第五話:砂

 陽が沈み、聖域外城塞都市デシェルにも夜がやってきた。

「さあ、出発だ」

 汽車の中、二段になっている寝台の横に備え付けられているテーブルセットの椅子に座り、大きな窓の外を眺めるアルカ。

 車体が動き出す。

 景色が後ろに流れていく。

 聖域外城塞都市デシェルから出た汽車に打ち付ける激しい雨が、最後まで流されなかった涙と重なる。

「アルカ。あんまり共感すんなよ」

「大丈夫。共感してあげられるほど、わたしはひとの心がわかるわけじゃないから」

「だから心配なんだよ」

 ピクロの言葉は車輪の音と雨音にかき消され、アルカには届かなかった。

 わからないからこそ、わかろうと努力するアルカの姿は、ピクロには痛々しく、つらそうに見えるのだ。

 毎回心に細かな傷を作っては、「難しいや」と、困ったように微笑む。

 傷つくくらいなら、分かり合えないことを受け入れてしまえばいいのに。

「もう寝ようぜ」

「わたしはシャワーを浴びて来る」

「魔法でちゃっちゃと済ませばいいじゃんか」

「便利な文明の利器があるならそれを使った方が良いじゃない。魔法使うより疲れないし。蛇口をひねればお湯が出るなんて最高でしょ?」

「そうかいそうかい。さっさと行ってこい」

 アルカは赫世空間鞄パラレルバッグから洗面道具と着替えを取り出し、シャワー室がある車両へ向かった。

 いくつか通り過ぎた個室。そのすべてから淡く光が漏れていた。

「ドヴェルグ鉄道の寝台列車だもんね。ワクワクして眠れないよ」

 とは言いつつも、アルカは乗り物酔いが激しい。

 さっさと寝る支度をして眠りにつかないと、翌朝酷いことになるのは目に見えている。

 目的地の月珠瀚海げつじゅかんかいまでは、最寄りの街、月珠げつじゅまで汽車を乗り継いで二十八時間かかる。

 今回はドヴェルグ鉄道で聖域外城塞都市デシェル間を移動するので、実際はプラス二時間かかる計算だ。

 一番近い聖域外城塞都市デシェルから月珠げつじゅまで箒で二時間。

 そしてそこから砂漠の採掘場、月珠瀚海げつじゅかんかいまで箒で三時間。

 長い道のりだ。

「着いた」

 アルカは棚から乗客用のタオルを取ると、空いているシャワーブースに入り、あたたかなお湯に身を委ね全身を洗ってから出た。

 仄かに香る石鹸のにおいがとても落ち着く。

 髪を乾かすのは面倒なので、水分だけ拭き取ってそのまま元の車両に戻った。

「うわ、髪傷むぞ」

「いいの」

 まだ濡れている髪のまま個室へ入って来たアルカを見て、ピクロは信じられないという顔をした。

「俺の毛並みを見て見ろよ! 美しいだろ? 毎日丁寧に手入れしてるからだぞ」

「手間をかける部分はひとそれぞれでしょ」

「まったく。外見に気を使わないとモテないぞ」

「いいんですー」

 ピクロは「見た目のいい奴はすぐそれに胡坐あぐらをかくからな。嫌だ嫌だ」と顔の前で手を振りながらぼやいた。

 アルカは「もう寝るよ」と言い、下の段のベッドにもぐりこんだ。

 頭付近にある小さな電灯を消し、布団にくるまる。

「俺も寝よっと」

 ピクロは上の段へと浮かびながら上り、電気を消して布団の上で大の字になった。

 二人とも寝つきは良い方だ。

 すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。


 翌日、十二時間に及ぶ汽車の旅を終えて降りた二人は、二時間の空き時間を利用して聖域外城塞都市デシェルで軽く食事を摂り、次の汽車へと乗った。

 今度は十時間。

 ほとんど寝て過ごした二人は、翌日の昼前に次の聖域外城塞都市デシェルに着いた。

 そこからまた汽車に揺られること四時間。

「やっと着いた……」

