十、夕日はまた上る

 琥珀色の液体に沈んだナハトの姿を、ミアはじっと凝視した。


「ナハトくん、」


 返事はない。

 彼の低い声は気付かない内に、随分と研究棟に馴染んでいたらしい。

 常は喧騒に溢れている部屋の中が、しんと静まり返っていた。

 

「この部屋って、こんなに広かったんだ……」


 部下たちや研究チームのメンバーは総出で守護獣の部品を調べているため、ここにはミアとナハトの二人だけ。


 ふと、自身が纏っている騎士団の軍服が目に入った。

 ヴァルツの魔導士が代々好んでいたとされるラベンダー色を全面に仕立てたそれに、瞼の下で閉ざされているナハトの瞳の色が蘇る。


 色合いは異なるが、ナハトの瞳も淡いラベンダーをしていた。

 もしかして、と意識のない彼の瞼を持ち上げる。

 そこに嵌め込まれた水晶の色は、ミアの記憶通りに美しい紫だった。


 当時の技術ではここまで高密度の魔水晶は錬成できないはずだ。

 だとすれば、魔力濃度の高い洞窟から発掘されたものを使った可能性が高い。


 ナハトの製造時代から推察できて、現存する洞窟にミアは一つだけ心当たりがあった。


「――《落陽の洞窟》の入場許可申請書じゃないか。どうしたんだ、これ」

「洞窟内の鉱物がどうしても必要なんです」


 突拍子もない言動を取ることに定評のある姪が珍しく相談してきた内容に、シアンは首を傾げた。

 《落陽の洞窟》は、西の国の中でも指折りの歴史的文化遺産かつ現在も魔水晶の採掘が行われている貴重な場所だ。

 喧騒の二文字を背負って歩いてるようなミアを、国の重要文化財に近付けて良いものか。

「うーん」と低い唸り声を上げて頭を悩ませるシアンの姿に、ミアが唇をきつく噛み締める。

 日頃の行いが悪いのは、重々承知している――つもりだ。

 でも、こればかりは譲れなかった。


「お願いします、伯父様」


 勤務中は決して普段の呼称を使わないこと。

 それはいつしかウェルテクスの一族の間では暗黙の了解になっていた。

 騎士団の三分の一はウェルテクスに縁ある者だからこその理由であったが、一番は違う。


 存外、身内に甘いシアンを律するためのものである。


「……分かったから、顔を上げろ。補佐に誰か一人を必ず連れて行くこと。それが飲めないなら、部下に向かわせるんだな」


 頭を下げたミアの姿に、シアンは肩を竦めた。

 これも彼女の計算の内なら、自分はあとで部下や桔梗に大目玉を喰らうことになる。


 形ばかりでも、普段は人を頼らないミアが自分から頭を下げている――その事実に、シアンの胸がじんわりと温かくなった。


「ありがとうございます」


 眉尻を下げてはにかんだ、その表情は弟のレオンそっくりで。


(そういえば、あいつのこの顔に俺は弱いんだった)


 見た目はアメリアの若い頃に生き写しのミアだったが、時折見せる表情や言動の節々に、レオンの姿を彷彿とさせるものがあった。

 ぱたん、と可愛らしい音を立てて閉まった扉の音に、シアンはゆっくりと天井を仰ぐ。


 手が掛かる子ほど可愛いとはよく言ったものだ、と自嘲気味に呟かれた彼の声は、静かに部屋の中へと染み渡っていくのだった。 


 ◇ ◇ ◇


 眼前に掲げられた許可証と推薦状など諸々の書類に、アルフレッドが悲鳴を上げる。


「ど、どどどどどう、したんですか、それっ!」


 きちんと、正規の手続きを踏んでいるミアに、研究棟はどよめきに包まれた。


「ら、落陽の洞窟、入場許可証!? ――行きたいです!!」


 次に声を張り上げたのはダクスである。

 流石、第三小隊の隊士。純度の高い採掘場の一つに数えられる落陽の洞窟の名前を見て、目の色を変えた。

 

 ここにハロルドやミザリが居なくて助かった、とミアは遠い目をした。


 研究にかまけてばかりだった二人は、それぞれの上司からお叱りを受け、研究報告書を提出するまで暫くは戻ってこられないらしい。

 

