2、ヴァルツの色

「……ま~た、面倒くさそうなもん持って帰ってきやがって」

「そう思うなら、最初からクオンが行けば良かったでしょ」


 げ、と舌を突き出しながら遺跡探索組を出迎えたクオンに、シィナがため息を吐き出す。


「いいのか? 俺が同行するってなったら、姉貴は遺跡ごと帰ってきてたぞ」

「それは、否定できないわね」

「まア、持って帰ってきちまったもんは仕方ねえ。で? こりゃ一体何なんだ?」


 クオンが『これ』と称したのは、厳重に結界魔法が施された人型の《守護獣|ガーディアン》だった。

 持ち帰ると言って聞かなかったミアの姿は今ここにない。

 後方で碑文や魔石やらを仕分けている彼女の声が二人の耳に届く。

 シィナはそっとクオンに顔を寄せると「ヴァルツのご先祖さまが造った人型の《守護獣》なんですって」と吐息だけで囁いた。


「どこで見つけたんだよ」

「儀礼用の広場の奥に、もう一つ広い吹き抜けがあってね。――蕾の中に入ってたの」

「それって、」

「私も同じこと考えたわ」

「でも違ったんだな」

「ええ」


 ここに長兄が居なくて良かった、とシィナは短く安堵の息を漏らした。

 巨大な蕾の中から人が見つかったと知れば、一目散に飛んできそうなシュラの姿を想像して、頭を振る。


「……あ~、シィナ」

「何?」

「まだ、怒ってんのかよ」


 今後のことを脳内でリストアップしていたシィナは、存外に近い場所から聞こえてきたクオンの声に小さく息を呑んだ。

 そういえば、自分から近付いたんだったと瞑目するも、鼻先が触れ合いそうな距離に「わ、」と間抜けな声が漏れ出る。


「お、怒ってるって、何、」

「姉貴との任務押し付けたこと」

「……当たり前でしょ。ミアちゃんの所為で、全員寝不足になったんだからね」


 鋭い目を向ければ、彼はどこかバツが悪そうな表情を浮かべて、シィナの頬に優しく掌を重ねた。

 他人よりも体温の高いクオンの熱に、シィナがぱちりと瞬きを一つ落とす。

 

