35.語らい(前)———セアル

 雪舞う街路を歩き、一つの門の前で立ち止まる。周囲の屋敷群とは一線を画す堅牢さのそれを見るのも、たった三日訪れていないだけだというのに随分と久しぶりのような気がした。


「失礼する」

「よくぞお越しくださいました、セアル様。我が主はいつも通り、大広間におります」

「そうか」

「礼には及びません。……大きなお怪我がないようで何よりです」

「……ありがとう」


 ここ三日のセアルは、先日起きた大規模な『影津波』の事後処理に忙殺されていた。セアルが任されている領内の各村長、各町の行政府から上げられてきた被害報告等を元に必要な支援の手配をし、領主への報告書を書き上げ、領内を見て回り支援物資を手渡したり命を落とした民を悼んだりと、とてもじゃないが蛇族領主城館を訪う余裕などなかったのだ。


(一応、毎日舞の稽古をする時間は取るようにしていたが……『腕が落ちましたね』などとは言われたくないな)


 執事に先導されて大広間に向かう。扉を開けると、イェセリウスは一人目を閉じ木剣片手に、剣舞を舞っていた。ひとつに纏めた長い髪が、彼らの祖たる蛇のように空を這う。


「……セアル殿? こんにちは」

「邪魔しているぞ」

「何だかお久しぶりですね。事後処理は片付いたんですか?」

「何とかな。俺がやらなければならないものだけ片付けて、あとの細々した仕事は補佐官に任せてきた」

「わたしもそんな感じです。祭祀官としての務めも大切ですが、領主名代としての責務も果たさなければなりませんからね……」

「蛇族はある程度の時間寒い環境に置かれると、眠ってしまうんだろう? 不便も多いんじゃないのか?」

「確かに不便なことは多いですね。ですが、厚着をして魔術式懐炉など持っておけば冬でも屋外で長時間活動することはできますし……。それに、多くの蛇族の民は冬、わたしのように引き籠りますからね。他種族と比べてもまだ面倒は少ないんです」

「そうか。……それにしても、少し意外だな」


 イェセリウスの身に着けた、青い魔結石の付いた指輪は十中八九青の魔術の行使を助ける媒体つえだろう。美しい舞を舞えることから鍛えているのは分かっていたが、彼が剣を扱うイメージはなかった。


「やはり皆さんそう思うんですね……。確かにわたしは基本的に魔術師として戦っていますが、一応剣術も体術も修めているんですよ。……単に、剣術より体術の方が得意だと言うだけで」

「なるほど、それでか」


 いくら体術を得手としていても、それはあくまで人の形をしたものに対することを前提としている。姿かたちも違えば膂力も埒外な魔獣と戦うのは厳しいだろう。


「俺たち兎族の体術とはまた違うんだろうな」

「そうですね。わたしたち蛇族も素早く動けはするのですが、兎族の方々ほど軽快に動くことはできません。……よろしければ、一手どうでしょう」

「剣の稽古をしていたんじゃないのか」

「型稽古は一通り終わりました。そろそろ誰かと打ち合いたいと思っていたところだったんですよ」

「まあ、いいが……」


 組手をするのなら、と軽く身体を動かす。寒さに凝り固まった足は特に重点的に伸ばして、解していく。


「折角だから何か賭けませんか」

「意外だな、そういうことを言い出すとは」

「慎重は美徳ですが、時に足枷となりますからね。たまには大胆になろうかと」

「そうか。……で、何を賭ける」

「部下たち相手なら食事を一回、と言うところですが。わたしたちならばそうですね……『ラウラさんを先に春祭りに誘う権利』というのはどうでしょう」


 つい、イェセリウスの方を見返した。どこか挑戦的に微笑む、虎目石タイガーアイに似た瞳。


「……なるほど、大胆だ」

「わたしとて、諦めるつもりはありません。……始めはただ、普通に接してくださったことが嬉しくて、心地よかっただけのはずなんですが」


(嬉しかっただけ、か)


 セアルも同じだった。始めはただ、嬉しかっただけ。それがいつの間にか形を変えて、別の形で綻んだ。


「きっかけが何であれ、惹かれているのは確かなんだろう。ならもう、それでいいんじゃないか」

「そうですね。……きっと、そうなのでしょう。恋に理屈はいらないと、よく言いますしね」

「違いない」


 交わした瞳の色は共に深紅。どんなに似ていたとしても、交わることは決してない。


「合図はどうする?」

「硬貨が落ちたらにしましょうか」


 イェセリウスがどこからともなく取り出した小銅貨を示して見せる。色々ツッコミたいところはあるものの、それらはひとまず脇に置いて。


「いきますよ?」

「いつでも」


 弾かれた小さな硬貨が回転しながら落ちていく。靴が床を擦る僅かな音さえ聞こえるほどの静寂が空間を満たして。


 きん。


 鎌首をもたげた蛇が噛みついてくるように、イェセリウスが大きく踏み込み懐に潜り込んでくる。想像以上に間合いを詰めるのが速い。後退し下がっていなければ、組み付かれていたことだろう。

