八、外方

四、外方


 それから、約束の一時間に少し余裕を残して、アメリアはナハトを組み立て直した。

 そして、強い光を宿した瞳で娘を射抜く。


「機体と同じで二代前の世界樹の魔力が術式に組み込まれていた可能性があるわね」

「やっぱり、」

「ええ。もう一つの機体も詳しく調べてみないと分からないけれど、循環術式に新しくエルヴィの魔力を組み込むことができれば、暴走は治るかもしれないわ」


 金色の双眸が、蛇のようにスッと細められた。


「核として使われていた魔石と導線が何か分かれば、すぐにでも再構築できるはずよ」


 アメリアの言葉に、ミアの肩が大袈裟なまでにぎくり、と震える。


「まさか、記録も付けずに処分しているとは思わなかったけどね」

「……劣化が激しくて識別できなかったんだもの」

「言い訳は結構。これは貴女の落ち度よ、ミア。きちんと自分で尻拭いしなさいな」


 母の苦言に、ミアは奥歯を強く噛み締めながら頷いた。

 珍しく素直な娘の姿を見て満足したのか、アメリアは時計と彼女を見比べるや否や、右手の人差し指を一本立てた。


「お母様?」

「約束の時間だから、帰るわね。――ミザリ、今度はゆっくりお茶でもしましょう」

「ええ。楽しみにしているわ」

「それじゃ」


 アメリアの声に、どこからともなく杖が姿を見せる。

 次いで、春一番のような激しい突風が部屋の中に吹き荒れた。


「……相変わらず、派手なお帰りで」


 疲弊するミアという、珍しい姿に隊員たちが呆気に取られている横で、ミザリだけが楽しそうに笑い声を上げるのだった。


 ◇ ◇ ◇


「それじゃ、俺はこれを団長閣下に届けてくるよ」

「ええ。よろしく」

「今日は、なるべく早く帰るようにする」

「無理しないで。今夜は夜警当番でしょ?」

「……」


 無言で唇を尖らせたクオンに、シィナが苦笑を返す。

 するり、と夫の頬へ手を添えれば、子どもの頃と全く同じ拗ねた表情の彼がそこに居た。


「もう、どうしてそんな顔するの」

「だって、今日はローストチキンの日だろ」

「……龍を宿しているわけでもないのに、相変わらず鼻が効くわねぇ」

「休憩がもっと長ければ戻って食べられるのにな~~~!」

「全く、」


 シィナが深いため息を吐き出せば、クオンは益々その表情を固くした。

 次いで、夫人の細腰を抱き寄せると、頼りない輪郭を描く肩に額を預ける。


「俺も、ララと一緒に飯食いたい」

「…………あら、私は要らないってこと?」

「も~~。そんなこと言ってないだろ~~。お前も含まれてるに決まってんじゃねえか」

「どうだか」

「シィナ」

「何よ」


 淡い、ラベンダーが二つ。

 シィナを優しく見下ろしていた。


「いってらっしゃいのチューしてくれ」

「…………呆れた」

「いいだろぉ~! ローストチキンも食えねえんだから~!!」

「貴方の分は残しておいてあげるわよ」

「そうだけど、そうじゃなくて、」

「?」


 きょとん、と目を丸くしたシィナに、クオンは不満げに下唇を突き出した。


「一緒に食べることに意味があるんだろうが」


 瞬きを一つ、ゆっくりと落としたシィナの無防備な唇を柔く食む。

