始めたホロの姿に、アンナは苦笑を浮かべた。


「それじゃ、私たちはこれで。採掘作業、頑張ってね」

「うん、ありがとう。先生も」

「困ったことがあったら、いつでも呼んでよ。元老院から抜け出せるなら、喜んで飛んで行くからさ」


 茶目っ気たっぷりにウィンクを寄越した彼に、今度はミアが苦笑する番だった。

 はーい、と間延びした返事を投げて、部下たちの元へ戻ろうと一歩を踏み出す。


「――ミアくん!」


 切羽詰まったホロの声がミアへ届くのと、足元の水晶が砕けたのは、ほとんど同時だった。


「!?」


 咄嗟に杖を振るったミアだったが、それが意味を成すことはなかった。


(魔力濃度が高すぎて、魔法が発動しない――!?)


 グッと奥歯を食いしばって、落下の衝撃に備えた。

 このまま地面へ落下すれば、骨折は不可避――最悪の場合、ミンチになることもあり得る。

 杖を握る手へと無意識に力が籠る。


――バフッ!!


「え、」


 だが、ミアを襲ったのは固い水晶の感触ではなく、身体全体を包み込む柔らかなものだった。


「……だい、じょうぶか?」


 ナハトの腕が、ミアの身体をきつく抱きしめている。

 それだけではない。

 彼の髪が、まるでエルヴィのように毛量を増していた。

 それが緩衝材となり、二人の身体を包み込んでいる。


「あ、ありがと」

「ああ」

「す、すごいね、これ。どうやったの?」

「分からん。とにかく、君を守らなければ、と思って」


 透き通ったラベンダーがミアを射抜いた。

 どくり、と心の臓がおかしな音を立てる。

 真摯な光を宿した双眸に、ミアは何故か居心地が悪くなった。


「随分と深くまで落ちてしまったようだ。通信機は壊れていないか? 連絡が取れるか試した方がいい」

「……」

「ミア? 聞いているか?」

「…………」

「?」


 反応を返さないミアに、ナハトは瞬きを繰り返した。

 きちんと受け身を取ったとばかり思っていたのだが、どこかに不具合があるのだろうか。

 実験時以外で無言になっている彼女は初めてのことで、どうしたら良いのか分からない。

 ミア、ともう一度名前を紡ぐ。

 ゆっくりと持ち上げられた顔には、ナハトの知っているヴァルツとは異なる青い宝石が埋められていた。


「……ごめん。聞いてなかった。何だっけ?」

「通信機の確認を、と」

「ああ、うん。こちら、ヴァルツ――あれ?」


 左耳に装着が義務付けられている通信機に魔力を送ろうとして、ミアの眉間に皺が寄った。

 そっと瞼を閉じて、自身に流れる魔力と周囲の魔力の気配を探る。

 静かな洞窟に、ミアの息遣いが反響を繰り返した。


「ダメだ。魔力を練れない」

「何?」

「それだけじゃないよ。ここ、空気中の魔力がびっくりするほど薄いんだ。本当に《落陽の洞窟》なのか疑いたくなるほどにね」


 ミアの言葉にナハトも顔を顰めた。

 エルヴィの髪に込められた魔力もそんなに多くはない。

 直に活動限界を迎えることは目に見えていた。


「……俺が動けるうちに、何とかした方が良さそうだ」

「うん」

「ミア?」


 珍しく素直に頷いたミアへ視線を戻そうとしたナハトだったが、ふと懐かしい気配を感じ、そちらに顔を向けた。

 透明な水晶の壁の隙間に何か人工物が埋まっている。


 好奇心のまま手を伸ばしたナハトに、ミアはぎょっとした。

 突然、顔のすぐ脇に手を置かれたからである。


「え!? な、ななななに!?」

「ん? ああ、いやすまない。何か埋まっているのが気になって」

「あ、あっ、そう……」


(び、びっくりした~~~ッ! 噂の『壁ドン』ってやつをされたのかと思ったぁ!!) 


