第一話:月草の命

 残念ながら、「わたし」は恋をした。

 遺伝子操作も、投薬も、何の意味もなかった。

 わたしのクローンたちはみなオリジナルわたしとは違い、恋をすることができるようだ。

 困ったことになった。また処分しなければならない。

 そう思っていた矢先、実験体0012が逃げ出してしまった。

 彼女には0001から0011までの記憶がすべておさめられている。

 言わば、わたしの実験データそのもの。

 そこには、絶対に作ってはならないもののリストも含まれている。

 その筆頭が『子供』。

 三百二年前、アヴァロン島で行われた預言者の集いで、当時まだ生まれたばかりの赤子だったわたしに下された予言。

――蒼き月が昇り、太陽の女神が没するとき、この娘が孕みし影の子が、世界を滅ぼす力を得るだろう。

 島の老人たちは口々に噂した。

「純血の影のアールヴが、世界にわざわいと祈りの渦を巻き起こすぞ」と。

 それによって、わたしはずっと命を狙われてきた。

 わたしさえいなくなれば、予言は実現しないからだ。

 しかし、わたしは怪我こそするものの、命を奪われることはなかった。

 なぜなら、『魔王』を産むことを運命づけられたこの身体は、あまりに強すぎたからだ。

 自ら命を棄てようと藻掻いても、意のままになることはなかった。

 わたしと同程度の強さを持ったクローンわたしでなければ、オリジナルわたしを殺すことが出来ないのかもしれない。

 急がなければ、世界が滅んでしまう。

 運命の女神が定めた法により、わたしは絶対に妊娠することになっている。

 それがいつになるかはわからない。

 最終的には、処女受胎させられることもあり得る。

 それまでに、わたしを殺すことのできる完璧な「わたし」を作り出さなければならない。

 最悪なのは、逃げ出した0012が恋をして相手を愛し孕むこと。

 そうすれば、二人目の『魔王』が誕生してしまう。

 焦りが募る。

 残っているのは0013が入った培養ポッドだけ。

 これが失敗なら、もうあきらめるしかない。

 アラームが鳴る。

 クローンが完成したようだ。

 わたしはポッドを開け、中から「わたし」を取り出した。

 時間がなく、焦って作ったため、幼い。

 五歳かそこらの時の「わたし」だ。

 魔人族の寿命は人間の何倍もある。

 成熟した個体を作ろうとすれば、それこそ数十年単位で時間がかかってしまう。

 その最後が0012だった。

 逃げ出されてしまったあと、予備として用意しておいた0013はたった三年しか時間をかけることが出来なかった。

 与えることが出来たのは、不自由ない程度の言語能力や計算能力、生活に必要な基礎知識、ある程度の倫理観と常識という名の社会規範。

 そして、強力な魔法の力だけ。

 0001から0012までの実験データも、わたしの膨大な人生経験も、この世界の深淵も、何もインストールすることは出来なかった。

 目の前でうずくまっているそれわたしは、まだ深く眠っている。

 アドレナリンを打ち、強制的に目覚めさせる。

「かはっ! ……ここは?」

 わたしは焦ってばかりで、失敗してしまったようだ。

 目の前でゆっくりと立ち上がった「わたし」は、男児だった。

「えっと、その……。わたしはいったいなにものなのでしょう?」

 違う。

 慌てて天井近くにある窓から外を見た。

 夕方に霞棲かせい幻想種族の婚姻の儀式があり、大気中に妖精の粉が大量に残っている影響で、今夜はひどく冷たく感じるほどの蒼き月ブルームーン

 太陽はすでに沈んでいる。

 脳内で警鐘が鳴り響いた。

 勘が告げる。

 これは「わたし」ではない。息子だ、と。

