第28話 赤い領域

 離陸から三時間が経過した頃、輸送機が高度を落とし始めた。あたりはもう真っ暗だ。

 予想より少し時間をくったようだな、とアレックスは腕時計を確認する。時刻は午後四時五十三分四十秒。ガリアとの時差を計算して、アレックスは時計を一時間早めた。


「おいアボット。お前は目的地以外、俺達に何も話さない気か?」


 じろりと睨むと、アボットが面白くなさそうに顔をしかめた。


「今話そうと思っていたところです。ジャンも起きたようですし、声を聞きとりやすいように近くに寄れと、皆に言ってください」


「よし」とアレックスは、後ろを振り返る。


「おいお前ら。アボット先生が面白い話をしてくれるとさ。こっちに来い」


 呼びかけると、顔を上げた三人が、肩にかけていた毛布を置いてぞろぞろと近づいてきた。


「あ、アボットって、先生、だったの?」

「あれは嫌味だから」


 ラスの間抜けた質問に、イヴリンが律儀に答えている。


「ねえアボットさん。僕の予想ではぁ、行き先は『レギオ・ルブラ(赤い領域)』あたりなんだよね。軍の研究員である僕としては、是非とも行きたかったところだから、正解だったら嬉しいんだけど」


 アボットの後ろに立ったジャンが、顔の両側で左右の人差し指をメトロノームのように動かしながら、声を弾ませた。


「うわ、趣味悪い」


 隣に立ったイヴリンが、害虫を見るような目をジャンに向ける。


「が、ガリア支部の案内人から、聞いた。レギオ・ルブラから来た凶屍は、遺体の状態が特に、悪くて、エーテルの消費も、激しいって」


 アレックスの後ろに立ったラスが、ぽつりと言った。

 レギオ・ルブラには、大戦中に埋め込まれた地雷や不発弾、毒ガス弾が多数残されており、西部戦線の中でも特に危険な場所とされた立ち入り禁止区域である。現在は人が誤って踏みこまぬよう鉄柵が立てられ、周辺には『軍管理地域。死亡の危険あり』の赤い看板が立てられている。アレックスも、その荒涼とした風景の写真を見た事があった。

 アボットが頷く。


「その危険区域の一つに、我々は向かっています。そこで明日、国際連盟主導の実験が行われる予定です」


 アボットが言うなり、ジャンが操縦席の背もたれを掴んで「うひー」と嬉しそうに飛び跳ねた。

 操縦席の間から身を乗り出してきたイヴリンが、アボットに訊ねる。


「実験て、何するの? 施設にいたモルトスを使うんでしょ? なら、国際連盟じゃなくて軍に主導権があるんじゃないの?」

「ケルトニア軍は国際連盟の要請に従っただけです。平和維持活動の一つとして、死人の研究と利用に協力し、成果を共有する為に」


 アボットの説明を聞くや否や、いやはやとアレックスは鼻で笑った。これならば一般市民のイヴリンが抱いた単純な疑問の方がよほどまともであると。

 しかしその嘲笑は、ジャンの「違うよお」という反論にかき消される。


「僕ら、国際連盟とはケンカ中なんだ。国際連盟は死人の軍事利用に反対してるから。協力なんかするわけないじゃないか」

「表向きはね」


 間髪いれず、アボットが言い放った。

 機内に沈黙が流れる。

 これではいつまでたっても話が前進しないと判断したアレックスは、核心をつく質問をした。


「それで? テウトニアやスキティアからはどのアホが出張って来るんだ?」


 途端、目を見開いたアボットがアレックスに顔を向ける。

 まさか気付かないとでも思っていたのだろうか。随分と舐められていたものだと、アレックスは少なからず気分を害した。


「え? 非加盟国までが、どうして?」


 イヴリンが不思議そうに眉を寄せる。

 テウトニアは大戦の敗戦国であることを理由として、スキティアは資本主義諸国による組織と見なされたが故に、国際連盟の加盟を拒否された国である。その二国までが関与する事に対して、イヴリンが奇妙に思うのは当然だろう。


「国際連盟と各国の軍部。国際連盟の加盟国と非加盟国。表ではそれぞれが対立しているようだが実は、屍研究を通じて裏で手を結んでるんだよ。要は、国際連盟が共通のお友達ってことだ」


 そうだろ? とアボットに話を振った。操縦桿を握るアボットの手に力がこもり、間もなく、頭がこくりと前に倒された。

 「なにそれ!」とイヴリンが眉を吊り上げる。


「一般市民がお腹すかせながら社会復興に心血注いでるって時に、お偉方は死人の軍事利用に夢中ってことなの?」

「それは違う!」


 アボットが、イヴリンからの糾弾を強く否定した。


「国際連盟の目的はあくまで、国際社会の安定化と統制強化です。死人を平和利用する姿勢は変わりませんし、死人研究に関しても加盟国・非加盟国の関係を強化する手段として――」

「軍と協力するなら同じでしょ! 『集団安全保証』が、聞いて呆れるわ」

「同感だー」


 アボットの主張を手厳しく突っぱねたイヴリンに追随する形で、アレックスが皮肉を言う。


「結局はお前らも独自の武力が欲しいんだろうが。正直に言ったらどうだ」


 平和維持を目的とし、軍備縮小を推進している立場であるだけに、国際連盟は武力を持っていない。その抑止力を欠いた体制が今後、国際連盟の弱点となるであろう事は目に見えている。

 アボットは黙っていた。しかしその横顔は、実験の真相を言い当てられて悔しげな先程までのものとは違い、どこか愕然としている。

 アボットの心情を察したアレックスは、おや、と眉を上げた。


「何だ。お前、気付いてなかったのか」


 所詮はお前も駒だったのかという嫌味も後付けしてやろうと思ったが、アボットの動転具合に、口を閉じる。その代わりに、「おい。置いて行かれてるぞ」と他の三機との高度差を指摘した。操縦席からは、三機分の光――尾部の白色灯に加え、左翼端にある赤色灯と、右翼端にある緑色灯までが目視できる。


「あっ!」


 階段降下を忘れていたアボットが、慌てた様子で操縦桿を前に倒した。機体が前傾し、急降下を始める。

 アレックスは背もたれに押しつけられるような加速感を覚えた。

 ラスが残してきた烏が、後ろの方でギャアと鳴く。

 めまいを起こしたのだろう。口を押さえたイヴリンが、前へと倒れ込んできた。

 操縦席で吐かれてはたまらない。イヴリンを押し戻したアレックスは、正操縦士を怒鳴りつける。


「絞り弁を使え下手くそ!」

「すみません!」


 アボットが絞り弁を引くと間もなく、減速し、機体が水平に戻った。

 後方から、ほっと息をつく気配が二つ。さらに、「め、メイ! 大丈夫!?」と焦ったようなラスの声が遠ざかってゆく。おおかた、倒れたモルトスに潰されたのだろう。


「とにかくこれは極秘中の極秘です。ケルトニア軍でこの計画を知っているのは我々国際連盟の調査員と、国防大臣および参謀長。そして、数名の将だけです。お忘れなく」


 アボットが釘をさした。

 機体が雲の下に出る。

 眼下には、ぽつぽつとした民家の灯り。その中に、明らかに不自然な形で連なった真っ暗闇が広がっている。


 『レギオ・ルブラ』


 その光景は全貌が見えない夜であっても、圧倒的な存在感で土地全体を暗く重く支配しているようだった。

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