 味見でもしたのだろうか。彼女お手製のソースの味が薄い舌に染み込んでいた。

 それを味わうように舌を絡めれば、漸くキスをされていることに気付いたシィナの拳が飛んできた。


「……げ、玄関でなんてことするのよ」

「誰も見てないって。な? だから、もう一回、」

「そうだよ、クー兄様。僕、どんな顔してチャイム鳴らせばいいの」


 嫌がるシィナを説き伏せて、もう一度その唇を堪能しようとしたクオンの背に、聞き慣れた声が刺さる。

 夫婦二人してびしり、と固まったシィナたちに、リオラが八重歯を覗かせながら人懐っこい笑みを浮かべた。


「巡回帰りでお腹空いててさ~。ララの顔見せてもらうついでに、何か食べさせてもらえないかなって」

「…………」

「あれ? どうしたの、二人とも」

「…………お前、いつから、そこに」

「クー兄様が『いってらっしゃいのチューしてくれ』って言い出したあたりから」

「声を!! 掛けろよ!!」


 よりにもよって一番知られたくなかったところから、がっつり見られていた。

 恥ずかしさのあまり俯いたまま物言わぬ彫像となってしまったシィナの身体をリオラから隠すようにクオンが立ち塞がる。


「だってさ~。あんなに険悪だった二人がいちゃいちゃしているところを見たら、声を掛けるの戸惑っちゃって、」

「う、」

「あ! って言うか、時間大丈夫? さっき昼番の人たち本部に戻ってきてたけど」

「……やべっ! じゃあ、行ってくる。飯食うのはいいけど、俺の分は残しておいてくれよ!」


 未だ放心状態のシィナの頬に口付けると、クオンは慌てて飛び出して行った。


「んふふ~~」

「…………何よ、その不気味な笑顔は」

「失礼だなぁ。可愛い、の間違いでしょ? 見られたのが、僕で良かったね。これが兄上や姉上だったら、小躍りして父上たちに報告されてたよ」

「想像したら頭痛くなってきた」

「僕、一番おっきなローストビーフが良いなぁ」

「はいはい。ポテトサラダもオマケしてあげるから、その軽い口を閉じなさい」

「わ~い!」


 図体は大きくなったくせに、中身は子どもの頃のままだ。

 互いに顔を見合わせながら家の中へ足を踏み入れようとしたシィナたちの耳に、ララの劈くような泣き声が響いた。


「いやあああああ~~!」


 尋常ではない泣き方に、リオラは無言で籠手を装着した。

 シィナも懐から呪符を取り出して、ゆっくりと扉を潜る。


 家の中が震えるほど、ララが泣きじゃくっている。

 

「ララ? どうしたの?」


 努めて、普段通りを装って声を掛けるシィナの横で、リオラは拳に力を込めた。


(ごめん、姉様。あとでちゃんと直すから、)


 小さな声で囁かれた言葉に、シィナは迷うことなく頷いた。

 姉が頷きを返したのとほとんど同時に、リオラがリビングへ続く壁を叩き壊す。


 土煙が舞った向こうに一つの影が見えた。


「ララから離れろ!」


 リオラが再び拳を振るも、それは空を切った。

 次いで、彼を嘲るような笑い声が響く。

 その声に、シィナがハッと息を呑んだ。


「どうして、貴女がここに……!」

「知り合いなの?」

「ナハトの同個体よ」

「これが……?」


 翡翠が閃く。

 

