第四章 移送先は
第22話 屍らのボイコット
一二月の麦畑は、実に静かである。収穫期を終えた畑には一面、枯れた麦の茎が残っており、曇りがちな空の色とあいまって、全体的に冷たく、落ち着いた雰囲気が漂う。そんな風景の中にのびる一本の農道を、五体のモルトスを乗せた馬車は進んでいた。
アボナまでは、おそらくあと二時間足らず。昼には到着するだろう。目的地はもう目の前だ。
『ねえ、そっちの団体から交渉して、ラスを解放させるっていうのは無理なの?』
ラス一人の力では解放も逃亡も叶わないと踏んだイヴリンは、こちらから働きかけてラスを助け出す方法を模索していた。
イヴリンの荷物の上で座っている師父が、ゆっくりと首を捻る。
『相手は世界中の軍部だからなあ。既に数百人の案内人が救難陣で、掴まった、と報告してきておるから、一筋縄ではいかんのだよなあ……』
否定的な意見を述べるなり、何かに気付いたように、ふと顔上げた。
『ああ。また一つ狼煙が上がったわ。随分遠い。おそらく海の向こうだ』
嘴は、南西の方角を向いている。ルシタニアのあたりだろうかと推測するイヴリンの隣で、師父が深いため息をついた。
『やれやれ。案内人は数が少ないというのに。根こそぎ攫う気か……』
根こそぎ、という言葉に、軍の本気を感じたイヴリンはぞっとする。フェロックスやモルトスが軍事利用された戦場を想像すると、鳥肌が立った。
『ねえ、あなたも捕まっていて大変だろうけど、これは個人でどうにかできるレベルじゃないんじゃない? 力を持ってる人間か、組織が動いてやらなきゃ』
『動いておるが、時間がかかるんだよ。軍に捕まるということは、すなわち死。それを皆が承知の上で働いている』
『死ですって?』
イヴリンは鼻根に皺を作って、不快感を露わにした。
『ラスにしてもあなたにしても、その自爆的な発想、ちょっと時代遅れだと思うわ!』
自己犠牲なら戦時中に嫌と言うほど求められてきた。もう沢山である。
『案内人にとって死は避けるものでも、求めるものでもない。受け入れるものであるから』
『達観的な意見は結構よ!』
諭そうとする師父の言葉を、イヴリンは再びきつい口調で遮った。その声の大きさに驚いた馬が、歩調を乱す。鼻を鳴らし、大きく首を振った。
イヴリンは『どうどう』と手綱を控え、馬が落ち着くのを待つ。
『せっかく平和になったのよ。もういい加減、生きる事を欲張ったっていいじゃない』
足を止めた馬の尻に手を伸ばし、優しく撫でながら、師父に意見した。
しばしの沈黙の後、師父が『……そうよな』と静かに肯定する。
『口では達観したことを言っていてもなあ、イヴリンさん。ラスが死んだら、ワシは正気じゃいられんかもしれんわ。もしあの子……あの子が……』
言葉に詰まり顔を伏せ、ううう、と嗚咽を漏らしはじめた。
『え、うそ。泣いてるの?』
目を丸くしたイヴリンは、リュックの上で丸くなっている師父を覗きこんだ。その時、ドスン、という鈍い音が後方から聞こえる。
『ねえ今、何か落ちた?』
嫌な予感を覚えたイヴリンは、手綱を下ろして馬車から降りる。荷台へと回り、そこにあった光景に、『ええ!?』と声を上げた。
ロイズ中尉が、道に転がっていたのである。出立前に閉めたはずの荷台扉は、いつの間にか開いていた。他の四人は、出立前の位置に大人しく座っている。ロイズ中尉だけが、転げ落ちたようだ。
『あれ? あの人、一番奥に座ってたはずなのに』
ロイズ中尉に駆け寄ったイヴリンは、コートのポケットに入れてあった鐘を取り出して振った。高い音色が、一つ響く。だがロイズ中尉は、ぴくりとも動かない。
