追加分 夕食が示すもの
屍を連れたラスには、イヴリンらとは別に専用の天幕が与えられた。メイとアオシェアから連れてきた五人の屍とともに、小熊のような兵士に案内される。ラスは道すがら、小柄でずんぐりとした後姿に、空軍基地で没収された自分の荷物の所在を尋ねた。
前を向いたままの兵士が返した答えは、「知らない」というぶっきらぼうな一言だけだ。
通された天幕の中は明るく、ほんのり温かかった。照明が吊るされ、小さな石油式暖房器具が中央に置かれているからだ。
平らにならされた地面の上には薄い敷物が敷かれており、遺体袋に入った五人がそこに安置されている。彼らは、ギル・バンがラスに任せた分だった。
この実験場で、ラスをはじめとする案内人が一度に受け持つことができる屍の数は、最大十名。これは、国際連盟事務総長による絶対的な言いつけだ。つまりそれだけ、ここに集められた案内人の数が多いということになる。
空軍基地でラスが鎮めた他の屍らは、別の案内人によりエーテルの受け口となる印を上書きされ、袋に入ったまま運ばれていった。
「夕食だ」
ぞんざいに言った兵士が、持っていた掌大の包みを近くにあった石油ドラム缶の上に置く。あとは、「死体から目を離すなよ」と一言。天幕からさっさと出ていった。
メイが、ロイズ中尉の頭の上からドラム缶の縁に移動する。嘴の先で、兵士が置いていった包みをつついた。
「ケイイ チー ラ(食べな)」
ラスが穏やかに促した。
メイは首を傾げると、憔悴気味の相棒を物言いたげな目で見つめる。
「ウォ ブー ア(僕は、お腹が空いていないんだ)」
苦笑って答えたラスは、天幕の隅に一列に並んで立っている五人に向かって呼びかける。
「じ、じゃあ、みんなも、横になって。まず、マリーさんは、こっちで……」
敷物の空いている場所に一人一人を誘導し、仰向きに寝かせて閉眼させてゆく。最後にロイズ中尉の瞼を下ろし終えて立ち上がると、「おやすみ」と全員を見渡した。
が、直後。不自然に瞬きを繰り返した彼は、穏やかだったその表情を徐々に曇らせる。やがて、小さな吐息をこぼすと、屍らにくるりと背を向けた。
ドラム缶の横に戻るなり、その場に座り膝を抱える。
「……ユーニイ……アラン……ランアーイー(ランおばさん)」
何も無い地面の一点を無表情に注視したまま、ぽつりぽつりと呟いた。
それは、ラスが故郷で親しかった者達の名であった。
ラスの頭には、ある記憶が蘇っていたのだ。それは、地面に並んで寝かされている同郷者達の姿である。彼らの表情は安らかだったが、体は総じて傷つき呼吸も止まっていた。その光景が、さきほど屍らを見下ろした瞬間に眼下に広がった様子とよく似ていたのだ。
ユーニイとアランは、ラスの近所の友達だった。ラスは二人と、よく追いかけっこをして遊んだ。
ランおばさんは、隣に住む一人暮らしの女性だった。彼女の作った餅菓子を食べるたびに、美味しさのあまりラスの頬の内側は、きゅうっと痛んだ。
最後にラスの頭に蘇ったのは、自分の足元に並んで瞼を閉じていた二人の男女の姿だ。
「バーバ(お父さん)……マーマ(お母さん)……」
ラスが、眉を寄せた苦しげな表情を浮かべて顔を伏せる。膝を抱えている両手にも力がこもった。
その時、「ねえ」と誰かの呼び声が天幕内に響く。
顔を上げたラスと、天幕の隙間から顔をのぞかせている栗色の髪の女性の目が合った。イヴリンである。彼女は一人でやってきた。
中に体を滑り込ませたイヴリンが、屍で埋まった地面を見渡す。
「まさか、ここで寝るの?」
いぶかしげに訊ねた。
ラスは首を傾げると立ちあがり、イヴリンに歩み寄る。
「そ、そう、だけど?」
「へえ、大変ね」
同情のあまり、イヴリンの眉尻が下がる。
「な、何か、用事?」
「ああ、そうなの。これをね、渡しておかなきゃと思って」
ぱっと笑顔になったイヴリンは、弾んだ声でコートのポケットから金色の塊を取りだすと、それをラスに渡す。
鐘だった。メイに憑依した師父が、フロンドサス村を出る前にイヴリンに預けたものである。実験場でボディチェックを受けた際、ラスが持っていては兵士に没収されそうだったので、イヴリンは胸元にこっそり隠しておいたのだ。
