第5話 烏を追いかける
イヴリンは荷物を胸に抱え、農道を一人歩いていた。屍案内人一行をすっかり見失ってしまったので、とりあえずアボナに向かう事にしたのだ。いずれ荷物が無い事に気がついたラスが引き返して来るだろう、とも考えていた。
「やっぱりあんな村に帰るより、看護学校に行っちゃえばよかったのかも」
ぶつぶつと独り言を言いながら、雪が溶けてぐちゃぐちゃになっている坂道を注意深く下る。
村人達が与えたラスへの仕打ちを思い出すと、胸がムカムカする。
ラスは間違いなくフールー人だ。しかし例え外国人が相手だろうと、フェロックスに噛まれたならば保護して経過観察をしなければならない。それは、この国だけの決まりではなく、フェロックスを生み出す土地に住まう者達の義務であり、モラルでもある。しかもラスは長身の割に全体的に線が細く、その雰囲気は、しなやかさを存分にたたえた若い猟犬にも似ている。だから彼はもしかしたら未成年かもしれない、とイヴリンは思うのだ。そんな人物を相手にしても、村人たちは迷わず自分達の利を取った。今回も、である。
排他的。利己主義。日和見。
「何年たっても、変わりゃしないんだから」
坂道を下りきったイヴリンは、鼻息荒く吐き捨てた。
「出て行ってやろうかしら」
頭に浮かんだ考えが、口からついて出てしまう。
昨年、大きな戦争が終わったばかりで、爆撃を受けたケルトニアの都は、まだ瓦礫だらけだと聞いている。交通網やライフラインは、やっと拡張工事が始まったらしい。そんな状況下でも、看護学校は機能しているそうだ。篤志看護師として付け焼刃の教育を受け、戦地に赴いた速成看護師のイヴリンは、出来る事ならきちんと学び直し、看護師の免許を取りたいと考えていた。
都会の看護学校で勉学や実習に励む自分を想像し、自然と足が止まる。イヴリンは、束の間ぼんやりと夢想にふけった。――が、すぐに顔をしかめてかぶりをふる。
「ああ~、ダメダメダメだ。看護士がいなくなっちゃう」
戦後、村に帰ったのは、村に看護士が一人もいなかったからなのだ。医者は十キロ離れた町に一人。しかも村で診療をしてくれるのは毎日ではなく、週にたった二日。それ以外は、イヴリンが対応するか、医者がいる町まで足をのばさなければならない。
どこへ行っても、医者も看護師も不足している。たとえ免許がなくとも、イヴリンの存在は村では必要不可欠なのだ。だから自分がフロンドサス村を出るというのは、村を丸ごと一つ見捨てることと同じことなのだと、イヴリンは自分に言い聞かせる。
「今は辛抱……」
一年前、凱旋帰国した兄から一緒に街へ行こうと誘われ、断った。その時と同じ文句を今一度呟き、奥歯で噛みしめる。
ため息を一つついて、気持ちを切り替えた。
今は、アボナへ発ったはずの屍案内人に忘れ物を届けなければならない。偶然にもアボナは、村の非常勤医師が住む町でもある。そして、アボナとフロンドサス村を繋ぐ道は、一本しなかい。
一本しかないはずなのだが……
シラカバ林を貫いた長い一本道にも、彼らの姿が見当たらないのは、どういう事だろう。
イヴリンは重い荷物を両腕で抱えたまま、轍がくっきりと残っている道の真ん中で途方に暮れる。
「あの子、道を間違えたのかな」
いい加減、引き返してきた彼らに出会っても良い頃なのに。
視線をめぐらせるも、見つけたのは草むらで飛び跳ねた野兎だけだった。仕方が無いので、周囲へ呼びかけてみる。
「ラス君! 案内人のラスくーん!」
屍案内人の若者が口にしていた名を呼びつつ前進していると、右斜め上からカア、と鳴き声がした。見上げると、シラカバの木の枝に止まっている一羽のカラスと目が合った。
烏はイヴリンを見下ろしたまま、またカアと一鳴きすると、枝から飛び立つ。イヴリンの頭上を一周した後、シラカバ林の奥へと飛んで行く。
まるで自分を導いているようだと感じたイヴリンは、烏の後を追って林の中に足を踏み入れた。
「ちょ、ちょっと待って!」
林の中は、低い草むらの中に雪が残っており、滑りやすかった。加えて烏を見失わないよう上を見続けなければならず、必然的に足元への注意はおろそかになる。草に残る雪や水滴が、イヴリンのネグリジェの裾を濡らし、ブーツ越しにつま先を冷やす。イヴリンは何度も足を滑らせて転倒しかけながらも、必死に烏を追いかけた。
空が開けたと思ったら、林を抜けて牧草地に出ていた。緩やかな丘の上に伸びている石壁の側には、屋根が落ちかけている小屋が一棟、建っており、烏はそこへ滑るように入っていった。
イヴリンはそろそろと小屋に近づく。出入り口からそっと中を覗くと、奥の壁に沿ってモルトスが五人、こちらに向かって整列していているのが見えた。その列の左端に先程の行商人を見つけたイヴリンは、息を飲む。くるりと身を反転させ、壁に身を隠した。
「そうよ、いると思った。ここにいると思った。でもどうしよう。どうする?」
自分を落ち着かせる為に、早口で自問自答する。しかしその行為は、パニックに陥りかけている自分の状況を再認識しただけで、心を鎮める助けにはならなかった。
『怖い怖い』とでも言いたげに強く拍動する心臓を落ち着かせようと、意識的にゆっくり大きく息を吐く。
その時、中から若い男の声がした。
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