第15話 イヴリンの出立
ラスを荷台に乗せた軍用トラックが、黒い排気ガスを吹かして走り去る。その様子を食料庫の窓から確認したイヴリンは、早速行動を開始した。
「はい、こっちこっち。そうそう、上手ね~」
まずは、手を叩いてモルトスらを部屋の外へと誘導する。昨夜ラスが言っていた通り、鐘が無くても、五人は拍手を頼りについてきてくれた。
モルトスは周辺の情報を、肉体ではなく中に宿る霊魂で受け取っている。その霊魂に最も響くのが、鐘の音色。次に、拍手なのだそうだ。やはりラスの説明は教科書の丸暗記だったので、原理を説かれてもよく分らなかったが、肉体は荷物同然で、感覚も、運動も、霊魂一つに頼っているというのは理解できた。
「うおおおい! 何をやってるんだイヴリン!」
「まだ火葬の準備はできとらんぞ」
兄達の見送りから戻ってきた神父と村長が、モルトスを連れたイヴリンを発見するなり叫んだ。
「火葬なんかにするわけないでしょ!」
イヴリンは、両目をカッと見開くと、年長者二人を怒鳴りつけた。兄を上手く騙せた高揚感と、困難なミッションを請け負ってしまった緊張で、短気になっているのである。
「待て待て。お前、こいつらを火葬するって、さっき言ってなかったか」
アレックスとの会話を廊下で聞いていた神父が、イヴリンを止めようとする。イヴリンは神父を廊下の角に「邪魔!」と押しやった。そしてまた、手を叩いて五人の誘導を再開する。
「私、これからアボナとカメロットに行ってきます。数日休むって、ドクターに言っといて下さいな」
廊下の隅で唖然としている二人の前を、後ろ歩きで通り過ぎながら、伝言を託す。イヴリンの言葉の意味を理解した村長が、顔面を硬直させて、「ひゅっ」と喉を鳴らした。
「お前、兄さんをたばかったのか」
イヴリンは、ラスと自分を監禁させた二人に対して、溜飲を下げていなかった。ゆえに
「ええ、たばかりましたよ。お二人には一緒に来てくれとは言いません。兄に黙っていてくれたら、それで結構」
手を叩きながらぞんざいに言って、後ろ歩きで角を曲り、顔面蒼白の二人の視界から消える。しかしすぐに、ある必須作業を思い出し、角の向こう側でまだ直立しているであろう村長と神父に、再び声をかけた。
「やっぱり二人ともちょっとだけ来てもらえます? 手伝ってほしい事があるんで」
曲がり角の壁の向こうから、二人がまごついている気配が伝わってくる。焦れったく思ったイヴリンは、「駆け足!」と怒鳴った。
はいはいはい、と返事が聞こえ、すっかり威勢を失った村の年長者二人が、角から飛び出してきた。
★
「うう、酷い臭いだな、これは」
「あ、あ、皮膚が裂けてしもうた」
イヴリンの家にモルトス達を連れこんだ三人は、浴槽にぬるま湯を張り、そこでオリバーの全身を洗っていた。
「気をつけて下さいよ。モルトスの怪我は治らないんだから」
洗体を男性二人に任せ、オリバーの着替えを用意していたイヴリンは、うっかりオリバーの体の傷を増やしてしまった村長に、浴室の外から注意する。父が気に入っていた鳥打帽を含めた古着一式をそっと浴室に差し入れたその手で、汚れた服を回収し、袋に入れる。オリバーの家族が見つかったら、住所を訊いて郵送しようと考え、部屋の隅に置いた。
次にクローゼットから大きめのリュックを取り出して口を広げると、数日分の着替えを詰める。食品棚から取り出したパンとチーズを布にくるみ、それも入れる。財布と、簡単な救急用品も忘れてはいけない。ベッドの前で整列している四人のモルトスの前で、イヴリンは小さな家の中を行ったり来たりしながら旅支度を進めた。
ある程度荷物を詰め終えると、外に出る。
「メイ! メーイ!」
