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「じゃ、ほとんど何も覚えていないのね?」
問題なし、のお墨付きをドクターにもらい病室から出された尚登は、本部内会議室にて特殊犯罪調査課、通称『怪異班』の班長と、相棒でもある安城ミサト、更に都市警察の本局から来たというお偉いさんに囲まれ聴取を受けていた。
「ええ、すみません」
頭を下げると、安城が、
「謝ることないわ。無事だったんだもの、よかったわよ」
と庇ってくれる。
「引っ張った奴等は昨日意識を取り戻したんだろう?」
班長……
「ええ、遠鳴君が目覚めた少し後くらいに、数名ずつ、時間差で全員が意識を取り戻しました」
「となると、やはり何か特殊なガスでも吸ったということなのか……」
尚登は黙って皆の話を聞いていた。
「ともかく、あの場にいた全員を確保できたわけだな。例の、フロッピーも」
お偉いさんがそう口にした。
「フロッピー?」
今時そんなものを? と口にしそうになる尚登に、安城が声を被せる。
「ええ、回収完了しています」
「よくやった。ではこの件はこれで」
にこやかに微笑むと、本局から来たお偉いさんは部屋を出て行った。
「……とまぁ、上も納得の結果だ。尚登、お疲れさん」
駿河がそう言って尚登の肩を叩いた。
「班長、この後は?」
安城がそう訊ねると、駿河は考えるように宙を見、
「今日はもういい。明日から別の任務にあたってもらう」
と言い、出て行く。
駿河を見送ると、安城が大きく伸びをした。
「あ~あ、それじゃ有難く午後は半休ってことにしましょうか」
「ですね」
「私はジムにでも行くわ。遠鳴君は?」
「ああ、久しぶりに家に帰って部屋の掃除でもします」
「そ。じゃ、また明日」
ひらひらと手を振り出て行く安城。
一度だけ安城と一緒にジムに行ったことがあるのだ。が、彼女のコースはハードすぎて付いて行けなかった。それ以来、尚登は自信を無くし、ジムは安城と被らないようにしているのだった。つまらない男のメンツというやつである。
それに、潜入捜査の時は長く家を空けることになる。今回もしばらく家に帰れていない。たまには帰って自分の部屋でゆっくりしたかった。
*****
ロッカールームで着替えを済ませ、荷物を片手に本部を後にする。
ここから自宅までは電車移動だ。
本当は車通勤したいのだが、まだ新人扱いの尚登は許可をもらえないのだった。
平日の昼、ラフな格好で電車に乗る姿は、ギリギリ学生に見えなくもない。二十六歳のわりに童顔なのだ。端正な顔立ちとまでは言わないが、それなりに整ったスッキリとした風体のため、女子受けはいい。
だから電車内で熱い視線を向けられても、さほど気に留めやしなかったのである。
最寄り駅に着く。
尚登は、まっすぐ家には向かわず、少し駅前をうろついた。それから路地裏の定食屋に入ると、店のおやじに声を掛け、そのまま裏口から外に出る。
つけられている。
仕事柄、尾行には敏感だ。
電車内での熱い視線を、単に自分への好意だと勘違いしたことを恥じる。相手は確実に尚登を標的としてつけてきているのだ。
ただ……、
「だが、素人だな」
あまりにも行動が雑だ。あれではどんなに鈍くても尾行されているとわかってしまうだろう。そして撒くのも簡単だった。
いや、簡単に撒いたと思い込んでいた。
「どこへ行こうっての?」
「なっ……!」
目の前に、いる。
若い女だ。
髪を高い位置でツインテールにまとめ上げ、短い黒のふわりとしたワンピースを身に纏っている。大きくてキラキラの好奇心に溢れた瞳と、少し怒ったように尖らせた唇。鈴の音を転がしたかのような高く澄んだ声。そんな少女が、尚登を見上げ……いや、睨み付けている、と言った方がいいだろうか。
「私から逃げようったってそうはいかない!」
あんなに雑な尾行をしておきながら、店の裏口から出ることには気付いたということなのだろうか?
「人違いでは?」
尚登は余所行きの顔をしてそう語りかける。が、少女は腕を組むと、ハッ、と鼻で笑う。
「人違いですってぇ? この私が、あなたを間違えるわけがないでしょうっ? 一体どういうことなのかキッチリ説明してもらいますからねっ。私がっ……どんな思いで今ここにいるかっ……、」
威勢よく話していたはずの少女が、急に涙声に変わり、ボロボロと涙をこぼし始める。
「ええっ? ちょっと!」
道端で急に泣き出され、焦る尚登。道行く人に怪しまれる前に、どうにかしなければ、と頭を巡らせ、少女の手を掴む。
「ちょっと、こっち」
店に入ることも考えたが、彼女がどこの誰かも分からないのだ。話を聞くだけなら外でいい。近くの公園に連れて行くと、ベンチに座らせる。
「何か飲む?」
自動販売機を指し訊ねると、
「じゃ、ココア」
と、遠慮のない答えが返される。
ココアとコーヒーを買い、ベンチに座る。
「で、どこのどなた? 俺は君のこと知らないと思うんだけど」
ココアを差し出しそう言うと、少女は驚いたように目を見開き、受け取ったココアを投げつけてくる。
「うわっ、ちょっと!」
寸でのところで避けると、転がったココアを拾いに行く。少女はご立腹だ。
「嘘でしょっ?」
ココアを拾いながら、溜息をつく尚登。
「なにが?」
さすがにイライラする。
「私が誰か、わからないのっ?」
詰め寄る少女の目は真剣そのものだ。さすがの尚登も、どこかで会ったことがあるかもしれないと不安になる。
「いや、やっぱり知らないと思うんだけどな」
心持ち小さい声でそう呟くと、少女がポンと手を叩く。
「あ! もしかしたらまだ覚醒してないってことかしら!」
「覚醒……?」
「だとしたらチャンスなのかもっ。あ、でも話を聞いてからじゃないと消せないじゃない。ってことはやっぱり覚醒が先……?」
一人でぶつぶつ呟く少女に、何やら危険を感じる尚登。関わるなと、本能が告げているような……。
「やっぱり知り合いじゃないよね」
拾ったココアを椅子に置くと、その場を去ろうとする尚登。だが、少女の腕が尚登の腕を捉える。むぎゅ、という擬音がよく合いそうな、腕に押し付けられる、それ。
思わず見入ってしまう尚登だったが、次の一言で一気に現実に戻される。
「行かせないわよ、魔王ヴァルガ!」
「へっ?」
にんまりと笑ったその唇から発せられたのは、尚登の名ではなかったのである。
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