第25話 生者の尊厳(残酷描写あり)

 アレックスが副操縦士席に座るなり、アボットが口を開く。


「では、エンジンと計器のチェックを始めます。エンジンの状態を確認して下さい」

「正常に作動。油圧、問題なし」


 手引書通りに始めた部下に合わせて、アレックスも副操縦士として返答する。


「高度計と速度計」

「高度計はゼロ。速度計、正常」

「了解。離陸は四番目となります。合図を待って下さい」

「了解。信号旗に注意を払う」


 三機目が離陸し、地上係員から白い信号旗が掲げられた。


「滑走路への進入許可、確認」 

「了解。滑走路へ向かいます。タキシング開始」


 操縦桿を握ったアボットが操縦舵ペダルを踏み、機首を右へ振り滑走路へと侵入した。滑走路端で、一時停止する。


「フラップを設定。二段階下げました」

「了解」


 アレックスは答えながら、地上係員を注視する。係員の頭上で静止していた白旗が水平に降ろされた。


「離陸許可、確認」

「了解。ブレーキを解除。エンジン出力を上げます」

「おいお前ら! 離陸は前方から圧力がかかるからな。立つなよ」


 アレックスは、おそらくこれが初飛行となるであろう後方の三人に向かって声をかけた。機体の速度が徐々に上がる。順調な滑り出しである。あとは滑走路に注意を払いつつ、計器のチェックをすればよい。

 その時ふと、誰かに呼ばれたような気がした。アレックスの右側。気配を感じた方へ目をやると、研究棟の一階の窓から、誰かがこちらを向いているのが確認できた。マッキンリーである。そしてその左目は確かに、アレックスを見つめている。

 そうだったのか。と、アレックスは唐突に理解した。


 貴方は全て、承知しておられた。

 マッキンリーは戦いでこそ実力を発揮できる戦場の猛者であったがしかし、けして愚か者ではない。そんな彼が、自身の置かれている状況を、この基地の正体を、知らずにいるわけがない。

 アレックスは、つい先ほど気付いたのだ。この基地は、死人研究に関わる各機関の工作員だらけであり、またケルトニア軍は、それを容認しているのだと。この基地は、案内人と死人の最初の選別所である。ここから、本国あるいは他国、または各機関へと、フルゲンテス・オクーリ計画本部からの指示を受けた工作員の手によって、研究材料が運ばれるのだ。


 マッキンリーはもはや、ただの看板に過ぎない。ケルトニアに忠誠を誓い奮戦した彼を研究所の所長に置くことで、我が国の軍部は、この基地の疑わしきを隠しているのだ。彼は、この基地の門標と同じ。ホラ吹きばかりの檻にタグとして放り込まれ、真の部下など、どこにもいやしない。今、モルトスを乗せて飛び立った機体と操縦士らが、彼のもとに戻って来ることはない。


 哀れだ。戦闘力も統率力も必要とされず、ただ名前と体を使われるだけの軍人が、誇りなど持てようか。


 す、とマッキンリーの右手が動いた。黒い物を握ったその手が頭部へと移動し、長く伸びた先端を、自身の右側頭部に押し当てる。銃だ。


「いかん!」


 アレックスは、とっさに叫んだ。アボットが「えっ?」と驚いたような声を上げ、ブレーキペダルを踏もうとする。


「お前じゃない! 離陸続行!」


 振り返ったアレックスは部下を一喝した後、すぐにマッキンリーへ視線を戻す。マッキンリーはまだ倒れていない。しかしその人差し指は、確実に引金に添えられている。

 離陸を中断し、かけつけたところで間に合わない。わざわざ亡骸を確認しに行ってどうなる。遠ざかりながら、見届けるしかない。

 引金に添えられた指先が、僅かに動いたように見えた。次の瞬間、死者に関わる案内人の勘だろうか。ラスが立ちあがり、研究棟側の窓へと走る。


「見るな!」


 アレックスは怒鳴り、ラスを立ち止まらせた。

 死人に尊厳があるというならば、生者の尊厳はどこにある。母国に挺身した末路でその母国に辱められた軍人が、どうやって己の尊厳を守ろうとするのか、死人の世話人などには、想像もつかなかったことだろう。


 マッキンリーの左側頭部から鮮血が飛び散る。輸送機のエンジン音が邪魔をして、アレックスの耳に銃声は届かなかったが、滑走路から離れていた何人かが、同時に研究棟へ振り返るのが見えた。


 マッキンリーの体が傾き、窓枠の外へと消える。


「ちくしょうっ」


 アレックスは骨が浮き上がるほど固く握りしめた両の拳で、膝を打った。



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