第19話 ラスの性癖と兄の気苦労

 研究棟の内部は、コンクリートがむき出しの殺風景な造りだった。天井には直管型白熱灯が並んで通路を照らしているが、全体的に薄暗く、陰気である。緑色のつるつるとした廊下と、施設に充満している消毒液のような臭いが、どことなく病院を連想させた。


 ラスの左腕を抱えてスキップしながら、その薄気味悪い廊下を進むジャンの姿は、後ろから見ても異様である。ジャンがステップを踏むたびに、キュッキュッという摩擦音が鳴る。鼻歌が聞こえてこないのがせめてもの救いだ、とアレックスは思った。

 アレックスがジャンに付いてゆくのは、ラスが無事にここの責任者に引き取られた事を確認する、という責任感のもとである。研究施設に興味があるわけではなかった。


 ジャンが立ち止まった場所は、白いペンキで塗られた観音開きの扉の前だった。扉は鉄製なのだろう。ペンキが剥げた下の部分からは、赤茶けた錆がのぞいている。


「今すぐ僕のオススメ所を案内したいんだけど、お客人や研究対象が来た場合は、まず所長に会ってもらうのが決まりなんだ。ごめんね」


 自分よりも頭一つ大きいラスを上目使いに見たジャンが、至極申し訳無さそうに顔を歪める。同じく、後ろにいるアレックスとアボットにも同じ顔を向けて「僕、ここの所長苦手なんだ」と自発的に暴露した。顎を引いたアレックスは、さっさとしろ、という意を込めて、組織体制に不向きな狂科学者を睨む。


 ジャンがラスの腕から手を離し、不快害虫を前にした時のような唸り声を上げてから、体をブルっと震わせる。続いて、意を決したように扉に向き合い、軽くノックした。

 間もなく、錆ついた音を立てて、扉が内側から開かれる。ジャンは「ちょっとそこで待っててね」と来客達の足元を指し示すと、部屋に入っていった。

 扉がまた、軋音を立てて閉まる。


「おい案内人。イヴリンは本当にあいつらを火葬したんだろうな」


 アレックスはすかさず、前で棒立ちしているラスに問いかけた。火葬を見届けなかった事が、ずっと心にひっかかっていたのだ。


 振り向いたラスが、アレックスの質問を聞くなり瞼をぴくりと震わせた。薄い唇をきつく結んで俯くと、「くっ」と微かな笑い声をもらし、口元を手の甲で隠す。アレックスは、その表情と仕草に見覚えがあった。


「このっ!」


 大きく目を見開いたアレックスは、ラスの胸倉を捕まえて、お互いの額がぶつかりそうな高さにまで引き上げる。


「貴様あの時、笑ってたな!」


 あの時とは、教会の倉庫で救難陣について話していた時の事である。救難陣など役立たずだ、と言ったアレックスに、ラスが「かもね」と応じたあの瞬間だ。てっきり悔しがっているのだと思っていたが、あれは嘲笑だったのだと、アレックスは今更ながらに気付いた。


「きゅ、救難陣が放つ緑色の光と独特の信号は、案内人しか、感知できない。や、野生動物が反応したという報告もあるけど、君にとっては、確かに役立たずだよ」


 目を逸らしながらも、笑いを帯びた声で説明するラスのその態度が、余計に腹立たしい。アレックスは「ちくしょう!」と毒つくと、吊り上げていたラスの体を乱暴に突き放した。尻もちをつくほど強く押したはすが、意外にもラスは少しよろめいただけで耐える。


「では、あのモルトスらはまだあの村に?」


 アボットからの質問に、ラスは服の乱れを直しながら、無言で首を横に振った。

 アレックスは手で額を覆うと、俯いて深いため息をついた。そうだ、五体のモルトスが、まだあの村にいるわけがない。なにせ、イヴリンがついているのだから。


「それで、妹は今どこで何をしているんだ」


 問いかけに、疲れが滲み出てしまう。


「多分、アボナあたり。き、救難陣に気付いた案内人にかばねを預けたか、もしかしたら、四人を家族の所に、帰し、終えたかも」


 目を細めたラスが答えた。今度は口元の笑みを隠そうとしない。しかしそれは、アレックスへの嘲笑ではなく、仕事をやり終えた事に対する満足感と、イヴリンへの感謝だと分る。

 嫌な予感をおぼえたアレックスは、素早い動きでラスの前髪を鷲掴みにした。安易に目を逸らされないよう、頭部を固定したのである。そしてアレックスは、その強面をずいとラスに近づけると、これまで史上最強の眼力で睨みをきかせる。


「おい貴様。あいつに惚れとらんだろうな」


「ほれ、る? ……ほれる……ああ、サラン」


 惚れる、という公用語を思い出せなかったのだろう。ラスは視線を上げ、束の間考えていた。しかしすぐに、アレックスに視線を戻すと、『恋』にあたるフールー語を口にする。そして、うっとりとした表情を作り、こう言った。


「イヴリンの、目。生命力に溢れてて、凄く、力強いよね。に、睨まれると、熊や狼と遭遇した時みたいに、ぞくぞくするんだ」


 アボットが、「わお」と控えめに感嘆した。

 一方アレックスは、全身に鳥肌を立たせる。


「妹を猛獣扱いするな、変態が!」


 変態ラスを怒鳴りつけた。

 兄としては、妹がこんな変わった性癖の持ち主と付き合うのは大反対である。しかし、ラスが今の台詞をそっくりそのままイヴリンに伝えた場合、イヴリンはラスをふるはずだという確信もあった。本心を隠して気取った言葉を並べるような小手先のテクニックなどは、ラスは持ち合わせていないであろうし。

 安堵と共に、少しばかり心が落ち着いたアレックスは、ラスの前髪を解放した。その時、閉まりっぱなしだった扉が開く。


「どうぞ。入って」


 扉の向こうで、ジャンが笑顔で手招きする。

 アレックスは、ジャンの正面に立っている軍服姿の男を見て、驚いた。

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