30.魔女と魔物(後)———ラウラ
「さて……そろそろ、準備を始めましょうか。」
ラウラの声に、カウル、トーヴァ、ケント……各々が耳や尻尾を揺らした。ラウラはそれを少しばかり面白そうに見やって、いっそ悠然と片付け始める。ケントも自分の部屋に引っ込み、着替えに向かったようだ。片付けを終えたラウラもそれに倣って、部屋に戻る。室内では暖かすぎると脱いでいた防寒具を身に着け、いつものローブを着ようとして気が変わったように別のものを手に取った。
ラウラが着替えを終えて部屋を出ると、とっくに着替え終わっていたケントがこちらを見る。驚きの表情を浮かべる可愛い眷属に、ラウラは笑みを隠せなかった。
「どう? 似合う?」
「似合ってる……けど、どうしたんだよ、それ」
「花街でもらったのよ。ここは何だかんだと死が傍にあるから、喪服の一枚ぐらいあった方がいいって言われてね。
ラウラが纏うのは、黒いローブだった。黒一色ではなく服の裾や袖口、フードの縁にまでも白と金の糸で刺繍が為されており、これを羽織ってさえ行けば葬儀で咎められることはないだろうという代物。下ろした煌めく白の髪が、これ以上なく映える色だった。
「喪服、か……」
「魔物であり、なおかつ属性を持つということは、『成れの果て』であるということ。可哀想だけど、殺すしかないわ」
「別にラウラがやらなくてもいいだろ……。ばれる危険を冒してまで」
「放っておくと、居場所をなくした魔獣がアトーンドに攻めてきてしまうわ。あの子も来てしまったりしたら、目も当てられない惨事になる。……まあ、殺してしまっても面倒なことは面倒なのだけど………」
「どういうことだよ」
「後で説明するわ。見た方が早いし。……さて、準備も出来たことだし行きましょうか」
ケントが先に鉄扉から出て、周囲に誰もいないことを確かめてからラウラも外に出る。まだ外は吹雪いているが、壁がある分まだマシだった。
「カウル、トーヴァ。おいで」
ちりちりと、色硝子が割れる音。普通のそり引き犬ならば怪我をするだろうが、この二頭に限ってはそれもない。
「乗せて行ってくれるかしら?」
おん、と返った返事に微笑み、首輪を外した。弾けるように光が生まれ、輪郭が変わっていく。数瞬の後そこにいたのは、二頭の大きな狼だった。空から降る光がなくとも輝いて見える白い体毛に、ラウラの右目と同じ翠の瞳。かつてラウラが名と形を与えた、愛しい使い魔。
「ここで外していいのかよ……」
「大丈夫よ。身体の大きさは自由に変えられるし、カウルもトーヴァも早く外してほしいでしょう?」
手に持つ首輪を振って見せると、二頭はこくこく頷いた。首の振り方一つ取っても性格の違いが現れていて、そこがまた面白い。
「さぁ、行きましょう」
ラウラがカウルに、ケントがトーヴァに。少し身体を縮めて礼拝堂を出て、塀を飛び越え『影の森』へと走らせる。影絵のような森に入ると少し吹雪はマシになって、移動のしんどさが多少は減った。嫌なことは、少ないに越したことはない。
「カウル。降りるわ」
ラウラの言葉に二頭が足を止め、降りやすいよう伏せてくれる。足元を確かめながら地面に降り立ち、ここまで乗せてくれたカウルの首元に頭を寄せた。
「目的地まではもう少し……あとちょっと、我慢してね」
ぐるる……と喉の奥で鳴る音を返答と、森の中を進む。ラウラは、木々が薙ぎ倒されてできた広場で足を止めた。
「こんばんは。初めまして……ね」
ラウラの灯した光に照らされても、それは動かない。
そこに居たのは、青い体毛の牛だった。この寒冷地に不似合いな短毛で、水を固めたような角と蹄は景色を透かし、影に沈む森が奇妙に歪んで映っている。面倒そうに開かれた瞳は、片方が自ら光を放つような黄金色をしていた。
「これが、魔物……」
「そうよ、これが魔物。系譜の魔女の、成れの果て。この色からするに、『青』の系譜でしょうね」
「……動かないんだな」
「『青』が司る欲望は怠惰……だから、自ら動くことも厭う。他の色であれば、もっと動き回っていたでしょうね」
青い牛の姿をした魔物は、ラウラが近付いて来ても動こうとはしなかった。ただその瞳でじっと、見つめているだけ。
「魔物に堕ちたばかりかしら? まだ、理性を残してる」
差し伸べた手に、魔物はすり寄る。何か願うような目で、じっと見ている。
「ごめんなさい、魔女に戻してあげることはできないの。あなたは系譜の魔女の、成れの果て。果てに行き着いたらもう、後は堕ちていくしかできないの」
魔物はゆるりと瞳を閉じた。死に結びつけられた色を纏った