きっと近くにいるはずだから呼んでみてくれ、とラスに言われていたので、四方に向かって呼びかける。ほどなくして、一羽の烏がシラカバ林の方角から飛んできた。金色に光る物を口に咥えている。ラスの鐘だ。
メイはイヴリンの肩にとまると、鐘をイヴリンの掌にぽとりと落とした。
「おうおう。巻き込んでしまったようだのう。実に申し訳ない」
メイの嘴がパカパカと開き、成熟した男性の声の公用語が滑り出てきた。イヴリンは思わず笑顔になる。
「あら、師父じゃない。丁度いいわ。色々教えてくださいな」
モルトスに詳しい案内人の代表が傍にいるならば、心強い。イヴリンは師父を肩に乗せたまま、家の中へと戻った。
部屋に入ると、腰にタオルを巻き、椅子に座ったオリバーに迎えられた。その両側には、汗びっしょりの神父と村長が立っている。
「服も着せてあげてね」
軽い調子で促すと、肩で息をしていた老境の二人が、揃って悲鳴を上げて天井を仰いだ。
「少し休ませろ。腰が痛んでかなわんわ」
「時間が無いんです。用意したおむつも、ちゃんと履かせてあげてくださいよ」
腰に手を当て抗議した村長に容赦なく言い放ったイヴリンは、テーブルの上にあるカップを手に取ると、その茶色い中身をオリバーの口にゆっくりと注ぎこむ。ラスが伝えた手順通りにビッテが作っておいてくれた、内臓洗浄用の薬草茶だ。これで、胃腸に残っている不要物を洗い出すらしい。
「この薬、下から出るのっていつぐらいかしら?」
イヴリンは左肩に乗っている師父に訊ねた。生きている人間であれば、排泄時間の予想はつくが、オリバーは死体とも生体ともいえないモルトスである。イヴリンにとっては、未知の領域だった。
「個体差があるからして。数時間から数十時間くらいだなあ」
師父が答えるやいなや、オリバーを立たせようとしていた神父が「今喋ったのか、その烏!」とのけぞった。村長は黙って腰を抜かしている。
説明を面倒に思ったイヴリンは、二人と師父に申し訳ないと思いながらも、「九官鳥です」と嘘をつく。
「あ、アー。オムツは、サンチャク、ヒツヨウ。ニモツノナカニ、アルー」
気を使ったのか、師父が九官鳥を真似て助言をする。
ラスの荷物はアレックスが持っていってしまった。仕方が無いので、残りの二着はシーツを破って作る事にする。その他にも、モルトスが新しい傷を作ってしまった時に、縫合する為の針と糸。野営となった際に火起こしできるようマッチなど、師父から必要物品を教えてもらいながら、荷物をまとめてゆく。
オリバーの着替えが完了した頃、幌つきの馬車を調達してきたビッテが、大声で文句を言いながら現れた。
「ガスパーのやつ、馬鹿みたいな使用料ふっかけて来たんだよ。こんなボロ馬車なのに、ああヤダヤダ! さあほら、早く乗せて乗せて!」
一息つく暇も無く、ビッテとイヴリンの二人でモルトスらを荷台へと誘導する。五人はイヴリンが鳴らす鐘の音を頼りに、馬車へと乗りこんだ。
「電話が見つかったら、連絡をおくれよ。絶対だよ」
大きく膨らんだリュックを御者席の横に乗せたイヴリンに、ビッテが新しい包帯と、飲用水が入った水筒を渡して念押しする。
「分ってる。心配しないで。ちゃんと帰って来るから」
包帯と水筒をリックに押し込んだイヴリンは、白衣の上にエビ茶色のコートを羽織りながら、笑顔で答えた。
「帰って来る……」
オウム返ししたビッテの目に、みるみる涙が溜まる。
「そうだね。こんな村でも、帰って来てくれたら嬉しいよ」
ビッテは愛用の肩かけを外すと、イヴリンの首に巻いた。そのまま抱きしめると、元気付けるようにイヴリンの背中を強めに叩く。
「くれぐれも、無理するんじゃないよ。イヴリン」
イヴリンの役目は、五人が再び凶屍化する前に、家族の元に送り届けるか、他の案内人に託す事だ。猶予は三日。
「わかってる」
