4、夜に目覚める

 ――ナハト。


 声が、する。

 懐かしい、あの人マスターの声だ。


 ◇ ◇ ◇


 ゆっくりと持ち上げられた《守護獣》の瞼に、ミアと研究チームの面々が「やった~!!」と野太い歓声を響かせる。

 旭日たちの話を参考に、龍の魔力――非番だったシィナが無理やり連れてこられた――で、命令式を組み替えてみたところ、これが面白いくらいに成功した。

 まず核となる魔導石の起動、そして体内の魔力循環の確立。最後に、自動制御術式の組み替え。

 今の所、その全てが問題なく作動している。


「……遅かったか、」


 ミアの後を急いで追ってきた桔梗であったが、研究棟に辿り着くと既に守護獣が目を覚ましていた。

 彼女には瞬きする隙も与えてはならない、と肩を落としながら、駆動音を響かせる本日の主役へと近付く。


「随分派手ね。眠っていたときは、もう少し淡い印象だったのに」

「魔力が行き渡って擬態も出来るようになったんだよ。ほら、目も細部まで人みたいに見えるでしょ」


 まだ意識が覚醒していないのか、周りを観察するようにきょろきょろと忙しなく動く目玉に浮かぶ虹彩に、桔梗が「へえ」と感心した声を上げた。

 精霊や龍とも違う、人工物独特の横に走った瞳孔が、桔梗の視線に気付いて収縮を繰り返す。


――対象、確認。撃退します。


「は?」


 桔梗が呆けた表情になった、次の瞬間。

 それは予備動作もなく、突然起き上がったかと思うと、腕を巨大な鎌に変形させた。

 ビュン、と風切音が耳のすぐ脇を掠めていく。


「桔梗ちゃ、様! 危ない!」

「母上!」


 ミアとシィナの悲鳴を背中に受けて、桔梗は咄嗟に守護獣を蹴り飛ばした。

 研究棟の壁ごと中庭へ吹っ飛んでいった守護獣から視線を外さずに、桔梗が言葉を紡ぐ。


「……術式、組み替えたのよね?」


 冷たく怒りを孕んだ伯母の声に、ミアは「ちゃんと、組み替えたよ! 龍の魔力に反応しないように!」と叫んだ。

 次いで、部下や建物に被害が及ばないよう、防御魔法陣を張り巡らせる。


「シィナ」

「はい!」

「紫月の力を纏ってみてくれる? 確かめたいことがあるの」


 桔梗の言葉に、シィナは素直に従った。

 自身に宿る龍の魔力に集中すると、両の拳にそれを纏わせる。


 淡い紫色の魔力を纏ったシィナが、結界から飛び出して、桔梗の隣に並んだ。

 

 土煙に紛れて、人影がゆらりと立ち上がった。


「来るわよ」


 桔梗が言葉を言い終えるより先に、守護獣が二人へと襲い掛かる。

 母の視線に、シィナがこくりと頷いた。

 飛び掛かってきた守護獣を半歩下がることで避けると、その横っ腹に拳を叩き込む。


 だが、シィナの拳は空を切った。

 

 手応えの無さに顔を顰めたシィナの視界の端で、守護獣が桔梗を標的に定めていた。


「母上!!」


 娘の声に、桔梗が目を細める。


「やっぱりね。龍の魔力じゃなくて『私』を狙ってる」

「呑気にしている場合じゃ……!」

「平気よ。すぐ片付けるから」


 うっそりと笑った桔梗は、五十路を迎えようとしている女性にはとても見えない。

 不気味なほど美しい顔で口元を綻ばせた彼女に、その場に居た全員が恐怖に生唾を飲み込んだ。


「待って!」


 ただ一人、ミアだけを除いて。


「壊さないで! 私が何とかするから!」

「なら、早くして。こう見えて短気なの。知っているでしょ?」

「分かってるよ!!」


 防御魔法陣の中から杖に跨ったミアが飛び出す。

 シィナが纏った龍の魔力に守護獣は反応を示さなかった。

 桔梗とシィナの魔力に違いがあるとすれば、それは一つ。


 桔梗の身に宿っているのが『創世龍』であることだった。


「旭日様! 魔力弾を上に!」

『……我にそんな雑な命を下すのは、お前と桔梗くらいだぞ』

「良いから早く! せっかく起動したって言うのに、桔梗ちゃんに壊されるなんてごめんだよ!」

『全く、』


 龍遣いが荒いな、と旭日が桔梗の右腕から上半身だけ姿を見せる。

 次いで、真っ白な閃光が辺りを覆った。

 その眩さに、今にも桔梗へ斬りかからんとしていた守護獣の動きも止まった。


――創世の魔力、術式切除。静止せよ!


