七、世界樹と獣

三、世界樹と獣


 これでもないし、それでもない。

 研究棟へ持ち帰った遺物を取っ替え引っ替え掘り出しては投げるを、一心不乱に繰り返すミアの様子に、シュラたち、そして姉の叫び声を聞いて駆けつけたクオンが、怖いものでも見たようにそれぞれが顔を見合わせた。


「ええ……何アレぇ……」

「ビビってるところ大変言い難いんだが、あれはお前の姉だ」

「それは分かってんの。どうして、貴重な遺物をあんなポイポイ手軽に放り投げてんだって言ってんだよ」

「俺たちが知るかよ。エルが魔力どうのこうのって言い出した途端、狂ったように遺物を漁り始めた」

「説明聞いてもさっぱり意味が分からん。何? ついにおかしくなった?」

「……それは、前からだろ」

「なはは! それもそうか!」


 煩い従兄弟と失礼な弟に軽い雷魔法――一般人が受ければ、丸一日は起き上がれない強度――を浴びせることで黙らせると、ミアは漸く目的のものを発見した。


「あった!!」

「…………何が、」

「んふふ~。ナハトの説明書!」


 語尾にハートでも浮かんできそうな甘ったるい声を出したミアに、雷魔法の所為で思うように動かない身体に鞭打って、シュラが眉間に皺を寄せる。


「それで何しようって言うんだ」


 軽く息を整えて、自身の中から雷の魔力を弾き飛ばすと、シュラはミアの手元を覗き込んだ。

 そこには古代文字がびっしりと書き連ねられており、学生時代は座学を得意としていたシュラを持ってしても「げ」と言わしめた。


「……うっわぁ、古語じゃん。見てるだけで頭痛くなってきた」


 シュラに続いて魔力を緩和させたクオンが彼の肩に寄りかかって、姉の手に収められた碑文に顔を顰める。


「この内容はもう解析済みなの。問題は、こっち」

「こっち?」


 ミアがこんこん、と碑文が刻まれた石を叩く。


「それがどうしたんだ?」

「微量な魔力を検知したんだけど、比較対象が無くてずっと困っていたの。だけど、エルヴィの話を聞いて、一つの仮説が浮かんできた」


 研究者特有の早口で捲し立てるミアに、ウェルテクス兄妹、エルヴィ、クオンの四人がそれぞれ不思議そうに小首を傾げた。


「ナハトたちの機体は何代か前の世界樹で作られている。なら、彼が眠っていた蕾の魔力もその世界樹のものだという可能性は?」

「……ありえない、こともないかな。エルヴィだって五年は眠っていたけれど、魔力循環は出来ていたし」


 ミアの問いに、エルヴィが詰まりながらも自身の意見を返す。


「切り離した枝や幹にも、自分の魔力を付与するのは可能ってことよね」

「うん。でもただ付与しただけじゃ、そんなに長くは保たないと思う。術式か何か組み込んでたんじゃないかな」

「そう! それがずっと分からなかったの! エルヴィ、これに魔力を流してみてくれない?」


 興奮したミアほど怖いものはない。

 まるで猫のように瞳孔を収縮させたかと思うと、鼻息荒く距離を詰めてきた彼女に、ミアは思わず自身の番を仰ぎ見た。

 湖畔と同じ色を溶かし込んだ眼が、緩く弧を描く。


「……悪い。試してやってくれ」

「シュラが、そう言うなら、」


 シュラの言葉に全幅の信頼を寄せているエルヴィは、恐々と指先を震わせながらも、ミアの持っている碑文にそっと触れた。

 そして、ゆっくりと自身の魔力を流し込む。

 エルヴィの髪が、魔力を発してゆらり、と不自然に揺れた。


「――かあ、さん?」


 今まで意識を手放していたはずのナハトが、空気の揺らぎに――エルヴィの魔力に反応して、重い瞼を持ち上げる。

 

