第五章 レギオ・ルブラ
第29話 先生
誘導灯に従い、輸送機は着陸した。他の三機と護衛機は先に到着しており、横一列に並んだそれらでは既に荷卸しが始まっている。
駐機場から離れた平地では、至る所に照明が設置され、大型の軍用天幕が幾つも設営されているが、それらの光は駐機場には届いていなかった。輸送機内からもれる明りを頼りに、乗員や作業員は作業を進めている。
天幕群のはるか向こうには、背の高い鉄柵がぼんやりと浮かび上がっていた。ここで柵が立つ理由は一つ。レギオ・ルブラの封鎖区域しかない。
天幕の周辺では軍人や研究員らしき者達が立ち働いているが、発電機の音がうるさく、話し声は聞こえてこない。
「うう~っ! 寒い!」
ラスの手拍子で誘導される屍の後に続いて輸送機から降りたイヴリンが、吹きつけてきた風に両腕を抱いて首をすぼめた。最後に降りてきたジャンは、シャツに白衣という薄着では流石に無理だと判断したのか、「毛布毛布!」と防寒具を取りに機内へ引き返す。
アボットは、丸眼鏡をかけた背広姿の男と言い争いをしていた。男の年齢は、アボットと同じくらいだろう。アレックスやイヴリンを指さし、「話が違う」などと訴えていることから、余計な人材を連れてきた失敗に対しての講義であると伺える。アレックスがそんな二人の様子を、冷めた目で眺めている。
突然、三番目に着陸した輸送機から悲鳴が上がった。機内から降りてきた軍服坊主刈りの男が輸送機の中を指さし、ラスに向かって「おーい!」と叫ぶ。
「案内人! あれ何とかしろ!」
「あ、や、やっぱり」
ラスが意味深な一言と屍五体を置いて、求めに応じるために走った。
その機内は、ラスが乗ってきた輸送機と同じ内装だった。板敷きの床に、遺体袋に入れられた死人が並んでいる。しかしその多くが凶屍化し、袋の中で咆哮を上げてもがいていた。
「着いた途端、いきなり暴れ出したんだ」
坊主刈りの軍人から証言を聞きながら、ラスは凶屍らに歩み寄る。頭部に掌をあて、浮いて暴れる頭をゆっくり押し下げた。触れられた凶屍は、元の大人しい死人へと戻る。
ラスは一人一人、同じように掌をあてて鎮めていった。
最後の一体を落ち着かせると、及び腰で銃を構えている坊主頭に振り向く。
「し、施設で与えた分のエーテルが、足りなくなったせい、です。空が、寒すぎて」
「寒かったら大人しくなるんじゃないのかよ」
目を丸くした坊主頭に、ラスが大きく首を横に振る。
「暑過ぎるのも、寒過ぎるのも、よくない。多分、あっちもそろそろ――」
と右隣に連なる二機に視線を向けたところで、その二機からも悲鳴が上がった。
「うわっ。まじかよお」
坊主刈りが顔をしかめる。
二人は早々に輸送機を降りて、次の混乱現場へと向かう。
「ひ、一晩、僕の近くにいれば、二、三日は大丈夫。毛布がないなら、天幕の中に、入れてあげて下さい。できれば火を焚いて」
ラスが、小走りに並走する坊主刈りの軍人に指示を出す。
その時、「おい! お前はこれ以上、凶屍に触れるな!」と、待ったの声がかかった。白い長衣に身を包んだ、厳格そうな老年男性が早足に近づいてくる。
ギル・バンだ。
「ラオシー(先生)!」
ラスが、ギル・バンに駆け寄った。面と向かって開口一番、「し、師父は、無事ですか」とゼンゾーの安否を問う。
ラスはその猫背ぎみの背すじを伸ばしさえすれば、ギル・バンをやや超える身長がある。しかしながら、例え老境であろうと若い頃から威厳たっぷりに胸を張ってきた人間と対峙すると、その迫力には圧倒的な差があった。
ギル・バンは神経質そうな目で、相変わらず頼りなげで危なっかしそうな元生徒をじろりと睨むと、質問には答えず、厳しい口調で不遵守を責める。
「自身のエーテル切れを防ぐ為に、一度に十人以上の屍を抱えるなと教えたはずだが。何故教えを守らなかった」
「す、すみません。で、でも仕方が、なかった。僕しか、いなくて」
ラスは必死に弁解した。けれども、相手の鼻根にできた皺を浅くするには至らない。それどころか
「お前の共通語はいまだにぶきっちょだな。母国語なら詰まらず話せるようになったのか?」
と、別の泣き所まで突かれてしまう。
「シー(はい)」
フールー語で肯定したラスが、引き続きフールー語で答える。
「ドゥ……ドゥオシャオ(多少は)。レイ ラ フォージェ、ジ…… ジンジャン ダ シーホウ フイ カ ジューブーグオ(疲れていたり、緊張したら、詰まりますが)」
しかしその供述も、共通語ほどのたどたどしさでは無いにせよ、悲しい程にひっかかってしまう。
ギル・バンが大きなため息をついた。
「今のは緊張か? 疲れか?」
「い、今のは怖さからくる緊張……いえ、だ、大丈夫です」
ギル・バンから受けた地獄のような指導を思い出し、本人を前にすっかり委縮していたラスだったのだが、慌てて首を横に振ると、ギリギリのところで失言を撤回した。
フールーの屍案内人機構本部に併設されている養成学校で『鬼教師』と呼ばれていた男は、どんどん下がってくる元生徒の頭を前に、「分った。もういい」とそれ以上の追及をやめた。
「とにかく、残り二機分の屍は、こちらの案内人で面倒をみる。お前はさっきの分と天幕に移動して、早く休め」
言い残し、混乱中の輸送機へと歩きだす。その間にも、何人かの案内人が、機内へ駆けつけていた。灯りに照らされ浮かび上がる彼らの制服から、国籍がばらばらであることが伺える。
ラスはギル・バンを追いかける。
「『こちらの』って? い、一体何人、捕まえたんですか」
「人聞きの悪い事を言うな。網を張っとるのは軍部だけだ。国際連盟は説得で協力を得ている」
ギル・バンが振り返らずに答えた。
ラスは、そのまっすぐに伸びた背中に向かって眉を吊り上げる。
「ダンシー ニー ジュア ジュー ラ シフ ア!(でも師父を捕まえたじゃないですか!)」
拳を握り、声を張り上げた。
ギル・バンの足が、ぴたりと止まる。ゆっくりと振り返った彼は、「私と話す時は、共通語を使いなさい」と語学に不得手な元教え子に対し、昔から再三注意している事柄を今一度ゆっくりと繰り返した。
ラスは大きな呼吸を繰り返し、高ぶった気持ちを抑えながら、要求する。
「し、師父に、会わせて下さい。ここに、いるんでしょう?」
「いるが、今は会わせてやれん。明日にしろ」
くるりと背を向けたギル・バンは、再び歩き始める。歩調を速めつつ、「探そうなんて思うなよ」と念押しした。
「思いません。せ、先生は、約束を守る人、だから」
遠ざかる背中に向かって、ラスが答える。しかしその声はあまりにも小さく、相手の元には届かなかった。
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