第3話 宇井純と男女の友情

 男女の友情は成立する。


 それは確かにそうかもしれない。


 恋愛関係ではなく友情で結ばれる。そういう関係性の男女は世の中にごまんといるし、実際そういう相手に恵まれてもいる。


 だからその言葉自体に異論はない。異論はないが――


 俺――宇井ういじゅんが抱く彼女への気持ちは、友達に対してのそれではない。


 自分の気持ちにとっくのとうに気付いていて、ずっと黙っていた。


 居心地の良い関係に甘んじていた。


 もしも壊してしまったのならば、もう二度と元には戻れないからだ。


 それでいいと思っていた。ずっと一緒に居られるのならそれでいいと。


「早く答えなさいよ」


 しかし築き上げてきた砂の城は今、音を立てて崩れ去ろうとしている。真剣なまなざしで俺をにらみつける同級生、一途の告白によって。


 こいつが、俺のことを好き? 


 そんな素振り、今まであったか? まったく気づかなかった。


 しかし彼女の目は真剣だ。真剣だが……この、にらみつけるような目が、本当に好きなやつに向ける目なのか!?


「言っとくけど、本気だから」


 ずい、と俺に詰め寄る彼女。


「返事はこの場でお願い」


 何かを言う前に釘をさされた。


 背中に冷や汗が伝う。もう逃げ場はない。


 いつも可愛らしい彼女のネコ目が、今日は獲物を狩るライオンのように光っている。


「じゅ、純、一途……ねえ、今じゃなくてよくな――」


「よくない!」


 とっさに取り繕おうとした百合花のひとことも、ぴしゃりとシャットアウト。鬼気迫る表情だ。一途のこんな顔、初めて見た。


「ほら、早く答えなさい。授業始まっちゃうでしょ」


 あと数分でチャイムが鳴る。くそ、お前のせいだろう!


 なにか策は無いのだろうか。この場を丸く収める、策は。


「……?」


 視線をさまよわせていると、ふと、一途の手元に目が留まる。


 ぐっと握りしめたこぶしは震えていた。


「!」


 そうか。俺はとんだ勘違いをしていた。


 この場を丸く収める? そんなのダメに決まってる。


 普段はありえない行動をしてまで、勇気を振り絞った彼女に失礼だ。


 一途が俺を好き? そんなわけがない。


 彼女の視線が追っていたのは、いつだって俺ではなくだったから。


 だから俺は、ここで答えを出さなければならない。 


「ごめん、一途とは付き合えない」


 俺と君の間にあるそれは、『男女の友情』でしかないから。


「どうして? 誰とでもいいって言ってたよね」


 それを聞いてもなお、一途は追撃の手を緩めない。


「ああ。本当はもう、心に決めた人がいるんだ」


「……」


 言うや、もう一人の幼馴染……百合花の方にゆっくりと向き直る。


 一連のやりとりを見守っていた彼女のその目には、こぼれそうなほどに涙が溜められていた。


 ずっと無理をさせていた。機転の利く彼女に甘えて、ずっと。


「ごめん、百合花。俺は君のこと、もう友達だとは思えない」


「……」


 物心ついた頃から一緒の幼馴染……百合花。


 今まで俺はどんな異性から好意を寄せられても心が動かなかった。その理由に気付いたのは、高校に上がってからだと思う。


 大事な人はと聞かれて想像した時。他の男とのあらぬウワサに心をざわつかせられた時。


 そんな時いつだって頭に浮かんだのは彼女だった。


 俺はずっと――


「君のことを友達としてではなく、一人の女性として好きだ。俺と――付き合ってくれないか」


 告白を聞いた百合花がせきを切ったように泣き出した。年端もいかぬ幼子のようにしゃくり上げる。涙をぬぐってもぬぐっても、とめどない大粒の涙が彼女の制服の裾を濡らす。


「「……」」


 そんな百合花を俺と一途は黙って見守っている。


 見守って、返事を待つ。


 やがて肩をひくつかせながらも、百合花がゆっくりと口を開き――


「うん」


 と首を縦に振った。


 直後、授業開始のチャイムが鳴りひびく。


 まどろみの時間に終わりを告げる鐘の音。


 いつの間にか入り込んでいた白昼夢から脱していく。


 俺たちのやりとりを見物していたクラスメイトたちが、席に着こうと椅子を引いてがたがたと鳴らす。


 がたがたと音を立てて――


 砂の城は、粉々に崩れ落ちていった。

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