29.魔女と魔物(前)———ラウラ

 このところ、家々に置かれた鉢植えが目に付くようになってきた。中央広場には舞台が設営されつつあり、それが完成に近付くにつれ春焦がれるこの街にもどこか地に足つかない空気が増している。


(あと一ヵ月しかないのね……)


 半年続いた冬ももうすぐ終わるのだ。目覚めを促す鈴の音と共に。


(そろそろ薬草類の備蓄を始めておかないと。『春呼びの乙女』のお勤めで多少は拘束されるでしょうけど、書き入れ時なのは間違いないし)


 今度ケントについてきてもらって、薬草採りにでも行こう。ただしセアルたちにはばれないように。

 以前のようなミスは犯すまいと心の中で拳を握っていたラウラは、ふと裏門方面に顔を向けた。雑踏の中突然立ち止まったラウラを迷惑そうに人が避けていく。


(あれは……)


「ふぅん……」


 鋭く目をすがめ、ラウラは歩みを再開した。

 しばらく歩いて、蛇族領主の城館へと向かう。領主の城館と言いつつ、この場所に領主は滅多に来ないんですと笑っていたイェセルのことが思い出された。


(もう少しショックを受けているかと思ったけれど、案外大丈夫そうだったわね。私に見せないよう、隠しているだけかしら)


 アリスティリスが死んだのはもうひと月近く前のこと。罪人になってしまった彼女の葬儀は行われなかったが、墓地の片隅にひっそりと墓石が増えているのをラウラは知っていた。

 きっと彼女は嫌がっただろうが、一度だけ花を供えに行った。愛のために動き、愛のために殺された彼女に。愛欲司る魔女として。

 小さく微笑んだラウラは、蛇族領主城館の呼び鈴を鳴らした。雪で音が吸収されているだろうに、すぐさま中から人が出てくる。蛇族は耳や鼻がいいが寒さに弱いので、門番は暖かい邸内で耳を澄ませて番をしているのだろう。


「こんにちは」

「こんにちは。主はいつもの大広間でラウラさんを待ってますよ。兎族領主名代殿はまだ来ていません」

「いつも教えてくれてありがとう」

「いえ、大丈夫ですよ!」


 気のいい門番に手を振って、大広間へ向かう。すっかり歩き慣れたこの城館に来れるのも、あと一ヵ月なのだ。


(イェセルとはあまり会えなくなるわね……。でも流石に春が来れば蛇族も外に出られるようになるわよね。聞いた方が早いし、早速聞いてみましょう)


 大広間の扉をノックしてしばらく待つと、扉が開いた。開けてくれたのは、案の定イェセル。


「いらっしゃい、ラウラさん。早速稽古を始めましょうか」

「うん。……あ、そうだ。一つ聞きたいんだけど、イェセルたちがお家に籠もるのって冬の間だけ?」

「えぇ、そうなりますね。冬に引き籠もらざるを得ないことがあらかじめ分かっているので、蛇族は皆、冬に向けて春から秋の間に沢山動いておくんです。……ところで、どうしていきなりそんなことを?」

「気になっただけ。春祭りが終わったら、私はただの庶民に戻るんだもの。イェセルとあまり会えなくなるかな、って思っちゃって」

「ラウラさん……。春祭りが終わっても、わたしたちは友人でしょう? 気が向いたら遊びに来てくださっていいんですよ?」

「そう? ありがとう!」


 自分の言葉で彼らを悲しませるのは本意ではない。悲しげに顔を曇らせたイェセルに、慌てて弾んだ言葉と笑みを返す。イェセルも本気ではなかったようで、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ってくれた。


(難しいわね……)


 魔女たるラウラの前では王侯貴族も平民も、奴隷と呼ばれる身分の者たちでさえ等しく人。自分より弱く、脆く、愛おしいものたちだ。しかし人族の薬師ラウラにとって、身分とは絶対的なものだ。友である彼らが気にしないでと言ってくれているから、それに甘えているだけのこと。本来彼らは、友と呼ぶもおこがましい交わるべきではないひとたちなのだ。

 この辺りの距離感を間違えればたちまち排斥されるか、もしくは秘密の露呈を招くだろう。いつかアネスに願われた通り、まだしばらくここにいるつもりなのだから、それは避けたいところだ。


「ラウラさん。セアル殿が来たようです。そろそろ稽古の準備を始めましょうか」

「わかった。教えてくれてありがとう」

「お気になさらず」


 その後、間を置かず現れたセアルと共に「去り行く冬の舞」の稽古を始めた。もう動作一つ一つの確認は終わり、詰めの段階に入っている。普段穏やかなイェセルもこのときばかりは厳しく、舞い終わる度にびしばしと指導が飛んできた。「来たる春の舞」も忘れてはいけないため、こちらも舞う。及第点をもらえなければ練習し直しなので、ラウラも必死だ。

