第30話 屍実験の始まり

「村があったのね」


 翌朝。青空のもと、鉄柵の向こう側に広がる景色を見て、イヴリンが言った言葉である。

 その通り、この場所にはかつて、村があったのだ。大戦当時、西部戦線周辺の村は強制退去させられており、現在も廃墟が残っている。

 イヴリンが鉄柵越しに見たのは、建物の半分近くが崩れた教会だった。


 レギオ・ルブラとしては、最も狭い区域にあたるこの場所は、数百平方メートル程度の面積である。その外周を、鉄柵がぐるりと囲っているのだ。柵の内側にあるものは、どうやっても馬車では移動できそうにないデコボコとした地表。そしてそこから、ただまっすぐに天に向かって伸びる枝葉を亡くした細い幹の数々と、千切れて散乱した木の根っこ。あとは、家屋の残骸である。

 生き物の存在がまるで感じられない荒涼とした光景を前に、昨夜輸送機で到着した面々は、しばし言葉を失った。


 唯一笑顔のジャンが、「匂いは案外普通だね。もっとこう、薬きょう臭かったり死臭がすると思ったけど」と明るく発言したのも束の間。すぐさまアレックスに、後ろ頭を叩かれた。


 彼らの後方。軍用天幕が集合している小高い丘の上では、この光景を見慣れている先行隊員間らが、天幕や軍用トラックの間を行き来している。

 昨晩のうちに、また何機かの輸送機が到着したようで、現場はさながら軍事演習場だった。

 屍案内人らの連れなのだろう。明らかに人慣れしている烏が数羽、作業員らの間を低空飛行ですり抜けては、積み上げられた荷物やら天幕のてっぺんに止まり、気ぜわしい現場の風景を眺めている。

 メイは常にラスか屍に寄り添っているが、やはり性格なのだろう、その行動には個体差があるらしい。


 ふと、現場が騒がしくなった。また一機、飛行機が到着したようである。小型の輸送機だった。

 アレックスは、そこから降りてきた者達の中に、見覚えのある小太りの男を見つける。テウトニア陸軍少将ブレン・ミュラー。毒ガス兵器策戦を最初に指揮した男だと言われている。

 情報部で見た写真通り、表情の無いのっぺりとしたその顔面のありように、アレックスは顔をしかめた。


 突如、イヴリンが大きく体を震わせた。両腕を抱き、コートの上から強く摩擦する。


「ね、ねえ。昨日から異様に寒いんだけど。ぞくぞくするっていうか」

「なんだ。熱でも出そうなのか?」

「医療用天幕に行きますか?」


 兄と兄の元部下が、感冒による不調を疑う。そこに、ギル・バンがやってきた。


「残っている怨念のせいだろう」


 驚いた事に、砂漠に囲まれた灼熱の国出身の御老人は、防寒着と言えるものは一切身につけていなかった。身を切るような寒風が吹きつけても、後ろに撫でつけた潤沢な白髪一本乱さず、銅像の如く畏怖堂々とした佇まいである。

 彼は剃り残しの無い顎を上げると、目の前に広がる閉鎖区域を睥睨し、続きを話す。


「ここでさまよっていた怨霊を回収し終えたのは、つい先日だ。我々葬送人は生身ゆえ、敷地内にはうかつに踏み込めず、外から呼び寄せるしか方法がなくてな。手間取った分、怨念が土地に染みついてしまった」