 あろうことかわたしは、『魔王』のクローンを作り出してしまったようだ。

 わたしは馬鹿だ。

 今更気付くなんて。

 孕む必要などなかったのだ。

 こうして、『息子』を生み出してしまったのだから。

「あの、なにかきるものがあればうれしいのですが……」

 わたしは手近にあった実験体用の簡易な衣服を渡した。

 まったく拍子抜けだ。

 邪悪な要素が何一つない。

 目の前の子供は、本当に『魔王』になどなるのだろうか。

「あなたのことはなんとおよびすればいいのでしょう」

 ここで、わたしはある一つの可能性を思いついた。

 強大な闇の力同士をぶつければ、それらは相殺し、世界を滅ぼさずに済むのではないだろうか。

 幸いにも、目の前の男児は五歳。

 0012がどんなに早く子供をもうけたとしても、五年以上のアドバンテージがある。

「あの……」

 わたしは自身の身分を隠し、この『息子』と接することにした。

「わたしのことはお師匠様と呼びなさい。今日からお前はわたしの弟子だ」

「よ、よろしくおねがいいたします。おししょうさま」

 何をするにも、まずは名前が必要だ。

 わたしは本棚からいくつかの書物を呼び寄せると、パラパラとめくり、目に留まった単語を読み上げた。

「お前の名は……、アルカ。アルカ・ナイトシェイドだ」

 自分の子供につけるには少々趣味が悪く縁起も良くないが、それもまた仕方のないこと。

「わたしは、アルカというのですね。ということは、ナイトシェイドはみょうじですね。おぼえました」

「今日からお前を鍛える。この世界で、最高の魔法使いになってもらうぞ」

「はい! がんばります」

 こうして、わたしとアルカの生活が始まった。

 それもすべて、逃げ出した0012と後に生まれ出でる『魔王』を殺すために。

 何故なら、このわたしこそが、千年前に世界を滅ぼしかけた魔王と、それを封印した勇者の間に生まれた、一人娘なのだから。





 穏やかな雨が降っている。

 初秋にしては少し肌寒いが、夏の暑さが緩和されたことは喜ばしい。

 ここ、翡翠ひすい国は世界地図でもやや北東に位置する島国であり、一年を通して気温はあまり上がりにくい。

 それでも、夏場は三十度を超える日もあるため、寒いことに慣れている人々にとっては厳しい季節。

 それが終わりを告げたのだから、みな胸をなでおろしていることだろう。

 そんな翡翠国の北にある黒晶森こくしょうもりに、誰も近づかない大きな屋敷が建っている。

 噂では、災厄の魔女が住んでいるという。

 翡翠国には珍しい、煉瓦と暗色の石造りの城塞風家屋。

 時折若者たちが肝試しにやってくるが、誰も屋敷に近づくことは出来ず、気づくと森の外へと追い出されているらしい。

 そんな謎に満ちた不気味な屋敷の中では、今まさに、一人の美しい女性と、眉目秀麗な若者が話していた。

「お師匠様、本当にいいのですか?」

 天上の高い室内には、見渡す限り品のある調度品が並び、机も椅子も重厚でよく手入れが行き届き艶々としている。

 茶色いフローリングに敷かれたカーペットには緻密な模様が施されており、とても雅だ。

 大きな窓からは森の景色と陽光が降り注ぎ、とても温かい。

 純白のレースと深紅のベルベッド生地のカーテンが、焦げ茶色を基調とした内装に良く似合っている。

「ああ。そろそろお前も独り立ちする頃だろう、アルカ。練習期間も、ある意味無事に終えたしな」

 カーテンと同じ深紅のソファに腰かけた女性、もとい、災厄の魔女は、黒いレースのマーメイドドレスに身を包み、美しい銀髪を目と同じ色のロイヤルブルーのリボンでまとめ、優雅に茶を楽しみながらソファでくつろいでいる。

