第2章『呪われた神子』

5、祈り

「ぐはっ」


 咥内を支配する血の味に、蘭月は顔を顰めた。

 眼前には見慣れない――否、幼い頃の姉にそっくりな少女が、蘭月から奪った刀を手にすぐそこまで迫っている。


「陛下! 早くこちらに!」


 鈴蘭の悲痛な叫びが背中に投げかけられた。

 震えを帯びたその声に、蘭月がほくそ笑む。


「……鈴蘭」


 名を呼ばれただけで、双子の片割れが何を言おうとしているのか、嫌でも分かってしまう。


「嫌よ、蘭月! 絶対に嫌!」


 鈴蘭が蘭月に手を伸ばす。

 だが、彼はそれに見向きもしなかった。

 唇の端に滲んだ血を親指で拭って、それを石畳に描いた陣へ叩きつけた。


「姉上に、よろしく」


 無情にも血飛沫が舞う。

 血に伏した蘭月の姿に、鈴蘭は半身を捥がれたかのような痛みに襲われた。


「蘭月――ッ!!」


 転送魔法陣の淡い光に包まれて、鈴蘭は唇を噛み締めた。

 耳の奥がジンジンと痺れて痛い。


 頬を濡らすのが血か涙か、もはや分からなかった。


 ◇ ◇ ◇


 キン、と響いた耳鳴りの音に、ナハトは顔を曇らせた。

 ナハトが起動してから一ヶ月。

 ミアの手によってメンテナンス――という名の実験である――を受けているにも関わらず、急に鳴り止まなくなった不快な音に、深い皺が眉間に刻まれる。


「ミア」


 今日もまた、乱雑に散らかった執務机の上に伏して眠る彼女の肩を、軽く揺らす。


「起きてくれ、ミア。集音装置が不調を訴えている」

「うーん……。んえっ!? 何、報告書!? 明日出すってば!」


 がばり、と寝惚け眼で頓珍漢なことを叫びながら起き上がったミアの姿に、ナハトは目を瞬かせた。


「違う。報告書は俺がアルフレッドに提出しておいた。――集音装置が変なんだ」

「なんだ、ナハトくんか。ん~? 集音装置?」

「ああ。確認してくれ」

「おっけ~」


 大きく伸びをしたかと思うと、ミアはナハトを振り返った。

 存外、近い位置に立っていた守護獣に、一瞬だけぎくり、と身体を固めるが、次いで頭を振ると、彼の胸部に収納されている基盤を遠慮なく開く。


「……探知回路の魔導石が光ってるね」

「やはりか。それが光初めてから、集音装置がおかしくなった」

「具体的には?」

「キーン、という音が鳴っている」

「警告音かな? 他にどこか異常はある?」

「いや、」


 ミアに応えようと口を開いたナハトだったが、それを遮るように耳鳴りが激しさを増した。


「ぐっ」


 耳裏で響くだけだったそれは骨を伝って、頭蓋を殴るような痛みを訴え始める。

 あまりの痛みにナハトは思わず、その場に蹲った。


「大丈夫!?」

「……っ、いたい、」

「ナハト! こっちを見て! どこが痛いの!?」


 ミアの、華奢な指先がナハトの頬を捉えた。

 ぐい、と乱暴に持ち上げられた先に、青い海を見つける。

 マスター・アウロラとそっくりな容姿の中で、一つだけ違う――ミアを象徴する青い瞳が真っ直ぐにナハトを見つめていた。


「蟀谷が、割れ、そうだ……っ」

「蟀谷? 蟀谷って――」


 演算装置――人間で言うところの脳が詰まった箇所の痛みを訴えるナハトに、ミアの顔が曇る。

 ナハトの身体は一度、すべて解体し、使えなくなった部品は新しいものに取り替えていた。

 もしかするとそれが仇になったのかもしれない。

 開いたままの基盤へ再び視線を戻すと、ミアは小さく息を漏らした。


 先ほどまで眩い光を纏っていた魔導石が、すっかり大人しくなっていたのだ。


「……痛みは?」

「ふぅ……、落ち着いたようだ」

「一体、何だったのかしら」

「分からない。こんなこと、初めてだ」

「それは起動してから、ってこと? それとも『造られてから』?」

「後者だな。起動してからはミアのメンテナンスのお陰で以前よりも動作が良くなった」