ビッテの肩に顎を置き、たっぷりとした背中を優しくさすってから抱擁を解いたイヴリンは、玄関先でぐったりと座っている神父と村長にも微笑みかける。
「二人ともご苦労さま」
労いの言葉をかけて軽く手を振ってから、師父が待っている御者席に乗り、手綱を取った。
「じゃあね」と告げて、馬車を走らせる。
「しっかりねー!」
馬車の骨組みがガタガタとぶつかり合う中、後ろからビッテの激励が聞こえた。
イヴリンの、手綱を握る手に力がこもる。
彼らの旅の成功が、自分の肩にかかっているのだと思うと、胃の裏がぎゅっと硬くなる心地がする。
実のところイヴリンは、昨晩までこの策戦に懐疑的だったのだ。ラスが考えついたものなのだが、不安要素が大きすぎたのである。あれはどうしよう、これも心配だ、と頭を抱えたイヴリンは、顔を覗きこんでくるラスに、励まされ続けた。
アイコンタクトが苦手で、アレックスに挑発されても、斜め下から前髪越しに睨み返す事しかできなかったラスである。しかしその時は、目を合わせようと努めて、イヴリンに語りかけてきたのだ。
『ね、ねえイヴリン。よく、よく聞いて。ご、五人の詳しい住所、は分らないけど、役所に行って調べれば、きっと、見つかる。だ、ダンさんは、少し足が遅めだから、気をつけて、あげて。カイン一等兵、は、無茶をしやすい。マリーさん、は、気配り上手。ロイズ中尉は、頼りになる』
『無理よできっこない。もし間に合わなくてフェロックスに戻ったら、どうにもならないじゃない』
『で、できるよ。できる。大丈夫。馬車か車が、あれば、何とかなるよ。そう、それに君は、勇気が、あるから』
『適当な事言わないでよ』
ラスが首を横に振った。その柔らかく光る瞳でイヴリンの両目をしっかりとらえると、『む、村が凶屍に、襲われてる中、逃げてなかった、のは、君だけだった』と言う。
『じ、自信を持って。君は彼らに、好かれてるから』
ラスはそう明言して、遠慮がちにイヴリンの手を取り、ぎこちなく微笑んで見せた。そこでやっと、イヴリンの腹が決まったのだ。
「イーヴリンサン、ハ、ラスニ ホレタ、ノカナー?」
御者席に置いた荷物の上で羽を休めている師父が、九官鳥の真似をして訊ねてきた。イヴリンは笑う。
「もう普通に話していいのよ」
そして、「別に、恋したわけじゃないけど」と初めにことわってから、危険を承知でラスに協力している理由を話す。
「助けを求められて、助けたい気持ちもあるのに、何もせずただ見過ごすって、惨めじゃない。やっと、他人が大事にしてるものも守れる余裕が出てきたっていうのに」
ただそれだけであると。
話を聞くなり、師父が「はあ……」と息を吐き、残念そうに肩を落としたように見えた。しかし、なで肩が過ぎる烏の体では、その輪郭に大した変化は起こらず、師父の心境を察しかねたイヴリンは小さく首を傾げる。
「まあ、いつかまた会えたらいいなとは思うけどね」
とりあえず、素直な希望を口にした。
しかしそれは、イヴリンが無事に役目を終えて、且つラスが自由の身にならなければ叶わない話であることも、イヴリンは承知している。つまり容易なことではない。
ラスは、他の案内人が救難陣の信号に気付けば、必ずイヴリンを探して五人を引き受けてくれるはずだと言っていた。しかしイヴリンは、救難陣とやらの性能をいまひとつ信じられなかった。他にも、他の案内人に出会う前にアレックスが嘘に気付くかもしれないという懸念もある。よしんばアレックスが気付かなくても、他の軍人に見つかって、拘束されるかもしれない。ならば他の案内人を探すよりも、少しでも早くアボナに到着し、四人の家族を見つけ出そう。イヴリンはそう考えていた。
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