 ひとしきり説明を終えた彼は、「君はそういったものに敏感なようだな」と更に続け、僅かに親しみがこもった眼差しをイヴリンに向けた。


「せ、先生。約束どおり、師父に会わせて下さい」


 ラスが緊張した面持ちで、ギル・バンに詰め寄る。「ああ」と応じたギル・バンは、後ろを振り返った。


「連れてきた。まだ完全には目覚めてはいないが。そのうち、しゃきっとしてくるだろう」


 その視線の先には、白衣を着た男に両脇を抱えられて半ば引きずられるようにこちらに向かってくる、全身黒ずくめで小太りの老人の姿があった。


「師父!」


 駆け寄ったラスだったが、朦朧としたゼンゾーの状態に、愕然とする。


「し、師父に、何をしたんですか」

「薬を使ったんだ。昨夜、ガリア軍部が連れてきた案内人を扇動して暴動を起こそうとしたのでな」


「薬?」とアレックスが片眉を上げた。


「麻薬か?」

「いいや。麻酔薬だ」


 間髪入れず、ギル・バンが答えた。続いて、腕時計を確認する。


「時間だ。実験を始めよう」


 そう言うと、後方に控えていた若い男女二人に右手を上げて合図した。

 頷いた彼らの手には、杖が一本、握られている。杖先にある円の内側に蜘蛛の糸が縦横無尽に張り巡らされていることから、地中海周辺の葬送人だと分る。纏っている制服は、ケルトニアの案内人と同じキャソックを模したものだが、ラテン系の顔立ちとHを省略した発音から、ガリアの人間だと推測できた。

 上着の裾の内側から、人間の指ほどの太さのある大蜘蛛の足がちらりと覗く。彼らは葬送人の連れ。服の下にこもって、寒さをしのいでいるようだ。


「これから屍と案内人を集合させる。ラス、お前もその五人を連れて来い」


 有無を言わせぬ態度で命じたギル・バンは、そこにいる者達にくるりと背を向けると、鉄柵に沿って歩いてゆく。その背中に、アボットが問いかける。


「あなたに答えて頂きたい事があります、事務総長。近い将来、どこかの国で兵器としての屍が完成した時、国際連盟はそれをどう扱いますか」


 立ち止まり、ゆっくりと振り返った国連事務総長は、その青く輝く瞳をアボット向けると、僅かに眇めた。


「我々の目的は軍縮だ。勿論、加盟国と協力して使用廃止を訴える」


 そう答えたが、即時に目を伏せると「そう言えば満足か?」と付け加えた。

 アボットの首筋がぐっと浮き出る。それほどに、奥歯を強く噛みしめたのだ。


「納得できんなら辞めるがいい。お前の代わりはまた探す」


 ギル・バンはアボットの返事を待たず、再び歩き始めた。歩きながら


「ラス!」


 と厳しい声で、立ち止まったままの案内人を呼びつける。

 ラスは渋々、その背中に従った。


 数分後。レギオ・ルブラへと開く鉄柵の扉の正面に、百人近い屍と十数名の案内人が集められた。そこから少し離れた場所に設営された壁なし型の天幕の下には、椅子とテーブルが用意され、各国の屍研究に携わる高級軍人らが座っている。

 テウトニアのブレン・ミュラー少将。

 ケルトニアのオスカー・レイヴン中将。

 スキティアのアリナ・ドゥミトロヴァ准将。

 ガリアのクロード・ベルトラン大佐。

 大戦以降、急激に国力を伸ばしている大国メリカナのジョナサン・オーウェンズ少将。そして、東洋の列強国ナギのタカミチ・ヤマト中将である。

 その錚々たる顔ぶれが持つ通称は、ケルトニア陸軍オスカー・レイヴン中将に与えられた『机上の死神』と同様に、およそ人間に与えられるものとは思えない強烈なものばかりである。


 周辺には、小銃を持った兵士によって警戒態勢が敷かれていた。

 いまだ意識のはっきりしない屍案内人機構の代表を白衣の二人から預けられたアレックスらは、ラスをはじめとする案内人らの傍らで、成り行きを見守ることにした。


「これより、屍を使った未爆発弾薬の撤去実験を始める」


 中央に進み出た国際連盟事務総長ギル・バンが、実験開始を声高に宣言する。


「皆も知っての通り、ここに残るは、多数の地雷、不発弾。そして、無数の鉛弾だ。これらを回収せずとも草木はいずれ芽吹くだろうが、人は二度と住めん。そこで我々は屍の力を借りて、それらを撤去するという解決策を考えた。屍には、これまで作業員が行っていた方法と同様、棒を地面に刺しこみ探査をしてもらう。発見すれば速やかに挙手し、その後の処理は作業員が行うものとする」


 実験内容が語られるなり、手を後ろで縛られている数人の案内人が肩を落とした。おそらく、軍部に捕えられた者達なのであろう。苦悶の表情で首を横に振る者。大きなため息を吐く者と、様々である。

 一方、手を縛られていない案内人は、ギル・バンについてきた者達なのであろう。彼らは演説する国連事務総長を静かに見つめている。その中で一人、声を上げた者がいた。

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