36.語らい(後)———セアル
それから二日後、四月淡緑の日。
セアルは、職人たちに囲まれていた。
「では腕を横に広げていただけますか? ……はい。そのまま………もう下ろしていただいて大丈夫です。では次は……」
職人たちの手際がやたらといいので苛立つことなどないが、これは一体どういう状況なのだろうか。採寸の結果ぐらい、セアルの馴染みの店が持っていると思うので測り直す必要性はないように思うのだが。
(……気にはなるが、聞きづらいな)
職人たちの目の下とかに、色濃く疲労の色が残っているので。
「これで終了となります。ありがとうございました」
「次はラウラか。呼んで来よう」
「いえ、そんな! お手を煩わせるわけには……」
「ラウラは大広間にいて、俺は今からそこに戻る。ついでに声をかける程度、手間の内に入らない」
「……ありがとうございます。お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」
「ああ。良い衣装を仕立ててくれ」
「必ずや」
解消しきれぬ疲労にくすんだ瞳は、尚も職人の誇りを抱いて輝いている。その強い輝きは、あまりに眩しかった。
大広間に戻れば、ラウラとイェセリウスが何やら楽し気に言葉を交わしていた。イェセリウスが何かの紙をラウラに見せていて、ラウラはそれを指しながら質問しているようだが。
「ラウラ、イェセリウス殿」
「お帰りなさい、セアル殿。採寸はつつがなく終わったようですね」
「ああ。……ラウラ。職人たちのところに行ってやってくれ。場所は分かるか?」
「えっと……」
たちまち視線をさ迷わせるラウラに、イェセリウスが柔らかな目を向ける。その目はかすかな笑いと優しさと、溢れんばかりの恋情を載せて砂糖菓子のように甘い。
「執事に案内させますね」
「ありがとう。……じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、ラウラさん」
すぐ脇を通り抜けたラウラの栗色のお下げが揺れて、尾のようにも見えるそれにふと視線が吸い寄せられる。小さな後ろ姿が扉の向こうに消えたとき、ようやく自分が彼女の姿を目で追っていたことに気が付いた。
振り向けば、イェセリウスとか教導役の祭祀官だのの生温かい視線。穴があったら入りたいぐらいにはいたたまれない。
「……座られては?」
「………失礼する」
少しばかり自棄になってソファーに腰掛け、温かい茶をもらったところで、イェセリウスの持った紙に目がいった。ラウラと二人で見ていたそれ。
「……『春呼びの乙女』の衣装のデザインか」
「ええ。気になるところがあれば教えてほしいと、お店の方が持って来たんです」
「そういうことか。……ところで、イェセリウス殿。少し気になったんだが」
「なんでしょう?」
「もう春祭りまで一ヵ月を切っているが、今日採寸で間に合うのか?」
「……間に合わせるために採寸が今日になった、とだけ言っておきましょう。祭りの衣装なのでそう大きな変更もありませんし、あの店の方々は手が早いので大丈夫だとは思いますよ」
「ならいいが。……やはり、『影津波』か?」
「はい。本来採寸は淡白の日に行うはずだったのですが、わたしたちは事後処理に追われていてそんな暇はなく、お店の方も店舗の復旧に手一杯だったそうなんです。なんでも、『影津波』のどさくさに紛れて泥棒が入ったとかで」
「それはまた運のないことだな……」
「幸いにも住み込みの職人さんに狼族の方がいて、匂いを辿って捕獲することが出来たそうですよ。それはさておき……復旧作業を終えて業務を再開してみれば淡色の週が終わりそうになっており、せめて採寸だけでも済ませなくてはと昨日、昼の鐘が鳴った頃にお店の方が城館に来まして。急遽今日、採寸を行うことになったというわけです」
「よくラウラへの連絡が間に合ったな。橙の日は薬草採取か薬の調合をしているらしいから、捕まえるのが大変だったんじゃないか?」
「そうだったんですか!? 道理で見つからないわけです……。結局、ケントくんに伝言を頼みましたよ。共に暮らしているのなら、ラウラさんにも伝わるだろう、と。今朝、ラウラさんと一緒にケントくんも来たので完了のサインを書きました」
