第10話 納得いかない仕打ち
「脱いで」
手を置いた相手に向かって、端的に命じる。
「えっ、え?」
しかし証拠の持ち主は、ただ戸惑っている。イヴリンはもどかしい思いで、目的を伝える為に自分の首筋を叩いて示す。
「上の服! 傷痕を見せるのよ! いっぱいあるって言ってたじゃない!」
「こ、ここでっ?」
ラスは面食らっていた。明らかに恥ずかしがっている様子だが、イヴリンは心を鬼にして強要する。
「人一人助けるためよ。出し惜しみしない!」
ラスが困り顔で周囲を見回す。神父の厳しい表情、すがるようにラスを見上げ続ける羊飼いのトーマス、野次馬精神を隠そうともしない村人たち、と順に確認して最後に、観念したとばかりに肩を落とした。
「わかったよ」
まず、背負っていた荷物を下ろした。コートを脱いで、腰紐を解き、東洋の民族衣装風の上着を脱いで床に落とす。上半身の素肌を顕わにすると、皆に見えやすいようその場に跪いた。
「へえ。細っこい割に、いい体してるじゃねえか」
大工の棟梁が自分の力瘤を叩きながら茶化す。
「ほら、ちゃんと寄って」
イヴリンは皆を手招きする。神父だけでなく、村人たちもぞろぞろと集まってきた。
「いいですか?」
前置きしたイヴリンは、中腰になった。ラスの傷を人差し指で示しながら、一つ一つ説明してゆく。
「これは明らかにフェロックスの噛み痕ですよね。それにこれは爪痕。ほかにも、背中と……あっ、左わき腹にも。うっわ、えぐれたまま治癒してるじゃない。あ~あ、色素脱失まで起こしちゃって」
しかし、説明していたつもりが後半、本来の目的をすっかり忘れて傷の観察に夢中になってしまった。観察の為に持ち上げていたラスの左腕の向こう側から、こちらを覗きこんでいるご本人様と目が合った事で、我に返る。
イヴリンは咳払いを一つして、失態を誤魔化した。澄ました顔で、立位姿勢を正す。
「どうです? 見ての通り、彼は正気。フェロックスの呪いが感染するというのは誤りだと、分って頂けました?」
挽回するつもりで周囲に語りかけた言葉も、妙に気取った物言いになってしまった。
村長が唸り、顎をかいた。「さてどうするか」と考えこむ。
「とりあえず、暫く様子をみてやったらどうだい」
ビッテが提案した。
「暫くって、どれくらいだよ」
不満げに口をとがらせたパン屋のオヤジが、パン作りで鍛えられた腕を組んで唸る。
「傷が直るまで閉じ込めとけ、ってのか?」
「数日面倒見るくらい、できるじゃないか」
とビッテ。
す、と一本、集団の中から手が上がる。アボナからの非常勤医だった。
「私が扱った症例で、フェロックスになるまで三日持ち堪えた者がいた。とりあえず三日、様子をみては如何かな」
「狭くていいんなら、鶏小屋が一つ空いてるぞ」
髭を生やした農夫が、監視役に名乗りを上げた。トーマスの友人である。信頼できる人物に面倒を見てもらえると知って安心したのだろう。終始硬かったトーマスの表情が、幾分和らいだ。
「クロード神父。彼らにも教会の倉庫を貸してやってくれんか」
村長がラスに掌に向け、伺いを立てる。かまいませんよ、とクロード神父が応じた。
着衣を終えたラスが、心底驚いた様子で神父と村長を顧みる。
「ど、どうして僕まで」
「お前さんも噛まれたのだろうが」
村長から鋭い視線を向けられ、ラスはたじろいだ。救いを求めるように、イヴリンを見る。少なからずの責任を感じたイヴリンは、「村長、彼は既に何度も噛まれてますし」とラスの解放を要求したが、村長の答えは、今回も同じく呪いを受けないとは限らない、というものだった。
じりじりと距離を詰めてくる村男達から、ラスは後ずさる。
「ぼ、僕は、少しでも早く、彼ら、を家に、帰さないといけないんです。こ、こんな所でのんびりしてる、時間、なんてない」
「仕方なかろう。三日経って何ともなかったら、近くの空軍基地に連絡してやるゆえ。モルトスを連れているとあらば、トラックで運んでもらえるだろう」
「だ、ダメです軍には関われない!」
軍、という単語を聞いたラスが声を張り上げた。
イヴリンも、これは不味い事になったと焦る。ラスと師父の会話を思い出す限り、少なくともケルトニア軍はモルトスと案内人の捕獲に乗り出しているはずだ。その目的は、間違いなく軍事利用だろう。
正面出入り口に残してきた五人のモルトスはどうなっているだろうと視線だけで確認すると、既に村人数人に囲まれていた。中には暴れられた時の応戦用に、モップを逆さに構えている者もいる。
「ら、乱暴しないでください!」
モルトスを囲む村人達に向かって、ラスが叫ぶ。
「か、彼らの体、は、あなた方のよりずっと、脆いんだ。だからどうか、傷つけないで!」
「大人しく拘束されてくれれば手荒な真似はせんさ」
村長の一言が、ラスの訴えに終止符を打たせる。これはもう逃げられない、とイヴリンは悟った。
突如、ラスが「メイ!」と叫んだ。素早い動作で荷物から伸びる竿の先に吊っていた小鐘を引きちぎると、まっすぐ天井へ放り投げる。