 さすがに寝ることが出来なかったアルカは、案の定乗り物酔いで体調を崩し、駅の椅子でうなだれている。

「今何時?」

「十四時過ぎだな。腹が減った」

「わたし今はちょっと……」

「わかってるよ。空飛んで気分転換すりゃ元気になるだろ」

月珠げつじゅまで、ここから二時間飛行するのかあ」

「ほら、行くぞ」

 よろよろと立ち上がりながら、赫世空間鞄パラレルバッグから箒を出すと、鉛のように重い身体を何とか動かして跨った。

「飛ぶぞー」

 ピクロについて行くように浮かんだアルカは、ゆっくりと上昇し、空へと飛びあがった。

「風は気持ちいいね。ちょっと暑いけど」

「これから行くところはもっと暑いからな。日焼け止め塗ったか?」

「うん。汽車の中で塗ったよ」

「えらい。帽子も被れ。直射日光は怖いからな」

「わかってるよ。わたしだって薬術師の端くれだからね」

「うんうん」

 ピクロの優しいお節介に、つい笑顔になってしまう。

 砂交じりの風に目をさらさないよう、二人はゴーグルを身に着けた。

「いざ、霞の外へ」

 煌めく靄のような結界から出ると、そこは一面砂の世界。

 砂を吹き出しながら泳ぐ小型のアラバスタホエールや、太陽の煌めきをその美しい半透明に見える身体に反射させて飛び交うセレナイトドルフィン。

 硬い鱗は染料としてもつかわれるほど色鮮やかなジプサムフィッシュ、バリスフィッシュ、セレスティンフィッシュなどの雪花砂魚せっかさぎょたち。

 カラフルな伝統装飾がなされたプロペラ付きのソリに乗った漁師たちが、次々に魚を捕まえていく。

 世界広しと言えど、砂の中を泳ぐことのできる種族はいない。

 皆、少しでも暑さをしのぐために、白を基調とした大きめの服に身を包み、頭には白い布を被り、革ひもやスカーフで結んで留めている。

「なんだか砂の上を花弁が舞っているみたいに見えるね」

「あのひらひら、全部おっさんたちだぞ」

「またそういうことを言う」

 情緒も何もないピクロの意見に呆れるアルカ。

 それでも、眼下に広がる景色は活気にあふれていて楽しい。

 漁師たちの母船は大きく、それらが砂の上に並ぶさまは壮観だ。

 捕まえた魚の鱗をはがし、粉状に潰して染料に。身は皮ごと骨と体液と共に絞り、魚油ぎょゆに加工する。

 それらは食品の色付けや、布の彩色、油絵などの美術用品としても重宝される。

 絞った後のかすは家畜の餌や農作物の肥料となる。

 雪花砂魚せっかさぎょは余すことなく利用できるのだ。

 ただ、これといった薬効はないため、薬にも毒にもならない。

 アルカの目には、砂漠の景色は新鮮に映った。

 ずっと写真や絵でしか見たことの無かったものが、目の前に広がっている。

「楽しいね」

「砂が毛に絡んでちっとも楽しくない」

 ピクロは自慢の毛並みに砂が入り込むことが不満なようだ。

「何かで身体を包めばいいじゃない」

「蒸気で防ごうとしたところで、砂が水分を含んで視界が悪くなるだけなんだよ」

「なるほどね。……しゃべると口の中に砂がっ」

「じゃりじゃりする! もう! 砂鬱陶しい!」

 二人は口に砂が入らないよう布で口元を覆った。

 黙り始めた二人だが、気づくと月珠げつじゅはすでに視界の中。

 口を開かない時間は数分ももたなかった。

「オアシスだ!」

「はやく宿探そう。ブラッシングしたい」

 速度を上げ、白い壁が聳え立つ、緑豊かな月珠げつじゅの門前を目指した。

駱駝らくだ! 初めて見た!」

「はしゃぐなよな」

 門近くに降り立ったアルカは、商人たちが荷物運びに連れている駱駝に目を輝かせた。

「ほら、俺たちも並ぼうぜ」

 ピクロに袖を引かれながら、入場待機列の最後尾へ。

