第四話:風

 海陽ハイヤンに来てから一週間経ち、それなりに慣れてきた今日この頃。

 未明から雨が降り始め、早朝になると本格的な嵐となった。

 そんな中でも、長期滞在先として借りた宿から職業技能組合プランタへと向かうアルカ。

 薬舗の人達とはだいぶ打ち解けてきたこともあり、通うのが日課になっている。

「アルカくん、今日は行かなくてもいいんじゃない?」

 いつものように受付へ行くと、仲良しのスタッフが駆け寄ってきた。

 烏化種族の白露バイロウは、小首をかしげながら不安そうに渋い顔をしている。

「大丈夫ですよ、このくらいの風雨なら」

 濡れた服を胸から出した魔法陣で乾かしながら、アルカは微笑んだ。

「強いのは知ってるけど、自然には敵わないよ」

「でも、稼がないといけないので」

「結構報酬貰っている方だと思うんだけどなぁ。ベリルも全部売ったんじゃないの?」

「いやぁ、結構いいところを滞在先に選んでしまったので……。家賃が嵩むんです」

 困ったように微笑むアルカに、白露バイロウは「ううん……」とまだ心配そうに眉尻を下げている。

「たしか、防護室付きのところだっけ」

「そうです。魔法の修練と調薬も続けたいので、丈夫な部屋が必要で」

「そうかあ……。じゃぁ、今日は安全だけどちょっと面倒くさくて高単価なお仕事を渡すね」

「助かります」

 白露バイロウが渡してくれた地図と仕事の内容が書かれた紙を持ち、アルカは空いているテーブルを探して席に着いた。

 すると、まだ寝ぼけているのか、ふらふらと浮かびながらピクロがプランタへとやってきた。

「なんでおいて行くんだよお」

「声かけても起きなかったじゃん」

「え? そう?」

 ピクロはアルカの前、机の上に本物の猫のように丸まると、また寝息を立て始めた。

「別に布団で寝ててもいいのに」

 アルカは呆れつつも、来てくれたことが嬉しくてつい頬が緩んでしまう。

 ピクロに赫世空間鞄パラレルバッグから出したブランケットをかけ、自分は薬舗の人が用意してくれた茶を飲みながら、説明書を読んだ。

「あ、竜骨じゃなくて龍骨か」

 通常、生薬で竜骨と言うと、大型哺乳類の化石化した骨を指すことが多い。

 主な効能は中枢神経抑制作用で、不眠などの症状に用いられる。

 大昔の人々が骨の化石をすべて恐竜やドラゴンのものだと思っていたことから、『竜骨』と今でも呼ばれている。

 ただ、今回探すのは『龍骨』だ。

 翡翠国と海陽ハイヤン帝国には龍神族りゅうじんぞくという種が存在し、彼らは息絶える瞬間神力を放出しながら、鋼よりも硬い流麗な鱗を纏い、体躯の長い荘厳な『龍』の姿になる。

