第32話 迫りくるもの

「ファン カイ(放せ)!」


 ヤンが、ラスの手を振りほどいた。


「俺は納得して先生に従ってるんだ。邪魔するんじゃねえよ」


 鋭い目で睨んだ彼は、ラスの顔を下から覗きこむと、右の口角をくっ、と上げる。


「そんなに連れ戻したかったら、中に入って引きずり出してこいよ。変人」


 それは一瞬だったが、ラスの白い虹彩に、ヤンの赤い虹彩の光が混じった。たちまちラスの目尻が吊りあがり、拳が固く握られる。


「いい加減にしないか! どちらも摘まみ出すぞ!」


 ギル・バンの厳しい叱責が二人を制する。

 幼い頃に受けた指導により、鬼教師への畏怖をその身に刻みつけられたのであろう二人は、同時にびくりと肩を跳ねあげると、一歩後ずさり距離をとった。

 諍いはそこで終わったかのように見えた。が、ラスがレギオ・ルブラへの入口へと走った事で、新たな悶着が始まる。


「よせ、ラス君!」


 ラスの目的をいち早く悟ったアボットが大急ぎで駆けつける。入口を通過するギリギリのところで、ラスを後ろから抱え込んだ。

 自分よりも頭一つ大きな青年の体を、何とかして入口から遠ざけようと引っぱる。しかし、凶屍のプールわきで抑え込もうとした時と同様、ラスの脚力と体幹力の強さを前に、彼一人では拮抗することすら叶わず、徐々に前へと引きずられていく。そしてとうとう、ラスの右指先が鉄柵に触れた。


「ううっ」


 唸り声を上げたラスの右手が、柵を掴む。アボットは片脚を支柱にかけ、踏ん張った。ギル・バンの、「おい、やめさせろ!」という、どこかうんざりした命令が飛ぶ。ジャンとイヴリン、そして命令に応えたヤンの三人が、アボットに助勢するため走った。


「君は生身だろ! 未爆発弾薬の撤去作業というのは――」


 力いっぱい踏ん張るあまり、アボットの声は若干裏返っている。その言葉が、大きな爆発音によって途切れた。

 柵の内側から起こった爆風がラスとアボット、一番に駆け付けたヤンを襲い、三人は揃って吹き飛ばされる。

 ラスの頭にいたメイはすんでのところで飛び去り、爆風を逃れた。

 ヤンとアボットに前後から挟まれる形で倒れているラスの肩に舞い降りると、身動きしない相棒の左頬を嘴でつつく。

 そこにギル・バンが駆けつけ、三人の鼻や胸に掌をあてた。

 大きく開けていた瞼と、きつく結んでいた口元の力を緩ませた彼は

「気絶しているだけだ。安心しろ」

 と、真夏の快晴のように強い輝きを秘めた碧眼をメイに向ける。

 柵の内側では、地雷を踏んで左脚を失った老境の屍を、数体の屍がソリを引くように引きずり、外へと運んでいる。その数体も、体の至る所に地雷の破片を突き刺している。

 出入り口で待ち受けていたキャソック姿の若い男が、左脚を失った老境の屍を腕に抱いた。「すみません。あなたはもう動けません。火葬にします」と高い音と低い音を繰り返しながら、ギシギシした声で告げる。

 途端、ギル・バンの口から、引っかかるようなため息が溢れた。

 メイは下手くそに鳴らした弦楽器にも似た二人の悲痛な息使いに小さく身を震わせると、ラスの首すじにぴたりと身を寄せた。

 


 豚などの家畜に地雷を踏ませて処理をしよう、と案を出し、実行に移した者がいる。しかしそれはあまりに非道徳的であると反対の声が上がり、開始間もなく廃止された。

 ならば死人を使った未爆発弾薬の撤去は、人道的なのか。問われれば、国際連盟事務総長のギル・バンであれば、元葬送人としての知識と経験を通し、こう答えるであろう。

 死人はあくまで人である。臓器の動きを止めているか否か、異なるのはそれだけで、我々となんら変わらぬ人間である。わけも分らないまま地面を歩かされ、四肢の一部あるいは全身が木っ端微塵になるのではない。そういう意味では、技術者が作業するのと同じことだ。

