22.出来るだけ長く(前)———イェセリウス

 薄暗い路地にぺたりと座り込み、こちらを驚いたような顔で見上げるラウラを見て、イェセリウスは大きく安堵の息を吐いた。


「……大丈夫ですか? ヴィアス殿に襲われていたのでしょう? 彼の声が聞こえました」


 ぱちぱちと翡翠色の右目を瞬かせて、ラウラはようやく我に返った、という風情で頷く。


「大丈夫、何もされてないよ。助けてくれてありがとう、イェセル」

「わたしは何もしていませんが……」


 自分はただ、声の聞こえる方へ走ってきただけだ。


「それでもイェセルが来てくれなかったら、ちょっと危なかったから。だから、ありがとう」

「……どういたしまして」


 蛇族は聴覚も秀でている。だから、ヴィアスがラウラに何をしようとしていたか、それはしっかりと聞こえていた。同じ貴族位にあるものとして、恥ずかしい。


「立てますか?」

「大丈夫」


 一応手を差し出すが、ラウラはそれに掴まらず雪を払いながら滑らかに立ち上がった。イェセリウスが思っていたほどショックは受けていないようだ。


「……セアル殿を城館に置いてきてしまいました。きっと待ちくたびれていますから、一緒に戻りましょう」

「そうだね。これから行くところだったし、ちょうどよかった」


 地面に落ちていた薬箱を拾い上げ、そのまま歩き出す。慌てたようにラウラが並んできて、返してほしそうにこちらをちらちら見ているが、これぐらいのことはさせてほしい。

 物珍しげな視線を身に受けながら歩いていると、唐突にラウラから声がかけられた。


「イェセルはご飯食べた?」

「え? ええ、はい」


 何を聞かれるかと思えば、ご飯。一応襲われかけた直後のはずなのだが、何と逞しいことか。


「私お昼ご飯まだなの。そんなに時間は取らせないから、ちょっとだけ付き合ってくれない?」


 小鳥のような仕草で上目遣いに可愛らしく「お願い」され、断れるはずもなく。イェセリウスはベンチでラウラを待つこととなった。冬、特に寒さが厳しい日などは絶対に外に出ないので、雪に白く霞みながらも屋台が立ち並び、呼び込みの声に溢れる北広場など、初めて見たかもしれない。

 降りしきる雪と人の狭間を縫うように、濃緑色のローブを纏ったラウラが駆けてくる。


「お待たせ、イェセル! 寒かったでしょ?」

「少しだけ……。防寒対策はそれなりにしているのですが、やはりじっとしているとダメですね」

「ごめんね。すぐに食べ終わるから」

「急がなくてもいいですよ。普通に食べても大して時間はかからないでしょう?」

「じゃあお言葉に甘えるね。いただきます」


 何とはなしにサンドイッチに噛り付くラウラを見ていたら、視線を感じたのだろうか。唐突に顔を上げたラウラと、ばっちり目が合ってしまった。覗きがばれてしまったような、妙に気まずい気持ちになる。

 ラウラは気にした風もなくサンドイッチを飲み込み、桜色の唇を開いた。


「そういえば、イェセル。どうして私の居場所がわかったの?」

「ああ、気になりますよね。実は───」


 ラウラが襲われていた現場に駆け付ける前、イェセリウスは蛇族領主の城館にいた。午前中にやってきたセアルの稽古をつけていたのだ。


「そのとき、妙に精霊たちが騒がしいような気がして……魔眼を開いてみたんです」


 そうすると、いつになく精霊たちが沢山いて、何やら大騒ぎしているのが見えた。なんだこれはと呆然としていると、精霊の一部が袖を引っ張りどこかに連れて行こうとするような動きを見せたので、セアルに「少し出る」とだけ言って精霊たちの導くままに走ってきたところ、ヴィアスの声が聞こえることに気付きラウラを見つけることが出来たのだ。


「……と、いうわけです」

「なあるほど……」

「何故だか分かりますか? ラウラさんが『色違いの瞳オッドアイ』を持っているとはいえ、精霊たちが個人の動向や危険を知らせてきたのがどうにも不思議で……わたしには精霊は魔力の塊にしか視えないので、よく分からないんです」

「たぶん私じゃなくて、ヴィアスだと思う」

「………どういうことですか?」


 イェセリウスの問いかけを聞いているのかいないのか判じ難い表情で、ラウラはサンドイッチを齧った。合間に白く煙る景色を見ながら、独り言のように呟く。


「ヴィアスは、精霊に酷く嫌われているの。理由は分からないけれど、ヴィアスが来たら精霊がいなくなるぐらいには」


 只人には見えない、別の世界を見つめる瞳。こんなにも近くにいるのに、彼女の存在を酷く遠く感じた。


(セアル殿は、あんなにもラウラさんに気があるそぶりを見せているのに……。踏み込めないのは、これが原因でしょうか……?)