「仕事にしたのか」
「彼は運び屋だそうですから。何かしらを運んでもらうのなら、それは仕事にするのが筋というものでしょう」
「そうだな」
会話の合間にイェセリウスから手渡されたデザインを眺める。春の乙女と、彼女の連れてくる春をイメージした柔らかな色合いのそれ。記憶の中の衣装と微妙に異なるのは、ラウラに合わせてデザインを変えているからだろうか。
「やはり左目は隠すんだな」
仕方のないことだがもったいないと思いつつ何の気なしに呟いた瞬間、イェセリウスの纏う空気がほんの少しだけ固くなった。目を向ければ、窺うような深紅の瞳がそこにいて。細められた縦長の瞳孔に捕食者たる蛇の気配を感じて、兎の本能が慄くのが分かった。
「……何だ」
「いえ………セアル殿の城館には、瞳飾りはありますか」
「突然だな。……幾つかあったと思うが、正確な数は使用人に聞かないと分からない」
「そうですか」
瞳飾りというのは一対の目を模したお守りの一種で、裏口や窓辺に吊るしておくとよくないものの侵入を防いでくれるというものだ。材料や手の込み具合は様々だが、どこに行っても軒先に吊るしてあったりするぐらいに一般的なもので、兎族領内でも作っている工房があったように思う。
「その瞳飾りが何か?」
「……あれがかつて、何で作られていたか知っていますか」
「いや……聞いたことはない」
「あれはですね、セアル殿」
「魔女から抉り出した瞳で作られていたのだそうですよ」
穏やかな微笑みが、どこか恐ろしい。詩歌を吟ずるが如く滑らかに動く口がセアルの知るイェセリウスのものでないように錯覚するほど淡々と、非道を告げる。
「魔女は死ぬと跡形もなく消えてしまいますが、生きているときに切り離された体は腐り落ちることなく残り続け、豊富な魔力を含むのだそうです。……瞳飾りは遥か昔の魔女狩り戦争の頃に生まれ、悪心を持って家に入ろうとするものに禍をもたらすという強力な効果を持っていました」
「しかし……ここアグリア王国が成り、世界が魔女のものから人のものになった頃、それを作ることは出来なくなりました」
「……魔女が消えたから」
「ええ、そういうことです。それでも人々は財産を、家族を守ろうと瞳飾りを求め……その材料をあるものに変えた瞳飾りが作られました」
「あるもの……?」
「珍しく察しが悪いですね、セアル殿。あるでしょう? 魔女のそれと同じく強い魔力を含み、神秘的な力を持つものが。数が少ないとはいえ人の中に。都合よく」
それは。まさか。今もセアルの傍らにある―――
「魔眼か……!」
「正解です。わたしたち蛇族は古くから魔眼持ちを保護してきたうえ、魔女のものとはあまり似ていませんからね。被害はまだましな方だったそうですが……
「……ラウラも、その対象になる可能性があると?」
「ええ。魔女のものとは違い、人から奪った魔眼はすぐ駄目になってしまうため、瞳飾りは硝子や木など様々なもので作られるようになりました。しかし、その存在が忘れ去られたわけではありません。今も、襲われたり行方不明になったりする
「何故俺にこの話をした? ラウラに危害を加えさせたくないのなら、護衛でも付ければいいだろう」
「……わたしの、ただのわがままです。小鳥は籠に入れてしまえば危険からは守れますが、自由に空を飛ぶ姿は見れなくなってしまいますからね」
ゆるい笑顔を浮かべてそんなことを言うイェセリウスに何も言えないのは、セアルもそうだからに他ならない。セアルが好きになったのは、何ものにも縛られず笑う彼女なのだから。
ぴくり、と耳が廊下を歩む小さな足音を聞き留めた。遅れてイェセリウスも気付いたようで、弛んだ笑顔をそっとしまい込んでいる。
「さて、ラウラさんがお店を始める時間まで稽古するとしましょうか」
「そうだな」
二人、扉が開くのを待つ。愛しい人がその姿を見せるまで、あと三歩、二歩、一歩。
「ただいま!」
「おかえり」「おかえりなさい」
彼女がいつまでも笑っていられるよう、力の限り守ろうと。誓いを新たに、セアルは微笑と共にラウラを出迎えた。
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