第23話 頑固な妹

「ね、ねえ。温めなおそうか?」


 イヴリンの隣に座っているジャンが、気遣わしげに訊ねた。

 イヴリンががっついているのは、ラスに与えられた食事である。シチューはすっかり冷えてしまい、固まった油が浮いている。けして美味くはないだろう。しかしイヴリンは、「いい」とだけ応じると、またシチューを食べ始めた。まくしたてて気が晴れたからなのか、空腹が満たされたからなのか定かではないが、幾分、食べ方に品が戻る。


「お気の毒に」


 アボットが心底同情するように、ゆっくり大きく頷いた。


「コーヒーおかわり」


 要求するイヴリンに、「これでよければ」と、手をつけていない自分の分を差し出す。


 アレックスは、コーヒーを飲み干す妹を見つめながら、腹にふつふつと怒りが溜まりゆくのを感じていた。冷静さを重んじる情報部将校としては忸怩たるものがあるが、元来、アレックスは激情型の人間なのである。唯一信用していた妹が、死体愛好家と結託して自分を騙したとか。尊敬の対象だったかつての上官が、再会してみれば人間性をこじらせていたとか。狂科学者の言動がいちいち癪に障るとか。滅多に涙など見せない気丈な妹が大声で泣いたとか。そのくせ、元凶とも言える死体愛好家は平然としているとか。

 要するに、我慢の限界がきたのだ。


「おい貴様! 死体の修理よりも先にやる事があるだろうが!」


 両の拳でテーブルを叩いて立ちあがったアレックスは、とりあえず、今現在最も目に余る死体愛好家にいちゃもんをつけた。


「え、なに?」


 将校風のモルトスの左わき腹を縫っていたラスが、顔を上げる。

 五人のモルトスと再会するなり、衣服の上からボディチェックを始めたラスは、将校風のモルトスが負っていた損傷を見逃さなかった。手早く衣服を脱がせ皮膚の剥がれ具合を確認すると、ジャンから針と糸を借りて縫合を始めたのだ。


「ご、ごめん。よく、聞こえなかった。もう一度」


 手を止めたはいいが、厚顔無恥にも再度の叱責を要求してきた相手の態度に、アレックスは怒りのあまり、顔が火をふきそうなほどに熱くなったのを感じる。


「彼女に、何か、言葉がけを」


 ラスにも聞きとりやすいよう配慮したのだろう。アボットが言葉を区切りつつ、掌でイヴリンを示した。


「え、あ。い、イヴリン。君はもう、村に、帰っていいから」


 しかしアボットの心遣い虚しく、イヴリンに散々迷惑をかけた男からの言葉がけは、お世辞にも親切とは言えなかった。

 スプーンの尻を机に叩きつけたイヴリンが、両目と口を大きく開き、反対の拳を強く握りしめる。

 どうやら妹の苛立ちも最高潮に達したようだと判断したアレックスは、正面の席に回り、拳が握り締められたままになっているイヴリンの腕を取った。立ちあがらせようと、上へ引く。


「付き合ってられん。帰るぞイヴリン。アボット。フロンドサスまでこいつを送る」

「承知しました」


 アボットが速やかな動きで席を立つ。

 その時、扉がノックされた。「はあい」とジャンが応じる。


「失礼いたします」


 入ってきたのは、袖口に軍曹を示す縞模様がある軍服を着た、中年の男だった。彼は姿勢を正し、アレックスとアボットに敬礼する。

「アレックス・フォード中佐、セネカ・アボット少尉に、上官からの命令を伝達しにまいりました」

 と、要件を告げてから敬礼を解き、腕を自然に横に下ろした。


「まず、セネカ・アボット少尉。貴官はモルトス案内人ラス・リューおよびモルトスを、輸送機でオラティウム空軍基地まで護送するようにとのことです。任務における準備と留意事項を怠らず、速やかに実行に移して下さい。また、アレックス・フォード中佐。貴官は本部へ帰還せよとの指示です。以上、命令を申し伝えました」

