第3話 蔓に包囲された生活
その部屋には、朝日が刺すように侵入してくる。そのせいで隆之介は眠りが不十分ながら、強制的に目を覚まされた。
ここは昨晩泊まった民宿の一部屋だ。そうだ、昨日の帰り際、女将に冷茶をご馳走になった後、階段を探したが見つからなかった。焦りもあって、急いで
意識がなくなりそうなあの時、何か大事なことがわかったような気がしたのだが……。
まだ意識が
確かに昨晩、落下する際、数十本の蔓が引きちぎられたはずだ。自分の体重は65キロほど。その体重の物体が落ちたのだから、相当な量の蔓も引きちぎれたはずだ。そうであれば、その箇所一帯がくぼみ、引きちぎられた痕跡がわかるはずだ。しかし、その場所に全く痕跡が見られない。一体どういうことだ。
頭を悩ませていたが、ものの数分である考え、おそらくは答えであろう考えに至った。隆之介はその理由に気づいた時、ゾッとして、すぐには信じたくなかった。その理由とは、引きちぎられた蔓がもうこの短時間で生長し、痕跡を跡形もなく消してしまっていたのだ。
「自由の象徴」である植物に、隆之介は不気味さを感じ始めていた。
植物に裏切られたような、むしろその本性に初めて気づいたような気になり、隆之介は座り込み、落ち着こうとするが、動揺が激しかったためか、再び意識が閉じかけていた。
意識が完全に閉じる直前、急ぎ足で廊下を歩く女将の足音が近づいてくるのが聞こえていた。
再び隆之介が目を覚ました時、数枚の畳をへだてて女将が横になっていた。
さっきまで玄関先で草の刈り取りをしていたはず。どうやら私を部屋まで運び、寝かしてくれたようだ。その証拠に、寝床近くには、水の入った桶、何枚かの手拭いが丁寧にたたまれていたからだ。
横になっているのは、 私の看病で、疲れてしまったせいのようだ。 私の物音で女将も目を覚ました。 女将は、目を覚ましたものの、部屋の整理をするだけで、こちらに話しかけてこない。 私は不思議に思った。これほどの重症を負った私に対して、 その理由を聞いてこないのだ。 なぜ、理由もわからずに、傷の手当てなどしてくれたのだろう。 まるで最初から私が重症を追うことを知っていたかのようだった。
それに、事故が起こることを予想していたかのように、手拭いや私のために敷かれた布団、治療器具まで、きちんと準備されていた。なぜ、これほど手際よく準備できたのか。
冷茶とフルール盛り、事故、部屋の中の手拭い、敷かれた布団、すぐ準備された治療器具……。
ある考えに至った瞬間、大きな衝撃に隆之介は襲われた。
「女将はすべて知っていたのではないか?」
私の帰り際、 冷茶やフルーツ盛りを用意して、 足止めさせようとしたのではないか。そうすることによって時間を稼ぎ、 蔓が生長する時間を十分に得ようとしたのだ。 そうだ、 そのせいで階段の入り口は蔓で埋まってしまったに違いない。
さらに女将は、私が帰りを急ぎ、 焦って蔓をよじ登ろうとすることを見越していたのだ。結果的に落下して怪我を負うことまで。
すぐわきにいた女将は、 隆之介が何かしら気づいた様子を見て身構え、少し後ずさりした。隆之介は即座に女将に詰め寄った。
「なぜ、帰り際、 私を足止めしようとしたのだ。 蔓が階段の入り口を覆うための時間稼ぎをしていたのではないのか」
女将に問いただすが
後ろめたさを感じているのか。無言という女将の返事から、隆之介は察した。
やはり女将は意図的に時間を稼ぎ、私を閉じ込めたことを。
女将の懸命の介護は、その後ろめたさからくるものであったことも隆之介はわかった。
ただわからないのは、なぜ自分をそこまでして引き止めようとするのかだ。
「なぜ、こんなことまでしてここに足止めさせようとするんだ」
隆之介はまた女将を問い詰めた。言葉を投げつけるように発すると同時に、女将をじっと見据えて
仕方なく隆之介はまた、推測を始める。もう察しはついているのだ。