「そうね。じゃあ、同行をお願いしようかしら」

「ダクスさんだけですか!?」

「……そんなわけないでしょう。団長閣下には洞窟内へ入る際には必ず部下を一人付けるように言われたけど、周辺探索に部下を連れて行くなとは言われていないわ」


 ミアの目が、猫のように細められる。

 要約すれば「ミアのお守りが一人では務まるとは思えないので、心配になって付いて行きました」と屁理屈を通せ、ということである。


「隊長も人が悪い」

「じゃあ、おとなしく留守番する?」

「…………それはいやです」

「なら、支度を手伝って。ナハトくんも連れて行くんだから。大荷物になるわよ」


 いつもと変わらぬ口調で告げられたミアのそれに、アルフレッドとダクスが互いに顔を見合わせた。


「……まさかとは思いますが、培養液ごと持って行く気ですか?」

「当たり前じゃん」


 ミアが「何言ってんだ、こいつ」みたいな顔をアルフレッドに向けるが、それに対してアルフレッドたちもミアに同じ表情を返す。


「い、いやいやいや! それは無理がありますよ! この状態でもやっとの思いで維持しているのに、《落陽の洞窟》みたいな魔力濃度が安定しない場所に彼を連れて行くのは危険です!」


 ほとんど悲鳴に近い声で、ダクスが首を激しく横に振る。


「だからこの上から反魔法の結界を施すんだってば。誰が、このまま持って行くって言った?」

「い、ってはいませんけど……。ちょ、ちょっと待ってください。反魔法の結界って言いました、今!?」

「も~うッ! 二人ともうるさ~い! 文句言う暇があるなら、探索に必要な機材の準備して!」


 ここ数日のおとなしさが嘘のように、ぎゃんと吠えたミアの姿に、二人は両手を高く上げて降参の意を示した。

 そうでなければ、言霊魔法もしくは無詠唱のどちらかで攻撃されてもおかしくなかったからである。

 機嫌の悪いミアに近付くのは、それほどまでに危険な行為だった。

 

 真っ青な顔のまま研究室に背を向けて逃げ出した部下たちの背に、ミアはべ~っと舌を突き出すと、培養液の中で眠るナハトに視線を移す。


 夕闇を閉じ込めた彼の髪が、琥珀色の培養液の中でゆらゆらと陽炎のように頼りなく揺れていた。


「待っててね。私が絶対、治してあげるから、」


 ぴくりとも動かないナハトの掌をそっと握り込んだ。

 伝わってくる肌の感触と体温に、ミアの表情が翳りを帯びる。


 ぞっとするほど冷たい、まるで死体にでも触れているかのような気分になって、自分から繋いだ手を乱暴に振り払う。

 脳裏に浮かんだ彼の姿からかけ離れたそれに、ミアは唇を強く噛み締めることしか出来なかった。


 ◇ ◇ ◇


《落陽の洞窟》は、西の国王都セドナから北部の山間に存在する。

 雪国である東の国とは対照的に、西の国は年中気候が穏やかで過ごしやすいと言われ、観光客の出入りも激しい。

 だが、《落陽の洞窟》だけは別だった。


 国指定の文化遺産に指定されていることに加え、天然の魔水晶が放つ濃い魔力の影響で周囲の気候が乱れ、そこだけ異様な暑さに覆われているのだ。

 王族から許可を得た魔導士や研究者以外立ち入ることを許されないのは、魔力耐性の低い人間が近付けば数分で倒れてしまうから、という物騒な理由からだったのだが、貴重な鉱物が取れることに変わりはない。一昔前まで命知らずな連中が侵入を繰り返しては倒れる、という行為を繰り返していた所為で、時の王が止むなく『重要文化遺産』に指定し、許可なき入場を禁止したのが真相であった。


 それを知るのは歴史学者と、古くから王族に従事する一部の貴族だけ。


 その一人であるホロ・ネイヴェスは、ヴァルツの名を受け継いだ次代の魔女に笑みを深めた。


「ようこそ、我が国が誇る魔水晶の宝庫へ」


 深々とお辞儀した彼の隣には、シアンと桔梗の長女であるアンナが険しい表情で立っていた。


「どうして、二人がここに?」


 ミアがぽろり、と溢した声に、アンナの眉尻が僅かに下がる。


「今月の裁定を少し待ってほしいと言うから何かと思えば、どこかで団長閣下が《落陽の洞窟》入場許可を取り付けたと聞いたらしくて」

「あ~~~……」


 従姉妹二人が堪らず空を仰ぐ。


「そんなの聞いたら、行きたくなるのが研究者の性でしょ?」

 