「気を付けろよ」

「何を?」

 ピクロがはるか前の方を睨みつけた。

「前の方に、ダジボーグ王国の商人がいる」

「え、どうして……」

「いくら人間至上主義とはいえ、商売しなきゃ生きていけないからだろ」

 透澄トウチォンに行くときに乗った船で感じた嫌な視線。

 それをまた感じなければならないのかと思うと、さすがに嬉しくはない。

「アルカ、特にお前は魔王を生んだ翡翠国の魔人族。人間至上主義者たちにとっちゃ、同じ場所で息をするだけで反感を買う存在だ」

「わかってる。気を付けるよ」

 十分ほどで自分たちの番が来たアルカは、身分証と職業技能組合プランタのライセンスを見せ、門の中へと入って行った。

 ピクロも身分証を見せてはいたが、「猫ちゃんは大丈夫だよ」と言われてしまい、複雑な顔をしていた。

「俺も一応、根棲幻想種族こんせいげんそうしゅぞくなんだが」

「いいじゃん、猫ちゃんで」

「くそう」

 悪魔や鬼などの根棲幻想種族こんせいげんそうしゅぞくは、使い魔となった瞬間、そのあるじの存在が証明になるので、身分証が必要なくなるということは往々にしてある。

「それにしても、派手な場所だね」

 建物自体は室内を涼しく保つために白っぽい色のものが多いのだが、ステンドグラスや色とりどりの装飾品が目に楽しく、色がない場所が無いほど。

 オアシスというだけあって水も豊かに湧き出しており、建物の屋上庭園や足元の水路など、あらゆるところで清らかな水の香りがする。

 塀の内側はそのおかげもあってか外よりも涼しく、街を彩る花々も元気に咲き誇っている。

 暑さに敏感な小動物たちは日陰で眠っているようだ。

「……どこの宿も高そうだね」

「外観が豪華だからなあ。いくつか話を聞いてみて、一番安いところに泊まろうぜ」

「そうだね」

 大通りだけでも五つの宿屋の看板が見える。

 どうせ空を飛ぶので、交通の便などは気にしない。

 メインの通りから外れた宿で話を聞いて回ることにした。

 一件目は一泊一金べい。高い。

 二件目は一泊三銀貝。安いが少しボロさを感じる。

 三件目は一泊四銀貝。ただ、シングルベッドの部屋しか開いていないらしい。

「条件と合う宿ってなかなか難しいよね」

「しかも砂漠だからな」

 四件目、五件目、六件目……。

 そして、七件目。

「すみません。こちらはツインの部屋で一泊おいくらですか?」

「一泊八銀貝です」

「ああ……。なるほど。わかりました」

 ここも駄目かと思い帰ろうとすると、受付の男性が呼び止めてきた。

「あの、もしかしてどこか職業技能組合プランタに所属してますか?」

「はい。薬草採取プランタに。ここへも、そのお仕事で来ました」

「あ、じゃぁ、割引できます。ライセンスを見せてください」

 アルカがライセンスを差し出すと、男性は目を丸くした。

「え、最高ランクなんですか⁉」

「そう判断していただいています」

「かなり安くできますよ。えっと……、一泊四銀五銅貝でどうでしょう」

 ほぼ半額だ。

 それに、予算よりも五銅貝も安い。

「いいんですか?」

「もちろんです。出来れば、他のお仲間さんたちにうちのホテルをお勧めしてくださいね!」

「わかりました」

 アルカとピクロは、ツインで風呂トイレ別、独立洗面台、朝食バイキング付き、テラスのある最上階の角部屋を、三泊四日、一金三銀五銅べいで借りることが出来た。

「朝食は朝四時から十時で、最終日のチェックアウトは十一時です。お部屋の清掃が必要ないときは、こちらの札をドアノブにかけておいてください。アメニティの補充分を籠に入れてお部屋の外にご用意させていただきます。本日はもう十五時を過ぎておりますので、このままチェックインできますよ」