 最近の自分はどうにもおかしい。

 ナハトが目覚めて嬉しいはずなのに、彼が目覚めてからというもの、一挙一動に振り回されてばかりである。

 ふう、とため息を吐いたミアを尻目に、ナハトは埋まっていた人工物をもっとよく見ようとミアとの距離を詰めた。

 膝の上に乗ったままのミアを抱き寄せるような体勢で、彼女の後ろにある壁へと目を凝らす。


 対するミアは堪ったものではない。

 突然、無言のまま抱きしめられたかと思うと、耳元で「どこかで見たことがあるような気がするんだけどなぁ」と悩ましげな声で囁かれたのである。

 思わず「ひょあっ!?」とうら若き乙女にあるまじき悲鳴が漏れ出るのも無理はなかった。


「どうした?」

「だっ、だいじょうぶ! ちょっとびっくりしただけだから」

「びっくり? 一体何に、あ!」

「こ、今度は何!?」

「ああ、悪い。どこかで見たことがある意匠だな、と思っていたのだが……。これは、アウロラ様のものだな」


 ナハトが紡いだ名前に、ミアは冷水を浴びせられたような感覚に陥った。

 火照っていたはずの頬は、紙のように真っ白になり、瞳から光が消える。

 そんなミアの変化に気付かないほど、ナハトは水晶に埋め込まれたアウロラの意匠に夢中になっていた。


「どれ」


 自分でも驚くほど低く、冷たい声が喉を衝いて出た。


「ああ、ここなんだが」


 幸いナハトはそれに気付いていない様子で、それがまたミアの神経を逆撫でする。

 きつく下唇を噛み締めながら、少しだけ首を反らし、後ろを振り返った。


 透明な水晶で作られた壁の中に、アメジストが埋め込まれている。

 幼い頃から飽きるほど見てきたヴァルツの中でも群を抜いた天才――アウロラ・ソルシエール・ヴァルツが好んで使っていた梟の意匠に、ミアはげっと舌を突き出した。

 彼女がアメジストを何に使っていたのかを思い出したからである。


「これ、空間を切り抜いて別次元に繋げるための楔じゃん」

「なるほど、だから魔力が遮断されているのか」

「冷静に分析している場合? 下手すれば、一生このままよ」

「……俺は、それでも構わないが」

「はあ?」

「君を独り占めできる」

「…………それ、最近流行りの恋愛小説のセリフでしょ。シィナたちが騒いでいたのを聞いたのね」

「何だ。君はてっきりああいう話題には興味がないものだと思っていた」


 普段であればそうだ。

 だが、その話を聞いていたナハトがあまりにも楽しそうにしていたものだから。

 何となく気になって、その小説を買ってしまったのである。

 無論、会計の際に、魔導書や関連する書物にしか興味を示さないミアを幼い頃からよーく知っている書店員にも二度見された。


 らしくない、ことなど百も承知だ。

 

 けれども、それを他ならぬナハトに指摘されたことで、ミアは押し黙ってしまった。


「……別に興味がないわけじゃ、」

「なら、どうして?」

「どうして、って」


 冬の夜明け、あるいは夜の始まり。

 ナハトの瞳を例えるのであれば、どの言葉が一番相応しいのだろうか。

 

 意識を無くしていたときは、その色がもう一度見たくて仕方なかったはずなのに、今は違う。

 一秒でも早くこの場から逃げ去ってしまいたかった。

 そんな真っ直ぐな目で見ないでほしい。

 

 あなたが見ているのは、私ではないのだとまざまざと感じさせられるから。


「ミア」


 少し掠れた、少年と青年の間を揺蕩う不安定な音色がミアを呼ぶ。

 けれど、ミアはそれに応えなかった。

 否、応えられなかった、というのが正しい。


(くそ、油断した……っ)


