第六話:半分

「だいぶ寒くなったな」

 ピクロは体温の変化などしないぬいぐるみの身体をわざと震わせながら呟いた。

「……氷点下なんじゃないか?」

「そこまではいってないと思う。でも、耐熱耐寒装備で来たのに耳と鼻が痛い」

 口から吐く息が白く染まり、冷たい空気を吸い込むたびに肺がくすぐったい。

 それほどに、上空の空気は乾燥し冷え込んでいる。

「生身の身体は不便だな」

 ピクロは口角を片方だけ上げてニヤニヤしながらアルカを見つつ、さりげなく蒸気を出す。

「いつもはぬいぐるみの身体を嫌がっているくせに。ふふ。ありがとう。ピクロの蒸気であったまったよ」

「そりゃよかった」

 乾いた空気がぬいぐるみの身体を通り抜けていく。

 以前にもこんなことがあった、と、ピクロは古い記憶を思い出した。

――君は他の悪魔と違って温かいな。蒸気の悪魔ジャック・オ・スチームだからってわけじゃなくて、心がさ。

 煌めく笑顔に、黎明の空のように紫紺に染まる目。

 彼はあまりに優しく、限りなく善良だった。

 他人の苦しみに傷ついて、悲しみに涙している、そんなひとだった。

 だから、ただ、救おうと行動した。

 それが人間の目には恐怖の対象として映り、やがて『魔王』などと呼ばれるはめに。

 たった一人で罪を背負って、その力を示し続けた。

 世界がそれぞれの違いを受容し、共存できる時代がきっと訪れると信じて。

 でも、駄目だった。

 運命の女神たちが下した決断は、世界を混沌に戻すこと。

 彼は全ての責任をとると、勝手に決断した。

――咲いた責任はとらないとな。せめて、散る場所を選ばせてもらえるのだから、俺は幸せ者だよ。

 共に戦った者たちの悲痛な叫びを笑顔で抱きしめながら。

 彼に対してのせめてもの温情が、愛する者による封印だった。

(お前たちの孫は、俺が絶対に護るから)