「あ、じゃあ、お願いします」

「では、こちらが八階の八〇五号室のカードキーです。お運びするお荷物はありますか?」

「大丈夫です」

「何かご不明点などありましたらお気軽にお尋ねください」

 アルカはカードキーを二枚受け取ると、ピクロと一緒にエレベーターに乗って八階へ向かった。

「わ、廊下広いね」

 左右に並ぶ落ち着いた色合いのドアには、それぞれ番号がつけられている。

「……げ。嫌な感じ」

 その中の一つ、八〇一と書かれた扉には、『人間以外立ち入り禁止』という札が掛けられていた。

「ダジボーグの奴らと同じ階とか最悪だな」

「ちょっと、ピクロ。それも差別だよ」

「この札見てそれを言うかお前は」

「仕方ないよ。彼らの過剰な自衛手段にはこっちだって関わりたくもないもの」

「気にするだけ無駄ってことか。はあ、嫌だ嫌だ」

 不機嫌なピクロの背を優しく押しながら、アルカは自分たちが借りた部屋へ向かった。

 カードキーを差し込み、ドアを開ける。

「素敵なお部屋だよ」

「……なかなかいいじゃねぇか」

 生成り色で統一された内装に散らばるカラフルな調度品。

 元気が出る配色に、大きな窓。

 早速カーテンを開けると、青い空と街の景色、そして砂漠が一望できた。

「ここにしてよかったね」

「それには同意する」

「さっそく行く?」

「行ってみるか」

 二人はそれぞれ順番にシャワーを浴びて砂埃を落とすと、アルカは耐熱耐寒の魔法がかかった衣服に着替えた。

 ゴーグルをつけ、口元を布で覆う。

「わたしの後ろに乗れば少しは砂から身を護れると思うよ」

「いや、いい。どうせ帰ってきたら洗うしな」

 二人はテラスへ出ると、アルカが指先から出した魔法陣で硝子戸に鍵をかけ、空へと飛び立った。

 採掘場がある月珠瀚海げつじゅかんかいまでは三時間。

 今出れば、だいたい十九時ごろに着く。

 その頃には陽も沈み、涼しいどころか寒くなっているだろう。

「暑い中で熱い砂に触れるよりはいいよね」

「夜に掘っちまおう」

 目当ての龍骨りゅうこつは砂の遥か下にある地層部分に埋まっている。

 アルカが所属している薬草採取プランタが権利を保有している採掘場は三つ。

 入れる場所はランクによって振り分けられている。

 同盟国内で使われている通貨のべいと同じく、ランクは下から『すず』『銅』『銀』『金』と分かれていて、アルカはさらにその上の最高ランク、『ぎょく』。

 『玉』に選ばれているのは、職業技能組合プランタに所属する一パーセントほどしかいない。

「わたしはどの職業技能組合プランタの採掘場でも出入りしていいみたい」

「そりゃそうだろ。ただし、何かしなくちゃいけないんだよな?」

「そう。法的拘束力はないけど、救助活動の努力義務っていうのがあるよ」

 最高ランクの探索者サーチャーは、行動範囲が広い代わりに、災害時に救出任務に就く努力義務がある。

 これは同盟国内ならばどこの国に居ようと同じだ。

「変な言葉だな、努力義務って」

「義務にしちゃうと、誰も『玉』を目指さなくなっちゃうからね。それは国からしても困るんじゃない?」

「たしかにな。危険地域に貴重なものを採取しに行ってくれて、金にもならない人助けも率先してやってくれる人材いけにえは大事だもんな」