 呪文を唱えている暇はない。

 ミアは勢いに任せて、言霊魔法を守護獣に打つけた。

 魔力回路が存在するのだから、命令式から創世の魔力を切断できるはずだと考えたのだが、守護獣の反応は薄い。


 鎌を振り翳した状態で固まってしまった守護獣の姿に、桔梗と旭日が顔を見合わせる。


「止まった?」

『そのようだな。咄嗟にしては良い判断だった』

「あんまり褒めない方が良いですよ。調子に乗って、あとが大変なので」

『……それもそうだな』


 二人して吹き出した桔梗と旭日に若干の苛立ちを覚えながらも、ミアは急いで彼らの元へ駆け寄った。

 

 動きを止めた守護獣と桔梗の間に割って入り、どこか破損していないかの確認を始める。


「ちょっと~。そこは嘘でも私の心配するところじゃあな~い?」

「はいはい。伯母様、ご無事ですか?」

「ま、可愛くない」

「ありがと。私も私が可愛くないってよ~~く知ってる」


 そう言って目を細めると、ミアは守護獣の核が埋められている胸部を開いた。

 幸い、核として新しく嵌め込んだ魔導石に損傷は見られない。

 だがその周りを繋ぐコードがいくつか千切れていた。


「桔梗ちゃんが、吹っ飛ばすから~~~!」

「元はと言えば、貴女がちゃんと確認しないからでしょ」

「だからって、思いっきり蹴っ飛ばす?」

「身の危険を感じれば、ね?」

「も~~~~! 仕方ない。この際だから、全部取り替えよう。経費で落として良いよね」

「……物によるわ」

「良・い・よ・ね?」


 こういうときのミアはアメリアに負けず劣らず、強情だった。

 仕方ない、とため息を吐き出した桔梗に、ミアが白い歯を見せて笑う。


「やった!」

「但し、今度はきちんと術式に綻びがないか確認すること。今回は私だったからこの程度で済んだけど、研究チームの皆に襲いかかっていたら大変だったわよ」

「分かってるって!」

「ちょっと、ミア! 待ちなさい!」


 まだ説教したいことは山ほどあるというのに、と顔を顰めた桔梗を置いて、ミアは守護獣を浮遊魔法で浮かせると壊れた壁の穴から研究棟の中に戻っていってしまう。


「全く、話を聞かないところもアメリアそっくり」

「分かる。クオンも最後まで人の話聞かないもの」

「本当に、厄介な血筋だわ……」


 はあ、と桔梗とシィナの吐き出したため息は夏の匂いを纏った風に攫われて、宙に溶けていった。


 ◇ ◇ ◇


 魔導石の純度が高すぎたのも暴走の原因だったかもしれない。

 シィナは掌の中で輝く透明な石を睨め付けた。


「あ~もうっ! やることが多いなぁ!」


 唇を突き出すと、自室に持ち帰った――寝台を占拠している守護獣に視線を移す。


「……ごめんね。痛かったよね」


 土壁を突き破った所為で頬と言わず、顔中に土が付着していた。

 メンテナンスが簡単だから、という理由で装備を取り外していたことも仇となって、剥き出しになった機体のあちこちが汚れてしまっている。


「一回綺麗にした方が良いか」


 これにはズボラなミアも顔を顰めた。

 自身も研究に没頭して食事や風呂を疎かにしてしまいがちだが、流石に汚れた守護獣――見た目は完全に眠っている人間である――をそのまま寝かせておくわけにもいかない。

 魔法でパパッと済ませてしまおう、と魔導石を弄っていた手を止めて、寝台に腰を下ろす。


「彼の者に安らぎと癒しを――《泡沫の花園フルール・スレーヌ》」


 守護獣を包み込むように泡で出来た花が咲き誇る。

 汚れを吸着し、茶色く染まったそれらは、ミアが指を鳴らすと同時に消滅した。


「よし。これで、ちょっとは綺麗になったでしょ」


 遺跡で見つけたときと遜色ない姿に戻った守護獣の姿に、ミアは満足げに頷いた。


「それじゃ、悪いけど少しだけそっちに詰めてね。私も寝るから」


 ここにアルフレッドや他の研究チームの人間が居たら、間違いなく止めていたことだろう。

 だが、悲しいかな。ここはミアの居室で、他に人影はない。

 何の迷いもなく希少な研究対象を壁際に追いやると――桔梗に比べれば幾分かマシだが、扱いは雑である――ミアは守護獣の横に寝転がった。

 十代後半の少年を彷彿とさせる容姿の守護獣の横顔に、そっと手を伸ばす。

 触れても、無機質な温度しか伝わってこない。

