第31話 ギル・バンの演説
「そ、そんなの、無理だ」
たどたどしい共通語で異論を唱えたのは、フールーの案内人、ラス・リューである。
「か、彼らだって、ちゃんと考えてる。霊魂で、僕らの会話を理解してるんだ。そ、そんな危ない場所に、自分達から入るわけが、ないです」
半ば目を泳がせながらではあるが、きっぱりと否定した。
天幕の下にいる何人かがラスの発言を聞くなり、後ろに控えている部下を呼び寄せて何やらひそひそと耳打ちする。ギル・バンはその様子に軽く眉をしかめると、「入ってくれるさ。会話を理解して、自分で考えられるからこそだ」と反対意見に応じた。そして反抗的な態度を嘲るかのように鼻で笑うと、「子供の頃から自由勝手なお前には、到底理解できまいが」とわざと声量を上げる。
それに反応して、何人かのフールーの案内人が吹き出した。
一方、猛抗議をしたのは、イヴリンとジャンである。
「ちょっと! ラスは自分勝手なんかじゃないんだから!」
「そうだよ自分勝手っていうのは僕みたいな人間を言うの!」
果敢にも、国際連盟の顔に向かって指をさす。それをアボットが「しっ!」と止めに入りやめさせた。
アレックスは、中身が怪物同然の屍研究責任者らにわざわざ反乱分子扱いされにいった無鉄砲者を睨みつけ、「この馬鹿野郎が」と声を低く罵る。ギル・バンがラス を『取るに足らないワガママ者』として笑いものにしなければ、天幕の中にいる連中は、迷わずラスを暗殺候補に入れただろう。
ギル・バンが、密集している屍らの前に立った。
今すぐ腐り落ちてもおかしくないほどに傷んだ肉体。焦点の合っていない両目。汚れて破れた衣類をまとい、ただ立っているだけの死人達。しかしその霊魂だけは健在であると知る男は、懸命に語りかける。
「よく聞いてほしい。ここは、先の大戦で激戦区となった地雷地の一つだ。生身の人間がこの場所に踏み入り遺物の撤去を行うには、あまりに危険が大きすぎる。だから申し訳ないとは思いつつ言わせて頂く。あなたがたはもはや、命を失う心配はない。
エーテルの供給が途切れぬよう、柵の外には案内人が常駐し、もし作業中に事故で体を失った場合は、葬送人が霊魂を丁重に保護し、望み通りの場所まで送り届けると約束しよう。どうか、あなた方の最後の仕事だと思って。遺された者達のため。これから生まれる者達のために。大戦の責任をとる、手伝いをして頂けないだろうか」
両目を閉じ、屍らに向かって一度頭を下げると、次に、拘束されていない案内人の一人を呼び寄せた。ヤン、というフールーの案内人である。先程、ラスが揶揄された時に笑ったうちの一人だ。歳の頃は、ラスと変わらないように見える。
ヤンが鉄柵の鍵を解錠し、出入り口の扉を車一台分ほど横に開ける。
「我こそはという者はまず、彼の元へ」
ギル・バンが厳かに言って、ヤンを掌で示すした。
ヤンが懐から、黒く細い物を取りだす。木炭だ。屍の担当者を交代するつもりらしい。
まず、屍の集団の中から、一人の痩せた東洋男性がふらりと歩み出た。簡素な軍服を着ていることから、下級兵士であったことが伺える。
二番目に、農婦風の中年女性が集団の中から左足を引きずりながら現れた。その瞬間、腕を縛られている赤毛の女性屍案内人が、嗚咽をもらした。
それからは一人、また一人。前に出た屍らは、出入り口の前で待機しているヤンに向かって歩いていく。
集団の左端から進み出てきたケルトニア陸軍の軍服を着た若い兵士を見たラスが、顔を引きつらせた。
「か、カイン一等兵! だ、駄目です。戻って」
慌てて彼の前に回ると、押しとどめようと踏ん張る。
「ラス。やめるんだ」
ギル・バンが、静かに命令する。ラスはかぶりをふった。
「や、やめません。こ、この人は、奥さんと生まれたばかりの子供が、アボナで待ってるんです。だ、だから帰らなきゃ。他の人達だって――」
「ラス!」
「タオ イェン!(嫌だ!)」
ギル・バンがひときわ大きな声で叱りつけた直後に、ラスが悲鳴にも似た叫び声を上げた。実際、フールー語を知らない者であれば、ただの悲鳴に聞こえたかも知れない。
カイン一等兵の右腕が、のそりと動く。その手で上着の内側をごそごそと探ると、中から封筒を一つ取りだした。それを、自分をとどめている男の胸元に押しつける。
中にあるのは、一枚の写真だ。布にくるまれた赤ん坊を抱いて微笑む若い女性が、白と黒で写しだされている。写真の裏には『名前はジョンに決めました』という、流れるような文字が。
「え……」
受け取ったラスの口が震える。
自分の遺品として、妻と息子の写真を託し終えたカイン一等兵は、アオシェアから帰郷の旅を共にしてきた案内人の前を通り過ぎると、新たな世話役の元へと向かった。
そうしている間にも、帰郷を諦めた屍らが、続々と進み出る。その人数の多さに、もう一人、常駐の案内人が追加された。
突然、イヴリンが「あっ」と声を上げた。ダンまでもが、志願者として出てきたのである。
「だ、ダンさん」
前を通過する猫背の小柄な老人に、ラスが遠慮がちに手を伸ばす。しかしそれは、ダンの皺だらけの両手によってゆっくりと押し退けられた。
「む、娘さんが、待って、るんでしょう? ダンさん!」
ラスの呼び声は届いているはずだったが、ダンは歩みを止めることなく、エーテル供給者の書き替えを待つ列の最後尾に並んだ。
その様子を、天幕にいる高級軍人らが、興味深げに眺めている。
屍への説得をやめたラスが、レギオ・ルブラの入り口でエーテル供給者の書き替えをしているヤンに走り寄った。
「ヤン。デン イー シャ(ヤン。待って)。ブー ノン ジェヤン ヅォ(こんな事、しちゃいけない)」
前に立った女性の屍の額に大極図を描こうとしていた彼の手首を取ると、ぐっと手前に引き寄せた。
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