第三章 ケルトニア軍
第11話 閉じ込められた部屋で
ラスとイヴリン。そして五人のモルトスが監禁されたのは、がらんとした部屋だった。あるものといえば、空っぽの棚が一つだけ。かつては食品庫だったのだろう。ゴツゴツとした石壁の隅に、袋から漏れたらしい一握り分程度の小麦粉が、埃と混じり合って溜まっている。しかしあとは、何もない。干からびたレタスの葉一枚、玉葱の皮一枚さえだ。理由は簡単。戦後の食糧不足である。明り取りの小窓から差し込んでくる長方形の光が、どこにもぶつからず真っ直ぐに、ざらざらとした石床を照らしていた。
本来ならばネズミ捕りの籠の一つくらい置いてあってもおかしくはない。だが、ネズミ捕り用のエサにする食べ物があるなら自分達で食う、といのが現状なのだ。大きな蜘蛛の巣だけが、せめてもの慰めとでもいうように、天井の梁と梁とを繋いでいる。
「ちょっときつく巻き過ぎじゃない? ほらここ、縫合したところが引きつっちゃってる」
「き、傷の目隠し用、だから。あまり頻繁にほどけると困る、と思って、つい」
イヴリンは、モルトス達の包帯を巻き直していた。ラスはイヴリンを手助けする形で、座って順番待ちをしているモルトスの服を着脱させたり、倒れないよう背中を支えたりしている。
「だからって……。縫合糸もなにこれ。木綿糸?」
「け、経費削減」
ロイズ中尉に上着を着せながら、ラスが答えた。
「呆れた」
イヴリンは首を横にふると、マリーの下腿の包帯の巻きなおしを始める。
包帯の目的が傷の保護ではなく目隠しであること。創傷治癒が期待できないモルトスにとって、縫合は癒着目的でなくただの形態維持であることは分った。ラスが、貴重な包帯を自分の為にではなくモルトスに使っていることにも、プロ意識が感じられる。しかしながら、イヴリンにも医療のプロとして看過できないものがあった。ラスを隣に呼び寄せ
「医療用縫合糸を使えとまでは言わないけど、せっかく包帯を巻くんなら、傷口に負担がかからないようにしなきゃ。こうやってバッテンに、下、上、下、上。分る?」
と実演する。
「わ、分った」
「それから彼。一回体を洗わなきゃ」
そう言って、行商人のモルトスを見上げた。マリーの隣で一人、直立している彼は、掃除の行き届いていない家畜小屋より臭い。屋外や風通しのいい小屋ではあまり気にならなかったが、この密室ではその臭気が目に染みてくる。匂いの原因は、体そのものの腐敗ではなさそうだ。衣服や足にこびりついている、黒っぽい物体から臭っているように感じる。
「これって……もしかして便? 鳥の羽根みたいなものが混じってるけど」
脛に付着している塊の一つから、ふわふわとした短い毛が出ているのを見つけた。
「そ、そうだね。鳥、を食べたみたい」
「フェロックスって、うんちするんだ」
死人が排泄をするなど考えも及ばなかったイヴリンは、目を丸くする。しかしラスは、きょとんとした顔で「い、入れたら出るよ。当たり前」と言った。
「な、内臓、は殆ど動いてないから、中で腐る、だけで、それを下から出す、のが精一杯、だけど。え、エーテル、が欲しくて食べるんだ」
そして、行商人のモルトスを仰いだラスは、「つ、辛かったよね。今まで。どんなに食べても、足りなくて」と声をかける。
「今は平気なの?」
「僕、があげてる」
ラスが人さし指で、自分の額の前に丸を描く。
イヴリンはその円が、行両人のモルトスの額に描かれた円だと理解した。ラスからエーテルを貰う為の、パイプのような役割を果たしているのだろう。
「そう。よかったね。ラスに会えて」
と、イヴリンが行商人のモルトスに語りかけるなり、ラスが相好を崩した。
「お、オリバーさんだよ。オリバー・ミラー」
弾んだ声で、新入りの名前をイヴリンに伝える。
「オリバーさん。そうだったわね」
立ち上がったイヴリンは、マネキンのように正面を向いたままのオリバーに微笑んだ。だらりと下垂した腕に軽く触れる。
「ここから出られたら、うちのお風呂を貸してあげるわ。助け起こしてくれたお礼」
教会の前で転倒したイヴリンを抱き起したのは、ラスではなくオリバーだったはずだ。聖堂に飛びこんだイヴリンがオリバーの手を握っていた事や、イヴリンの衣服に微かに残っている腐臭が、それを証明している。
「あれ、別にあなたが命令したわけじゃないんでしょ?」
オリバーの意志であった事を、案内人に確認する。
「そ、そうだよ。一言も」
答えたラスは手で口を覆い隠し、嬉しそうに目尻を下げた。続いてやや興奮気味に、残り四人の紹介をはじめる。
「こ、このお爺さんは、ダンさん。前線で、料理人をしていた。マリーさん、は、従軍看護師だった。それからロイズ中尉に、カイン一等兵。よ、四人とも、アボナ出身、なんだ」
イヴリンは紹介された同国人に「よろしく」と微笑みかけた。ラスが更に、声を弾ませる。
「み、みんな、イヴリンに会えて、凄く喜んでるよ!」
イヴリンは笑顔を固まらせ、ん? と首を捻った。床に両足を投げ出して座っている四人は、初めて会った時から変わらず、無表情である。喜んでいる証を見つけようと観察してみたものの、イヴリンにはそれらしき変化を発見できない。
「具体的に、どのあたりで?」
モルトスと心を通じ合わせているらしい案内人に訊ねたその時、扉がノックされた。続いて、「イヴリン。あたしだよ」という少し声量を落としたガラガラ声が聞こえる。格子窓の向こうには、カールした赤毛がちらついている。
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