2-6

 遺体は霊安室にあった。


 首元の索条痕さくじょうこんが痛々しい以外、安らかな寝顔だと言っても過言ではないだろう。


 神田美月は殺されていた。夫である聡の手によって。


 自殺を図った妻の傍にいたいという聡の訴えを、ドクターが了承したのだ。また死のうとする可能性があるから、近くで見守りたい、と。しかし実際はそうではなかった。聡は自らの手で、美月をあやめたのだ。


「可哀想な人でしたね」

 尚登がぽつりと口にした。


 屋敷の隠し部屋から見つかったのは、ホルマリン漬けの胎児の遺体だった。鑑識からの報告待ちではあるが、まず間違いなく美月の子であろう、女の胎児。ピンク色の壁紙に囲まれた子供部屋のような空間に、祭壇のような場所を作り、まつるように置かれた遺体。その傍らには、おもちゃやお菓子、そしてこうなる経緯が書かれた日記。


 事の発端は結婚式直前に遡る。当時、まだ婚約中だった美月は、あの家で両親と三人で住んでいた。両親が出掛けていた時、男が屋敷に侵入。金目の物を奪うとともに、。その後、美月は聡にすべてを打ち明け、自分は傷物だから結婚をやめようと打診。しかし聡はすべてを受け入れ、美月と結婚することとなる。


 結婚式から数日後、美月の両親が事故で他界。美月は聡だけが頼りとなるが、聡は海外への赴任が控えていた。初めは一緒に行くつもりだった美月に、さらなる不幸が起きる。


 妊娠していたのだ。


 時期的に、あの日……襲われたあの日に出来た子供であると確信し、美月は焦った。相談しようにも、もう両親はいない。聡に知られたら離縁されてしまうかもしれない。そう考えた美月は、体調不良を理由に海外への移住を先延ばしにし、堕胎を考える。


「切ないわね」

 安城が、思い出したようにぽつりと言った。


 堕胎……。

 宿った命を、消す行為。


 美月は迷った。迷っているうち、お腹の子はどんどん育つ。目立ち始めたお腹を隠しながら、それでも、聡を失いたくなかった美月は堕胎の道を選んだのだ。


 神田家には昔から決まった医者が出入りしていた。しかし、その医者に話すわけにはいかなかった。彼女が考えたのは、公にはなっていない潜りの医者を頼ることだった。そしてそれが、彼女の運命を大きく変えてしまうこととなる。


 仲介人を経て紹介された潜りの医者は、ヤブであった。そもそも資産家のご令嬢。裏の世界のことなど詳しいわけもなく、半ば騙されるように金をごっそり取られ手術を受けたのだ。そして子宮を傷つけられ、彼女は二度と子供を作れない体になってしまった。

 その頃から、日記はおかしな妄想が書き連ねられるようになる。


――赤ちゃんは女の子だった。可哀想に、今は瓶の中にいるけれど、いつか必ず、そこから出してあげるからね。


――女の子はピンクが好き。お部屋の壁紙はピンクにすることにした。お花も沢山飾ってあげなくちゃ。


 年に数回しか会わない夫。


 閉鎖された世界で、ホルマリン漬けの我が子と暮らす美月。この頃、とうに精神は崩壊していたのだろう。


 その一方で、赤ん坊のことは聡に知られるわけにはいかなかった。そこで美月は始めたのである。証拠隠滅を。

 まずは闇医者を。それに、医者を紹介してきた男を。医者に向かうときに乗ったタクシーの運転手を……ここまではまだ、目的があったのだ。しかしそこから先は……、


「さ、帰って聴取を纏めなきゃね」


 病院で美月を殺害した聡は、殺人罪で現行犯逮捕されていた。そして、美月の身に起きた悲劇が、本当はどれほどのものであったかを、二人は知ることとなる。


 結婚前の強盗。これは聡の仕業であった。美月を傷物にするのが目的だ。資産家で、古くからこの土地に住んでいた神田家は、一人娘である美月の身に起きたことを警察に連絡をすることはないと踏んでおり、実際、その通りになった。この結婚における自分の立場を有利にすることが狙いだった聡は、してやったりだ。傷物だと知っても尚、愛している結婚しようと言えば、美月は一生自分にかしずくことになる。彼女の持つ資産を、好きに出来ると思ったのである。


