3、薄明と三日月
三、薄明と三日月
ミアが研究棟へ向かうと、そこは珍しく人で溢れかえっていた。
何事だ、と視線だけで副隊長のアルフレッドに訴え掛ければ、彼も状況を把握していないのか、ふるふると弱々しく首を横に振った。
「――ごほん。あ~~失礼。第五小隊に何か御用ですか?」
わざとらしく芝居がかった口調でそう告げたミアに、騒々しかった中庭が一瞬で静まり返る。
「ああ! お待ちしておりました! ヴァルツ様! 是非とも、我々を研究チームに加えてください!」
「いえ、我々の方がお役に立ってみせます!」
よくよく見遣れば、第三小隊の騎士、中央の国魔導管理局に、魔導学園の地学教師まで揃っていた。
一体どこから嗅ぎつけたんだ、とミアが白い目で彼らを見れば、遠慮がちに袖が引かれる。
振り返ると、まだ入隊して日の浅い隊員が申し訳なさそうに頭を垂れていた。
「す、すみません。隊長とお約束があると言われて、お通ししたらこんなことに……」
「次からはアルに一言確認してね」
「本当に申し訳ありません」
「ふう、さて……。どうしようかな」
無論、ミアとて鬼ではない。
彼らが純粋な知的好奇心から協力を申し出ていることは明白だ。
ここで追い返せば、それこそ忍び込まれて書きかけの論文を盗まれたり、機材を破壊されたり、と後々面倒なこと――実際、以前にも魔導学園の研修生からそのような嫌がらせを受けたことがある――になりかねない。
招き入れたのはこちらの騎士でもある。
仕方ないか、と結論づけると、ミアは有り難く彼らの手を借りることにした。
「それではまず役割分担を決めましょう。分析は私の部下たちが、皆さんはその結果を元に鑑定をお願いします」
「承知しました。あ! 申し遅れましたが、私、第三小隊のダクス・ルべリオです」
「ルべリオ? ああ、あの転送魔法陣を強化された? 確か、広範囲の座標指定を可能にされたんですよね」
「ご存知でしたか! これは嬉しい! 以後、よろしくお願いいたします」
最初に研究チームに加えてくれと声高に宣言した青年――ダクスがくしゃりと破顔する。
主人に褒められて喜ぶ犬のようだな、と失礼なことを思い浮かべていたミアの手を、誰かが恭しく持ち上げた。
「中央魔導管理局より参りました。ハロルド・S・フォーリングと申します。どうぞ、よしなに」
「え、ええ。どうも」
この手のタイプは苦手である。
ミアは若干口元を引き攣らせながら、失礼に当たらないように慎重な動きでハロルドの手から逃げ出した。
そして最後にニコニコと嬉しそうな顔でこちらを見つめている地学教師――ミザリ・ヴェントを睨んだ。
「先生はこの時期、お忙しいのでは?」
「あら、久しぶりに会った恩師に対して随分な物言いね」
「事実でしょう。卒業検定の真っ最中のはずです」
「私は、地学教師ですよ。検定に関わるのは騎士科と魔導科の先生方です」
「――チッ」
「何です、その舌打ちは。何かご不満でも?」
ミザリは笑顔を崩さないまま、ミアに詰め寄った。
ぎくり、としたのはミアの方である。
「先生は構築式から何から口出ししてくるじゃないですか」
「当たり前でしょう。地学的観点から、バシバシ意見させてもらいます」
「……ここは魔導学園じゃありません。私のやり方に従ってもらいますからね」
「うふっ。お手並み拝見といきましょう」
「や、やり辛い~~~!」
たじたじになっているミア、という珍しい隊長の姿に、隊員たちは思った。
(ヴェント先生、もっとやってくれ)
第五小隊の心が一つになった瞬間である。
隊員たちの中でミザリの株が急激に持ち上がっていることも知らず、ミアは白い歯を剥き出してミザリを威嚇すると、研究棟に持ち帰った遺物の選別を始めることにした。
いつまでもミザリに気を取られるわけにはいかない。
通常業務の傍ら、班を分けて作業を進めなければならないのだ。
一分一秒が惜しいとはこのことだった。
「じゃあ、早速始めましょう」
ミアの合図に、ダクス以下第三小隊の面々、ハロルド率いる中央魔導管理局、そしてミザリと魔導学園の研究チームが「おう!」とそれに応える。
長い戦いの幕が上がった瞬間であった。
◇ ◇ ◇
培養液の中で、夕日が波打っている。
黄昏色の髪を宿した少年が、様々な管に繋がれた状態で培養液の入った透明なガラスケースの中に横たわっていた。
自身が担当することになった人型の《守護獣》を、ミアはじっと凝視する。
「なーんか、どっかで見たことある気がするんだよなぁ」