「ごめんな」


 そう言って、彼の分厚い唇がシィナのそれを柔く塞いだ。

 ちゅ、と繰り返される軽いキスに、眩暈がする。

 こんな風に触れ合うのは、随分と久しぶりだ、とシィナが思考を手放しそうになったとき、「ぎゃ!?」と後ろの方で悲鳴が上がった。

 大方、ミアが遺物を雑に扱った騎士にお灸を据えたのだろう。

 ぱちり、と瞬きを落としたシィナは、ここが騎士団本部の中庭であることを漸く思い出す。

 上がった息を整えようと、クオンの肩をやんわりと押し返したシィナだったが、然してクオンは彼女の思い通りにはさせてくれなかった。


「ん、」

「もう一回」


 もう終わり、という意味で距離を取ったつもりだったのに、クオンの指先が名残惜しそうに頤を擽る。


「だ、ダメに決まってんでしょ! 大体、こんなことで誤魔化されると、」

「業務が終わったら、今日は一緒に帰ろう」

「ちょ、っと、聞いて……っ」

「な?」

「~~~~もうっ!!」


 結局、顔中のあちこちに降ってきた唇に逆らうことが出来ず、シィナは怒りながら脱力した。

 馬車の影になっているとはいえ、誰かに見られていてもおかしくはない。

 ばか、と振り下ろされたシィナの拳を甘んじて受け止めたクオンは、「もう一回だけ」と囁いて、彼女の柔らかい唇に噛み付くのだった。


 ◇ ◇ ◇


 遺跡探索組が持ち帰った品の数々に、シアンを始めとした上層部は頭を抱えた。

 てっきり調査を終えたから戻ってきたとばかり思っていたのに、蓋を開けてみれば「これから分析します」ときたのだ。

 これで怒るな、というのは無理があった。


「――報告は以上になります」

「…………お前な、報連相って知ってるか?」

「鉄分が取れる野菜のことですか?」


 きょとん、と小首を傾げた姪の姿に、シアンは片手で両瞼を覆った。

 うっかり可愛いと思ってしまったが最後、この姪は次から同じ手法で攻めるようになってしまう。


「白々しいにもほどがあるぞ、ヴァルツ! 今回の件で近隣住民から苦情も出ているんだ。いい加減、事前に報告することを覚えろ!」


 大尉の一人が吠えるも、ミアはどこ吹く風といった様子だ。


「すみません。次からは気をつけまーす」

「だから、その態度を改めろと何度言えば……!!」


 怒りのあまり大尉が勢い良く椅子から立ち上がる。

 ガン、と椅子が倒れる乱暴な音が会議室の中に木霊した。

 険悪な雰囲気に包まれた部屋に、シアンが咳払いを落とす。


「……それで? あんなにバカみたいな量の遺物を持ち帰ったんだ。何か珍しいものでもあったんだろ?」

「はい。――人型の《守護獣》を見つけました」

「人型? 守護獣なのにか?」

「年式は不明ですが、造りからしてヴァルツとネイヴェス、それから東の国も関わっているかと」

「また厄介なものを」


 本日何回目になるか分からないため息を吐き出したシアンに、ミアが「もう行っていいですか?」と興奮冷めやらぬ口調で告げた。


「ああ。とっとと行け。詳細は後できちんと報告書にまとめろよ」

「そこは任せてください! シィナにばっちり頼んでるんで!」

「人任せにするな! おい、お前の字じゃないと俺たちは受け取らんからな!」

「はいはーい!」


 夏の嵐のように慌ただしく去っていった紫髪の後ろ姿に、残された全員からオーケストラの演奏のようなため息が紡がれる。

 