首を傾げたイヴリンは、鐘をポケットにしまうと、今度は手を叩いた。
『ほら、起きてちょうだい。馬車に戻って』
二度目を叩く。
三度目。今度は、強めに叩く。
四度目。半ばやけくそに、何度も叩く。
ここまでやっても、ロイズ中尉の巨体は反応しない。
『冗談でしょ。あと少しでアボナなのに!』
イヴリンはロイズ中尉の上半身を背中側から起こすと、両脇に腕を差し入れ、力任せに荷台に引きずり上げようとした。
『あ』
その瞬間、ロイズ中尉の脇の下あたりから、何かがずれたような、ずるりとした嫌な感触が伝わり、身を固まらせる。巨体をゆっくり地面に下ろしたイヴリンは、自分の腰に手をあてて頭を垂れた。
『こりゃ駄目だ。皮膚が剥けるわ……』
剥ける、というか、実際に剥けたのだろう。家族に渡す前に一度、体を確認しなければならない。ずれた部分が大きければ、糸で縫合する必要もあるだろう。
イヴリンは途方に暮れる。
『え~、どうしよう。誰か通らないかな』
一人ではどうにもできない。せめて脚を持って一緒に担いでくれる人がいれば、中尉の体を傷つけずに荷台に戻せるのだが。
馬車から離れたイヴリンが人影を求めてきょろきょろしていると、再び大きな物が落ちる音がした。しかも、今度は複数だ。
振り返ると、残りのモルトス全員が地面に落下していた。マリーとオリバーとダンの下敷きになっているのは、カイン一等兵だろう。三人の体の下から、戦闘用の軍服とブーツに包まれた両脚が、にょっきりとはみ出している。
これは事故ではなく、明らかに五人とも、自らの意志で落ちたのだとイヴリンは悟った。
『どうしてよ!』
泣きそうになり、濁音交じりの叫び声を上げる。イヴリンの声を聞きつけたのか、師父がひらりと飛んできた。
師父が、集団落下した頂上にいるダンの背中に降り立つと、彼の肩甲骨あたりを嘴で軽くつついた。小首を傾げた数秒の後、今度はロイズ中尉の頭の上に移動し、頭頂部をまた、嘴でつつく。
『ふん』と納得したように中尉の頭の上でチョンと跳ねた師父は、イヴリンを見上げた。
『アボナへは行かんのだと』
『へぇ!?』
『ラスの元へ戻ると、皆は言うておるのよ』
イヴリンは口をあんぐりと開けて固まった。言いたい事は色々あった。ただ叫んでもよかった。しかしどの言葉も、言葉にする必要のない叫び声すら、喉につっかえて止まってしまう。声を詰まらせながら、山積み状態になっている四人とロイズ中尉を交互に指さし、頭をかきむしったイヴリンは、最後に両手で顔を覆った。
『好かれてるって、言ったくせにぃ』
ラスへの恨み事だけが、情けない声となって滑り出てきた。
★
「それでね。『居場所が分らないから連れてけない』って答えたら、急にみんな勝手に歩きだしちゃって! とりあえず荷物だけは担いで追いかけたけど警察に通報されて掴まって、最後に軍が迎えに来てここに連れてこられたの! 師父はいつの間にかただの烏に戻っちゃってるしもう散々! やっぱりこの人達、私じゃ駄目だったみたい!」
イヴリンが泣きながら、目の前にあるシチューを言葉の合間にかっこんでいる。実に豪快な食べっぷりであるが、これでは足りないとばかりにスプーンを乱暴に置いたイヴリンは、皿を持ち上げ汁をすすりはじめた。八分目まで食されたそれを戻すと、今度はパンを鷲掴みにして、噛みちぎる。咀嚼しながら「あ~あ」とテーブルに肘をつき、額を押さえて肩を落とした。
そのあまりの荒みようにアレックスは言葉を失い、正面の席で飯を食らう妹をただ呆然と見守る。
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