「え、」


 エルヴィがナハトに気取られた、そのとき。

 碑文が音を立てて弾け飛んだ。


「わっ!? ご、ごめんなさい! ミア! 力加減を間違えたかもしれない!」


 慌てるエルヴィとは反対に、ミアは大きく口を開けて笑っていた。


「うふっ」

「ミ、ミア?」

「うふふふふふふふ!」


 不気味に笑う彼女に、エルヴィは咄嗟にシュラの後ろへと身を隠した。

 貴重な碑文を失い、気が狂ったのか、くつくつと身体を震わせるミアの姿に、シュラたちはそれぞれの顔を見合わせることしかできない。


「お、おい。大丈夫か?」


 意を決して声を掛けたシュラに、ミアは自身の両瞼を片手で覆い、その身体を仰け反らせた。


「あ~~~~! おっかしい! 同じ波長のはずなのに『主人じゃない』って分かった途端、弾け飛ぶだなんて!!」

「……お前、まさかこうなることが分かって、」

「半々ってとこだったけどね。新しい文字が浮かび上がったら、儲けもんかなって」


 自分の実験が成功して余程嬉しいのだろう。

 恍惚に頬を染めた彼女に、一同は辟易とした表情を浮かべた。


「ミア、さっきのは、」


 エルヴィの魔力に触れたことで、目を覚ましたナハトが不思議そうにミアを見つめた。


「大丈夫、すぐに治してあげるからね」

「いや、さっきの魔力、」

「今はまだ、眠っていていいよ」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返すナハトの瞼に、掌を重ねる。

 ミアの体温がじんわりと染み込んで、意識が遠のいていく。


「おい、ミア」

「平気よ。一、二時間だけ眠ってもらうだけだから」


 躊躇なく催眠魔法を掛けたミアに、シュラが顔を曇らせる。


「それじゃ、私は行くところがあるから、報告は任せるね」


 そう言った途端、ミアの姿は景色の中に溶けて消えてしまった。


「これ、どうやって報告する? つうか、誰が言うんだ……」


 貴重な《守護獣》を損傷させた、と上層部に報告しなければならなないことに、クオンが頭を抱える。

 相変わらず自由な従姉妹の姿に安心半分、苛立ち半分といった心境で、シュラは再び眠りに就いたナハトへ視線を遣った。


「今ばかりは、俺も意識を手放したいくらいだ」

「兄上まで止めてよ。悪いけど、一緒に来て報告してくれる?」

「ああ、分かった」

「エルも行った方がいい?」


 シィナに袖を引かれて一歩を踏み出したシュラの背に、エルヴィが声を掛ける。

 不安に揺れる異なった色合いの瞳に、シュラは眦を和らげた。


「もう離れないんじゃなかったのか?」

「い、いじわる言わないで、」

「俺は初めから一緒に行くつもりだったよ」

「シュラ!!」

「はははっ、ごめんって」


 お詫びのように差し出された大きな掌に、エルヴィは迷わず自分のそれを重ねるのだった。


 ◇ ◇ ◇

 

 鼻先を擽った芳しい香りに、アメリアは眉根を寄せた。

 自身の庭園に似つかわしくないそれは、娘が好んで使っているフレグランスによく似ている。


「……ミア。居るんでしょう。隠れていないで出てきなさい」


 空気が僅かに震えた。

 次いで、それは笑い声に変わる。


「相変わらず、元気そうで安心したわ――お母様」

「おかげさまでね」


 瞳の色が違うことを除けば、ミアはアメリアの若い頃の姿に生き写しだった。

 普通、娘という生きものは父親に似るのではないか、と長女の容姿が自身にそっくりな義姉と白熱した議論を交わしたことがあるほどだ。

 それを知ってか知らずか、やおら目を細めたミアにアメリアが「げ」と舌を突き出す。

 ヴァルツの人間は、何か企みがあるとき、知れず目を細める悪癖があった。

 無論、それはミアにも色濃く受け継がれている。


「嫌よ」

「まだ何も言ってないじゃない」

「どうせ、碌な頼み事じゃないもの」

「お父様が来る前に済ませるから~~」

「甘えた声を出してもだめ」

「――《守護獣》のことでも?」


 今、話題の研究資料の名を口にされて、アメリアは見る間に身体を硬直させた。

《魔導士》と呼ばれる者は元来、新しい魔術の研究や、古代の遺物に目がない生きものである。

 それはメリッサの再来と恐れられるアメリアとて同じことだった。

 