 先ほど見た彼の淡いラベンダー色の瞳が、脳裏に焼き付いて離れなかった。


「……今度は失敗しない」


 明日こそ、術式の組み替えを成功させるぞと意気込みながら、ミアは意識を手放すのだった。



「起きてくれ、マスター」

「う~ん……」


 誰かに肩を揺すぶられて、ミアは低く唸った。

 昨夜は一人で眠りについたはずだ。

 それに部屋には侵入者妨害用の結界を常に張っている。

 ミアの許可なくこの部屋に入ることは出来ないようになっていた。


「マスター」


 もう一度、起床を促すように強く身体を揺さぶられて、ミアは意識を覚醒させた。


「誰!?」


 飛び起きながら、杖を召喚する。


「俺だ、マスター」


 夕闇を体現させたかのような、黄昏の髪がミアの視界に翻る。


「え、」

「酷いな。俺を起こしたのは貴女なのに、自分は起きるのを嫌がるのか?」


 ラベンダーが二つ。

『それ』は、まるで人間のように豊かな表情を携えて、ミアを見下ろしていた。


「守護獣、よね?」

「ああ、そうだとも。俺は個体名:ナハト。貴女が名付けたのに、それも忘れてしまったのか?」

「え? え、っと、ちょっと待って。私が貴方を造った……?」

「貴女はマスター・アウロラだろ。アウロラ・ヴァルツ。違うのか」


――アウロラ・ヴァルツ。


 その名前には覚えがあった。

 持ち帰った碑文の至る所に、それが刻まれていたからだ。


 ヴァルツ。


 ミアと同じ字を持つその人は、ネイヴェスの技術者と共に、自律式人型守護獣(こんなばけもの)を生み出したというのか。 


「……私は、アウロラじゃないわ」

「そう、なのか? こんなによく似ているのに、」


 守護獣――ナハトの指先が、ミアの頬に触れる。

 昨日まで冷たかった彼の手には熱が宿っていた。


「ど、どうして?」

「何だ」

「どうして、あったかいの」


 動揺のあまり、子どものような話し方になってしまって、ミアはカッと頬に熱が上るのを感じた。

 恥ずかしい、と顔を逸らした彼女を、ナハトの双眸が不思議そうに捉える。


「おかしなことを言う。貴女の方が、温かいと思うのだが」


 ナハトの指先が離れていく。

 ほっと安堵の息を吐き出したミアを嘲笑うかのように、今度は掌全体で頬を包み込まれた。

 少し分厚い掌の感触に、ミアは瞬きを繰り返すことしかできない。


「な?」

「…………そう、ね」


 それだけ答えるのがやっとだった。

 乱暴にナハトの掌を振り払うと、やっとのことで寝台を下りる。

 後ろから突き刺さる視線をひしひしと感じながら、机に広げたままだった研究材料が減っていないか、確認することにした。


「ちょっと待って」


 昨夜、取り出した魔導石――ナハトの核を担うはずのものが、そこに鎮座している。


「貴方、今何を動力にしてるの!?」


 振り返るや否や、ミアは迷いなく胸部の収納部分を開いた。

 本来、魔導石が収まるべき場所には何も入っていない。

 それなのに、術式は問題なく機能している。


「おかしなことばかり言うなぁ。貴女の魔力に決まっているじゃないか」

「は!?」

「魔力循環式を組み替えた後、『創世の魔力』探知に割いていたリソースを切除しただろ。そのおかげで空気中の僅かな魔力と、貴女の魔力を動力として変換することが可能になった」

「待って待って! もしかして、自分で考えてそうしたって言うの?」

「ああ。自律式人型守護獣だからな」

「………………うっそでしょ」

「事実だが?」


 こてん、と首を傾げた姿に、ミアは思わず天井を仰いだ。

 ヴァルツとネイヴェスの叡智が詰まった能力をまざまざと見せつけられて、蟀谷に鈍い痛みが走る。


「いいじゃない。気に入った。動力源が要らなくなったなら、活動に限界はないってことよね?」

「無論だ」

「じゃ、貴方が眠っていた遺跡の碑文解析、手伝って」

「了解した」


 素直に頷いたナハトの姿に、ミアが口元を綻ばせる。

 奇しくも、優秀な助手をゲットした彼女は、このとき知る由もなかった。


 彼の起動めざめが、自身や世界に災難を振りかけることになろうとは。

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