人形たちの魔法 ――将来の夢は魔王にならないことです――

智郷めぐる

第零話:プロローグ――放浪の薬術師――

 穏やかな陽射しの中に吹く、少し冷たい風。

 季節は秋。

 残暑も終わり、過ごしやすく喜ばしい晴天の下、アルカは仲間だと思っていた人々からの衝撃的な通告に、心のどこかで溜息をついていた。

「だからさ、お前はクビ。凄腕の薬術師だっていうから雇ったのに、病気どころか傷を治すのすら遅いじゃないか。新しく仲間にした白魔導士はたった数秒で傷を塞げるって言うのに。お前、トロいんだよ」

「そうそう。怪我に包帯したり薬を塗ったりする時代はとっくのとうに終わってんの。ってことで、じゃあな」

「もう二度と会わないだろうけどね」

 三か月間、ともに旅をしてきたはずの五人と、新しく雇われたという覆面姿の白魔導士は、アルカを嘲笑しながら立ち去って行った。

「あいつら、馬鹿だな」

 アルカの背後からスッと現れた黒猫のぬいぐるみが、舌打ちをしながら呟く。

 時折アルカを振り返りながらまだわらっている六人を、じっと睨みつけながら。

「いいんだよ、ピクロ。わたしたちはどう頑張っても二人で旅するしかないみたいだね」

 艶やかな黒髪が風に揺れ、ロイヤルブルーのリボンがひらめいた。

「お前が可愛い女子だったら雇い続けてくれたかもな」

「性差別は良くないよ」

「男なんてそんなもんだろ」

「まったくもう」

 アルカは苦笑しつつも、自分の代わりに怒ってくれるピクロの存在をありがたく思った。

「師匠の家に帰ろう。『練習期間は失敗でした』って伝えないと」

「あの魔女はいつも突然だよな。『人間と関わる練習をしてこい』って言うだけ言って放り出すんだもん」

「可愛い子には旅をさせよってやつだって言ってたよ」

「そんなの方便に決まってるだろ」

「悲しいこと言わないでよ……」

 アルカは鞄から取り出した箒に跨ると、空へと飛びあがった。

 ピクロはそれを追うように浮遊してついてくる。

 風が冷たい。

 それでも、生まれ育った家に帰るのだから、足取りは軽い。

クビを言い渡されても心があまり傷ついていない自分に驚かされる。

「さ、帰ろう」

 おだやかな陽射しが二人を優しく照らす。

 これから始まる、過酷な運命から護るように。


 二か月後、屋敷に届いた新聞には、あるパーティの死亡記事が載っていた。

――外傷の無い綺麗すぎる遺体が五人分発見された。所属職業技能組合プランタの情報によると、被害者の身元はすべて判明しており、中でも、剣士として登録されていた男性は翡翠国紅碧こうへき家第四皇子……。

「あいつらだな」

 ピクロは舌打ちをしながらアルカの背後から新聞を覗き込んだ。

 薬草の香りで満たされた広い室内と瀟洒しょうしゃな家具には似合わない、質素な見た目の実験道具が机に並んでいる。

「生命力を使い果たしたんだね。それを知っていながら、白魔導士は治癒魔法を続けた……。これは殺人だよ」

 アルカは悲し気な表情で新聞をたたむと、小さくため息をついた。

 自分がちゃんと忠告していれば防げたかもしれないと、胸に小さな痛みが奔った。

 罪悪感を感じているアルカの横で、ピクロは「まあ、当然の結果だな」と鼻を鳴らした。

「薬草や薬自体の治癒能力を上げる薬術師と違って、白魔導士や他の魔法使い共が使う治癒魔法は、術者の魔力と患者の生命力を使う。一瞬で傷を治す代わりに、確実に体力は削られていく。俺に言わせりゃ、あれは寿命の前借だ」

 新聞に書かれている遺体の数は五。

 白魔導士は全員から命の灯火が消えるのを見届け、逃げたのだろう。

「あの小さい覆面野郎、最初から殺害が目的だったってことか?」

「わからない。第四皇子は身分を隠さずに活動していたからね。実際、剣の腕は一級品。自分の身は自分で護れるって部類タイプの人だったから」

「ただ、これで紅碧こうへき家の嫡子ちゃくしは第二皇子ただ一人になったけどな」

「今時、嫡子ちゃくし庶子しょしなんて気にしないでしょう」

「お前は本当に暢気のんきで平和ボケしてるお子様だな」

 ピクロは宙に浮かびながら胡坐あぐらをかき、これ見よがしに大きくため息をついた。

「あのな、もし庶子が紅碧家を継いでみろ。平民でありながら、母親の実家が権力を持ち始める。神の一族でもないのに、ただの〈人間〉が権力を持つんだぞ。ここ、翡翠国で」

 ピクロの真剣な瞳を見つめ、アルカは部屋に貼ってある世界地図を指さした。

「ダジボーグ王国みたいになるって言いたいの?」

「そうなる可能性が出て来るって言ってんだよ。第三次異種族間戦争の火種はどこにでもあるんだぞ」

 指先に、静電気のような痛みを伴って魔力が走る。

 最近、魔力生成量がぐっと増えた。

 それを思うたびに、過去、魔人族が世界からどういう目で見られてきたかを実感する。

「わたしに何が出来るって言うのさ」

「自分で考えろ。どんな結論を出したとしても、俺が味方してやるから」

 ピクロがふわふわな胸を張り、微笑む。

 黒猫のぬいぐるみを身体にしているくせに、どうしてこうも頼りがいがあるのだろう。

 辛辣なことも言うが、ピクロはいつもアルカの味方をしてくれる。

 理由を聞いても、はぐらかされるばかりで教えてくれたことなど無いが。

「わかったよ。わたしは、わたしに出来ることをする。そのために、師匠に作られたのだと思うから」

 アルカの口から出た「作られた」という言葉に、ピクロは胸がきゅっと痛んだ。

 何も言えない。

 まだ、何も伝えることが出来ない。

 それを知るには早すぎるから。

 初冬の風が窓から室内へと流れ込む。

 身を切り裂くような冷たい季節が、始まろうとしていた。

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