28.業を負う者たち(後)———セアル
『来たる春の舞』の楽が流れる中、ラウラが舞っている。それを見やるイェセリウスの瞳は、どこか精彩を欠いているように見えた。
「大丈夫か、イェセリウス殿」
「え……あぁ、はい。すみません。大丈夫です」
(大丈夫ではなさそうだな……無理もない)
今朝、執務を始めて間もない頃にセアルは一つの知らせを受けた。それは、『春乙女の花冠』盗難事件の犯人であるアリスティリス・バーティアが、軟禁されていた自室で不審死を遂げたというものだった。聞いたところによれば、彼女は蛇族緑鱗種の中でも名家の生まれであり、祭祀官としても優秀だったことからイェセリウスと関係が深かったという。罪人に落ちたとはいえ、縁ある者の死。いくら蛇族領主名代としての仮面を被ろうと、ショックを隠しきるまでには至らなかったようだ。
「無理はしない方がいい」
「……わかりますか?」
「ああ」
「………ダメですね、わたしは……」
項垂れるイェセリウスは、返答を必要としていない。セアルは、ただ黙っていた。
「彼女は罰を受けました。冬の男に、報復を受けたのです」
「私利私欲のため『春乙女の花冠』を盗み出した彼女には、相応しい末路なのかもしれません」
「でも、わたしは……」
「話を、してほしかったんです。こんなことになる前に。『春乙女の花冠』を盗む前に。ラウラさんに襲い掛かる前に」
「哀しいんです。この上なく。頼ってくれなかった、そのことが」
セアルを見上げる顔に、涙はない。ひどく、渇いていた。
「わたしは、自分勝手ですね」
「彼女の死を悼みもせずに、頼られなかったことを嘆いているんですから」
「わたしは、醜いですね」
「こんなことばかり考えている癖に、あの人にはよく見られたいなんて」
覚えのある感情だった。鏡に映した自分の姿のようだった。
見られたくない自分を隠して、知られたくない気持ちを封じて、一枚剥けば真っ黒な、綺麗な姿で恋しい彼女の傍にある。
(俺と、同じだ)
何より愛しく想う人も。裏に隠した醜さも。秘密を持つ身であることでさえ。
(俺と、同じか)
だからセアルだったのだ。隠した気持ちを吐露したのは。理解できるのは、同じところにいる者だけだから。同じ穴の狢なら、曝け出しても何とも思わないから。
「お互い様だな」
「全くです」
同じ髪色、似た瞳の色、似た内面。違うくせに同じ二人で、軽く笑みを交わした。
「ところでセアル殿、大丈夫なんですか?」
目の向く位置から、見透かされていることを悟る。体は無意識に視線を避けた。
「……大したことじゃない」
「その割に今日は舞を舞っていませんね」
「………」
「わたしは不思議でならないんですが……どうしてあの方を放置しているのですか?」
「あいつは次期領主だからな」
「問題しかないではありませんか」
「今の内だけだろう」
「……わたしは、貴方が心配なんです。セアル殿」
「恋敵の心配をしている場合か?」
「そういう話ではなく……!!」
思わず声を荒げたイェセリウスは、はぐらかされていることに気付き浮かせた腰を下ろした。やはり、そう簡単に誤魔化されてはくれないようだ。
「確かに貴方は恋敵ではありますが……わたしは、友人だと思ってもいます。ですから、心配ぐらいします」
真っ直ぐこちらを見上げる瞳は、本当にこちらの身を案じていた。しかしセアルは、それを受け入れるわけにはいかなかった。
「気持ちはありがたいが、これは
「セアル殿も大概強情ですね……」
「ラウラには言わないでくれ。心配させたくない」
「構いませんが……彼女の薬に頼った方がいいのでは?」
「城館に備蓄してあるから、今買う必要はない。それにもう、頼らせてはもらっている」
「ならばいいのですが……」
深々とため息をついて、イェセリウスが広間の中央に向き直った。丁度楽が終わり、ラウラが動きを止めたところだった。