「団長閣下。一言よろしいですか」

「――皆まで言うな。後できつく灸を据えておく」

「ぜひともお願いいたします。『アレ』は私どもの手に負えませんので」

「はあ……」


 成人してから随分経つと言うのに、ミアの中身は子どもの頃からちっとも変わっていない。

 一体全体何をどうしたら、あんなじゃじゃ馬に育つんだとシアンは弟夫婦の姿に想いを馳せるのであった。



「伯父様からも許可もらったし、これで研究に時間を割けるぞ~~」


 やったーと両手を掲げるミアと対照的に、第五小隊の面々からは悲鳴が上がった。


「ま、まさかとは思いますが、今から解析始めるとか言いませんよね……?」

「そうだけど?」

「絶対に嫌です」

「どうして?」

「『どうして?』じゃ、ありませんよ! 一週間近く遺跡に缶詰だったんです! せめて二日は休ませてください!」


 全員が一丸となって副隊長のアルフレッドに声援を送る。

 ミアはそんな彼らの意見にふむ、と顎に手を添えた。

 一人でも作業を進められないことはないが、何せ持ち帰った量が量だ。

 ここは作業効率を考えて、休みを与えるのも悪くはない。


「……分かった。偶にはアルの意見に従うよ。今日の午後から明後日まで休みにしよう。その代わり、次回出勤は朝七時だからね」

「分かりました!」

「あれ、思ったよりも元気な声出るじゃん。やっぱり二日も休みいらない感じ?」

「絶対に必要です。一度言ったことを撤回しないでください」


 充血した目に迫られて、ミアは「は、はい」と珍しく気圧されてしまった。

 解散の声を聞くや否や、晴々とした表情で研究棟を去っていく部下たちに、そっと口元を綻ばせる。


 アメリアから受け継いだこの第五小隊は聖騎士団の中でもとりわけ異質だった。

 この世界で騎士と呼ばれる存在は『魔法』と『剣技』その両方に秀でている。

 だが、それはあくまでも攻撃に特化したもので、防御や反撃には向かない。


 そこで誕生したのが、『対魔法』部隊の第五小隊だった。

『解呪』や『反撃』、『無効化』など、一風変わった魔法を扱う騎士で構成された彼らは、魔法攻撃のみを得意としていた。

 主な業務も、遺跡探索や失われた魔法の解析などが殆どで、実戦経験は皆無と言っていい。

 そのため、騎士団の中には第五小隊のことをよく思っていない者も少なくなかった。

 主な原因は隊長であるミアの猪突猛進っぷりにあるのだが、本人はやっかみだろうと踏んでいた。


 若くして言霊魔法を再構築し、たった半年という短い期間で普及させ、魔力量の少ない一般人にも扱えるようにしてみせたからだ。

 その功績を讃え、かつて稀代の魔女と謳われたメリッサ・ヴァルツを象徴する《紫》の色が第五小隊の制服にまでなった。


 一癖も二癖もある第五小隊の面々は、最初こそアメリアの娘というだけで後釜に収まったと噂もあるミアに対して世間同様に当たりがキツかった。

 けれど、共に時間を過ごすうちに、ミアの研究に興味を示し、今ではすっかり毒されてしまっている。

 だが、それはミアにも言えることだった。

 独りで研究に明け暮れていたころでは考えられないほど、近い距離に他人を許していることに、ミアはまたほくそ笑む。


「さぁて、私は残って少しでも進めておくか~」

「……ダメです」

「わっ! びっくりした!」


 声のした方を見れば、唇を尖らせたシィナが扉に背を預け、こちらを睨んでいた。


「ミアちゃん、最後にご飯食べたのいつ?」

「ご飯??」

「ミアちゃん?」

「えーーっとぉ……」


 昨日の昼食にハムサンドが出たところまでは覚えている。

 夕食を抜いた上、徹夜で術式の解析を進めていたので、朝食はもちろん食べていない。

 現在の時刻は午後二時。


「えへ?」

「そんなことだろうと思った。ほら、行くわよ」

「行くってどこに、」

「私の家」

「げ、」


 顔を引き攣らせたミアを、シィナが見逃すはずもない。

 常は楽しそうな表情を浮かべているミアが青褪め、それを見つめるシィナが微笑むという異常な光景に、後から彼女たちを迎えにきたクオンが上擦った悲鳴を漏らしたのは言うまでもなかった。


◇ ◇ ◇


 シィナ・ウェルテクス。

 御年二十二歳。聖騎士団・第二小隊隊長。既婚、子持ち。


 その配偶者、クオン・ウェルテクス。

 御年二十四歳。聖騎士団・第一小隊隊長。ミアの弟。


 実弟と義妹に両隣を挟まれたミアは「い~や~だ~~」と駄々を捏ねる子どものように手足をバタつかせながら、引きずられるようにして道を歩いていた。


「今日という今日は逃しませんから」

「諦めろ、姉貴。今日のシィナは気が立ってる」

「そうね。誰かさん『たち』の所為で」

「……」

「都合が悪くなったら黙るのやめなさい」


 姉弟揃って明後日の方向を見るミアとクオンに、シィナがため息を吐き出す。

 そうこうしているうちに、シィナたちの家が見えてきた。

 アプリコット色の屋根とクリーム色の外壁が可愛らしい一軒家の方から「あ! ほら、兄上たち帰ってきたよ! ララ!」と弾んだ声が響く。


「遅くなってごめんね、トア。ララの子守りありがとう」

「気にしないでシィナちゃん。僕が好きでやってることだから」


 満面の笑みでシィナたちを出迎えたのはミアとクオンの末弟――トアだった。

 抱っこしていたクオンとシィナの二歳になる娘ララをシィナに預けた弟の姿に、今度はクオンがため息を漏らす番だ。


「……お前、いい加減、家に帰れよ。父さんたちが気にしてたぞ」

「週末には帰ってるよ?」

「卒検期間中なのに、家に戻らないって会う度に聞かされる俺の身にもなれ」

「だって、論文を纏めている最中に入ってきたりするんだもん。メリッサの森や兄上たちの家で書く方が効率いいんだ」

「その割に、ララにかまけてばかりで進んでいないようだが?」

「…………い、息抜き、息抜き」


 あはは、と誤魔化すように口元に笑みを浮かべたトアに、ミアとシィナが顔を見合わせた。


「似なくていいところばっかり似るって本当なのね」

「それは本当にそう。何なの、誰の遺伝?」

「アメリア叔母さまじゃない?」

「お母様か~。じゃあ、仕方ないな」


 この時点で逃げることを諦めたミアは、弟たちが小鳥のように囀る横を素通りして玄関の扉に手をかけた。


「何してるの? ご飯食べるんでしょ?」


 何食わぬ顔でそう告げた彼女に、クオンが呆れたように空を仰ぐ。


「――知ってるか、トア。あいつここに来るまでの道すがら、逃げようとして暴れてたんだぜ」

「姉さんの諦めの悪さと切り替えの速さって、見習った方がいいやつ?」

「頼むから、やめてくれ」


 手が掛かるのは姉と娘だけで良い、と辟易した表情になったクオンに、シィナが声高に笑う。


「私に言わせれば、貴方たち全員、手が掛かるんだけど?」

「……さて、飯にするか」

「ふふふっ。また話を逸らした」

「俺が悪かったから、これ以上言及するな。あとで泣かすぞ」

「やってみなさいよ」

「良いんだな?」

「できるものなら、ね?」


 ばちばちと火花を飛ばす夫婦の姿に、トアは「どっちもどっちだな」とどこか他人事のように思いながら、家主の許可も待たずに先に家の中へと入ってしまった姉を追いかけることにするのだった。

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