 その遺体が地質や気候などの条件が揃うと化石化し、貴重な『龍骨』が採れるようになるのだ。

「それが砂漠ってわけだね」

 地図で印が付いているのは『月珠瀚海げつじゅかんかい』という場所らしい。

 海陽語では『月珠瀚海ユェヂュハンハイ』と読む。

「結構遠いなあ」

 西に向かって汽車を乗り継ぎ、約二十八時間で最寄りの街に着く計算。

 そこから採掘場まではほうき移動で三時間。

 ただ、単価はものすごく魅力的だ。

「龍骨百グラムで五十金貝きんべい。家賃三ヶ月分くらいにはなるかな」

 家賃は前払いで三ヶ月分払ってある。

 ここをしばらくの拠点とするのなら、半年は腰を据えたいところ。

「もっと採るんだろ?」

 目の前で丸まっている塊から眠たげな声が聞こえてきた。

「あ、起きたの?」

「お前の独り言がうるさくてな」

「あはは。ごめん」

 アルカはピクロの気怠そうな身体を撫で、「でもなあ……」と呟いた。

「あんまり長居しない方が良さそうな場所なんだよ」

「……ああ、ダジボーグとの国境近くなのか」

 ダジボーグ王国は人間至上主義を貫いている国家で、国を挙げて一つの宗教を信仰している。

 それが信者数世界最大のコムルクス教。

 主祀神しゅさいしんはフィリルジスで、宗派は主に二つある。

 伝統と革新のユニヴァセーラと、聖典に基づく多様な教義を展開しているロジフだ。

 ダジボーグでもっとも多いのが、ロジフの中でも人間至上主義を謳う教会、『ダジボーグ一針いっしん教会』。

 その聖典の中にある『フィリルジスの慈悲』は、他種族には適用されないという解釈で成り立っている。

「お前ら魔人族と人間なんて見た目はそう変わらないじゃないか」

「そうなんだけどね。どうも、ダジボーグの人たちはそれも嫌みたいだよ」

「めんどくせぇな」

「世の中なんてそんなものでしょ」

 アルカは師匠が教えてくれた世界の話で、たくさんの差別の歴史に触れてきた。

 差別する理由は様々だが、一番多いのは『恐怖』からくるもの。

 自分とは違う者に対する無知ゆえの恐怖。

 受け入れる度量がないことからくる変化への恐怖。

 視野が狭いことを自覚できない高慢なプライドのせいで、世界の広さを暗黒だと感じてしまう恐怖。

 それらの恐怖が集まると傲慢に変わり、やがて怒りへと退化していく。

 人々は『恐れ』が募ると攻撃的になるのだ。

「ただよ、差別されてきたお前たちが諦めたらだめなんじゃないか?」

「諦めているのは差別主義者たちの方だよ。僕らのような他種族との対話を止め、一国に引きこもっているんだもの。そんな人たちと、わざわざ関わる必要ある?」

「まあ、それもそうだな」

 第一次異種族間戦争では、魔人族が主な標的となり、『魔女狩り』という名の公開処刑が多く行われた。

 その血を飲めば魔力を授かれるという噂も流れ、たくさんの魔人族の子供が犠牲になったらしい。

 そのせいで、『魔王』などという存在が生まれ、世界を滅ぼしかけたのだ。

 第二次異種族間戦争では、獣化種族が標的となり、強制収容所で大量に殺され、その遺体から剥ぎ取った素材でたくさんの衣料品や化粧品、薬品などが作られたという。

「師匠が言ってたよ。『もし第三次異種族間戦争が起ころうものなら、魔人族の過激派は全員アヴァロン島から出撃し、人間を根絶やしにする覚悟でいる。その時、シンボルとして使われるのが魔王だ。一つの種族が消えたからといって、争いはなくならない。次の差別や怒りが生まれるだけだ。だから、戦争なんぞ起こしてはならんのだ』って」

「勇者の娘らしい言葉だな」

「ふふ。ピクロはいつも良いほうで言ってくれるね」

「事実だからな」

 ピクロは優しく微笑みながら、心の中では複雑な感情が渦巻いていた。

 『魔王』は人間から見た時の呼び名。

(あの時、確かにあいつは英雄だった。人間の支配から、我々の誇りを取り戻したのだから)