幼い頃から慣れ親しんだヴァルツの術式は既に解析が終わっている。
残りは、ネイヴェスが手を加えている部分と、東の国の古い文字の解読が少し。
「希少な人型の《守護獣》なのに、躊躇なく分解始めたかと思えば、たった一日で組み直して――お宅の隊長さん、どんな神経してるんです?」
「言わないでください。心臓がいくつあっても足りないと常々思っているんですから」
ダクスとアルフレッドが怖いものでも見たかのような表情でミアの小さな背中を見遣る。
今回の遺跡探索の目玉である守護獣の解析を、ミアは研究室に篭って七日目の昼にはほとんど終えてしまったのだ。
彼女が異端と呼ばれる由縁を目の当たりにして、ダクスはぶるりと身震いした。
「ねえ、アルもそう思わない?」
「はい?」
「だから、この紋章。何かで見たことある気がするんだよね」
突然話を振られるとは思わず、アルフレッドはぎくり、と肩を強張らせた。
次いで、来い来いとミアに手招きされるがままに、《守護獣》が眠るガラスケースに近付く。
ミアの指先が示した場所には片翼の龍が描かれていた。
アルフレッドは「ちょっと待ってくださいね」とミアに一言断ってから、今回の遺跡調査をまとめた資料を机の上から引っ張り出す。
「……あ~、これじゃないですか? 片翼で『右向きの龍』ですよね?」
「右向きってことは『左向き』の意匠もあるってことですか?」
「そこまでは何とも言えませんが、少なくともあの遺跡には『右向きの龍』の意匠しかなかったような気が、」
横からアルフレッドの手元を覗き込んだダクスが神妙な面持ちで、
「右向き……ひょっとして方角?」
「方位磁石の表記で構わないのであれば、右は『東』を表すかと」
「――ハロルドさん。背後から急に現れるのはやめてくださいと何度言わせれば」
「失礼。面白い議論が聞こえてきたもので、つい」
猫のように目を細めた男に、ミアがグッと奥歯を噛み締めた。
ハロルドは魔力感知に長けたミアを嘲笑うかのように、いつも背後から急に現れるのである。
ここが戦場であれば、ミアは間違いなくこの男に殺されていた。
くそ、と蚊の鳴くような小さい声で悪態を吐くと、ハロルドから一歩距離を置いて、守護獣の意匠を覗き込む。
「この龍、『黒』ですね」
「言われなくても知ってます」
「いえ、『東』に『黒』ときたら、想像するのはあの御方だけかと思いまして」
「――華月様のことですか?」
「はい。東の古い文字もあの方ならば読み解けるのではないでしょうか」
「そうですね。あとで桔梗様に掛け合ってみます」
ミアの言葉に、ハロルドは子どものように真っ白い歯を見せて笑った。
普段は食えない男が、至極嬉しそうにしている様に、背筋を冷たい何かが這っていく。
ふう、とため息を溢すと、ミアは桔梗が駐在している本部の建物へ向かうことにした。
◇ ◇ ◇
桔梗・雫ノ宮・東。
この世界で唯一、旭日と華月をその身に宿した歴代最強の神子にして、聖騎士団の要を担う女性騎士である。
『東』の国名を名乗ることが許されるのは、通常後継の男児のみ。
だが、先の大戦で多大な功績を残した彼女に敬意を表し、先代国王にして桔梗の実父である藤月が彼女に『東』の名を贈った。
『東』は日が上るという意味を持つ『あずま』という読み方もできる。
桔梗はこの言葉が昔から好きだった。
第二・第五小隊の報告書を読みながら、桔梗が「ふっ」と口元を緩めた。
衝動に任せるまま書いたのだろう。
娘の筆跡からは、ミアに対する怒りが今にも飛び出してきそうな迫力があった。
「ミア・ヴァルツです。よろしいですか」
扉越しに聞こえてきた声に、桔梗は思わず「げ」と心の中で呟く。
それを聞き逃さなかったらしい旭日と華月の笑い声が脳内に響き渡った。
「……どうぞ」
誤魔化すように咳払いを一つ落として、件の問題児を部屋の中に迎え入れた。
「ご機嫌よう、桔梗ちゃん」
「こら、誰に聞かれているのか分からないのよ。職務中は『様』を付けなさいと、いつも言っているでしょう」
「さっきまで猫被りながら、歩いてきて疲れてるの~。これくらい、大目に見てよ」
「まあ、可愛くない」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくね」
「本当、似なくて良いところばかり、アメリアとレオンに似るのだから、」
桔梗は天井を仰ぎ見ると「それで」と義理の姪を促した。
普段、自身の研究室から出ようとしない彼女がわざわざ自分の元を尋ねたのには、何か理由があるのだろうと察したからだ。
