第16話 死人研究者ジャン・ローリー
アレックスらが向かった先は、フロンドサス村から東へ六〇キロ離れたノルフォルキア州の空軍基地だった。
平野に延びる舗装された道の先に、鉄柵が張り巡らされた無機質な印象のだだっ広い敷地がある。その風景の中で唯一温かみが感じられるレンガ製の門標には、基地名だけがシンプルに表記されていた。その門標を通過して間もなく、通用門が現れる。
アレックスの部下であるセネカ・アボット少尉が、運転席の窓越しに軍人手帳を見せつつ門衛と二・三やりとりをした後、再びトラックを走らせ敷地内に入った。
助手席に座っているアレックス中佐は、部下がハンドルを切っている隣で、本日五本目のタバコに火をつける。アレックスは、フロンドサス村を出てからずっと苛々しているのだ。別に腹が減っている訳ではない。朝食は済ませてあるし、時刻は昼前である。
「落ち着いて下さい、中佐。妹さんと彼は、何もありませんよ」
その大人しそうな顔に困ったような笑みを浮かべたアボット少尉が、荷台にいる案内人の青年と、アレックスの妹の潔白を唱えた。
図星を突かれたアレックスは、若年の割に洞察力に優れた部下に向かって、「運転に集中しろ」と仏頂面で返す。
「ならせめて、貧乏ゆすりをやめて頂けませんか。運転に集中できません」
進行方向を見たまま、アボット少尉が注意する。
アレックスは心中で、生意気な若造だ、と悪態をついてから、左足首の上下運動をやめた。
ラスを荷台に乗せた軍用トラックは、門衛に言われた通り、幾つかの建物の間を抜け、基地の西側奥へと路を進む。
「しかし本当に、こんな所に死人の研究施設が置かれているんですか? 見た所、どこにでもある田舎の基地ですが」
「末端の末端だがな。部長に今回の話をしたら、一度ここへ運べと言われた」
トラックを運転しながら疑わしげな視線を周囲へ配るアボット少尉に、アレックスは空軍省を出立する前に上司から下された命令を明かした。
ほどなくして、右前方に白塗りの建物が現れ、その正面で白衣を着た男性らしき人物がこちらに向かって手をふっている姿を見つける。
「いたぞ。お迎えだ」
アレックスは、白衣の男を顎で示した。
白衣の男に誘導された場所にトラックを停め、アボットとアレックスが車から下りる。すぐに、白髪交じりのボサボサ頭が、トラックの前からひょっこり顔を出した。トラックを誘導したその人物は、「やあどーも」と皺だらけの白衣の襟を直しながら、アレックスの前に立つ。
「空軍省情報部のフォード中佐殿ですね。僕、こちらで研究員やってます。ジャン・ローリー。ジャンて呼んでください」
丸眼鏡の奥の小さな目を限界まで細めた彼は、人懐っこい声と笑みで右手を差し出し、訪問者を歓迎する。
出された右手を一瞥したアレックスは、皮膚の張り具合からジャンの年齢を三十台前半と推測した。服と髪に加え、整えている訳でもない伸ばしっぱなしの爪が、ジャンの不精な性格を物語っている。
「人事部だ。以後注意してくれ」
訂正を求めたアレックスは握手には応えず、咥えていたタバコを地面に捨て、足で揉み消す。アボットが、すかさず横から身を滑り込ませ、「よろしく、ジャン」と、気難しい上官の代わりにジャンの手を握った。
「これは失礼。極秘任務を請け負う職場は、偽装に苦労しますね」
握手を解いて手をひっこめたジャンは、胸の前で蜘蛛の脚のように両手の指を動かしながら、「いひひ」と笑い、肩をすくめる。
「無駄口は結構」
しかめ面で言い捨てたアレックスは、さっさと荷台へ回った。扉を開け、後ろをついてきたジャンに、親指で中を示す。
「こいつだ。若干車酔いしているみたいだが、健康上に問題は無い」
ラスは青白い顔で、壁にもたれかかりぐったりとしていた。今すぐにでも吐きたそうな様子である。
ラスを見るなり、気の毒そうに眉を下げたアボットに対し、ジャンは目を輝かせて「わああ」と歓声を上げる。
「フールーの案内人じゃないか。嬉しいな。それで、モルトスはどこに?」
言いながら、ラス以外は誰一人以いない荷台の中を、きょろきょろと見渡す。制御道具である鐘を無くしたので現場で火葬させた、とアレックスが告げると、ジャンは「ええー」と口を大きく開け不満を顕わにした。
「勿体ない。使い道はあったのに」
「なに?」
『使い道』という言い回しに不快感を覚えたアレックスが訊き返す。ジャンはそれを別の意味に受け取ったようで、「ああ、いいんです。いいんですよ」と笑顔で手を横に振った。
「フェロックスなら、いっぱいいるから」
「き、凶屍が沢山って、どういう、ことですか」
ラスが弱々しい声で言いながら、おぼつかない足取りで荷台から出てくる。
「すぐ分るよ」
ジャンはラスの手を取って下車を助けると、そのままラスの左腕に、自分の右腕を絡ませた。
「僕はジャン。さ、行こう。中を見せてあげるよ。一見の価値はあると思うんだ」
半ば強引に、ラスを研究施設へひっぱってゆく。アボットが、運転席横に置いてあるラスの荷物を取りに走った。
アレックスと荷物を背負ったアボットは、腕を組んで歩く二人から五メートルほど距離をとってついてゆく。
ジャンは歩きながら、この施設について口早に話した。施設の紹介をあらかた終えると、ラスに笑いかけ、声を弾ませる。
「ホント、君だけでも来てくれてよかったよ。案内人は貴重なんだっ」
続けて「うひーっ!」と、その声を聞いただけでは悲鳴だか歓声だか分らない奇声を発し、ラスの左腕を抱えたまま、ぴょんとジャンプする。
「あいつ大丈夫か」
「狂科学者、というやつですかね」
ノルフォルキア空軍基地でも有名な死人研究者、ジャン・ローリーの洗礼を受けた二人は、その奇人ぶりに圧倒されていた。
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