 でも、それをアルカに伝えることはしなかった。

 善良さがいきすぎれば、それもまた、攻撃性となることを知っているからだ。

「で、砂漠には今日出発するのか?」

「うん。ちょっと高いけど、普通の汽車は全部運休だから、ドヴェルグ鉄道で行こうと思ってる」

「ドワーフどもの鉄道会社か」

 ドワーフやエルフは神造しんぞう幻想種族に属している。

 ただ、血族という点で言えば、魔人族と神造しんぞう幻想種族は同じ『古アールヴ族』を祖としている。

 光のアールヴから派生したのが長身で呪術と祝福に優れた端麗なエルフ。

 闇のアールヴから派生したのが筋骨隆々で製造技術に優れた剛力のドワーフ。

 そして、影のアールヴと人間の間に出来たのが、魔法と魔術に優れた魔人族である。

 共通しているのはいずれも長命であることだけ。

 古アールヴの純血であるエルフとドワーフは、それぞれの領域からは滅多に出てこない。

 彼らの多くは、妖精や仙子せんしなどが開いている聖域外城塞都市デシェルでの商いで生計を立てている。

 今回、アルカが乗ろうとしているのは、その聖域外城塞都市デシェルを繋ぐ鉄道である。

「じゃ、さっそく行くか」

 ピクロは完全に目が覚めたようだ。

 アルカの手から魔力を掴んで引きちぎり、まるでパンのように食べながら立ち上がった。

「お前、また魔力の生成量が増えたな」

「育ち盛りだからね」

「ふうん」

 二人は混雑し始めた三階から一階へと降り、雨風が吹き荒れる中、箒に跨った。

 濡れないよう、背中から水泡の魔法陣を出して全身を包む。

 ピクロは灼熱の蒸気の膜で全身を覆い、吹き付ける雨を蒸発させていく。

「飛ぶぞ」

 ピクロの合図で空へと飛びあがる。

 風が強く、少しバランスを保つのが難しいが、なんとか駅までは行けそうだ。

 海陽ハイヤン帝国の首都煌安こうあんから一番近い聖域外城塞都市デシェルは、仙子せんし族が住んでいる幻日げんじつ渓谷の上流にある。

 そこは一年中過ごしやすい気候で、連日商人や観光客でにぎわっている。

 こういった嵐の日には、周辺のむらから民が避難してくることもあるほど、穏やかな土地なのだ。

 風雨が吹き荒れる中、飛ぶこと一時間。

 目的地が見えてきた。

「やっとだね。降りようか」

「はやく休憩しようぜ」

 聖なるかすみに護られた境界の中へ入って行くと、そこには、確かに存在するのに夢でも見ているような、そんな不思議な感覚を覚えるほど美しい景色が広がっている。

 玻璃はりで出来た風鈴のような音を奏でる果実が成る銀色の木や、本物の金魚のようにくうを泳ぐ花。

 万華鏡のように羽ばたくたびに煌めきを変える蝶が振り撒く甘い香りに誘われ、純白の小鳥が可愛らしい声で鳴いている。

 二人は降り立つと、身体の周囲にかけていた魔法を解き、そのまま駅に向かって大通りを歩き始めた。

「おしゃれなお店がいっぱいだ。……結構人間多いんだね」

「半分くらいは亜人あじんだと思うがな」

 聖域外城塞都市デシェルには差別はないが、明確な区別は存在している。

 まず、なんの能力も持たない人間は入ることが出来ない、というよりも、聖なる霞に順応することが出来ず、視認することすら不可能だ。

 聖域外城塞都市デシェルに来ている人間の中でも純血の者は、霊能力などの特異な力を持っている場合が多い。

 それ以外の人間は、他種族との交わりによって生まれた半人、いわゆる『亜人』と呼ばれる者たちである。

 『亜人』は、親から受け継いだ能力の一部しか再現することのできない人々のことを指す。

 例えば、獣化種族は身体を自由に獣化出来るのに対し、亜人は身体の一部しか獣化させることが出来ない。人間との間に生まれた子供でも、身体のすべてを自由に獣化することが出来れば、その子供は獣化種族とみなされる。