 対してアルカと呼ばれた青年は、形の好い眉と唇を寂し気に曇らせながら、眼鏡の奥で輝く赤い目で女性を見つめ宙に浮いている。

 大きな窓からは丸見えだが、外からこちらを覗くものは何一つない。

「ソファに座りなさい。まったくお前は子供の頃から何も変わらないな。髪も結べ。結ばないなら切れ」

「わたしを引き取ってくださった時から外見の変わらないお師匠様に言われても困ります」

 アルカは魔女と同じロイヤルブルーのリボンで肩まである艶やかな黒髪を結んだ。

 今日、アルカは十八歳になった。

 子供の頃の記憶は少し曖昧で、五歳の時に師匠である魔女に引き取られたということだけは覚えている。

 それから十三年。厳しい修業をこなしながら、今や立派な魔法使いとなっていた。

「お金なら金庫から好きなだけ持っていくと良い。そうだな、まずはベリル大陸へ渡り、どこか良さそうな国で職業技能組合プランタにでも所属して名を売るのはどうだ」

「プランタですか……。団体行動は苦手です」

「生きていくためにはそういうことも学ばなくてはな。まあ、お前ほどの実力があればどこへ行っても困りはしないだろう」

 アルカは困ったように微笑みながら、頷いた。

「お師匠様はどうするのですか? 一人になってしまいますよ」

「これまで通り、忙しく日々を過ごすさ」

「そうですか……」

 悲しそうなアルカに少しだけ胸が痛んだのか、魔女は微笑みながら言った。

「一年に一度は帰ってくると良い。ここはお前の家でもあるのだから」

「ありがとうございます。出来るだけ頑張ってみます」

 アルカはリビングを出ると、深緑のカーペットが敷かれた長い廊下の中間にある階段を上り、自室へ向かった。

 露草色の扉を開けると、いくつかの薬草が混ざったにおいが鼻に届いた。

「……片付けて行かないとな」

 部屋は衝立で軽く仕切られた先にベッドとクローゼットがあるだけで、あとは巨大な机と簡素な椅子、実験道具や薬草が詰まっている百味箪笥ひゃくみたんすで埋まっている。

 アルカは部屋を片付けながら鏡の前を通ると、自身の服装が目に入った。

 薬草の汁で汚れた生成り色のシャツに紺色のエプロン、ところどころ焦げた落栗色でグレンチェックのロングボトム。

 お気に入りの黒いエイトホールブーツはき潰してボロボロだ。

 今身に着けているものの中で綺麗なのは丸い鼈甲べっこうの眼鏡だけ。

「……さすがに新しいのに着替えよ」

 クローゼットの中で一番綺麗な服をベッドの上に並べ、さっそく着替える。

 ブーツも買っておいた新しいものを箱から出して履き替えた。

 鏡で見てみるも、代わり映えのしない恰好だったので、特に感想も無く荷造りを進める。

 下着も含め新しいものから順番に出して布に包んでいった。

 持っていくものはそう多くはない。

 龍の皮革で作られている丈夫な赫世空間鞄パラレルバッグに、必要な物を次々と放り込んでいく。

 すると、出窓ベイウィンドウの方から意地の悪そうな声が聞こえてきた。

「俺を忘れていくなよ」

「はいはい。わかってるって」

 アルカは窓台の上にあるそれを持ち上げ、鞄に入れようと腕を伸ばすと、それは「何すんだよ!」と怒り出した。

「荷物と一緒にするなよな! 俺は歩けるし話せるし飛べるんだ。他のぬいぐるみと一緒にしないでくれ」

「でも、わたし、もう十八歳だし……。さすがにぬいぐるみと歩くのはちょっと」

「お前がこの猫のぬいぐるみに憑依させたんだろうが!」

「それはそうだけど。仕方なかったんだ。だってピクロがわたしを殺そうとするんだもの」

 ピクロと名のついた黒猫のぬいぐるみは、空中で胡坐あぐらをかきながら「だってお前美味そうなんだもん」と呟いた。

「そりゃ、悪魔にとって魔人族の魂は美味しいかもしれないけど、まだ十歳だったわたしに襲い掛かるなんて卑怯だと思わなかったの?」

「まったく思わなかったが?」

「ああ、そうですか」

 ピクロの物言いに呆れながら、アルカは旅支度を進めた。

「結果的に良かっただろ? 優秀な俺を使い魔に出来たんだから」

「もっと口調の穏やかな可愛げのある悪魔がよかったよ」

「失礼な奴め。俺は悪魔界でも最強とうたわれるジャック・オ・スチーム蒸気の悪魔様だぞ」

「いつもそう言うけど、そんな話聞いたことないよ」

「そうやって一生無知を晒してろ」

「相変わらず辛辣だなあ」

