第22話 破壊されたロザリオ
「待て!」
慌てたアレックスは、ラスを追って前に出た。その先で、しばし言葉を失う。飛び込んだまま
ラスは
着地したラスは、底に溜まっている腐敗物に足を滑らせはしたものの、持ち前の体幹の強さと高いバランス感覚でもちこたえた。そこからはひたすら、襲いかかって来る
ラスは、屈んだり身を捻ったりと、掴みかかろうとしてくる
頭頂部。首裏。肩甲骨の間。口。
触れる場所は、この四カ所に決まっているようだった。ラスに触れられた
ラスは着地点で、一〇体ほどの
ラスがその場から動いたのは、正面と左方向から、四体の
右の壁に向かって勢いよく走り込んだラスが、床を蹴る。人一人分ほどの高さまで駆け上がると、垂直の壁を走り抜け、
「早いなぁ~」
「まるで曲芸ですね」
ジャンとアボットが感嘆する。
アレックスは、アボットの”曲芸”、という表現に、馬鹿野郎、という気持ちを込めて低く唸った。これが曲芸なわけがない。力強く無駄のない動きで、的確に相手の急所をついている。両手に刃物を持たせれば、護衛ごと標的を葬れるだろう。銃を持たせれば、集会場丸ごと一つを、一人で
ラスは、先の大戦では何度も前線に赴いたと言っていた。そこで仲間を大勢失った、と。そんな状況で生き残れたのは、運だけではなかったのだ。
仕上がり具合に個人差はあるだろうが、おそらくフールーでは、他の案内人も同じように訓練されているに違いない。毒ガスや銃弾をものともせず突進する不死の軍団を率いる指揮官には、もってこいかもしれない。
アレックスは顔半分だけ振り向き、腕試しをもちかけたマッキンリーを伺った。
杖のグリップの上に両手を重ね、直立しているマッキンリーの表情。髭の下にあるその口は、笑っていた。合格、という事なのだろう。
アレックスがマッキンリーに気をとられている間に、ラスが、残る二体のうちの一体に足をひっかけて仰向けに転倒させ、その口を左掌で覆った。
最後の一体は、左の壁際にいた。動きを止めた
「彼、三日前の案内人だ」
ジャンの言葉で、最後の一体が身につけている服が、キャソックを模した本国の
「ロ……ロザ……リオ」
獣が唸るような声が聞こえた。それが、
「ロザ、リオ! ロザリオー!」
半分近くを食われた顔面に残る口を大きく開けて、その案内人は何度もロザリオ、と叫ぶ。
「凄い。案内人は、
「ロザリオ……胸にある、あれでしょうか」
ジャンが握った拳を興奮気味に上下させ、アボットは案内人の胸元で揺れている十字架を指さす。焦げ茶色をした、木製のロザリオ。それをとらえたアレックスの目が、大きく見開かれた。
「赤い石だ」
ロザリオの中心には、ラスの前髪に揺れているものと同じ大きさの、赤い石が埋め込まれていた。
あの案内人は、石のありかをラスに教えているのだ。腕を失くした自分に代わりに、それを破壊して自分を燃やせとラスに求めている。しかしその要求に相反して、案内人の
プールの床には、機能停止した
右脚を引き、僅かに腰を落として構えたラスが、案内人の
二人の体がぶつかる寸前、ラスが更に腰を落とした。突き出した右手で、
パキン、と何かが割れる音がした。すると一瞬のうちに、
緑色の炎に包まれた案内人は、ラスにもたれかかるように全身を預けると、ずるずると滑り落ち、横に倒れた。炎は他の
ラスは燃え続ける遺体の横にしゃがむと、炎に手を差し入れ、一生を終えた案内人の両目をそっと閉じた。立ち上がり、アボットを見上げる。
「あ、あの、すみません。軍人さん」
「アボットだ。ラス君。セネカ・アボット」
アボットが、ラスに名乗った。その顔には、ラスに対する称賛の意が表れている。
ラスは小さく微笑むと、「アボットさん」と呼び直した。歩み寄り、アボットに右手を差し出す。
「す、すみません。木炭を、ください」
アボットは言われるまま、荷物から木炭を取り出し、ラスに渡した。
ラスはその木炭で、プールの底に倒れている
「
ジャンが実に嬉しそうに、ラスの行動の意味を説明する。
最後の一体の首筋に大極図を描き終えたラスが身を起こし、横たわる死人達を見渡した。早くも案内人の躯は、骨も残らず燃え尽きている。
「弔いか、帰郷か。望みは後で訊きます。言葉は、とっておいてください」
ラスは、横たわる死人達にそれだけ告げると、躯を跨ぎながらこちらへ戻ってくる。一蹴りでプールの縁に手をかけ、難なくプールサイドに上がった。
アレックスはラスを迎え入れるなり、その姿を見て呆れかえった。あれだけの立ち回りをしておいて、汗一つかいていないのだ。
「バケモノかお前」
不思議そうに首を傾げたラスが、「に、人間だけど」と律儀に答える。
ジャンが落ちていたコートを拾って、「はいこれ」とラスに渡した。
「見事だった。名前を訊こうか」
コートに袖を通すラスの背中に、マッキンリーが自己紹介を求めた。ラスは、解せない、といった顔でマッキンリーに振り向いた。
「え……な、なぜです?」
有益と判断された研究材料にもたらされるものが、解放なわけがない。
移監。
マッキンリーはそれを、栄転、と皮肉った。
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