 まるで、人間のように柔らかな表情で、そんなことを言うものだから。

 ミアは瞑目を繰り返すことしかできなかった。

 真正面から受け取った毒気のない真っ直ぐな言葉に、頬へと熱が上る。


「あ、当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの?」

「ははっ。自信過剰なところはヴァルツの血を濃く感じさせるな」

「それ、褒めてる?」

「もちろん!」

「なら、いいけど」


 どちらからともなく、笑みが溢れた。

 こんな風に穏やかな時間が、いつまでも続けばいい。

 そう独り言ちたミアの心中を知ってか知らずか、その日の午後に事件は起きる。


 突如として血塗れになった東の王族が、クラルテに姿を現したのだ。

 全員が慟哭し、地面に足を縫い付けられたように動かない彼らに、午後の巡回から戻ったばかりのシィナが悲鳴を上げた。


「鈴蘭叔母上ッ!!」


 中でも酷い有様だったのは鈴蘭だった。

 頭から血を被ったのか、それとも怪我をしているのか――着ている衣服が赤黒く変色している所為でそれすらも判別が出来ない。


「何があったんですか!」


 シィナの問いに、鈴蘭は唇を震わせた。


「……常春の湖を覚えていますか」

「はい」

「そこに現れた遺跡に蘭月が封印を施したことは?」

「存じています。騎士団が調査に赴くまで、結界を張ると言っていた件ですよね」


 こくり、と鈴蘭が力無く頷く。


「ですが、それが仇となりました」

「どういうことです、」

「結界の魔力を辿って、遺跡に眠っていた迎撃人形が現れたのです」

「!?」


 迎撃人形、と言われて、シィナは先日ミアが起動に成功した守護獣を思い浮かべた。

 あちらは迷いの森付近に出現した遺跡から発掘した。

 そして、常春の湖に出現した遺跡もまた、その後すぐに発見されたと聞く。


 殆ど同時期に現れた二つの遺跡。

 そして、ミアが守護獣の起動を成功させた直後に襲われた東の王族たち。

 偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎていた。


「ひとまず、母上の元に参りましょう。他の皆様も治療を受けた方がいいかと」

「え、ええ。ごめんなさい、シィナ。厄介をかけます」

「謝らないで、叔母上。まずはお身体を休めることだけ考えてください」


 姪との会話で少しだけ気力を取り戻したのか、鈴蘭の目に光が戻る。

 シィナはそんな叔母の姿に安堵の息を漏らすと、近くの騎士に彼らを預け、地面を強く蹴った。


 ミアに確かめなければならないことが出来たからである。


 ◇ ◇ ◇ 


「ミアちゃん!」


 扉を蹴破る勢いで飛び込んできたシィナの姿に、ミアは目を剥いた。

 今日はまだ彼女に怒られるようなことをした覚えはない。

 何ならここ数日は研究棟に篭りっきりで、外出もしていないほどだった。


「ど、どうしたの、シィナ。血相変えて……」

「ナハトに聞きたいことがあるの! 彼はどこ!」


 親の仇でも探すようにバタバタと部屋の中を忙しなく歩き回るシィナに気圧され、ミアは瞬きを繰り返した。


「騒がしいな。また何か、爆発させたのか」


 丁度、奥で碑文の解析を進めていたナハトがひょっこりと顔を見せる。


「ねえ、あなた。個体名:ナハトってことは、別の個体も居るってこと?」


 シィナの言葉に、ミアはハッと息を呑んだ。

 確かに、名前があると言うことは別個体も造られた可能性がある。

 盲点だった、と眉間に皺を寄せたミアを他所に、シィナが切羽詰まった声で「答えて!」とナハトに詰め寄った。


「……確かに俺には対となる存在が居る。だが、その居場所までは把握していない。俺の術式はミアによって書き換えられたからな。以前の術式であれば互いの位置情報を割り出せたが、今は無理だ」

