第19話 死人の尊厳

「俺は死者の世話人を差別するつもりはない。お前達の同業者である葬送人そうそうにんには、尊敬の念すら抱いている」


 上体を大きく揺らしながら、マッキンリーが先頭を進んでいる。左の義足を踏み込み、右手の杖に荷重をかけるたびに、マッキンリーの話し声は掠れる。左足の支持力不足を補うように、右足を素早く接地させるたびに、緑色の廊下が引きつった音を立てる。アレックスらは黙って、戦線を離れた将校の、右へ傾いだ背中に続いた。

 マッキンリーは話し続ける。 


「特にペラの葬送人は、蜘蛛の糸をつむいだ杖で霊魂を保護し、故郷へ運ぶ。フェロックスといった化け物は生み出さない。己の精気を与えて死体を動かすお前達とは違い、実に美しい手法だ」


 アレックスは、横目でラスを見た。マッキンリーの語りは明らかに案内人を蔑むものだが、蔑まれている本人は平然としている。

 最後尾を歩いているジャンが、再び異を唱える。


「所長、違うよ。葬送人は、元々霊魂を運ぶのが仕事。案内人は、霊魂を死体ごと運ぶのが仕事。単純に、得意分野が違うだけだ。ペラは、霊魂が死体にとらわれにくい土地柄だから葬送人の技術が磨かれただけさ。そうだよね、案内人さん?」


「ああ、うん。そうだよ。よく知ってるね」


 同意を求められジャンに振り向いたラスが、控えめな笑顔を浮かべてそう答えた。続けて、案内人を嘲った男の背中にも、「僕も、ペラの葬送人のやり方は好きです」と友好的な言葉を送る。マッキンリーは、何も言わなかった。

 アレックスとアボットは互いに顔を見合わせる。アボットは困ったように笑い、アレックスは眉間に皺を寄せて首を小さく横に振り、マイペースな案内人に対する呆れた心情を表した。

「ここだ」とマッキンリーが、臙脂色に塗られた片扉の前で立ち止まる。内ポケットから取り出した鍵を丸ノブに差し込んで解錠すると、ジャンに振り返り「開けろ」と命じた。

 ジャンは「ええ~」と嫌そうに顔をしかめるも、上官の命令に従って、扉を重たそうに手前に引く。


 扉が開かれた瞬間、部屋の中から無数の絶叫と、吐き気を催すほどの腐敗臭が爆発的に溢れ出た。

 目の前に広がった光景に、アレックスは言葉を失う。


「いつ見ても気分が悪いね。こんなやり方、美しくないよ」


 ジャンの独り言に対し、アレックスは心中で、違う、と呟いた。開かれた扉の向こうにあるものは、美しいかそうでないか、そんな悠長な感性で語れるものではなかった。凄まじい。ただそれだけである。

 部屋の中には、縦横一〇メートルほどのプールがあった。深さは、成人男性二人分くらいだろうか。水は入っていない。水の代わりに、そこにはフェロックスが詰め込まれていた。叫び声を上げているのは彼らだ。プールの壁を引っかき、上へあがろうとしている。


 プールの底は、茶色い泥のような物体で汚れていた。山のような塊が幾つかあり、中には白いものが混じっている。骨だと分った。山は生き物の残骸だ。腐臭の原因はそれだった。微かに汚物の匂いも感じるが、もはや嗅ぎ分ける事は不可能。その臭気は目に染みるどころの騒ぎではない。嗅ぎ続けていると、気が遠くなりそうなのだ。アボットなどは、あまりの臭さに我慢できず、前腕で鼻と口を覆っている。

