第6話 迷信

「こ、恐がらなくて、いいよ。今は、落ち着いてる」


 屍案内人のラスだ。明らかに、イヴリンに対してかけられた言葉である。

 イヴリンは意を決して、出入り口から再び中を覗いた。

 五人はさっきの場所から一歩も動いていない。案内人はどこにいるのだろうと荒れた小屋の中に視線を彷徨わせると、モルトス達と向き合う形で壁にもたれて座っているラスと、目が合った。途端、ラスが顔を引きつらせて俯く。


「また暴れる?」


 つい先ほどまで暴れ狂っていた行商人の青年を指さしたイヴリンは、俯いたままの屍案内人に問う。

 一拍の後、ラスの黒い頭が小さく前に倒れたように見えた。


「ぼ、僕と三日以上、離れたら」


 どうやら、さっきの頭の動きは頷きだったらしい。「なるほど」とイヴリンは応じる。


「に、荷物。持ってきてくれて、助かった。め、メイの道案内に気付いてくれて、よかった」


 伝えられた感謝は、酷くつっかえていた。視線は地面に注がれていて、イヴリンを見ようとしない。


「私のこと、怖い?」


 石を投げられたゆえに警戒しているのだろうかと考えたイヴリンは、遠慮がちに声をかけた。ぴくりと肩を跳ねあげたラスが、「ち、違う」とイヴリンに顔を向けて首を横に振る。けれどもやはり目が合った途端、視線をそらした。


「ち、ちょっと……生きてる人の目を見るのが、苦手なだけ。ムズムズ、させるから」


 言いながら、さも落ち着かないとばかりに、自分の肩や腕を強くさする。


「そうなんだ」


 イヴリンはとりあえず納得した。フェロックス相手にあれほど堂々と立ち回れる人がおかしな話だとは思ったが。

 とにもかくにも、今のところ死人たちに襲われる心配は無さそうだと判断したイヴリンは、壁に張り付くようにして、出来る限りモルトス達から距離を取りながらラスに近づいてゆく。


「メイって、この子よね」


 裏返った椅子の脚に止まって、ずっとイヴリンを観察するように見つめている烏にチラリと視線をやる。

 烏は挨拶でもするかのように、翼をさっと広げた。


「そう。すごく、綺麗だよね?」


 メイをうっとりとした表情で眺めるラスが、同意を求めてくる。

イヴリンは返答に困った。確かに立派ではあるが……。


「死体と烏に挟まれて、なんだかお墓にいる気分」

「え、なに?」

「ううん何でもない! お伽話にでてくる鳥みたいに賢くて素敵ね!」


 うっかり呟いた一言を聞かれてしまい慌てたイヴリンは、預かっていた背負い籠と杖を押しつけるようにラスに渡した。

 荷物を両腕に抱いたラスが、シバという東洋犬にどことなく似た面立ちをふにゃりと崩して、「ありがとう」と言う。

 その素直そうな笑顔に好感を持ったイヴリンは、ラスの隣に腰を下ろした。


「イヴリン・フォードよ。友達を助けてくれてありがとう」


 右手を出して握手を求めると、ラスはわざわざ自分の手を服で拭いてから、出された手を遠慮がちに握った。


「えっと、ラス・リュー、です」


 よろしく、とイヴリンはラスの大きな手を上下に振ってから、握手を解く。


「それで、君はどうするの?」

「ど、『どうする』? 何が?」

「フェロックスに噛まれたでしょ。ほら、ここ」


 患者の傷口を確認するのと同じ感覚で、イヴリンがラスの左袖口をぐいと捲りあげる。顕わになった左前腕には、くっきりとした歯型がついており、ところどころ出血もしている。しかしラスの反応といえば、ただ気圧され気味に「だ、だから?」とイヴリンから少し身を引くだけだった。


「はあっ?」


 イヴリンは、ラスのとぼけたぶりに眉を吊り上げる。


「案内人の癖に知らないの? フェロックスに体を傷つけられたら、呪いがうつってフェロックスになるのよ!」

「え、え? ならないよ」

「なるのよ! 私の両親も噛まれたその日に安楽死させられた! 遺体も残しちゃ駄目だからって火葬になったの!」


 苛立ちと怒りに任せて一気にまくし立てたイヴリンだったが、直後、自分の言動を心底後悔して両手に顔を埋める。普段は記憶に蓋をしている子供の頃の嫌な思い出を自ら引っぱりだした上に、目の前の若者に対し、むごい現実を突きつけてしまった。