「ちょっと、不穏な言い方しないでよね」

 溜息をつき、ふと顔を上げると、目の前に雄大な砂漠の海原が飛び込んできた。

 陽が沈み始め、黄金に染まる空。

 暑い空気に冷たさが混ざり始める。

 悲しいほどの光の煌めき。

 太陽が地平線へ近づき、その輝きはまるで一日の最後を告げる鐘の音のように空気中に響き渡る。

「綺麗だ」

 目まぐるしく色が変化していく。

 風が吹くたび、空の色が変わる。

 水色混じりの橙から紫苑しおん、そして濃紺へ。

 天空には星辰せいしんが瞬き、北には紫微星しびせい

 大気が激しく動いているのか、星が余計にキラキラと揺れて見える。

 雲一つない空。

 世界にただ一人、取り残されたような視界。

 産まれた時のように。

「まったく、感傷的な奴だな」

「あ、ああ、ごめん」

 ピクロの言葉で、視界が現実的なものに変わっていく。

 眼下には松明が焚かれた採掘場が広がり、昼間のように明るい場所もある。

 その中に一つ、危険を知らせる黄色い点滅ランプが掲げられた所を見つけた。

「救援に行かなきゃ!」

 急いで降下する。

 すると、その採掘坑道の前では、数名の探索者サーチャーたちが複雑な表情で立ち尽くしていた。

「あの、状況は……」

 一人が坑道の上部に掲げられた看板を指さした。

「そんな……」

 そこに書かれていたのは、あの文言だった。

『人間以外立ち入ることを禁ずる』

 ダジボーグの職業技能組合プランタが所有する採掘場だった。

「俺たちには助けてほしくないんだってよ」

「入ったらきっと撃たれるぜ」

「どんな種族でも、銃弾が心臓に達すれば死ぬからな」

 集まっていた探索者サーチャーたちは口々に救わなくていい理由を述べ、立ち去って行った。

 残ったのは下位の人間の探索者サーチャー数名と、アルカたちだけ。

「ここは……、金ランク以上しか入れないのか」

 ピクロが呟くと、人間の探索者サーチャーたちはうつむいてしまった。

「みなさんは……」

 アルカがたずねると、何人かが申し訳なさそうに顔を上げた。

「僕たちは銀と銅です。だから、救援に向かいたくても、力及ばず二次被害になることが考えられます」

「あの、あなたは」

 すがるような目で人間の女性がアルカにたずねた。

「わたしは玉です。でも……」

 アルカが話そうとすると、ピクロが人間たちを突き放すように言った。

「俺らは人間じゃないんでね。残念だったな」

 すると、人間の女性が泣き出してしまった。

「婚約者が中にいるんです。彼女は確かにダジボーグ人です。でも、でも……」

 人間の探索者サーチャーたちはそれ以上何も言えず、ただただうつむくばかりだった。

 アルカは深呼吸を繰り返すと、人間の探索者サーチャーたちに向かって聞いた。

「この看板に、法的効力はありますか?」

 どよめきが起こった。

「あ、ありません。信仰の自由は国際法で保障されておりますが、それはあくまで精神上のこと。人種差別につながるような教義の行使は認められていません」

「では、関係ないってことですね」

 アルカは微笑むと、坑道の上部に掲げられている不愉快な看板を魔法で燃やし、「人間の金ランク以上の探索者サーチャーを探しておいてください」と告げ、中へと入って行った。