鐘を見るなり、ラスの顔がほころんだ。
「シェシェ(ありがとう)。イヴリン」
早速受け取ると、内ポケットの深いところに入れる。
「ご飯は食べた?」
イヴリンが、優しく訊ねた。ラスはぎこちない動きで、首を横に振る。
「食べたほうがいいよ。あなたちょっと、顔色悪いみたいだから」
「そう、かも。で、でも、大丈夫、なんだ」
その返答は、強がりではなかった。
案内人の訓練の一つには、水だけで二日間歩き通すというものがある。空腹に強くなる為だ。ラスは昨日、サンドイッチを食べたので、体力にはまだ余裕があった。
顔色が悪いのは、緊張と、子供の頃の記憶を思い出したせいだ。
「大丈夫そうには見えないけど……」
一歩前に踏みこんだイヴリンが、ラスの顔を覗く。が、次の瞬間、寄せられていたイヴリンの眉がひょいと上がり、元々大きな目が更に大きく見開かれた。
目の前にいる人物に、突然左の頬を撫でられたのだ。
何の予告も無くイヴリンの頬に触れたラスは、彼女の口元にかかっていた髪の一筋を、左の耳にかけた。続いて、左の口角にくっついている小さな白い一粒を、人さし指の腹ですくい取る。
「こ、これ。ついてた」
そう言って、持ち主に見せた。
「あ、そ、それっ? さっき食べた晩ごはん、かも。な、なんかすごく、ベタベタしてたもんだからっ」
答えたイヴリンの頬が赤くなる。躊躇なく指先のものをぱくりと食べられた瞬間には、ぴくりと肩が跳ねあがり、更に耳まで赤く染まった。
小さな白い一粒を咀嚼したラスが、「あ」と声を出す。
「これ。し、師父が好きな、米だ」
そう言ったラスの表情が、みるみる明るくなる。
「コメ? あれって、フールーの料理だったの?」
「そうじゃなくて――」
ぱっと身をひるがえしたラスが、ドラム缶の上にあった夕食を掴み、イヴリンの前に戻った。いそいそと包みを広げる。
「ふ、フールーの米は、もっと、ぱさぱさ。これは、ナギの米。す、水分が多くて、ねばねば。丸め、やすいんだ。――ほら。や、やっぱり、オニギリ!」
二つ並ぶ丸い物体を、興奮気味に差し出した。
「き、きっと、師父が、食べたがったんだ! だから先生が、用意したんだよ」
「そう……かもね?」
「よ、よかった。師父は、元気なんだ」
心底ほっとした様子で、ラスがうずくまる。
「……そうね」と答えたイヴリンは、ドラム缶の上でじっとこちらを見ているメイに引きつった笑いを向ける。しかし、いくら賢いといえど所詮は烏。メイは、首を傾げるだけだった。
「し、師父は、三角のオニギリを作るのが、上手なんだ。師父のお父さん、が、ナギの人で。だから、教えてもらったんだって。こ、これは、丸だけど」
おそらく、流暢に話せていたならば、一気にまくしたてていたであろう。ラスはそれくらい、高揚していた。イヴリンを置いてけぼりにして丸い一つを掴み取ると、むしゃりと大きく一口頬張る。
イヴリンは嬉しそうにオニギリを食べるラスを見下ろしながら、ひきつった笑顔のまま何度か小さく頷いた。徐々に後退し、天幕に手をかける。
「おやすみ」
と一言。逃げるように外へ出る。
「お、おやすみ。イヴリン」
薄明かりが漏れる幕の内側から、ラスの明るい返事がイヴリンに届いた。
後ろ手に幕を閉めたイヴリンは、思いきり頬を膨らませる。
勝手な夜歩きを見つけた見回りの兵士が、「お前! ふらふら出歩くな!」とイヴリンを注意した。
「うるさいわね!」
兵士を一喝したイヴリンは、大股でずんずん歩きはじめる。
ラスのいる天幕からある程度離れた所までくると立ち止まる。そして歯ぎしりするように奥歯を食いしばると、「なんっで、あそこでキスしないのよっ」と不満を言った。
ラスはその夜、二つのオニギリをメイと分けあって完食し、ぐっすり眠った。
深夜、天幕の外で大勢の怒鳴り声や烏の鳴き声が右往左往し、幾つもの懐中電灯の光が慌ただしく宙を滑っていた状況にも、目を覚ますことなく。
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