そうでなければ、食事や睡眠も二の次で研究に没頭するミアが顔を見せるわけがない。
「話が早くて助かるよ。華月様に確認してもらいたいものがあって」
「華月様に?」
「うん。これなんだけど、」
ミアが応接用のソファに腰掛けながら、備え付けのローテーブルの上に持ってきた資料を広げた。
懐かしい東の言葉や見慣れない意匠に桔梗は首を傾げる。
「華月様」
桔梗の呼び声に、彼女の左腕から黒い靄が形を成す。
『……これは、』
夜を象徴する前髪の隙間で、金色の目が零れ落ちんばかりに見開かれた。
驚きに固まった華月を心配したのか、今度は桔梗の右腕から、白い靄が姿を見せる。
『また懐かしいものを』
旭日がそう言って、一つしかない眼をスッと細めた。
創世龍の二人が神妙な面持ちで見つめる龍の意匠を、桔梗がそっと持ち上げる。
黒い龍が『華月』を表しているのは分かる。
だが、龍の上を這うように、不可解な三日月の軌跡が描かれていた。
「この三日月は?」
「え? 三日月?」
ミアは桔梗に言われて初めて三日月の存在に気が付いた。
「……何これ」
遺跡の壁面から魔力ごと写してきた掌サイズのレプリカに、新たな紋様が増えている。
数日ほど分析を続けているが、今までこんな変化は見られなかった。
『恐らく、妾たちの魔力に反応したのでしょう』
華月が、レプリカの表面を懐かしそうにゆっくりと撫でた。
バチッと静電気が弾けるような音が部屋の中に響く。
『止せ、華月。お前の身体に障る』
『少しくらいなら平気ですよ。それに本来の術式は綻びているようですし、』
「ちょ、ちょっと待ってください。お二人だけで話を進めないで!」
まるで、龍の意匠が何を示しているのかを知っているかのような口振りで話を進める旭日と華月の二人に、ミアが待ったを掛ける。
桔梗はと言えば、二人が互いで納得して話を進めることに慣れているのか、はたまた諦めているのか、一人だけ遠い目をして窓の向こうを眺めていた。
『そう、そうね。ごめんなさい。あまりにも懐かしいものを見たから気が動転してしまって、』
『お前は少し休んでいろ。我が話す』
『――いいえ。妾から話します。これを造ったのは「妾」なのですから』
金色の目に宿った鋭い光が、旭日を制する。
久方ぶりに見る殺気だった番の眼光に、旭日が牙を見せて笑った。
『カカカ! 愉快愉快! お前はどんな表情を浮かべても美しいな!』
『……旭日。ややこしくなるので、少し黙っていてください』
『承知!』
『旭日?』
『分かった、分かった。邪魔はせん』
もう、と華月がため息を吐き出す。
眼前で繰り広げられる創世龍のやり取りに、ミアは桔梗がどうして遠くを見つめていたのかを今更ながらに悟った。
二人の世界に片足を突っ込んだ状態で、華月がミアに視線を戻す。
夜空に浮かぶ一等星のように澄んだ光を宿した金色が、真っ直ぐにミアを捉えた。
『これは《龍殺しの守護獣》。旭日を拘束・封印するために造った決戦兵器に施した紋章です』
「《龍殺しの守護獣》……。素敵な響きですね」
『当時のヴァルツも同じことを言っていましたよ』
「ふふっ。それは嬉しい」
恍惚とした表情で笑うミアに、桔梗がため息を漏らす。
「はあ、ミア。華月様の話を遮らないの」
「おっと。ごめんなさい、華月様」
続きを促すように、芝居がかった動作でミアが恭しくお辞儀してみせる。
それに倣って、華月もまた劇場歌手のような振る舞いで胸に手を置き、「アンコールありがとう」と言わんばかりに一礼を返した。
『守護獣には、妾の破壊の魔力と世界樹の魔力、そしてヴァルツとネイヴェスの叡智を詰め込みました』
「当時の神子の名前は《薄明ノ君》――既婚者の方だったんですね」
桔梗が碑文の写しへと視線を走らせながら、華月に問いかける。
彼女の問いに、華月はゆっくりと瞼を下ろした。
脳裏に浮かぶ《薄明ノ君》――凛と佇む女性の横顔に口元を強く引き結ぶ。
『ええ。あの娘は、戦で命を落とした姉に代わって、妾の依り代に名乗りを上げた奇特な子でした』
『……』
『そんな顔をしないで、旭日。過ぎたことだと、皆許してくれましょう』
『…………そうか』
『ふふっ。貴方のそんな顔が再び見られるなんて、あの娘たちにも教えてあげたいわ』
旭日の窪んだ右目の上を、華月の指先が優しく撫でる。
「華月様」
ごほん、と桔梗が咳払いを一つ。
華月は弾かれたように旭日から距離を置くと「ええと、どこまで話したかしら」と誤魔化すように天井を仰いだ。