「お人好しめ」

「ピクロに言われたくないよ」

 目に暗視の魔法陣を付け、暗い中を進んでいく。

 砂埃が舞っている。

 足元に転がる瓦礫は、崩落した箇所から跳んできたものだろう。

「きっと感謝なんてされないぞ」

 嬉しそうなピクロの声。

「必要ないよ。どうせ助けても、人間はわたしより早く死ぬ。それでも……」

 わずかな空気の揺らぎ。酸素が薄くなっているのだろう。

 気温が下がるにつれて、生存率は下がっていく。

「手が届く場所にいるなら、差し伸べ続けたい」

 微かだが、血のにおいがする。

「俺はお前しか護らないからな」

 優しい言葉。

 ピクロがいれば、アルカは全力を出せる。

 自分の命を心配しなくていいから。

「血だ。奥に続いてる」

 足元に点々と続く複数人の血と、崩れた天井。

 時折、細かい振動が坑道内を揺らし、今にもまた崩落が起こりそうな雰囲気。

 アルカは足から魔法陣を出し、床に転がる瓦礫を砂に変えていく。

 右てのひらから出した魔法陣は天井に張り付き、今以上の崩落が起きないよう補修していく。

「うっ……」

 流れてきたにおいが示すのは、大量出血。

 これが一人分ならば、助からないかもしれない。

 アルカとピクロは急いだ。

「声が出せないんだ。崩落を恐れて」

 アルカが通るたび、天井に魔法陣が張り付き、崩落した瓦礫は粉と消えていく。

「発光させよう」

 アルカは左眼から光り輝く魔法陣を出し、坑道の奥の方まで並べていった。

「……人の声だ」

 突然の光に驚いた誰かが声を上げたようだ。

 アルカは急いで声のした方へ走っていく。

「な、何者だ!」

 向けられた銃口。

 うずくまるように怯える十二人の人間たち。

「魔人族で申し訳ありませんが、助けにきました」

「こ、ここ、ここは、人間以外立ち入り禁止のはずだ!」

 興奮する男性の後ろでは、背中から大量に血を流す女性の姿。

 他にも、怪我をしている探索者サーチャーが五人はいる。

「お、お前なんぞの助けは借りん! 穢れた魂を持つ者め! 私たちはここで人間の助けを……」

 ピクロがアルカの口元に酸素の塊を付けた。

 すると、その数秒後、バタバタと人間たちが気絶して倒れた。

「うるせぇ奴はねんねしな」

「相変わらず強引だね」

「お前が調合した麻酔薬をちょいと嗅がせただけだ。ほら、全員連れ出そうぜ」

「待って。あの背中を怪我している女性はここで止血しないと助からない」

「わかったよ」

 アルカは女性に近付くと、背中側の服を切り、傷口を拭き、裂けた太い血管を魔法の糸で縫合し、止血を施した。

「応急措置だけど、なんとかなりそう」

「行こうぜ」

 胸から大きな魔法陣を出すと、全員を乗せ、浮かせた。

 そのまま出口まで進んでいく。

 灯りが見えた。

 外へ出ると、人間の金ランク探索者サーチャー三人が大きな車とともに待っていた。

 銀と銅の人たちは帰されてしまったようだ。

「これ、君が一人で⁉」

 重装備の男性が驚愕の表情を浮かべてアルカにたずねた。

「歓迎はされませんでしたけど」

 困ったように笑うアルカの表情から察したのか、男性は突然頭を下げた。

「ありがとう。彼らに代わって礼を言うよ」

「あ、そ、そんな……。顔を上げてください」

 男性は姿勢を戻して微笑むと、「あとは俺らに任せてくれ」と、眠ったままの十二人を次々に車へと運び入れた。

 アルカとピクロは車を見送ると、坑道の前に『崩落中のため立ち入り禁止』と看板を立てた。

「魔法は万能じゃないし、永遠じゃない」

 坑道の中で魔法陣が消え、また崩落が始まった。

 地鳴りのような音がする。

「止血に使った糸はどのくらいもつんだ」

「わたしの魂が消滅するまで」

「医者が血管を繋げたら解け。疲れるぞ」

「わかってるよ」

 救い出すときに彼らから向けられた恐怖と唾棄だきがこもった瞳。

 それに対して沸き起こった感情に、罪悪感が募っていく。

「救ったことを後悔してるか?」

「ううん。それはない。でも、不愉快に思うのは自由だよね……」

「もちろんだ。俺もムカついたもん」

 ピクロの小さな手、というか前足が、アルカの頭を優しくなでる。

 ふわふわで柔らかなぬいぐるみの肉球。

 それなのに、どうしてこんなに大きく感じるのだろう。

 凍てつく風が頬を撫ぜる。

「行けるか?」

「うん。大丈夫」

 アルカはまた箒に跨り、空へと飛びあがった。

 白い月が照らす、闇の中へ。

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