「《守護獣》に何かあったの?」


 大抵のことは、そつなく熟す娘が自分を訪ねてきた理由は一つ。

 ミアでは『解らない』何かが起こったということだ。


「旧時代の世界樹とエルヴィの魔力が反発したの」

「魔力系統は同じはずでしょ? 何か術式触ったりした?」

「それが、部品を変えたときに色々弄っちゃって、どれが原因なのか分からなくって」

「直接見ないことには何とも言えないわね。レオンが休憩に戻ってくるまで、一時間、か」


 アメリアはふむ、と口元に手を置いた。

 一時間もあれば、守護獣を分解し、組み立て直してもお釣りが来るはずだ。


「お父様には秘密にしなさいよ」

「心得てますって」


 親子は二人して目を細めると互いに顔を見合わせた。

 にやり、と笑ったのを合図にどちらからともなく指を鳴らす。


 閉め切られたはずの庭園に一陣の風が吹くのであった。


「…………やだ、何これ」


 研究棟を訪れたアメリアは昂る感情が抑えきれないように言葉を漏らした。


「ふうん? 黒曜魔石と龍鱗を混ぜているのね。そうすると、ここの回路は――やっぱり、レイス結晶を織り込んだ繊維か」


 ぶつぶつ、と一人で盛り上がる彼女を他所に、突如として現れた大魔女にして元・第五小隊隊長の姿に研究棟は阿鼻叫喚となった。


「アンタは一体何を考えてんですか! ちゃ、ちゃんとウェルテクス支部長に許可取ってきたんでしょうね!?」

「大丈夫よ。お父様の休憩時間が終わるまでには送り届けるから」

「んあ~~!! やっぱり無許可で連れてきてんじゃないですかッ!!」


 アルフレッドが頭を抱えて唸る。

 そんな彼を他所に、目を輝かせたのはダクスとハロルドの二人だ。


「大魔導士アメリア様にお目にかかれるなんて!」

「……あとで、著書にサインをお願いしても?」

「こらこら、燥がないのよ。若人たち。ヴァルツ師の邪魔になるでしょう?」


 ミザリだけが普段通りの様子で、興奮冷めやらない様子の彼らを諌める。

 どこか聞き覚えのある声に、アメリアがふと顔を持ち上げた。

 濃紺の眼差しと視線が絡み合う。


「ミザリ?」

「ふふっ。やっとこっちを見たわね。お久しぶり、アメリア」

「……お久しぶり、というほど、懐かしむ顔でもないはずよ? 先週も三者面談で会ったばかりじゃない」

「そうねぇ。お宅のお子さんたち、成績は優秀なんだけど、授業態度に難が多くって面談の回数も増える一方なのよ」


 一体誰に似たのかしら、と意地悪くほくそ笑みながら、ミザリはアメリアの手元を覗きこんだ。

 複雑に編まれた回路を片っ端から分解し、組み込まれていたであろう術式の候補をメモに箇条書きしながら、再構築を試みようとしているらしい。


「地学的見解から言わせてもらうと、これは違うんじゃないかしら」

「どれ?」

「この、ラトラル術式」

「そうなんだけど……。この年式の機体には絶対入ってるから、試してみる価値はあるかと思って」

「あ~~。それもそうね。でも、黒曜魔石にラトラル術式を使うと反発しない?」


 ミザリが苦言を呈したのとほとんど同時にパチン、と何かが弾けた音が響く。


「ほら~!」

「……帯電質なの、忘れてた」

「もう、アメリアったら。核に使ってる魔石に反発作用のあるものは消していくから、ちょっとメモ借りるわね」


 きゃっきゃとまるで学生の頃にでも戻ったかのように議論を交えるアメリアたち二人に、ダクスが遠慮がちにミアの袖を引いた。


「い、以前から気になっていたのですが、ヴァルツ隊長とヴェント女史はどういう繋がりなんです?」

「魔導学園在学時の担任だったのよ。ちなみに弟たちの担任もミザリ先生」

「……それは、お気の毒に」

「どっちに言ってる??」


 絵に描いたような微笑みを浮かべたミアに、ダクスは額に冷や汗を浮かべる。


「そ、それでは、そのときにアメリア様とお知り合いに?」

「ううん。私が生まれるからの知り合いみたいよ。何かの合同研究で知り合った、って言っていたかな?」

「なるほど……」


 神妙な雰囲気に包み込まれた第五小隊の研究棟に、アメリアとミザリの笑い声がやけに大きく響き渡った。

 

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