 縦長の瞳孔抱く瞳とほんの一瞬だけ目が合った。言われなくとも、逃げ続けられないことはセアル自身が一番よく分かっている。


(焦るな)


 蛇族の体術は確か、締め技が基本だったはず。捕まらなければ締められることもない。蛇族あちらのペースに乗せられず、兎族こちらのペースに乗せろ。速さで翻弄し、捕らえられることなく一方的に攻撃を加え続けろ。

 兎族も蛇族も、際立った持久力を持たない。したがって戦いは、短期決戦になる。


(望むところだ)


 イェセリウスがセアルを見失った一瞬の隙に拳を叩き込む。防がれたのを認識した刹那に床を蹴り、移動。移動。移動。死角に入った瞬間に攻撃。またもや防がれた。移動。移動。


(思った以上に対応が早い。この早さなら、蹴りは足を掴まれる恐れがあるか)


 振り抜かれた腕を身を低くして避け、足を狙う。そう簡単には転んでくれないのは分かっていた。すぐさま身を起こし、走る。


(剣より体術の方が得意だというだけはある。中々手強い)


 振り抜かれる足は、腕は、よくしなる鞭のようだった。加減されていても、下手に当たれば骨にまで衝撃が届くことだろう。彼らの祖たる蛇のごとく、音もなく距離を詰めてくるのも厄介だ。気が付けば間合いの内に入られそうになる。


(速さはこちらの方が上。技術は向こうの方が上。……決め手が見出せないな)


 焦燥に胸を炙られながら、距離を取って睨み合う。立ち止まることはしない。互いにじりじりと位置を変えながら、隙を狙い合う。


(……分は悪いが、賭けに出るか)


 これはただの稽古なのだと分かっていても、真正面から宣戦布告されたからには負けたくない。あとは、俺の方が先に好きになったのに、なんていう子供染みた負けん気だ。

 強く床を蹴り、一気に距離を詰める。飛んでくる拳や足を受け流しこちらも軽い攻勢をかけながら、肉薄する。拳がぶつかるその寸前、セアルはいきなり身を屈めてイェセリウスのすぐ横を通り過ぎた。

 目の前に、イェセリウスの無防備な背中。回転の勢いも乗せた蹴りが、吸い込まれるように迫って。


「……貴方も結構、無茶をしますね」

「……これも防ぐか」

「いえ……正直、間に合ったのは奇跡ですよ。力を受け流す余裕がなかったので、腕が痛いです」

「余裕を崩せたようなら幸いだ」

「おや、まんまと策にはまってしまいましたか」


 ちなみにまだセアルの足とイェセリウスの腕は交錯したままで、会話を始めてしまったこともあって双方完全に矛を収める機会を逸していた。


「他に兎族の者と戦った経験が?」

「いいえ。アネス殿が剣を振っているところに居合わせたことはありますが、それ以外は」

「そうか」

「セアル殿こそ、蛇族の者と戦った経験はおありですか?」

「いや。知識としてこういう体術を使うと知っているだけで、戦ったことはないな」

「やはり、普通はそうですよね。蛇族は特にその傾向が顕著ですが、アトーンドや各領都のような大きな街でもない限り他種と共に暮らすことはありませんから」

「そうだな。各種いがみ合っているわけでもないが、文化や性質の違いでどうしても諍いが起きてしまう」

「それらを解決するためにわたしたち領主名代がいるわけですが……」

「なかなか上手くいかないのが現状だな」


 兎族うちは爆弾も抱えているし、と心の中でだけ呟いて。長い兎耳を扉の方に向けた。


「こんにちは……って、何してるの? 二人とも」


 足と腕を交錯させたままの恰好で話し続けていたセアルとイェセリウスに、ラウラは困惑の目を向けてくる。そんな視線を浴びながら、そっと足と腕を下ろして距離を取り、何でもない風でラウラに向き直った。


「久しぶりだな、ラウラ」

「いらっしゃい、ラウラさん。ちょうどいいところに来てくださいましたね」

「えっと、本当にどういう状況だったの? 私からはお取込み中に見えたんだけど……」

「実はセアル殿と組手をしていたのですが、切り上げる頃合いを見失ってしまいまして。ラウラさんが来てくださって助かりました」

「そう……? それならよかった……?」

「ラウラと舞を舞うのも随分と久しぶりに感じるな。『影津波』の時に別れてから会っていないから……三日と少し、会っていなかったのか」

「わ、そんなになるんだ……。一応お仕事の合間に舞の練習はしてたけど、大丈夫かな……」

「春祭りまでそう日もないことですし、不安なようでしたらいつも以上にびしばしいきましょうか」

「お手柔らかに……」


 ちなみに後で二人揃って打ち身やら痣やらをこさえたことがばれ、成人してかなり経つにも関わらず、やんちゃはほどほどにと怒られる羽目になった。あまりにもっともなお叱りに、セアルは勿論イェセリウスでさえ何一つ言い返すことができずに終わったのだった。

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