 ラウラの存在を触れ難く感じたのは、ほんの一瞬。それなのに、先ほどの姿が目に焼き付いて離れない。

 恐る恐る視線を向ければ、淡い笑顔が帰ってきた。


「視ることは視られること、って言うでしょ? 『色違いの瞳オッドアイ』を持つ者は、精霊たちからも認識される。見られることが嬉しいのか、精霊たちは結構寄ってくるの」


 白昼夢を見たのかと思うほど、ラウラの様子はいつも通りだった。


「『お気に入り』に『大嫌い』が近づいたのが嫌だったんじゃないかな、と思うんだけど」

「……なるほど、そういうことですか。納得しました」

「あんまり信じないでね。私のはただの推測なんだから」


 ラウラは軽く笑いながら、最後のひと口を飲み込んだ。イェセリウスがラウラの一瞬だけ見せた姿に気を取られている間に、食べ終わってしまったらしい。


「お待たせ、イェセル。城館に急ごっか。セアルとか、私に舞を教えてくれている祭祀官さんが待ちくたびれちゃう」


 変わりない笑顔と軽口に、自分でも知らぬうちに安堵して。


「そうですね。急いで戻りましょうか」

「イェセルは大丈夫? 寒いの、苦手なんでしょ?」

「あんまり大丈夫じゃありません。戻ったらすぐさま暖炉の前に駆け込もうと思います」

「温石とか、魔術式懐炉とかは?」

「いつもは持っているのですが、今日は急いでいたので……」


 蛇族の祖である蛇は、冬になれば冬眠する。それゆえ、蛇族はあまりに寒いと眠気を覚えるのである。

 今も歩いていなければ、瞼が落ちそうだ。


「すみません、ラウラさん……。歩きながら寝ていたら、つねってでも起こしてください……」

「そんなことあるの……?」


 まだないが、立ったまま寝てしまったことはある。念のためだ。


「ほんとに急いだ方がよさそうだね……。乗合馬車とか使う?」

「大して……離れ、ていませんから………」

「今にも寝そうだけど!? 頑張って、イェセル!」


 ラウラの呼びかけと、無事に城館へ戻らねばという使命感だけでイェセリウスは歩き続けた。しかし、城館に辿り着いた途端に限界が来て。玄関先で、ばったりと倒れこんだのだった。


(………音楽が聞こえる。この曲は、『来たる春の舞』の……)


 視界が暗い。眠気と戦いながら城館に辿り着いたのは覚えているのだが、玄関に着いてからの記憶がない。


(玄関先で寝落ちしましたか……)


 体がどこも痛くない。誰かが受け止めてくれたのだろうか?


(ラウラさんを下敷きにしていないといいのですが……)


 小柄なラウラに長身のイェセリウスが圧し掛かったら、大変ではすまないだろう。

 取り留めもない思考を垂れ流す頭を抱えたまま、のろのろと身を起こした。


「起きたのか?」

「セアル殿……。おはようございます……」


 ぼんやりとしたままかけられた声に応えを返し、辺りを見回す。景色から類推するに、舞の稽古に使っている大広間だろう。

 そのまま何も考えずに景色を視界に流していたら、ふと、何か動くものがあることに気が付いた。


 しなやかに手が振られ、旋回に従って栗色の髪が踊る。生命溢れる森の瞳と春告げる花の瞳が見え隠れして、一瞬、精霊が舞っているのかと思った。

 自身の持つ魔眼を「開け」ば、その周囲に幾つも不自然な魔力の塊が集っているのが見えて、ようやく舞うその人がラウラだと気付いた。


(なんて………)


「なんて、きれいなんでしょう」

「そうだな」


 舞うその人から目が離せないのは、きっとセアルも同じで。

 二人示し合わせたように何も言わず、春のような乙女の舞を見続けていた。

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