伏せていた目を開き、こちらを見るときにはもう、いつもの笑顔が浮かんでいる。
「セアル! イェセル! どうだった!?」
「いいと思いますよ。通しでミスなく舞えたのは初めてですね」
「よかったと思うぞ」
「そう? ありがとう、二人とも!」
華やかに笑うラウラに釣られ、セアルの口元にも笑みが浮かぶ。
「後は『去り行く冬の舞』か」
「えぇ、そうですね。『来たる春の舞』と並んで春祭りの見せ場ですから、気合をいれていかなくては」
「イェセリウス殿が舞うわけではないだろう?」
「教える側として、ですよ」
談笑するイェセリウスの顔に、先ほどまであった陰はない。いつも通りの穏やかな笑顔を浮かべ、心の底から楽し気にラウラと、セアルと話している。少し離れたところでは祭祀官の女性が一人、微笑まし気にセアルたちの様子を見ていた。アリスティリスの後任といって、イェセリウスが連れて来た者だ。
ラウラの周りで変わったのは、舞を教える者だけ。裏で起きた諸々など、彼女は知らなくていい。
「ところでラウラ。今日は警務隊に薬を配達に行くんじゃなかったのか?」
「? うん、そうだけど?」
「時間は大丈夫か?」
「え……今、昼の鐘幾つ鳴った?」
「五回目が鳴って、しばらく経ちましたか?」
「ああ」
「嘘! もうそんな時間なのっ!?」
ばたばたとローブを纏い、帰り支度を始めるラウラに全員苦笑気味だ。
「ほら、薬」
「セアル殿、ラウラさんをお願いします。わたしたちはお送りできないので……」
後二か月弱で春が来るとはいえ、アトーンドはまだ寒い。イェセリウスたち蛇族が迂闊に外に出れば、眠気に襲われ送っていくどころではないだろう。
「任された。行こう、ラウラ」
「送ってくれるの? ありがとう、セアル。イェセルも、また!」
慌ただしく手を振り駆け出すラウラについて、セアルも共に大広間を出る。玄関まで砂色の鱗を持った執事が送ってくれた。深々と頭を下げられながら見送られ、共に急ぎ足で王の道を目指した。
王の道へ出たら南に折れ、人の間をすり抜けながら足早に正門に向かう。正門から中央広場にかけての道は、この時間だと街中に戻る者が多いため人の流れに逆らう形になってしまう。王の色纏うセアルの姿を見て多少は道を開けてくれるが、それでもやはり歩きにくい。
「大丈夫か、ラウラ」
「大丈夫だよ。人込みには慣れてるから」
やっとの思いで警務隊本部へ辿り着く。急いだ甲斐あってか、まだ夕の鐘は鳴っていない。
「薬屋のラウラです。お薬を配達に来ました」
入口の受付係にそう言って、ラウラはバスケットを掲げて見せる。受付係も得心がいったように頷き、ラウラとセアルを招き入れた。
「今隊長は書類と格闘してますよ」
「珍しいですね」
「昼間に片付けておけばよかったのに、見回りに行っちゃったんですよ。お陰で馬鹿を三名ほど捕まえることができましたけど……」
「ええと……よかったですね?」
何とも言えない顔のラウラに、案内している受付係も似たような顔をする。警務隊的にはよかったが、治安的にはよろしくないから。
「さ、ここが隊長の部屋です」
中に入ると、アネスは一瞬驚きの表情を浮かべてから赤面しかけてあらぬ方を見る、と大層忙しなくラウラを迎えた。
「ラウラ殿!? と、セアルもか。どうしたのだ?」
「お薬の配達に……。いつも言ってるけど、別に受け取りはアネスじゃなくてもいいんだよ?」
「気にしないでくれ。正直よい気分転換になっているし、ラウラ殿をあの猛獣どもの前に放り出すわけにはいかないからな。……これを片付けたら確認するから、少し待ってくれ」
書類を何枚か見て、何かを書きつけ受付係にどこかに届けるよう言ってから、アネスはようやくラウラからバスケットを受け取った。
「うむ、今回も問題ない。代金を持ってくる」
足早にアネスは出て行って、セアルとラウラは二人部屋に残された。やることもないので応接セットのソファーに腰掛け、他愛もない話をしているうちにアネスが戻ってくる。