 寒さに頬を赤く染めるアルカの横顔。

 空を見上げ、視界いっぱいに広がる星の瞬きを見つめて嬉しそうに微笑む穏やかな性格。

 何もかもが、彼と彼女にそっくりで。

 本当のことを伝えられない悔しさに、何度慟哭したことだろう。

 それでも、ピクロはそばにいることを選んだ。

 もう二度と、大事なひとが『魔王』などと、『災厄』などと呼ばれないように。

 そのような悲しい運命みらいに繋がる現在いまを断ち切るために。

「ピクロも感傷に浸ることなんてあるんだね?」

「あ? そんなんじゃねぇよ。どの坑道に入るのが一番稼げるか考えてただけだし」

「ふうん。いいけど」

 アルカは納得いってない様子だったが、それでいいとピクロは思った。

「あそこにしようぜ」

 ピクロが指さしたのは、エリア自体が金ランク以上の探索者サーチャーしか入ることが出来ない危険地帯だった。

「いいけど……。わたし、ぎょくに選ばれているからって、経験値で言えばひよっこだよ」

「うん、知ってる。魔法の腕は良いし頭も良い上に顔まで良いのに、箱庭育ちで世間知らずだからな」

「……おおむね褒めてくれてありがとう。いきなり難しいところはどうかなあ」

「大丈夫だろ。だって俺がついてるからな」

「はいはいそうですねー」

 ピクロの「いっぱい龍骨採って金持ちになろうぜ!」という満面の笑みと目の奥でギラギラと輝く気迫に押され、危険地帯に行くことにしたアルカ。

「でも、何がそんなに危険なんだろうね?」

「ダジボーグのとこは崩落しやすかっただけで、特に危険は感じなかったよな」

 アルカもピクロも、救助に入った際、怪しい呪術やのろいの痕跡は何も感じなかった。

「……あれが自然の崩落じゃないとしたら?」

「なるほど。危険って野生動物のことなのかもな」

 アラバスタホエールやセレナイトドルフィンは会話に超音波を使う。

 周波数によっては砂岩を砕き、坑道を支えている木や金属の支柱を震わせ、崩落を誘うこともある。

「あ、ほら。やっぱり」

 砂が絶えず動き、遥か地底の世界へ手招きするように流れ続けている。

 遠く、こだまするように聞こえる鯨たちの歌は物悲しく、心に焦燥を植え付ける。

 イルカたちは砂の中を踊るように泳ぎ続け、仲間たちと共に過ごすことの大切さを伝えているようだ。

「坑道が見当たらない……。もしかして、鯨の体内ってことはないよね?」

「その考察に賛成」

 ピクロは嬉しそうに頷いた。

 アルカの苦労は計算に入っていないようだ。

「はあ……。でも、ここで泳いでいる全ての鯨の体内に入るのはちょっと……」

「見分け方でもわかればいいんだが……」

 そのとき、遠くの方に赤い光が見えた。

「あれは……、やったな、アルカ! ちょうどいいところにちょうどいい奴がいるぞ!」

「え、どういうこと?」

「あの小型船と赤い光は、夜間に生き物の生態を観察するためのもの。つまり、魔法動物学者が乗ってるってことだ」

「あ、じゃぁ……」

「さっそく近づいて教えてもらいに行こうぜ!」

 二人は飛び上がる鯨に気を付けながら小型船へと近づいて行った。

「船は小さいけれど、かなり強力な防護の呪文が施されてる。相当強い魔法使いが乗ってるんだね」

「強くなきゃ、魔法動物を相手にしてられないだろうな」

 ゆっくりと小型船に向かって降りていく。

「……ん? こんな時間に子供と……、猫?」

 端正な顔立ちの男性が一人、いくつも並ぶ望遠レンズから顔を上げ、アルカたちを見上げた。

「すみません。降りてもいいでしょうか?」

「もちろん。迷子かい?」

 二人は防護呪文の中に入り、船に降り立つと、男性に名前を告げて事情を説明した。

「ほう! アルカくんはその若さで玉とは……。すごいね。協力するよ。僕の名前はアルフレッド・アップルトン。坑道を飲み込んだ鯨の見分け方を教えてあげよう」

 アルカはアルフレッドから差し出された手を握り、柔らかな握手を交わした。

「ありがとうございます」

「もし可能なら、採掘が終わった後、鯨の体内にある坑道を優しく破壊してあげて欲しいんだ」

「なんでもします」

「助かるよ。坑道に使われている木や鉄が鯨を体内から傷つけてしまうんだ。取り除いてあげないと、命にかかわるからね」

 アルフレッドは上空へ向かって三発、光る球を打ち上げた。

「見てごらん。砂を吹き出している鯨たちの中に、何体かその勢いが弱い鯨がいる。そういう鯨にかぎって腹部が不自然に膨張しているんだ。あれは坑道を飲み込んだせいで上手く体内のガスが排出できずに膨らんでいるんだよ」