 居候いそうろうの言葉に呆れながら、アルカは支度を終えると、ボトムと同じ色のジャケットを羽織り、自室から出て扉を閉めた。

 階段を降り、魔女のいる部屋へ向かう。

「お師匠様、準備が出来たので……」

 鉄が焼けるような、悲しみの香り。

 漂うのは濃い血のにおいと、痛いほどの殺意。

「逃げろ、アルカ」

 師匠の腹部に深く突き刺され、勢いよく引き抜かれた剣。

 返り血で真っ赤に染まる純白の法衣を身に着けた男。

 刹那、男の背後に現れた黒い影の手が横へ風を切る。

 男の首が胴体から離れ、転がり落ちた。

 斬り落とされた頭部と、目が合う。

「……わ、わたしと同じ顔に……、ロイヤルブルーの目。こ、この人は誰なのですか」

 刺されていたはずの魔女は煙のように霧散し、影が師匠へと姿を変えた。

「あの女がここまでしてくるとは思わなかった。お前にも、話しておく必要があるようだ」

 師匠は法衣の男の髪を掴むと、頭部を持ち上げ、アルカに告げた。

「こいつはお前だ」

「……え、え? ど、どういうことですか」

「わたしが造り出した失敗作のクローンが、この世界のどこかでわたしを殺そうとしているのだ」

 アルカは理解が追い付かず、でも、心臓だけは不安に鼓動を速めていた。

「わたしは、千年前にこの世界を滅ぼしかけた魔王と、それを長い時を掛けて封印した勇者の間に生まれた一人娘。アヴァロン島で引き取られたわたしは、そこで予言を受けたのだ。再び魔王を産む、と。それがお前だ」

「わ、わたしが……、魔王?」

 アルカは指先が冷えていくのを感じた。

 膝が震える。

 喉が渇いて声が上手く出せない。

「わたしはわたしを殺すために強力なクローンを作っていた。失敗が続き、わたしはそのほとんどを処分する羽目になったがな。その中の一体が、意思と自我を持ち、知性と知能を持って逃げ出したのだ。わたしに処分されない殺されないように。その女、0012はすべての実験データとクローンたちの記憶を持っている。考えるに、わたしと同じことを始めたのだろう。この魔王もどきは不完全なようだがな」

 床に転がる自分と瓜二つの遺体。

 アルカは吐き気を抑えながら、師匠を見つめた。

「で、では、わたしは……」

「わたしが造り出した『魔王』のクローン……、だが、産まれた順で言えば、お前はオリジナルだ」

 目眩がした。

 今まで家族などというものについてそこまで考えたことはなかったが、血のつながりだけで言えば、目の前にいる師匠は、母親ということになるらしい。

 死んでいる男は、クローンではあるものの、序列で言えば弟で、それを差し向けてきた0012と呼ばれる女性は叔母ということになるのだろうか。

 かなり複雑な、絡まった糸のような状況だ。

「産まれながらに背負わされた業は、清く正しく生きたところで変えられないのだな。最初は、お前を強く育て上げ、0012を殺させようと考えていた。だが、育てるうちに情がわいてな。お前を隠して育て、外の世界へ出し、関わらせないようにすることにしたのだ。わたしは自分で0012とその子供を探し出し、始末しようと思っていたが……。そうも言っていられないようだ。アルカ、手伝ってほしい」

 師匠の哀し気な瞳がアルカの心に深く染み渡っていった。

 その時、心の中で何かが閃光を発した。

 それは一瞬で、赤く、鮮やかだった。

「わかりました。まずは何をすればいいでしょう」

「予定通り、旅に出ろ。そこで、プランタに所属し、仕事をこなすんだ。人脈が広がれば、0012の情報も入ってくるだろう。気をつけろよ。正体が知られれば、お前も狙われることになるやもしれん」

「お師匠様は一人で大丈夫なのですか」

「0012も含め今までのクローンにはただ一つ、欠陥があるよう設計して造ってある。お前のような優秀な魔王のクローンを作ることは出来まいよ。あの女に造り出せるのは、わたしでも楽に倒せる程度の玩具だけだ」

 アルカは頷くと、「では、しばしのお別れですお師匠様」と微笑みながら言った。

「アルカ……。母と呼ばせてやれなくて、すまなかった」

 背中に響く師匠の言葉があたたかく、苦しい。

 アルカはそのことには触れずに、「行ってまいります」とだけ言い、広い玄関ホールから外へと出て行った。

 柔らかな陽射し。

 澄んだ空気は少しだけ冷たく、目に染みた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る