 しかし、その答えには一部、無理があった。

 屍の体は大きな荷物と同じ。感覚は内に宿っている霊魂のみに頼り、またその受け取り方も生者とは異なる。よって、生前のごとく体を自在に動かせるわけではないのである。

 案内人と同じく死人に接し共に働いてきた者とはいえ、霊魂の専門家である葬送人は、死人の体について案内人ほど精通していなかった。

 結果、誤算が生じたのである。

 大きな爆発が、鉄柵の内側でまた起こった。これで幾度目であろうか。

 何にしても、屍が探査用の棒を強く差し過ぎたか、地雷を踏みつけてしまったのは間違いないだろう。今度は近くに不発弾まで埋まっていたらしく、連鎖して更に大きな爆発音が上がった。


「はああ~っ。耳が壊れちゃうよお」

「確かに処理はできてるみたいだけど。試みとしては失敗よね? これ」


 断続的に発生する爆発音に耐えかねたジャンが両耳を塞ぎ、気絶中のラスの傍らでメイを膝に乗せて座るイヴリンは、隣に立っているアレックスに不安げな顔を向けた。

 レギオ・ルブラから十分に安全な距離を置いた彼らは、失敗で終わりそうな実験場を眺めている。

 アレックスは、朦朧としたままのゼンゾーを背中に担いだ状態で、志願した屍の半分近くが作業不能に追い込まれた閉鎖区域の凄惨さに小さく唸った。

 葬送人が柵の周りをせわしなく走り回り、杖を振り回している。爆発により体を失った霊魂を、杖先の網でとらえて保護しているのだ。

 屍が安全に未爆発弾薬の撤去を行うのは、現時点では不可能。その場にいる誰もが、確信していた。

 

 実験を一時中断してもいいだろう。

 ラスが目覚めたのは、現場にそんな空気が流れ始めた頃である。相棒の瞼が震えたのを見逃さなかったメイが、カアと鳴いた。

 うめき声を上げながら上体を起こしたラスの顔を、イヴリンが「大丈夫? どこか痛い? 耳は聞こえる?」と覗きこむ。

 ぼんやりとした状態で「メイシー(平気)」と答えたラスだったが、やがて頭がはっきりしてくると、慌てた様子であたりを見回す。


「ふ、ふたり……カイン一等兵と、ダンさんは!?」


 そして、鉄柵の向こう側にある光景を目の当たりにして、しばし言葉を失った。


「奇跡的に無事だ。あそこにいる」


 アレックスが柵の向こう。向かって左側の奥を指さす。

 視力に自負があるアレックスは、安全圏に移動してからも、体の一部および全てを喪失した屍と、原形を維持している屍を見分けていた。ついでに、ラスの連れていた二人の動きも追っていたのである。


「あ、アボットさん、は、どこに?」

「病院送りだ。鼓膜をやった。ヤンとかいう案内人も足を怪我したんでな。一緒に運ばれた」


 ラスが無傷なのは、ヤンが丁度爆発のタイミングで、ラスとアボットの前方に回っていたからだ。飛散した破片が左のふくらはぎに刺さったまま担架に乗せられたヤンは、人騒がせな同朋への恨み事を吐きながら運ばれていった。

 一方でアボットも、ラスに伝言を残し退場していた。


「アボットからの言づてだ。『すまなかった。どう責任を取るかは、これから考える』」


「せ、責任? 何の?」


 アレックスは頼まれた通りに伝えたのだが、伝えられた本人はきょとんとしている。


「お前ならそう返してくると思った」


 アレックスは、顔をしかめた。

 ラスがよろめきながら立ちあがる。

 柵の奥。今度は随分遠くの方で、再び爆発が起こった。

 粉塵の上がる様子を見つめるラスの口角が、グッと下がる。


「もうすぐ終わるさ」

「遅、すぎる」


 顔を伏せたラスが、アレックスに応じた。

 その時、ジャンが「あれえ?」と空へ向かって、眼鏡の奥にある両目を細くする。


「ねえ、あれって飛行船じゃない?」


 手入れがされていない人差し指の長い爪先が、東の空をさしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る