 ねえ、とアルフレッドに相槌を求めたホロに、当の本人はあわあわと唇を震わせて瞳に動揺を走らせていた。


「ネ、ネネネネネイヴェス閣下が、ど、どうしてこ、こんなところに」

「あれ? 君、僕の話全然聞いてなかった感じ? せっかくシアンが正規の手続きで入場許可取り付けたんだから、行かない手はないって言ったつもりだったんだけど」

「そそそそそそうですね!」

「ミアちゃ~ん。君んところの部下、どっかイカれてんじゃないの? 動かなくなっちゃったよ~?」


 ホロ・ネイヴェスと言えば、先の大戦において異母兄のために暗躍し、一度はシアンと刃を交えた重罪人である。

 だがそれは世間一般のイメージで、聖騎士団の中では違う。

 第三小隊始まって以来の異端児にして天才。

 ネイヴェスの一族内でも発現が稀有な『複製魔法』の使い手にして、数々の魔法道具開発に貢献してきた彼は、若い世代の間では殿上人のような存在だった。


「第三小隊、ダクス・ルベリオであります!! サインを頂戴してもよろしいでしょうか!!!!」

「うわ、うるさっ。ん? ルベリオって確か、面白い論文書いてた、あの?」

「恐縮です! サインください!」


 ダクスがホロに詰め寄る姿に既視感を覚えながら、ミアは疲れたようにため息を吐き出すアンナに心から同情した。

 背後できゃっきゃと燥ぐ野太い歓声を左から右に流して、ここまで慎重に慎重を重ねて持ち出したナハトのケースを確認する。

 反魔法を施した影響で移動魔法が使えなかったのは痛かったが、クラルテから五日ほどで辿り着けたのは僥倖だった。

 目立った破損や、術式に綻びがないことを確認して、安堵の息を漏らす。

 ふと、顔を持ち上げると、いつの間にか談笑の和を抜け出してきたホロが、ボサボサの赤髪から金色を覗かせて興味深そうにナハトを凝視していた。


「……へえ、これが例の《守護獣》かぁ」

「間違っても分解しないでくださいね。再構築した部品が合わなくて、元の部品を探している最中なんで」

「分かっているよ。でも、一つだけ良いかな?」

「何ですか」


「この培養液、ここの魔力濃度だと爆発するかもよ」


 ホロの指摘に、ミアはぱちり、と瞬きを落とす。


「え?」

「だってこれ、十角蜂の蜂蜜と精霊泉の水を混ぜたやつでしょ。どっちも、ここの魔力濃度に順応できない素材だもの」


 言われて初めて頭を抱えたミアに、先ほどまで憧れのネイヴェス隊士との邂逅で燥いでいた部下たちの顔から笑顔が消える。


「あ~最悪だ~~。持ってきた培養液のタンク、全部これです」

「……ん~。ちょっとキツイな。他に代用できそうなものは?」

「真珠の入江から採取した海水と夜光蝶の鱗粉、それからエルヴィにもらった髪の毛くらいです」

「最後の二つの入手経路が非常に気になるところだけど、うん。世界樹の素材があるなら、それを使った方がいいな」


 ホロの手に、エルヴィからもらった髪を一房乗せる。


「ざっと見た感じ、魔力回路が痛んでいる所為で起動に時間が掛かっているんだと思う。だから、これをこうして――」


 ホロはそう言って、預かったばかりの髪を挟むように自身の両手をパチンと合わせた。

 途端に膨れ上がるほどの量になったエルヴィの髪が、ナハトの上に降り注ぐ。


 まるで金色の花弁が降ってきたかのようだ、とどこか幻想的な風景に目を細めたミアたちに、ホロがにやりと口角を持ち上げる。


「そんで、こう!」


 彼の指が鳴ったのと同時にエルヴィの髪が小さく爆ぜた。

 黄金の光が閃光を放つ。

 ふわり、と髪を持ち上げた生温い風の向こう、真っ白な硝煙に紛れて起き上がった人影にミアは息を呑んだ。


「ナハトくん」


 消え入りそうな声で呟かれたそれに、ラベンダーの瞳を宿した少年が緩く眦を和らげた。

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