この宿は蔓植物が上へ上へと高く生長した結果、地中にあるかのような状態にある。女将にとって都合悪いことに、現在も旺盛に蔓は上へと伸び、同時に、地面近くでは枝分かれして新たな蔓が伸び次々に伸び始めている。放っておけば、この民宿あたり一面は蔓に完全に覆われてしまうだろう。
そうなったら、生活には非常に苦労が増えることになる。井戸水をくみに行くこと、洗濯物を干すこと、そもそも窓を開けることさえできなくなってしまう。そのため、蔓を常に刈り取らないと、この宿自体だって蔓に呑み込まれてしまう。
しかし、蔓の刈り取りは、とうてい女一人で手に負えるものではない。男の手がどうしても必要であろう。
ここまで考えて、隆之介は女将の動機もほぼ明らかになった気がした。
隆之介は自分の推理を女将に問いただすと、おおむねその通りと女将は認めた。
事情を把握したものの、隆之介はここに足止めされている場合ではない。職場に休暇申請を出してここに来ていたのだ。当然休暇の期間は決まっているので、ここにいつまでもいるわけにはいかない。すぐにでも調査を始めて、帰路につかねばならない。
隆之介は強い口調で女将を問い詰めた。
「君の
女将は下をむき、申し訳なさそうに答えた。
「私自身も地上に出るには許可が必要なのです。村の人にお願いしなければなりません。でも、お願いしてもほとんど許可されることはないし、今では地上に出ようとも思わなくなりました」
女将も自由に地上に出られないとなると、本当に自分は出られないのか。これはもう犯罪行為ではないか。
隆之介は休暇期間が終わりに近づき、職場復帰しないと同僚に迷惑がかかることを想像すると、いてもたってもいられなくなってきた。すぐにでもここを出たいという欲求が隆之介に大胆な計画を立てさせた。
女将を人質にして脱出する計画だ。
隆之介は最後の手段としてこの人質計画を実行しようとした。ただ、最後とはいうものの、最初から頭に浮かんでいた手段だ。自分はこの地下に、強制的に足止めされている。ならばこちらも強制力を持った手段に出ても文句はないだろう。
隆之介はこの宿のあちこちを見回り、ガムテープなど拘束に使えそうなもの、また凶器となる包丁の場所を確認しておいた。台所の包丁を確認した時、自分の体温が自然に上昇するのを感じた。それは恐怖と狂気が入り混じった感覚のせいだった。
計画を実行する前に、隆之介は女将に聞いてみたいことがあった。
「ずっとここで暮らしていて、嫌にならないのか? なぜ、外に出ようとしないんだ?」
女将は、「最初は出たいと思っていました。ただしばらく暮らしていると、外に出なくても、ここで十分自由に暮らせているから、気にならなくなったのです」
「もっと自由に色々なところに行ってみたくないのか?旅行など」
「すっとここで暮らしていると、ここで十分な生活をすることができるようになりました。いろんな料理が食べられるわけではないけど、食事には困らないし、草刈りも慣れればちょうどいい運動になっています」
隆之介から見ればここは刑務所も同然だが、女将はこの狭い空間で十分自由だという。この空間サイズに合わせて、自分の暮らしがリサイズされているように聞こえた。
こういう自分は外の空間で本当に自由なのだろうか。
職場では同僚からの妬み、ネット記事をみると
私はここで暮らす女将とどれほどの違いがあるのか。
それは私だけではないだろう。近所の家族も、平日は学校や仕事、週末にはコストコなどショッピングモール、またハンモックやウッドデッキがあざとく設計された家族向けのレストラン。
それらをみていると、「自分たちは十分自由で幸せな暮らしができている」という安心を得ようとする、手段としての幸福として、隆之介には見える。外の空間もリサイズされているに感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます