27.業を負う者たち(前)———ラウラ

 凍えるような青い光が、背後から世界を照らしている。ちらと横に目をやれば、視線に気付いたケントもこちらを向いた。


「……なんだよ」

「なんでもないわ」


 ケントの髪は、生来の黒が抜けたように毛先が白くなっている。そして右目だけ、ラウラと同じ翠。『白』の魔女たるラウラの眷属の証。

 視線を外して、雪に塗りつぶされた街路へと目を落とした。もう夜の鐘も近いとあって出歩く者はおらず、屋根の上を音もなく駆ける二人に気付く者も当然のごとく、いはしない。


「ラウラ。なんでその姿でこんなとこに来てんだ? 危ないだろ」

「あら、言ってなかったかしら。……原因なら、そこにいるわよ。ケントも視えるでしょう?」


 ラウラとケントの頭上には、白いショールを纏いつかせた男がいた。髪はラウラと違った白さを持ち、その人間離れした美貌には何の表情も浮かんでいない。


「こいつ……冬の男か?」

「正解。どうしても『春乙女の花冠』を盗んだ奴が許せないって、うるさいの」

『まだか、我が兄妹』


 声なき声が響く。体の内側から凍てつかせるような、吹雪に紛れ聞こえるような、そんな声。


「もう少しだからちょっと黙って、冬の男。手を貸してあげないわよ」

『……わかった』


 精霊とは、世界に産み落とされたもの。その存在はただあるだけで世界に影響を及ぼすが、実は自らの意思では何もできないのだ。精霊が自らの意思で世界に干渉するためには、中立ちが必要になってくる。つまり祭具や、色違いの瞳オッドアイ魔を視る瞳イヴルアイといった精霊を認識できる魔眼などが。


 要するにラウラは、冬の男が世界に干渉する中立ちとなるよう求められたのだ。

 アトーンドの東側、貴族や裕福な者たちが暮らす区画の一画に今回の主犯であるアリスティリス・バーティアはいる。警務隊本部の留置所ではなく自室で軟禁となったのは、その身分とイェセルに慮ってのことだろう。


(まだ留置所の方が安全だったかもしれないのに……)


 慮られたばかりに命を失うことになるなど、彼女は思ってもみないのだろうが。


「さて、着いたわ。あそこの窓の中が彼女の部屋よ」

『……あそこが』

「きちんと視ていてあげるから、安心なさい」

『……感謝する、我が兄妹』


 ふわりと音もなく宙を滑り、冬の男はアリスティリスの部屋へと向かっていく。希薄だった存在が明確な形を成し、温もりを知らぬ万年氷のような瞳が室内を見つめていた。


「なぁ……何であいつの報復程度のことに力を貸すんだ? そんなにしつこかったのか? それとも、犯人がむかついたとか?」

「アリスティリスの行動は愛ゆえよ。怒る気にもなれないわ」


 アリスティリスはラウラへの嫉妬から、祭具『春乙女の花冠』を盗み出し廃教会の一画に置いたらしい。『春乙女の花冠』窃盗犯として、ラウラをイェセルの傍から排除するために。半ば雪に埋もれたそれをケントが見つけ、ラウラはそれを頃合いを見計らってアリスティリスの部屋に返し、色のない魔術を用いて見つけたふりをして暴いたのだった。


「私は愛欲司る『白』の魔女。この世界のあらゆるものに縛られることはないけれど、愛にだけは逆らえない。抗えない」


 眼下で、現出した冬の男が何か呟いている。ふ、と息を細く吐くと、圧倒的な冷気に空気すらも凍り付き月光に煌めいた。


「冬の男の怒りも、また愛ゆえ。愛しい者に会えなくなるかもしれないという、恐れの現れ」


 冬の男も、冬の男が愛する春の乙女も、季節を告げる大精霊。季節と共に世界を巡るという理に支配された彼らは、本来会うことなどできはしない。

 アトーンドで催される春祭りは彼らの会う唯一と言っていい手段だが、それが叶うのも祭具『春乙女の花冠』あってこそなのだ。


「四季の精霊というのは、季節を連れて世界を旅し続ける精霊よ。彼らにとって、特定の場所を認識し留まることなどよっぽど縁がないと出来ないの」

「冬の男はアトーンドに縁があるけど、春の乙女にはないってことか」

「えぇ。春の乙女がここに来るためには、喚ばれなければならないの」

「で、その喚ぶための道具が『春乙女の花冠』ってことか……。確かにそれが盗まれたらキレるな、普通に」

「でしょう?」


 道を挟んだ向こう側。アリスティリスの部屋の窓は真っ白になっている。冬の男は現出を解きながら、ゆっくりと上昇してきた。端から端から解けるように、存在が希薄になっていく。


「終わった?」

『……報復は成した。改めて感謝する、我が兄妹』

「じゃあ私たちもう帰るわ。じゃあね、冬の男」

「じゃーなー」

『……あぁ』


 いつも通り無表情に泰然として、冬の男は街の上空に浮かんでいる。彼の報復を受けたアリスティリスは、生きてはいないだろう。

 愚かで、哀れで、だからこそ愛おしい。


「さよなら、アリスティリス」

「何か言ったか?」

「何でもないわ。さ、帰りましょう。カウルとトーヴァが拗ねちゃうわ」

「オレあいつらに、明日も仕事ついてきてもらうつもりなんだけどな……。機嫌取るのわりと大変なんだぜ?」

「明日、魔結石を多めにあげたらどうかしら? 今たくさんあるし、別にいいわよ」

「ラウラからやってくれよ。オレがやるより喜ぶし」

「わかったわ」


 満月の光を浴びながら、半ば宙を舞うように駆ける。屋根の上に今も降り続ける雪に二人分の足跡が刻まれ、何だかひどく心が弾んだ。


「……楽しそうだな」

「まぁね。仕方のないこととはいえ、常に姿を偽り続けるのは疲れるもの」


 普段は眼帯で覆い隠した魔女の証たる金色の瞳を晒し、水晶のように光り輝く髪を風に遊ばせる。それはラウラに、途方もない解放感をもたらしてくれた。


「そんなに嫌なら、人の傍にいなきゃいいんだ。ラウラなら、生きるために他人の力を借りなくてもいいだろ?」

「それは無理よ」


 突然足を止めたラウラに驚き、ケントも走るのを止める。目の前にそびえる市壁を見上げ、密やかに詠う。


「『風、我らを運べ』」

「う、わ!?」


 風がラウラとケントを包み、高みへと持ち上げていく。市壁を蹴って外壁へ、弾むような軌跡を描いた。


「跳ぶなら何か言ってからにしてくれよ!」

「落としやしないわ」

「それでも何か言ってくれ! 寿命が縮む!」

「ふふ、ごめんね?」


 口でだけ謝って、背後に広がる街を振り返る。春焦がれる街は雪と月光に沈み、青く凍り付いて見えた。


「魔女の……私たちの存在は、欲望を喚起する。それは、何故だと思う?」

「は?」

「私たちの欲には果てがない。だから、ひとり浸るだけでは満たされない。みんながみんな欲を求めて、溺れ、貪って………そのとき初めて、私たちは満たされる」

「だから私たちは、人に紛れる。人に似た姿で、彼らの欲を喚起する」


 月を見上げる。満ちたその姿は美しく、満たされることなきラウラにとっては酷く羨ましいものだった。


「私たちは、人なくしては生きられないの」

「ラウラ………」

「そんな顔しないで、ケント。私は魔女たることを疎んだことも、憎んだこともないのだから」


 そう。結局のところラウラは、こころの底から魔女なのだ。こんな自分を愛しているし、こんな同胞たちを愛しているし、自身を想う全ての者を、自身を憎む全ての者を、愛している。


「愛しているわ、ケント。私の眷属。同じ時を歩むもの」

「……オレもだよ、ラウラ。オレの魔女。オレを救ったもの」


 どちらからともなく手を伸ばして、頬に触れる。冷え切った手には、互いの体温は熱すぎた。


「帰りましょう? ここは寒いわ」

「そうだな。明日も仕事だしな」


 肩に積もった雪を払って、魔術を発動させ外壁から跳び降りる。廃教会に向かって伸びていくふたつの足跡は、後から後から降りしきる雪に覆われて消えていった。

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