 魔力濃度の高い場所から一転し、魔力が少ない空間に放り込まれた所為で、魔力欠乏症を発症したのだ。

 所謂、高山病のような状態に陥ってしまったのである。


 かひゅ、と音にならない悲鳴を上げたミアの異変に、ナハトが慌てたように彼女の身体を揺すぶった。


(ゆ、揺らさないで、吐く)


 唇の動きだけでそう伝えると、ナハトの眉間に深い皺が刻まれる。


「……魔力欠乏症か」


 こくり、と弱々しく頷き返せば、彼は口を一文字に結んだ。


「経口摂取できる薬は、」


 独断でポシェットを漁り始めた彼に、ミアは身体を強張らせる。

 大きな掌が臀部を撫でていく。

 ぎくり、とミアが肩を震わせたのと同時に、ナハトの手は漸く遠ざかっていった。


「見当たらないな。仕方ない。お叱りは、後ほど甘んじて受けよう。今はあなたの命が最優先だ」

「……っ?」

「…………暴れないでくれよ」

「――!!」


 ナハトはそう溢した途端、ただでさえ近かった距離を更に縮めた。

 ぐい、と眼前に迫った端正な顔に、ミアが息を呑む。

 次いで、鼻先が触れ合ったかと思うと、唇を温かい何かで塞がれた。


「……っ、な、ふみゃ、……うぁ、」

「ふふっ。何だ、その声」

「…………ッ」


 ――ちゅ。


 今度こそ、それがナハトの唇であることを認識して、ミアは目を剥いた。

 いやいや、と首を振って暴れ始めたミアに、ナハトが「しー」と耳元に息を吹き込む。


「落ち着け。魔力を渡しているだけだ。体液交換が一番手っ取り早いのは、よく知っているだろう?」


 だからと言って、それを実践したことは勿論、されたことなど無い。

 それどころか、普通のキスさえも未経験である。


 そんなミアの胸中を知ってか知らずか、ナハトの口付けは終始優しかった。

 

 まるで、幼子をあやすように繰り返されるそれに、最後の方はミアの身体からも力が抜けて、成すがままになっていた。


「……信じられない」

「何が?」

「普通、魔力欠乏症になった人間がいるからって、迷わず体液交換する?」

「それが最善だと判断したまでだ」

「だからって……!」

「ああ。すまない。人間は、気持ちの通じ合った者同士が唇を合わせるのだったな」

「な、」

「だが、その点に関して言えば、あなたと俺は意思疎通も出来ているし、身体も見せあったことのある仲だ。口付けを交わしてもおかしくないのでは?」

「…………自立演算式のくせに、どうしてそう人の心の機敏には疎いのよ」


 ナハトの唇が触れた。

 その事実を反芻するだけで、ミアは頬が燃えるように熱くなった。

 もういや、とか細く呟いた彼女の背後で、アウロラの意匠が眩い光を放つ。


「今度は何!?」

「分からん。マスター、もっとこっちへ。何が起きても俺が必ずあなたを守ります」

「…………」


 記憶が混濁しているのだろうか。

 先ほどから、ナハトの言動に妙な違和感を覚える。

 だが、それにミアが疑問を抱くよりも先に、アメジストが更に輝きを増した。


「まぶしっ!」


 あまりの明滅に目を開いていることが出来ない。

 ミアを守ろうと、ナハトが彼女の身体を抱きしめる。

 近付いた彼から香るレモンのような爽やかな匂いに、ミアは先ほどのキスを思い出して身悶えた。


「近い!!」


 そう言ってナハトを突き飛ばした反動で、ミアの身体が水晶にぶつかる。

 そして、そのまま吸い込まれて見えなくなってしまった。


「ミア!!」


 ナハトの声が、水晶の洞窟に虚しく反響を繰り返す。

 そんな彼を、アメジストに宿った梟が興味深そうに見つめていた。

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