「……っ、そう。分かったわ。ありがとう」


 力無くその場にへたり込んだシィナに、ミアが戦々恐々と駆け寄る。

 こんなに憔悴している従姉妹を見るのは殆ど初めてのことだ。


「何があったの?」

「多分、ナハトと同個体の守護獣に、東の王族が襲われた」


 次いで告げられた内容に、ハッと息を飲んだのはミアだけではなかった。

 ミアと顔を見合わせたナハトの目に動揺が走る。


「マズいぞ」

「こ、今度は何よ」

「俺のように、対の守護獣の術式が綻んでいたとしたら?」


 ミアは彼が何を言いたいのかを瞬時に悟った。

 ナハト同じように、創世の魔力の追尾を設定されていた術式が壊れて、龍の因子を追うようになっていたら。


「……龍の魔力を持っている人間のほとんどは、ここに集まってる」

「次に狙われるとしたら、クラルテってことね」

「ど、どうしよう、ミアちゃん」

「落ち着いて、大丈夫よ」


 従姉妹に肩を貸して、彼女の身体を無理やり立ち上がらせると、ミアは満面の笑みを浮かべた。


「ここに来る前に一つ、寄るところがあるでしょうから」

「え、」

「誰か、忘れてるんじゃない? 常春の湖なら、シュラくんが居るでしょ」

「あ!」

「王族がここに来たってことは、次に反応が強い龍の魔力はきっとシュラくんだよ」

「でも、クラルテには母上も居るし、」

「大丈夫。絶対、先にシュラくんのところに現れる。ナハトを分解して分かったけど、探知機能自体はそんなに高くないの。一キロ、多く見積もっても二キロ弱ってとこかな」


 ね、と急に反応を求められて、ナハトは顔を顰めた。

 性能を小馬鹿にされている気がしないでもないが、ここはミアの顔を立てることにする。


「ああ。魔力を検知できるのは一キロから三キロの範囲内だけだ」

「どうしてちょっとだけ盛るのよ。二キロでしょ?」

「……一キロから三キロだ」

「はいはい。そういうことにしておいてあげる」


 呆れたようにため息を吐き出すと、ミアは耳に装着しているピアス型の通信装置へと手を伸ばした。


「あー、もしもし? シュラくん?」

『……今、取り込み中だ』

「お、ビンゴだった。どれくらい保ちそう?」

『…………エルヴィを庇いながら、十分は戦ってる』

「なら、あと十分保つね。それまで死なないでよ」

『さっさと来い。お前から殺してやる』

「任せて~!」


 予想通り、東の国に滞在しているシュラの元へと件の守護獣が姿を見せたようだ。

 ミアは青褪める彼の妹と、どこか納得のいかない様子のナハトとを見比べて、白い歯を見せて笑った。


「さ! ここへ来る前に、こっちからとっ捕まえに行こ!」

「そ、そんな簡単に言うけどさぁ~」

「嫌なら、来なくていいよ。私とナハトだけで、済ませてくるから」


 言うや否や、ナハトの腕に自身の腕を巻きつけたミアに、ナハトが小首を傾げる。


「俺は行っても役に立たないと思うが」

「そんなこと行ってみなきゃ分かんないでしょ」


 それじゃ、しゅっぱ~つ!


 元気良い掛け声と共に、ミアが転送魔法陣を展開する。


「ちょ、私、まだ行くって一言も――!?」


 戸惑うシィナの声は、魔法陣の光に飲み込まれた。

 目も眩むほどの光が三人を包み隠す。


 次に視界へと飛び込んできたのは、翡翠の刃をその身に受けたシュラの姿だった。 

 

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