 つまりは、生まれ持った能力次第で他者からの認識され方が変わるのだ。

「お師匠様から習ったけど、あんまり『亜人』って言葉は使わない方が良いらしいよ。十年くらい前から、『稀人きじん』って呼ぶのが一般的なんだってさ」

「あれだろ? 蔑称だとかなんとかってやつ。本当、面倒くせぇよな」

「時代と共に常識は変わるから仕方ないよ。どうせ区別されるなら、呼ばれたい名称がいいじゃない」

「魔人族はどうなんだよ。あんまりいい意味じゃないと思うけど」

「そう言われてもなあ。気にしたことないや」

 今更呼び方を変えられても困ると考えている種族も多い。

 呼称への感じ方も、種族それぞれということだ。

「わ、駅だよ。格好いいなぁ」

 七色に揺らめく蒸気があちこちから吹き出し、巨大な歯車が一分の狂いも無く回転している。

 武骨な真鍮色の管が煉瓦の建物を巡り、無色透明の強化硝子が艶々と光を反射し、まるで要塞のような雰囲気だ。

「まさに、スチームパンクって感じだね」

「なんだそれ、若者言葉か」

「ちがうよ。ピクロは本読まないの?」

「文字だけを目で追って何が楽しいんだ」

「はいはい、そうだね」

 ドヴェルグ鉄道の汽車は、石炭に精霊石を混ぜた特別な燃料で走っている。

 汽車自体も人間や獣化種族が作るものよりも頑丈だが、馬力の強さは桁違いだ。

 そのため、どんなに悪天候でも安定した走行が可能なのだ。

 アルカは自分とピクロの分の切符を買い、一度駅から出た。

「出発までまだ時間があるから、色々見て回ろうか」

「そうだな。ここにはエルフどもが住んでるアルフヘイムルや、死者の国ニヴルヘイムルでしか採れない薬草や毒草なんかも売ってるからな」

「お師匠様から分けてもらった薬草だけじゃ足りなくなりそうだったから、ちょうどいいね」

 二人は大通りを歩き、エルフが営む薬草店へと入って行った。

 真っ白な建物に蔦が絡み、とても雰囲気の良い外観。

 扉を開けると、カランコロンと小さな鐘の音が鳴る。

「おや、珍しいお客さんだね」

 青みがかった銀髪が浅黒い肌に良く映えている美しい男性店主が、柔和な笑みを浮かべている。

「魔人族はあまり来ないのですか?」

「というよりも……」

 店主がピクロを見つめ、少しだけ口元を歪めたが、何かを察したのか、その先は口にはせず、言葉を選んで話した。

「君のように魔力が膨大な魔法使いはそうそういないからね」

 アルカは店主の態度を不思議に思いながらも、店内に並ぶ薬草を見て回った。

 そしてある棚の前に立ち、一瞬顔をしかめた。

「毒草はどこにありますか?」

「私の後ろの棚にあるよ」

 ピクロが近づいてきた。

「どうした?」

 アルカは限りなく小さな声で、口元を動かすことなく話した。

「ここにある夢花緑青ゆめはなろくしょうの中に、水曜日じゃなくて他の曜日に摘んだものが混ぜられているんだ」

「それが何か問題なのか?」

夢花緑青ゆめはなろくしょうは水曜日の月明かりの中摘まないといけない薬草なんだ。それ以外の日に摘めば毒草になる。それも、人間にとっては花弁一枚摂取しただけで意識がなくなるほどの猛毒のね。エルフが知らないはずないよ」

「混入しちまったってことはないのか?」

「ない。薬術師なら、においですぐに判別できるから」

「わざとなんだな」

「そう思う」

 ピクロは小さくため息をついた。

 かつて、この世界にはレムリアという大陸があった。

 そこには、アルフヘイムルから出て人間と関わろうと努力していたエルフの一族が住んでいた。

 だが、百年前の第二次異種族間戦争で、人間はレムリアに三発の核爆弾を落とした。

 理由は、エルフたちの持つ呪術の力を恐れてのことだった。

 住んでいたエルフは大人から子供まで全滅し、レムリアは大地も水も汚染され、死だけが漂う不毛の地となった。

 それ以降、エルフは人間を知ることも、共に生きることも諦め、アルフヘイムルから出ることはなくなっていった。

 現在生きているエルフの中には、レムリアに家族や親戚がいた者も多く、まだ心の傷は完全に癒えたとは言えない。

 アルカは静かにすべての毒化した夢花緑青ゆめはなろくしょうを籠に入れると、他の薬草とともに店主の元へと持っていった。

「いっぱい選んでくれてありがとう」

「ちょうど足りなかったので」

 店主は金額を計算しながら、夢花緑青ゆめはなろくしょうの束を手に取り、ふっと自嘲気味に顔を歪めた。

「浅ましいと思うかい?」

 悲しい声。

 アルカはそっと首を横に振った。

「でも、薬術師としては、許されることではありません」

「わかっているよ。実際に毒草を混ぜて売ったことは無いんだ。ただ、それでも……」

 完璧に想像することなどできない。

 悲しみは深いほど、戻ってくることが出来なくなるものだから。

「姉夫婦の遺体は放射能の汚染がひどく、アルフヘイムルへ連れ帰ることも出来なかった。今もまだ、レムリアの汚れた土の下にあるんだ。冷たく、永遠に花など咲かない場所にね」

 薬草を包む紙の音だけが店内に響く。

 草花の清らかな香りが満ちる空間に、ひどく痛みを伴う悲しみが漂う。

「全部で五銀べいと八銅べい夢花緑青ゆめはなろくしょうの分はひいてある。もしよければ、また来てほしい。見て見ぬふりをするひとが多い中、君は私の愚行を止めようとしてくれたから」

「また来ます。それにどんな理由があっても」

「ありがとう」

 アルカはべいを払い、包をすべて赫世空間鞄パラレルバッグにしまうと、店から出た。

 頬を撫ぜる風は優しく、誰にでも等しく吹いている。

 火薬のにおいも、血のにおいもしない。

 ただただ穏やかな風が、吹いている。

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