「そう。いいのね? ……心配しないで。ちゃんと還してあげるから」
不意に吹きつけた風が、ラウラの煌めく白い髪を揺らした。あまりに小さい彼女の声はきっと、カウルやトーヴァ、ケントにも聞こえていないのだろう。でも、それでいいのだ。
「おやすみなさい。愛しているわ、我が同胞」
酷く久しぶりに、『白』の魔法を使った。降り注いだ光の板が、首を、足を、尾を、胴を切り裂く。ぼたぼた滴るように、魔物が雪の上にくずおれる。飛び散った血液は夜に沈んで、真っ黒く見えた。
「……魔物の血は、赤いんだな」
「そうね。魔女と、魔物と、それから人は赤いわね」
魔獣の血は、青空のような、浅い海のような、そんな色をしている。混沌の影落ちる地に暮らすせいで、その身すらも混沌の呪いを受け変わり果てて。
ラウラは魔物に向き直る。丁度、身体が魔力へと変わり始めたところだった。
「でも、魔女と魔物は人とは違う。人みたいに、死体は残らない」
魔力が宙に解けきって、消える。魔物の居た痕跡は、その場に転がる大きな魔結石だけ。
「こんな風に魔力になって、消えちゃうの。……そういえば、説明がまだだったわね」
説明、と小さくケントが繰り返して、しばらくすると、あ、という声が聞こえた。無事、思い出したようだ。
「殺しても面倒、って言ってたよな。なんでなんだ?」
「この魔結石って、実は魔力が固まったものじゃないの」
「じゃあ、何なんだ?」
「魂、よ。魔獣や魔物みたいに歪んだ魂は、母たる渾沌の元へすんなり還れないの。生まれ持ったかたちとは、違うものになってしまったからかしらね?」
説明しながら、青い魔結石を抱え上げる。人に渡せば狂喜乱舞、どころかこれを巡って争いが起きるほどの代物だ。が、渡してなどやりはしない。彼女の願いは、還ることなのだから。
「身体を構成していた魔力も一緒に結晶化するけれど、それはほんの一部。魔女や魔物のような器たる肉体を魔力で構成しているものは、その魔力のほとんどがそこいらに散ってしまうの」
宙に消えていった魔力はなくなるわけではない。母たる渾沌に還るでもない。世界に散らばるのだ。そして、いずれは吸収される。
「いまはまだ、世界に吸収されていない。けれどここは『影の森』。元より、溢れんばかりの魔力を含む土地。……そこに、魔物の持っていた大量の魔力が供給されたらどうなると思う?」
「魔力が、溢れる?」
「正解……。毒が回っていくように、魔力は大地に吸収されて。大地が吸収しきれなかった魔力は、大気に残る。そしていつも以上の魔力を浴びた魔獣たちは、魔力に当てられ狂ってしまう」
詠うようなラウラの言葉に被せるように、魔獣の吠える声が響く。それは枝葉のざわめきに紛れて少しずつ、だが確実に増えていっていた。
「カウル、結界を張って。邪魔されたくないわ」
カウルの澄んだ遠吠えが響くと共に、ラウラたちの周囲を囲むような結界が張られた。そんじょそこらの魔獣に、破れるものではないだろう。
「さて、この子を還したら家に戻って着替えましょうか。アトーンドが心配だわ」
「そんな悠長にしてる時間あんのかよ……」
「仕方がないから、帰りは転移を使うわ。それなら一瞬でしょう?」
「行きも使おうぜ、それ」
「風情がないわねぇ。お散歩ぐらいいいじゃない」
「あー、はいはい、わかったわかった」
「ちょっと、返事が雑じゃない?」
「いーからとっとと還してやれよ。重いだろ、それ」
「大したことじゃないわ。……さて、と」
抱えた魔結石を、捧げるように天に掲げて。
詠う。
「『大いなる澱み、母たる渾沌よ。貴女の子より、願います』」
青い魔結石は、ラウラの手から僅か浮かんで。
「『これより還すは貴女の子。全てを呑み込むその胎に、お迎えを』」
ふっ、と音もなく消え失せた。
ラウラの手の中には何もなく、まるでその存在が幻であったかのよう。
しばらくラウラは名残惜しげに手の平を見つめていたが、すぐにいつも通りの微笑みをケントに向けた。
「さて、帰りましょうか。忙しくなるわよー」
「へいへい」
ケントが傍に寄ってきたカウルとトーヴァに首輪を嵌めている間に、ラウラは森にぽっかりと開いた広場へと目を向けた。
いつの間にか吹雪は止んでいて、雪は静かに降り続けている。
(おやすみなさい)
一人と二頭に向き直り、手を叩く。色のない魔法が発動して、二人と二頭が消え失せて。
そこに残ったのは、幾つもの足跡だけだった。
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