 プールサイドには、白い防護服のようなものを着た研究員らしき人間が二名いた。つま先から頭まで防護服ですっぽり覆われているために、顔はおろか性別すら分らない。


 最初に部屋に足を踏み入れたのは、ラスだった。マッキンリーが入れと命じる前に、扉を潜る。

 ラスは、地獄の一部を切り取って持ってきたような光景の前でしばし立ちつくした後、入室してきたマッキンリーに振り返って訊ねた。


「これ、は、あなたが?」


 マッキンリーが「ああ」と短く答える。そして、防護服姿の二人に「餌やりは終わったのか」と確認した。


「今しがた。今日は牛二頭です」


 背の高い方が、籠った声でそう答えた。若い男の声だった。

 なるほど、プールの底に転がっているのは牛の骨だったか、とアレックスは理解する。骨の数から察するに、これまでの遺物は回収されず、そのままのようだが。


「タイ グオ フンラ(あまりにもひどい)」


 強い否定に相当するフールー語を、ラスが呟いた。その声色に、はち切れる寸前の怒りを感じたアレックスは、慌ててラスに手をのばす。

 ラスの体幹の強さを、身をもって経験していたアレックスは、両腕でラスの腹囲を抱え込み、足を踏ん張った。

 次の瞬間、ラスの腹に回していたアレックスの左腕が、後ろへ強く押される。ラスがマッキンリーに掴みかかろうとしたのだ。


「どうして!」


 マッキンリーに向かって、ラスが叫ぶ。

 アレックスは、向う見ずな案内人が研究所のトップに危害を加えないよう、必死に押しとどめた。アレックスの加勢として反対側に回ったアボットも、ラスの胸を押さえにかかる。


「頼む。堪えろ」


 マッキンリーに聞こえぬよう声量を抑えたアボットからの懇願は、ラスの耳には届いたはずだ。しかし、ラスはアボットの声などは聞こえていない様子で、マッキンリーに詰め寄ろうと上体を乗り出す。


「し、死は、それだけで、恐ろしい。その上、この人達は、とても苦しくて、つ、辛い思いをしながら、し、死んだんだ。も、もし、ここにいる人達があなたの、家族、だったら?」


 つっかえ苦しみながら、絞り出すように。まるで泣き声だ、とアレックスは思った。ラスの眦から涙は流れていない。しかし、一六歳で士官学校に入学してから一日たりとも鍛錬を怠らないアレックスが両脚で踏ん張っても、気を抜くと押し退けられそうになる。それくらいの激情なのだ。


「ど、どうして、こんな事ができる。死人の尊厳を、無視するな!」


 フェロックスらの絶叫も凌駕するほどの怒声だった。終始とぼけているような印象だったラスが発したものとは、とても思えない。ラスの口元に右耳があったアレックスは、耳鳴りを覚えた。同じくアボットも耳をやられようで、軽く頭をふっている。視界の隅にちらりと映ったジャンは、ちゃっかり両手で耳を塞いでいたから忌々しかった。


「ではお前が尊厳を取り戻してやればいい」


 マッキンリーが、所長室で再会した時と全く同じ直立姿勢と表情で、ラスに言った。ここにいるフェロックスを全て鎮めてみせろ。それがお前の腕試しだ、と。


「死人へのアプローチは国によって毛色が違う。フールーの案内人がどれほどの仕事をするのか、見せてもらおうか」

「し、鎮めたら、僕とこの人達を、解放、してくれますか」

「そうだな。解放してやれる。少なくとも、この施設からはな」


 ありがちだが、ずるい回答だ、とアレックスは思った。恐らく、この施設は選別所のような場所なのだろう。研究に使える材料だとここで判断されたら、更に上の研究施設に送られる。真の解放は叶わない。冷静に考えれば、そんな事は誰にでも分る。

 しかしラスは、「分りました」と答えると、身を引いた。コートのポケットから親指大の木炭を取り出し、それを使って両掌に、八角形の中に波線で割ったような円を描きはじめる。


「僕それ知ってるよ。大極八卦図たいきょくはっけずだろ。どうやって使うの?」


 ジャンが興味津々で、ラスの後ろから図形を覗きこむ。ラスは答えず、木炭をコートのコメットに仕舞うと、コートを脱いで床に落とした。両足を肩幅に開いて立ち、深呼吸を一つ。腹の前で両掌を向かい合わせ、ボールを持つように指を柔らかく曲げる。掌の間に視線を落としたままその姿勢を保つ事、十数秒。向かい合わせた掌の間で、閃光が走った。ラスは光を握りこむように、両手を重ねる。


「この中には一人、本国の案内人がいる。三日前、連中を助けたいと言うので中に放り込んでやったら、助けるどころか仲間入りだ」


 マッキンリーが言った。

 鼻から息を吸い、口から大きく吐いたラスが、分った、と応じるように首を小さく縦に振る。

 教会でラスから聞かされた内容と話が違う事に気付いたアレックスは、眉をひそめる。


「案内人はフェロックスになる前に燃えるんじゃなかったのか?」

「た、多分、石が作動、しなかった。身につけてるはずだから、探して、壊さないと」


 頼りない道具だな、とアレックスは呆れる。


「おい、梯子をかけてやれ」


 マッキンリーが、防護服を着た二人に命じる。


「いらない」


 言うなり、ラスが走りだす。そしてプールの手前で高くジャンプすると、フェロックスがひしめく中に、飛び込んだ。

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