「了解しました」

「ご苦労」


 アボットとアレックスが答礼すると、軍曹は「それでは、失礼いたします」と再度敬礼し、姿勢を正して一礼。静かに退室した。


「すみません、中佐。車はお願いします」

「ああ。気にするな」


 アレックスと短いやりとりをしたアボットが、その冷静な面立ちをラスに向ける。


「聞いていたかい、ラス君。出立の準備を」


 と静かに告げた。

 ラスが目を伏せ、こくりと頷く。

 狼狽したのは、ジャンである。


「え、嘘だろ。もう行っちゃうの?」


 客人らにキョロキョロと視線を送ったジャンは、将校風のモルトスに服を着せているラスに詰め寄った。


「待って待って。そんなの駄目だよ。だって僕、君が薬漬けになったり目玉をくりぬかれたりしないように、所長に頼もうと思ってたんだ」


 薬漬けや目玉を失ったラスを想像したのだろう。イヴリンが口を手で覆った。

 眼球を吹っ飛ばして運ばれてきた兵士なら野戦病院で散々見てきただろうに、とアレックスは嘆息しつつ、イヴリンの左腕を引っぱる。


「ほら、行くぞ」


 イヴリンがアレックスを押し退けた。


「私もラスと行く」


 宣言してから、ラスに駆け寄る。アレックスは奥歯を噛みしめながら、「イヴリン!」とお節介な妹の名を呼んだ。


「頼むから、これ以上首を突っ込んでくるな」

「だって。目玉をくりぬかれるなんて聞かされたら、放ってなんかおけないでしょ」

「従軍看護師だったお前なら分るだろ。ここから先、お前は邪魔になるだけだ」

「じゃあ、ラスに何て言ってここで別れるの? 『さよなら』? 『またね』? 『ごめんなさい』? 見捨てる為の挨拶は、もう言い飽きた!」


「うう……」とアレックスの口から、うめき声が漏れる。

 まったくこの妹は、昔から行動力も口も達者すぎる。戦時中はこの二つで、兄の制止も聞かずに看護師の訓練を受け、野戦病院に赴いたのだ。


「ねえ、戦争は終わったのよ、兄さん。これからは、したいようにさせて」


 懇願するように、イヴリンが続けた。実に既視感を抱かせる台詞だ、とアレックスは思う。


【私達、いつ死ぬかも分らないのよ。だったら、したいようにさせてもらいます】


 前線に送られてきた、イヴリンからの手紙である。

 お前は戦時中でもしたいようにしてただろうが、クソッタレ! と心中で毒ついてから、アレックスは肩を落とした。


「おい、アボット」


 部下にかけた声は、やや掠れ気味だ。


「輸送機なら副操縦士が要るだろう。俺が座ってやる」


 アボットが、信じられないと言わんばかりに目を見開く。


「しかし、中佐は本部へ戻るようにと」

「ただちに、とは言われとらんだろうが」


 苦しい言い分だという自覚はあったが、とことん疲れたこの状況では、これ以上にもっともらしい主張が思いつかなかった。


「僕も行くよ。君にはすごく興味があるんだ」


 しかも迷惑なことにジャンまでが、ラスに肩を寄せて同行を希望する。

 アレックスは目を剥いた。


「お前はここの研究員だろうが!」

「異動してもいいさ。待ってて~。今から所長に掛けあってくるから」


 ジャンが歌うように言って、軽い足取りで出入り口へ向かう。


「やめておけ。承諾されるとは思えない」


 扉を開いた白衣の背中に、アボットが忠告した。


「だったらここを辞めるー」


 ジャンは後ろ向きに手を振って応えると、扉を閉めて廊下に消えた。

 アボットは唖然としたままそれを見送る。


「……彼、生きたまま辞職できると思っているんでしょうか」


 唖然としたままアレックスに問いかけた。


「思ってるから行ったんだろうよ」


 ジャン・ローリーという研究員は、一見頭のねじが飛んでいる狂科学者に見えて、実のところは有能であると、アレックスは評価していた。足元に散らばっている紙に殴り書きされたメモの幾つかに、アレックスがいまだ知らされていない、案内人や死人についての真新しい情報が記されていたからだ。『!』や『?』がメモ書きの随所に見られることから、これは、ジャン自身が仮説を立て、立証したものであろうと思われた。しかしながら、そういった極秘情報にあたる研究内容を乱雑に扱う精神は、やはりどこかイカれているのだろう。

『フルゲンテス・オクーリ計画』自体は機密扱いだが、その研究の最新部は当然ながら極秘扱いである。研究者を辞めると言った時点で彼は拘束され、最悪射殺されるだろう。

 ならば待つ理由は無い。

 アレックスはそう判断した。


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