「こちらが代金だ。確認を頼む」
ラウラはバスケットの中を覗き込み、金額を確認してからほくほく顔で微笑んで見せた。
「うん、合ってるよ。毎度あり」
「では、送っていこう」
「え、いいよ。忙しいんでしょ?」
「……口実にしてすまないが、休みたい……」
本気でげっそりとしたアネスの様子に、ついつい笑いが込み上げてくる。小さく肩を震わせるラウラと、こっそり口元を覆うセアルにアネスは憮然としていた。
笑いの波が去ったところで厩舎に向かい、三人でアネスの駆る毛長馬に乗って廃教会へ走らせる。流れ行く景色を楽しむよりも、顔に当たる雪交じりの風が痛くてフラウの持っているような
「風が強いな……ラウラ殿、冷えていないか?」
「だ、大丈夫。後で血行促進のお薬でも飲むから……」
「今日は暖かくして寝た方がよさそうだな。いや、今日も、か」
「そうだな」
三人寒さに震えながら、廃教会の崩れかけた壁に隠れる。毛長馬だけは平気なようで、アネスに撫でられご満悦だった。
「じゃあ、送ってくれてありがとう。二人も今日は温かくしてね」
「ああ」「ではな」
ラウラの姿が廃教会の中に消えていく。その背が見えなくなったことに安心して、少し気が緩み。
深い雪に、膝が沈んだ。
「セアル!」
「うるさいな……ラウラが戻ってくるだろう」
「お前、酷い顔色じゃないか! 今すぐ戻るぞ!」
「だから、うるさい……」
「そんなこと言っている場合か馬鹿者! 痩せ我慢は止めろと、いつも言っているだろう!」
強引に毛長馬の上に引き上げられ、走り出す。その振動すらも、傷に響いた。
「どうしたんですか隊長!?」
「薬箱を持って来い! 私の部屋でいい!」
「は、はい!」
半ば抱えられながら、先ほど出たばかりのアネスの部屋へと戻ってくる。ソファーに転がされ、服を剥がれた。
「酷いな……。何故黙っていた」
「ラウラに、心配させたくなかっただけだ……」
「お前という奴は……賢い癖に、本当に馬鹿だな」
「意味が分からないんだが……」
「そのままの意味だ、大馬鹿者」
警務隊員から薬箱を受け取ったアネスは、セアルの腹にある大きな痣に薬を塗り込み始めた。指が痣を撫でる度、鈍い痛みが走る。
「痛っ………」
「我慢しろ。城館を出るときに手当はしなかったのか?」
「一応ラウラの傷薬を塗った」
「あれは主に外傷用だ。効果がないわけではないが、こういうのは安静が最高の良薬だぞ。……まさかとは思うが、舞の稽古などしていないだろうな?」
「流石に控えた。そこまで、愚かじゃない」
「そうか。………この傷は、ヴィアスか?」
「他に誰がいる……」
アネスは黙ったまま、薬を塗り続けている。瞳こそ見えないが、激怒しているであろうことは気配で分かった。
「何故、あいつの振るう暴力を受け入れる。罪悪感でも持っているのか。お前は一つも悪くないと、何度言ったらわかるんだ!?」
「俺の存在があいつを歪めたことは事実だ」
「だとしても……! これはいくら何でも、目に余る!」
包帯を巻きながら、アネスは自分のことのように怒っている。アネスのそういうところに救われているなんて、本人は思ってもいないのだろうが。
「いいんだ」
「よくない! お前が理不尽な暴力を受ける必要なんて」「いいんだ」
はっとしたように、アネスが黙る。
「いいんだ、アネス」
「いいんだ……これで」
アネスはどこか泣きそうに、セアルを見上げている。
「私は怖いんだ、セアル……。お前がいつか、いなくなってしまいそうで……」
「俺はいなくならないさ。まだラウラに、想いも伝えていない」
「茶化すな、馬鹿者……」
「本気だ。……手当、助かった」
微動だにしないアネスの横を通って、セアルは部屋を出る。引き留める者は、いなかった。
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