 夕の鐘が鳴る頃、ようやく解放された。ラウラは言わずもがな、セアルも教えていたイェセルもくたくたである。ぐったりとソファーに身を預けていると、執事と思しき男性が三人分の温葡萄酒グリューワインを持ってきてくれた。首元に、砂色の鱗が見える。


「どうかなさいましたか?」

「いえ……鱗の生える位置って、人によって違うのかな、と思っただけです」

「よく気付かれましたね」


 感心したようにイェセルが会話に入ってきた。そういうイェセルの白い肌、右頬には幅指二本分、第二関節までぐらいの範囲に細かな鱗がびっしりと生えている。


「範囲も位置も、人によって本当にばらばらで……。傍からは鱗がないように見えても服の下のかなり広い範囲に生えている……何てこともありますよ」

「イェセルも?」

「私はそこまで……。見てみたい、ですか?」

「? ほっぺたとか手の甲とか、十分見えてるけど……」


 イェセルは、がっくりと項垂れた。申し訳ないが、お誘いには気付かないふりで通すと決めている。


「これはなかなか……」

「イェセル? どうしたの?」

「なんでもありません。気にしないでください」


 ちょっぴり哀愁漂う笑顔に罪悪感を覚えるが、せめてもう少し人のいないところでお願いしたい。それでも気付かないふりはするけれど。


「ラウラ。帰るなら急いだ方がいいんじゃないか」


 セアルの視線が向く方、すなわち窓の方向に目をやると、もう空はだいぶん暗くなっていた。冬は日が暮れるのも早いため、夕の鐘が鳴る頃にはもう真っ暗なのだ。


「そうだね……これだけいただいたら帰ろうかな」


 さっきもらった温葡萄酒グリューワインのカップを掲げて見せると、セアルも納得したのかそれ以上何も言わない。

 三人ただ静かに、暖かく甘い飲み物を楽しんだ。


「ごちそうさまでした。……じゃあ、私はこれで」

「また明日も頼む、イェセリウス殿」

「えぇ、また明日。道中お気を付けて」


 城館の玄関先でイェセルと別れ、セアルと共に雪深い街路を行く。今日は特に雲が深く、空に浮かんでいるはずの月を見ることは敵わない。


「そういえば、舞台っていつ完成するの?」

「そう長くはかからないだろうな。壊れてもすぐに復帰させられるよう、組み立てやすい構造になっているらしい」

「木が雪で傷むから?」

「それもあるかもしれないが、一番は『影津波』だな。この時期……冬の終わり間近に発生する『影津波』は普段より規模が大きくなりがちで、市壁を越えて街中まで入ってこられることがままある」

「そうなんだ……。なるべく来ないといいね。満月が過ぎたとはいえ、まだ月は丸いもの」

「そうだな。過去も『影津波』のせいで祭りの開催が危うくなったことはあったと聞く。対策はしてあるが、起こらないに越したことはない」

「そうだね……」


 そんな会話をしながら裏門から出て、深い雪に足跡を刻みながら廃教会へと向かう。雪は吹雪に近い降り方で、白く閉ざされた視界では雪に慣れたアトーンドの住人ですら容易く方向を見失うだろう。ラウラも都度方位磁針を確認しながら、焦らずゆっくりと白い夜道を進んでいった。


「ラウラ!」


 聞き覚えのある声に顔を上げれば、少し先に灯りが見えた。先に帰ってきていたケントが、ラウラのために出て来たらしい。


「ケント?」

「すげえ吹雪だから、ちょっと心配になったんだよ。その様子だと、大丈夫そうだな」

「えぇ。セアルが一緒にいてくれたから」

「そう言ってもらえると助かる。……俺は街に戻るから、今日はなるべく外に出ず過ごしてくれ」

「そうする。セアルも、気を付けて」

「あぁ。お休み」

「お休みなさい」


 吹雪の中、セアルの姿が溶けるように消えていく。例え吹雪いているとはいえ、セアルの耳の良さは破格だ。まだ、気を抜くことは出来ない。


「ケント、早く中に入りましょ」

「あ、ああ。そうだな。そうしようぜ」


 いそいそと礼拝堂の鉄扉を開いて階段を下り、廊下を足早に歩いて室内に入って。

 靴も脱がないうちに、ケントが勢いよく振り向いた。


「ラウラ! 『影の森』のって……」

「ケントも気付いたのね」

「ああ、まあ……。じゃなくて! は一体何なんだ!?」

「魔物よ。多分、成れの果てだと思うけれど……」

「マジかよ……」

「もうしばらくしたら、私は『影の森』に行くわ。あの子をどうにかしないといけないもの。ケントは、どうする?」

「……行くに決まってんだろ。オレだって、ラウラの眷属だ」

「そう。じゃあ、晩ご飯にでもしましょうか。せめて夜が更けるまでは待たないといけないわ」

「パスタとかいんじゃね?」

「あら、いいわね。そうしましょう」


 そうしてのんびりと準備をして、のんびり食事して。カウルとトーヴァにブラッシングしてやったり、薬を作ったりしているうちに、共鳴鐘が鳴った。夕五つ目の鐘だった。

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