「ああ……、可哀そうに」

「僕も一応、ランクは玉なんだけど、以前砂で溺れたことがあって……。船から降りられないんだ」

 アルフレッドの切なげな表情と、小型船に張られた防護呪文の強さで、それがどれほどの恐怖だったのかが伝わってきた。

「心に負った傷は、例え神様でも治すことは難しいでしょう。誰もが抱えて生きていくものです。それを護るために、心は目に見えないんだと思います」

 アルフレッドはアルカの優しい目を見つめ、小さく頷いた。

「ありがとう。君は勇敢だ」

「ふふ。傷つく経験すら足りない、未熟者なだけなんですけどね」

 アルカは微笑むと、ピクロと共に空へと飛び立った。

「アルカ、一つだけ言っておく。自分に嘘をつくのはやめろ」

 ピクロがいつになく真剣な表情で言った。

 アルカは困ったように微笑みながら、そっとつぶやく。

「嘘はついてないよ。わたしの傷は、生きていくのには支障がないから」

 ピクロは何も言えなかった。

 クローンとはいえ、血のつながった存在が自分を殺しに来るかもしれないというのに、アルカにとってそれは、生きていくことに支障はないことなのだと、口にする。

 母と呼ぶことが出来なかった、魔女が背負っている業。

 どれもアルカのせいではないのに。

「砂でも水でも、海は困るね。嫌でも、感傷的になる」

 いっそ、泣いてくれたなら、慰めようもあるのにと、ピクロは胸に刺さる痛みを受け止めた。

 二人は言葉数も少なく、砂を吹く勢いの弱い鯨へと近づいて行った。

「どこから入ればいいんだろう?」

「そりゃ、口からだろ」

 そう言うと、ピクロはアルカに「魚を一か所に集めろ」と指示した。

 アルカは言われた通り、魚を百匹ほど鯨の前方へと集めた。

「来るぞ」

 激しい流砂のあと、地面を抉るような爆音が響いた。

「わあ!」

 魚を砂ごと飲み込もうと鯨が縦になり、砂から跳ね上がった。

「今だ!」

 ピクロの合図とともに、鯨の口内へと飛び込んでいく。

「灯りを出して飛び続けろ! 飲まれるなよ!」

 目から魔法陣をいくつも出し、鯨の体内に張り付けていく。

 砂に身体を絡めとられないよう避けながら口の中を浮遊し続けた二人。

「ふう。上手くいったみたいだな」

 鯨が再び前傾姿勢に戻り、砂の中を泳いでいく。

「奥に行こうぜ」

 光の魔法陣を張りつけながら進んでいくと、食道とは違う大きな穴が現れた。

「本当だ。坑道だよピクロ!」

「こりゃ、遺跡みたいだな……」

 鯨の赤い体内に、白い砂岩が史跡のように積みあがっている。

「砕けちゃいるけど、あのぼんやり光ってるのは龍骨だ」

 坑道はところどころ崩れ、地層に含まれていた龍骨が見え隠れしている。

「地上で掘るより楽そうだな」

「掘るのはね」

「なんだよ。何か問題でもあるのか?」

「出るときはどうするつもりなの」

 ピクロは少しだけ考えるそぶりをした後、「ま、なんとかなるだろ!」とアルカの背を叩いた。

 アルカは溜息をつきながら龍骨に近付き、箒から降りると、手から出した魔法陣を使い丁寧に掘り出し始めた。

「お、上手いな」

「屋敷の近くにある洞窟でよく化石を掘ってたからね」

「ああ、お前俺以外の友達いないもんな」

「うるさいなあ」

 ピクロは手伝う気などさらさらないらしく、他に高値で売れるようなものがないかどうか鯨の体内を飛び回り始めた。

「お! なんか偉そうな奴の遺体があるぞ!」

「ちょっと、不謹慎だよ」

「でもよ、ほら」

 ピクロが運んできた木乃伊ミイラは、確かに平民では身に着けることが不可能なくらいの貴金属や宝玉で飾られていた。

「……もしかして、貴族か何かのお墓も飲んじゃってるのかも」

「副葬品もあるってことか! 探してくる!」

「ちょ、ピクロ!」

 王墓に限らず、墓におさめられている副葬品は、故人や埋葬した人々の感情が念として残り、それらがのろいにも祝福にも変化することがある。

 一種の自然発生的魔導具だ。

 それに、いかなる理由があっても、副葬品を持って帰って売り捌くのは盗掘と同じこと。違法だ。

「冗談だよ、冗談。どうする? この遺体。親族に事情を話して返した方がいいんだろうか。人間の、そういうマナーみたいなのは俺にはよくわからないからさ」

「どうだろう……。何か名前がわかるようなものあった?」

「うんと……」

 ピクロがミイラの身体を漁ると、装飾品の中から名前が刻まれたネックレスを見つけた。

「かなり削れてはいるが……。なんちゃら、ウル・カロイ……」

 いきなり読むのをやめたピクロを不思議に思い、アルカは近づいて行った。

「どうしたの?」

「これは人間の遺体じゃない。エルフの遺体だ」

「え……。でも、耳が……」

 ミイラの耳は丸く、人間のものに見えた。

「エルフだとバレれば、人間の盗掘者に狙われるからな。まだ人間に交じって生活していた時代のエルフどもは、遺体の耳を切って人間に見えるよう整形してから埋葬してたんだ」

「千年以上前の遺体ってこと?」

「そうだな。それも、かなりめずらしいぞ。これはハーフエルフだ」

「は、ハーフエルフ⁉ どうしてわかるの?」

「通常、エルフの遺体は経年変化しないからな。名前からするに、人間の王族と結婚したエルフが産んだ子供で……、この世で最後の半エルフだ」

「じゃぁ……」

「もう、こいつの死を悲しむ者は誰も生きていないってことだ。よしんば、エルフ側の遠い親戚が生きていたとしても、人間との間に生まれた子供の遺体なんぞ見たくもないだろうな」

 レムリア大陸爆撃は、エルフと人間の交流を消失させた歴史的悲劇でもある。

「このままの方が良いかもな。鯨と共に、砂の中を旅してまわれるし」

「そうだね。棺を見つけて、寝かせてあげよう」

 アルカとピクロは大量の砂の中から立派な石棺を見つけると、その中に入っていた黄金の棺にミイラを寝かせ、もう二度と蓋が開かないようしっかりと封をした。

「さっさと龍骨採って帰ろうぜ」

「お宝って言って探し始めたのはピクロだよ」

「そうだっけ?」

 とぼけるピクロに渋い顔をしながらも、アルカは龍骨の場所まで戻り、また掘り始めた。

(半エルフか……)

 身体に流れる異なる種族の血と力。

 アルカは自分に流れる二つのものを想った。

(望まれない存在として生きていくことになったら、わたしはこの世界をどういう目で見るようになるのだろうか)

 答えの無い問い。

 それこそ、大地を流れ続ける砂の行方のよう。

 出会うことの無い、周波数の違う鯨の歌。

「わたしのことみたいだ」

 採掘音に紛れて消えていく言葉。

 ただ一人、それに対して小さな声で頷く。

「お前を一人にはしないよ、アルカ」

 その言葉も、すべては砂のように流れていった。

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