メイが十字架から飛び立った。嘴で小鐘をキャッチし、正面出入り口に向かって一直線に羽ばたいてゆく。
「扉を閉めろ!」
誰かが怒鳴った。
モルトスらを囲んでいた村人の数名が、慌てて正面扉に手をかける。しかし、扉が閉まりきる前に、メイは隙間からすり抜けた。彼方へと飛んでゆく。
「あの鐘はどういう道具か」
村長がラスに訊ねた。ラスはぷい、と顔を背けて回答を拒否する。村長は束の間、思案するように視線を落として黙したが、やがて「まあよい」と顔を上げた。
「案内人とモルトス。それからイヴリンを倉庫に連れて行ってくれ」
後ろにいた数人の男達に命じた。
「私も!?」
仰天したイヴリンは、すっとんきょうな声を上げる。
「こいつらを逃がさないと約束できるのか?」
しかし神父に問われ、返事に詰まった。
「さあ行け」
村長の指示で、力の強そうな農夫の若者二人が、ラスの腕を左右から拘束して連れてゆく。ラスは大人しく従っていた。イヴリンも、両側から若いシスター二人にそっと腕を掴まれた。二人とも、イヴリンとは親しい仲である。それだけに、強い態度に出られないのだろう。
かといって、チャンスとばかりに振りほどいて逃げるわけにもいかず、イヴリンも二人に従うしかなかった。けして、この仕打ちに納得したわけではないが。
「着替えくらいさせてくれてもいいじゃない! すごく寒いんだから!」
聖堂を去りぎわに振り返って叫ぶと、両手でエプロンを鷲掴み、これでもかというほど眉を下げてこちらを見つめているビッテが見えた。
★
集会が解散となり、教会から大急ぎで帰宅したビッテは、台所に直行した。丸パンを薄切りにし、野菜籠の中にあった玉葱と人参を刻むと、それを雑な手つきでパンに乗せてサンドする。続いて、水差しの中身を、コルク瓶に注いで封をした。
「ええと。食べ物はこれでよし。それからそれから……ああ! イヴリンの着替えだった!」
がさついた手をポンと合わせたビッテは、イヴリンの家へ移動すべく、布でくるんだサンドイッチと水が入った瓶を麻袋に詰める。
「おばあちゃん、どこに行くの?」
ブラウスを引っぱり不安げに見上げてくる孫に、「色々とね。レナはお母さんと家で待っといで」と微笑む。
レナが小さく頷き、ブラウスから小さな手が離れると、ビッテは麻袋を抱えた。バタバタと家を出てゆく。
「馬鹿だ。あたしゃホントに、馬鹿ったれだよ」
独り言を口にしながら、イヴリンの家へと早足で向かう。時折すれ違う村人たちの顔をちらりと盗み見ては、教会に集まっていた人間でないことを確かめる。もし教会にいた者が、慌ただしく動いている今の自分を知れば、神父や村長に告げ口するだろう。そうすれば、イヴリンやラスの監禁が強化されるかもしれない。
「ごめんよエマ」
生前は親友だったイヴリンの母親を思い出したことで、荷物を持つ手に思わず力がこもる。
ビッテは、フェロックスの呪いが存在しない事を知っていた。幼い頃、エマと森で遊んでいた時にフェロックスに襲われた事があり、この国の案内人の男に助けられたのだ。その時も案内人は身を呈して二人を守り、フェロックスに肩を傷つけられた。案内人がフェロックス化すると恐れた二人に、彼はラスがしたのと同じように、自分の体の古傷を見せて、呪いは迷信だと証明してくれたのだ。
にもかかわらずビッテは今日、数日の猶予を提案することが精いっぱいだった。エマとその夫がフェロックスに噛まれ審議にかけられた時、散々騒いだビッテに、黙らねばビッテの娘の医療的支援を止めると当時の村長が脅してきたからだ。親友を死なせたくないが為に、嘘を言っていると思われたのだろう。その時ビッテは、この村の不寛容さと、迷信の根深さを思い知った。
ゆえに、今日も迷信を主張すれば、きっとこの村で暮らせなくなる。そう思った。体の弱い娘や、孫娘までが爪はじきにされるかもしれない。それが怖かった。
ならば、村を出ればいい? しかしこの村で生まれ育ったビッテには、家や畑を捨て、他の土地で一から生活を始めるなど、考えられない。『フロンドサス村一押しの強い女』が聞いて呆れるのだが。
「待ってな二人とも。ちゃんと助けてやるからね」
それでも今回、ビッテには考えがあった。
これから、イヴリンの家へ着替えを取りに行ったら、次に向かうべきは役場だ。そこで電話を借りる。助けを求めるのだ。ケルトニア空軍人事部所属の、アレックス・フォード中佐に。
ラスは軍と関わりたくないと言っていたが、アレックスは人一倍正義感の強い少年だったと、ビッテは記憶している。しかも、イヴリンの実の兄である。村を去る時、彼はビッテに言ったのだ。「イヴリンに何かあった時は、すぐに連絡してくれ」と。だからきっと、二人を助けてくれるであろう。彼の一言には、自分が教会で一日中喚き立てるよりも影響力がある。少なくとも、どこの馬の骨とも知れない軍人に連行されるよりはマシなはずだ。そう信じていた。
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