第二章 フロンドサス村に現れた屍案内人

第4話 嫌われ者の屍使い

 ラスに加勢した二人の軍人が、フェロックスの両腕をしっかりと掴んでいる。フェロックスをとどめている間に、看護師の女性が、ビッテの背中の下で震えているレナを助け出す。それは見事な連携プレーだった。一つ残念なのは、口に腕を突っ込まれたフェロックスが、屍案内人の質問に答えなかった事である。


「ウー ファンイン(反応なし」


 苦笑いを浮かべたラスが、また外国語を口にした。「うっ」と踏ん張るような声を上げたかと思うと、フェロックスにぐいと体を押し付ける。相手を仰向けに押し倒し、腹の上にまたがる格好になった。


「ろ、ロイズ中尉。カイン一等兵。腕を、よろしく」


 たどたどしい共通語で、左右の軍人に協力を仰いだ。フェロックスの肩側に移動した二人が、左右のばたつく両肩と手首を地面に押さえつける。

 フェロックスが口を大きく開け、咆哮を上げる。ラスはその隙に、噛ませていた右腕を素早く抜き取った。同じ手でフェロックスの頭を押さえて固定してから左の親指の腹を噛み、自ら出血させる。その親指をフェロックスの額に押しあて、何かを描く。描き終えるなり、暴れ狂っていたフェロックスが、ぱたりと動きを止めた。


「名乗って、下さい」


 ラスが再び、名前を求める。


「オリバ……ミラー。ぎょうしょう……にん」


 フェロックスがくぐもった声で、口をきいた。野次馬達からどよめきが起こる。


「オリバーさん、は、ケルトニア出身?」

「カメ……ロット」


 カメロットは、ここケルトニア国の北に位置する都市である。車や汽車を使えば、フロンドサス村から一日くらいで着く距離にあった。


「そ、そこへ、帰りたい? それとも、ここで、弔ってほしい?」


 ラスがまた、少しつっかえながら質問を重ねる。


「妹……が待って……いる」

「ハオ デ(了解しました)。詳しい住所は?」


 オリバーは答えなかった。人形のように四肢を投げ出したまま、ぴくりともしない。

 ラスが項垂れる。


「アイヤァ……。また、間に合わなかったな」


 大きなため息をついた彼は、オリバーと名乗ったフェロックスの上から身をどけて立ち上がった。右腕を水平に伸ばす。

 チリ―ンと、高い音色が響いた。ラスの右中指から吊るされている小鐘が鳴ったのだ。その音色に応えるように、オリバーがゆらりと身を起こす。

 ふらつきつつ立ち上がったオリバーの額には、円を二つに割った記号のような紋様があった。ラスが先ほど、親指の血で描いたものだ。

 両腕をだらりと下げたオリバーの目は焦点が合っておらず、亡霊のような頼りない様相だが、少なくとも、暴れ出す気配は無なさそうである。また、彼を押さえていた二人の軍人も、同じく生気が感じられない立ち姿である事に、イヴリンは気付いた。彼らは鎮められた死人、モルトスである。二人の体はいたるところに包帯が巻かれ、顔面の皮膚はひび割れていた。


 ラスが、レナを保護して道端に避難している看護師に歩み寄る。彼女もまた瞳がうつろで、ナース服の袖口やスカートの裾からは、包帯が覗き見えていた。


「マリーさん。その子を、返してあげて」


 レナを両腕に抱いている看護師のモルトスに、ラスが優しく声をかける。

 マリーと呼ばれた看護師は、無表情にレナを抱えたまま動かず、ラスの求めに応じなかった。

 ラスが困ったように笑う。


「ねえ。あなたにはもう、子育て、は、無理でしょ」


 ストレートな表現だが、柔らかい声色には相手を傷つけまいという配慮が伺えた。

 途端、レナの胸に回っていたマリーの両腕が、すとんと落ちる。

「ほら、おいで」

 ラスが、硬直しているレナの腕を引き、マリーからそっと離す。そのまま肩に手を添えて、ビッテの元に連れていった。レナが祖母の両腕にしっかりと抱かれたのを確認すると、恥ずかしげに俯いた彼は、ビッテに訊ねる。


「えっと、す、すみません。アボナに、行きたいです。どう行けば、いい、ですか」


 緊張しているのだろうか、たどたどしさが増している。


「アボナかい? アボナは……」


 ビッテが答えかけた時、ラスが突然「わっ!」と小さな悲鳴を上げて左側頭部を押さえた。

 ラスの左側頭部に直撃した小鳥の卵大の石が、コロコロと地面を転がる。


「出て行け、モルトス使い!」


 石を投げた大工の男が、ラスに向かって叫んだ。そこからは堰を切ったように、野次馬達が次々と罵声や小石を飛ばす。


「村に死人を持ちこむな! モルトス使い!」

「今すぐ出ていけ! モルトス使い!」


 歩く死人を率いる者に対するこの国の俗称を口にして、案内人のラスを攻撃しはじめた。


「え、ま、待ってくださアヤっ(痛い)!」


 狼狽しているラスの肩にまた、石つぶてが当たる。


「何するんだい!」


 ビッテがラスの前に立ちはだかった。イヴリンも預かった荷物を抱えたまま、渦中へ飛び込む。


「ちょっとみんな、落ち着いてよ! 彼は私達を助けてくれたじゃない!」


 いきり立った野次馬達を落ち着かせようと呼びかけるも、効果は無かった。村人達はすぐにでもラスを攻撃できるよう石を構えたまま、イヴリンに反論する。


「モルトスはフェロックスに戻るんだぞ! お前も知ってるだろうイヴリン!」

「しかもそいつは、噛まれたじゃないか!」


 最後にパン屋のオヤジが、「ここで殺されないだけ有難いと思え!」とラスを怒鳴りつけた。

 イヴリンとビッテは、「あっ」と小さく声を上げてラスの右腕に注目する。彼は、自らの右腕を噛ませてフェロックスを止めたのだ。服に隠されているため素肌は見えないが、無傷のはずがない。あらゆる抑制から解放されたフェロックスの顎の力はすさまじく、時に骨ごと人を喰らうのだから。


 行動を起こしたのは、イヴリンよりもビッテの方が早かった。ラスの背中を押したビッテが、素早く東を指さす。


「あんた、早く逃げな! アボナはあっちだよ!」

「え? あ、は、はいどうも」


 ラスはうろたえつつも、右手の小鐘を一振り鳴らして後ろ向きに走りはじめた。モルトス達を集めると、前に向き直って足を速める。

 追走するモルトスらは、五人。軍人二人と看護師一人。つい先ほどまで暴れ回っていた行商人が一人。最後に、白いエプロンをつけた老人のである。

 そういえばフェロックスとの戦いを見守っている間、隣に見覚えのない老人が立っていたなと、イヴリンは思い出した。もしかしたらラスは、その老人に荷物を預けるつもりだったのかもしれない。「ダンさん」と呼んでいたし、きっとそうだ。

 そこで、はたと気付いた。彼の荷物は、自分が抱えたままである。


「やだ嘘でしょ!」


 イヴリンは慌てて、道の向こうに消えた集団を追いかけた。









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