「《薄明ノ君》様が、既婚者で戦死した姉君の代わりに依り代となった、辺りです」
『ああそうでした。ごめんなさいね。歳を取ると、手繰り寄せたい記憶に時間が掛かってしまって、』
「……絶対それだけじゃない気がする」
「しっ。黙ってなさい。これ以上、横槍を入れたら本当に話してくれなくなるわよ」
ミアがぶつぶつと小さな声で文句を言うのを肘鉄で黙らせると、桔梗は視線だけで華月に話の先を促した。
『ですが、薄明に妾の魔力を馴染ませるには時間が必要だった。――本来は赤子の頃から、妾の魔力に耐性を付けるのですから、時間を要するのは必然。そこで妾は旭日に対抗する術を増やす良い機会だと、ヴァルツとネイヴェスに《守護獣》の制作を依頼することにしました』
「どうして、ヴァルツとネイヴェスだったんですか? 東の民にも技術者は居たのでは?」
ミアが首を傾げれば、華月はやおら目を細めた。
『……当時の彼らは、国王を――薄明の姉を失って酷く憔悴していました。そんな彼らに何かを望むことは妾に出来るわけもない。そこで、「封印術」に長けたネイヴェスと「稀代の魔導士」であるヴァルツを頼ることにしたのです』
桔梗が持っていた碑文の写しを受け取ると、華月はそこに書かれた古い東の国の言葉を歌うように紡いだ。
『未来の勇者、英傑に告ぐ。彼の獣が、白き龍を戒める牙となり、汝らの行く先を守る盾とならん。龍の血を継ぎし者よ。我らが悲願、果たされることを切に願う』
自分たちの代で旭日を倒すことが叶わなくても、未来の子孫にその役割を繋ぐ。そしてこの守護獣が、少しでも子孫の助けになれば良い。
要約すれば、そのような言葉が碑文には記されていた。
「……何て言うか、重いね」
とても受け止めきれない、とミアが辟易とした表情を浮かべるのに、桔梗が拳骨を落とす。
「それで、どうして《守護獣》は遺跡に封印されていたんですか」
姪がこれ以上、失礼な言動を取る前に、桔梗は核心をつくことにした。
華月は暫く逡巡したあと、明後日の方向を睨んでいる旭日に視線を遣って、困ったように眉根を寄せた。
『守護獣のことが旭日にバレてしまったのよ。それで、壊される前に遺跡へ封印することにしたの』
『……アレは当時の我にとって最悪の代物だった。文字通り「龍殺し」に相応しい、龍の魔力を喰らう守護獣だぞ。こちらが壊される前に壊しておくのが道理と言うものよ』
旭日が当時を思い出して、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「まさか、」
『そのまさかだ。こやつめ「破壊の魔力」と一緒に「創世龍の魔力」を込めおった。それも、ご丁寧にその魔力を持つ者を「壊す」ように設定してな』
創世龍の魔力を持っているのは、この世で旭日と華月の二頭だけ。
下手をすれば華月にも襲いかかる懸念があったはずだ。
けれど、華月はそのリスクを負ってでも、旭日を封じることを望んだ。
それほどまでに危機迫った状況だったのだろう。
当時の神子を思えば、桔梗は胸を引き裂かれるような思いになった。
「じゃあ、封印を解くために龍の魔力が必要だったのは」
『無論、龍の魔力を追尾するためよ。お前たち人間は、つくづく我の嫌がることばかり思いつく』
弱々しく首を横に振った旭日に、ミアがふむと口元に手を遣る。
シィナの魔力を用いて封印術式を解除できたのであれば、それを流用して守護獣を起動することも可能なのではないか、と思い付いてしまったのだ。
にこ、と今世紀稀に見る、絵画を切り取ったような笑顔のミアに、桔梗の背を怖気が走り抜けていく。
「い~いこと考えちゃった」
「よ、よしなさいミア! こら、こういうときばかり動きが軽くなるの何!?」
待ちなさい、と響いた桔梗の声も虚しく、ミアが窓枠に足を掛ける。
「楽しみにしててね」
そう言って、どこからともなく杖を召喚すると、桔梗の静止を振り切って、窓から勢い良く飛び降りてしまう。
『……今の顔、アウロラにそっくりだったな』
『ええ。何かを思いついた時のあの娘、そっくり』
「呑気なこと言ってないで、追いますよ! も~!! またレオンに、どやされるッ!!」
一人青褪める依り代の姿に、創世龍は顔を見合わせる。
次いで、白い牙を剥き出してカラカラと楽しそうに笑い声を上げるのであった。
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