「リオラ!」


 シィナが弟の首根っこを後ろに引っ張った。

 先ほどまでリオラが立っていた場所に、無数の剣が突き立てられる。


「ご、ごめん。姉様。油断した」

「気を付けて。兄上が、刃に触れられただけで魔力を吸われたと言っていた」

「うん!」

「いくわよ」


 二人は軽く息を吐き出すと、同時に床を蹴った。

 合図も何もない。

 幼少期から組み手を交わす生活を送り、互いの間合いを完全に把握している姉弟だからこそ成せる技だった。


「ララを、離しなさい!」


 シィナが鈍い音を放つ蹴りを繰り出す。

 だが、リヒトは口角を持ち上げて、それを簡単に避けてみせた。


「……姉様の蹴りを避けるなんて、やるじゃん」


 シィナの蹴りはシュラに次ぐ威力である。

 喰らっていれば、機体の損傷は免れなかっただろう。

 素直に感心の言葉を溢したリオラだったが、彼は半歩下がったリヒトを見逃さなかった。


――ゴッ。


 今度こそ、リオラの拳がリヒトの横っ面を捉える。

 頭部への攻撃で、手元が緩んだ一瞬。

 リヒトからララを奪い返すことに成功すると、リオラは後方へ大きく跳躍した。


 同じように飛び退いた姉と顔を見合わせる。


「手応えがない」

「でしょうね。微量だけど、魔力が霧散してる」

「幻影ってこと?」

「可能性はある。ララは?」

「本物だと思うよ。温いし」

「おいで、ララ」


 シィナの呼びかけにそれまで鼻を鳴らしていたララが「ままぁ」と甘えた声を出して、母の腕の中に飛び込む。

 ララが手元へ戻ったことに安堵した二人だったが、部屋中へと広がった魔力に眉間へ皺を寄せた。


「身体に纏わりついてる感じがすっごい不快」

「同感。中庭から外に逃げましょう。信号弾は?」

「定時上がりだよ。――持ってるに決まってるでしょ!」


 リオラはそう言うや否や、中庭へと続く大きな窓を蹴破った。

 あとで本部に修繕費を請求しよう、と遠い目をしながらシィナが弟の背を追いかける。


 家の中に広がっていた魔力は霧のように濃くなって、動かなくなったリヒトの周りを不自然に渦巻いていた。


「誘爆、狙って良いなら魔力弾撃つけど……」

「これ以上、家が壊れるようであれば、請求書の宛名は貴方になるわよ」

「げ、それは勘弁」


 真顔の姉に両手を上げることで提案を棄却すると、リオラは短くため息を吐き出した。

 ララを取り戻したまでは良かったが、このあとのことを何も考えていなかった。


 先の会議で、守護獣の《捕獲》が推奨されている。

 損傷ないし、破壊は出来るだけ避けたい。

 最悪の場合、こちらが責任者であるミアの手でボコボコにされる可能性があった。


「どうしようかなぁ~」

「何をだ」

「!?」


 耳裏へと吹き込まれた吐息のような声音に、リオラは驚愕に目を見開いた。

 何の気配も、音もなく、リヒトが彼らの背後に肉薄していた。 


 鋭い舌打ちと共に、姉の身体を突き飛ばす。


「それをこちらに渡してもらおう」

「……そっちこそ、何の話をしている」


 それって何だ、とリオラが目くじらを立てれば、対照的にリヒトの目は猫のように細められた。


「我らが主人、アウロラ様だ」

「アウロラ? 一体何のことを言って、」

「邪魔立てするのならば排除するまで。どのみち、龍の因子は全て破壊する」


 瞬きの間に、リオラの懐へリヒトは入り込んでいた。

 避けることも、反撃を繰り出すこともできない、絶妙な間合いである。


「忌まわしき龍を宿す人の子よ。恨むならば、貴様に宿った『旭日』を恨むのだな」

「!!」


 翡翠の剣が、リオラの腹部を容赦無く貫いた。


「リオラ!!」


 シィナの悲鳴に、リオラはグッと奥歯を噛み締める。


「逃げて! 姉様! こいつの狙いは龍の魔力だ!」

「!」

「早く、逃げて!」


 リオラは兄の言葉通り、自身の魔力が剣に吸われていることに、顔を顰めた。

 このままでは直に動けなくなる。

 そうなれば次の標的は幼い子どもを連れたシィナだ。


「に、げて」


 剣を抜かせないように、柄を力一杯握りしめる。

 リオラの視線の先を辿って、逃げ腰になったシィナを視認するや否や、リヒトは剣を引き抜こうと躍起になった。


「そ、う、何度も、思い通りにさせない、よっ!」


 リオラたち兄弟の魔力にはもともと龍の因子が混ざり込んでいる。

 旭日と華月を宿した桔梗が身籠った影響だろう、と大人になってから聞かされた話を、今になって再認識することになろうとは思いもしなかった。

 

 ぐったり、と力の抜けた弟の姿に、シィナは歯噛みすることしかできない。


「リオラ、」

「…………炎月っ」


 リオラの手が懐から信号弾を取り出す。


「キヨと輝月に、届けて、くれ」


 今にも消え入りそうなリオラの声に、彼の右頬に描かれた刺青が光を帯びた。


『承知した……!』


 龍の咆哮が、空気を、大地を震撼させる。

 ビリビリと肌を突き刺すような殺気に、リヒトが剣から手を離す。


 炎月が咆哮と共に打ち上げた信号弾が、空に赤い花を咲かせていた。

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