 しかしここで一つ目の誤算が生じた。美月の両親が、この事件を独自に調べ始めたのだ。警察には話していないが、元捜査一課の探偵とやらに犯人捜しを依頼していたのである。そのことを、美月には内緒で、との前置き付きで聡に相談していた。

 それを聞いた聡は犯人捜しをやめさせるため、美月の両親を……そう、事故に見せかけ葬ったのである。それが結婚式の数日後。


 そして聡は海外へと渡る。しかし、一緒に来るはずだった美月が急に体調不良を訴え出した。ここで第二の誤算が起きる。美月が妊娠していたのだ。明らかにおかしな態度をとる美月を見て、ゴミを漁ったところ、出てきたのは検査薬。それが何を指示しているかは、聡にもわかった。そしてその子供は、だった。なんとしても。万が一にも、あの日の犯人が自分だとバレては困るのだから。


 美月を誘導するのは簡単だった。裏家業の人間を美月の目に留まるように置き、そこから闇医者を紹介させる。あとは予定通り、子供を始末してもらえばそれでいい。これですべてがうまくいったと思っていた。


 ある日、裏家業の紹介屋が消えた。闇医者も、消えていた。裏の世界の人間だからいつ行方を晦ましてもおかしくはない……ともいえる。が、嫌な予感はあった。しかし自分は遠く離れた海外だ。すべて、見なかったことにしてしまえばいい、という気にもなっていた。


 しばらくの後、久しぶりに再会した美月の変わりように、聡は驚いていた。普通を装ってはいるが、マトモではないその佇まい。美しかった美月は、更に美しく、この世のものとは思えないほどであった。


 庭から出てきた遺体の多くは、美月が都内で知り合った行きずりの相手であると判明した。なんの接点もないチンピラ風情を誘っては、ホテルで行為に及ぶ。それを何度か繰り返したのち、車で家に誘い出し、車内で毒を飲ませ殺害。庭に埋めていたのだ。

 彼女はもう子供が産めない体だと知っていたはずだが、日記には『子供が欲しい』という切実な思いが綴られていた。そして行きずりの相手と関係を持つ度、それを清算する。


 ――庭には、美しい花が咲き誇る。


「俺が『あの子はどこだ』なんて聞いたせいで、追い詰めちゃったんですね」

 尚登が歩きながら呟いた。


 美月は、尚登の『あの子』という言葉を聞き、赤ん坊の遺体が発見されるのは時間の問題だと思ってしまったのだろう。だから飛び降りた。「あの子」を守るために。

 しかし尚登の……ヴァルガの力で一命を取り留めることとなる。


 あの日、美月は聡にすべてを話し、懺悔してしまったのだ。赤ん坊の遺体を隠していることも、複数の男との関係もすべて……。結果的に聡は、赤ん坊の遺体が調べられれば、最初の事件の犯人が自分であるとわかってしまう。そのことで追い詰められて、衝動的に美月を殺した、ということになっている。


「聴取の時、言ってたわね、彼。『妻に対する愛情などとっくになかった』って。だけど私はそう思えなかった。彼は彼なりに美月を愛していて、彼女の懺悔を聞いた時、なにより嫉妬心が沸いたんだと思ったわ。自分の留守に、浮気をしていた妻に」

「これだけややこしい背景を持ちながら、動機は痴情のもつれなんですか?」

「ええ、そう。人間って、複雑なようで案外単純な生き物よ」

 大きく息を吐き出しながら、安城が言う。


「安城さんも?」

 尚登が茶化した。

「ええ、私も単純。こんな事件の後だっていうのに、お腹が空いてきたわ」

「あ、それは俺も……」

「何か食べてから帰りましょうか?」

「はい!」


 二人は重たい空気を押し遣るように、外へ出る。


 病院の中庭には花壇があり、色とりどりの花が風に揺れていた。


第二章 完

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