「ごめんなさ――」


 謝りかけたところに、ラスが「あのっ」と口を開いた。


「ふ、フェロックス? ……僕ら、それを凶屍きょうしって呼ぶ、けど。『凶屍に傷つけられた人が凶屍になる』は迷信。じゃなければ僕は、とっくに、失業、してる」


 そして抱えていた荷物一式を床に置くと、東洋系民族衣装の一つである立ち襟シャツの留め具を外して、隠れていた首筋を露出させる。

 ラスに近づいたイヴリンは、もっとよく見ようと、開かれた首元を覗き込んだ。


「これって……引っかき傷?」


 首の根元。左の鎖骨から肩にかけて、深くえぐられたような傷跡がある。右には、人間の歯型と判別できる、古い噛み傷が。


「い、一年ほど前、アオシェアで。ロイズ中尉に」


 ラスが、東洋の戦地となった地名を口にして、中央に立っている将校風のモルトスを指さした。ロイズ中尉は、長身が多い西洋男性の中でも明らかに大柄の部類であり、軍服の上からでも、その肉体は鍛え上げられたものだと分る。


「彼もフェロックスだったの?」


 イヴリンは信じられない面持ちで訊ねた。理性を失った屈強な軍人相手に、村でやったような大立ち回りをしたというのか。この、せいぜい十代後半にしか見えない細身の若者が。


「四人ともそう。せ、戦場は、凶屍がいっぱいだから。今は落ち着いてかばね……えっと、モルトス? それに、なってるけど」


 戦場、という言葉を聞いて、イヴリンは納得した。


「そっか。そうよね。野戦病院にも、ケルトニアの案内人が常駐してたわ」


 そうやって、モルトスになった死者が出ればフェロックス化しないよう監視し、国に送り返していた。だから病院内ではフェロックスに襲われる心配が無かったのだ。あの四人人はおそらく、案内人の手が届かない最前線で拾ったのだろう。


「せ、戦場にはいつもチームで挑むのが決まり。でもベンゴールはもっとすごく、凶屍化してる人が多かった。だから僕ら、てこずって、てこずって。全身傷だらけ」

「触っていい?」


 昔の失敗を恥ずかしそうに笑いながら話すラスの首元に、イヴリンは手をのばした。

 確かに、両方ともただの傷だ。膿んだ形跡はあるものの、皮膚が盛り上がって、きちんと治癒している。


「信じられない……」


 イヴリンは左の引っかき傷を指先でなぞりつつ、愕然と呟いた。

 くすぐったそうに肩をすくめてイヴリンの触診から逃れたラスが、明らかに教科書の文面をそのまま引用した解説を始める。


「『世界共通屍教本 Ⅱ』第二章 五行の観点。死人が凶屍に変ずるのはこの世に存在する自然現象の一つである。万物は循環しており、生物は木・火・土・金・水の循環の輪の中にある。人間は火を用いたその時から、体内の循環に偏りを生じさせている。循環とは流れであり、偏りは流れを妨げ、やがて不浄を生む。不浄は負の感情と結びつきやすく霊魂もまた感情と結びつきやすい。この過程によって、霊魂がその身にとらわれるのである」 


 実にすらすらと、固い共通語を並べたラスは、「人間の屍化は、呪いにあらず。ゆめ忘れることなかれ」と結び、口を閉じた。


「え」


手をひっこめたイヴリンが、目を見開く。


「じゃあ、私の両親は無駄死にしたってこと?」

「うんそうだね」


 ラスが即答する。

 イヴリンの吸気が、ショックのあまり悲鳴のような音を立てた。

 その様子を目にして流石にまずいと感じたのか、ラスがイヴリンの前であたふたと両手を動かす。


「ご、ごめん。その――」

「いいのよはっきり言ってくれてありがとう!」


 顔を背けて、語気荒くラスの言い訳をつっぱねたイヴリンは、手の甲で涙をさっと拭い取った。一部曇り空が見える天井を仰ぎ、両親を救えなかったやるせなさと、迷信を信じて疑わなかった自分への怒りを「はー」と呼気に変えて強く吐き出す。

 ラスがまた、もごもごと早口に喋りはじめる。


「ほ、他にも、誤解されてる事はあって……。そう、『世界共通屍教本 Ⅱ』第四章 屍の生態。屍が凶屍となる原因は、エーテルの不足である。エーテルは生物の――」

「黙ってて」


 イヴリンはぴしゃりと言い放った。

 ラスはこの機会に、凶屍への誤解を解きたかったのだろう。しかし今のイヴリンには、講釈を聞く精神的な余裕などない。


「はい」


 襟元を直したラスが、背中を丸めて小さくなる。

 隙間風が吹きこむ壊れた家畜小屋に、重い沈黙が流れた。


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