23.出来るだけ長く(後)———ラウラ
(やりにくい……)
ラウラは自身の屋台の傍に立つ警務隊員にばれないよう、こっそりとため息をついた。
(あのとき上手く言いくるめられていれば、今こんなに面倒な思いをしなくて済んだのに……)
思い出されるのはヴィアスに襲われた日、寝落ちしたイェセルも目覚め舞の稽古も一段落ついた後のこと。
「ねえ……。もういいから顔を上げて、セアル……」
眼前で貴族、しかも偉い人が頭を下げていたら誰でも困惑するだろう。
「本当に、申し訳ない。ヴィアスの
「だからもういいってば……。特に何かされたわけじゃないし、セアルは何もしてないんだし……」
「俺はここアトーンドの兎族領主名代だ。アトーンドに集う全ての兎族の行いに対して責任を持たねばならない。それが領主一族の者ともなれば、なおさらだ」
(いつの時代も、貴族って本当に面倒くさいわね……。どうしようかしらこの堅物)
ラウラは汗を拭いていたタオルを置き、ソファーから立ち上がった。セアルの頬に手を添え、筋を痛めないように気を付けつつも無理矢理上向かせる。
柘榴石のように深い紅の瞳と、至近距離で見つめ合う。
「私が気にしてないって言ってるんだから、もう止めて。それに、どうせ謝ってもらうならセアルじゃなくてヴィアス本人じゃないと」
セアルは少し、ぽかんとしていた。それからゆっくりと、恥じ入るような顔に微苦笑が広がる。
「……全くだ。まあ、あいつが素直に謝るとは思えないが……」
「それは思うけど」
手を離すと、セアルは顔だけ上げた変な姿勢から復帰する。ようやくいつもの位置関係に戻ってほっとしたのも束の間。
「ラウラさん、今後このようなことが起きないよう、貴女に護衛を付けさせていただけませんか」
(え)
監視の目が常にあるということは、魔女であることがばれる危険性が高まるということだ。できれば付けてほしくないし正直いらない。
「そうだな……護衛の一人でもいれば、あいつも手を出してこないだろう」
(えええ)
他人の目があるということは、ラウラは弱い人族の娘を演じねばならぬということだ。つまり、ラウラも護衛もかえって危険度が高まるということなのだが。
(でもそんなこと言えないし……!)
このままだと護衛を付けることが自動的に決定されるだろう。いくら庶民と親しくても、貴族という生き物は人の話を聞かないから。
「で、でも……いくら『春呼びの乙女』を務めるって言っても、私は所詮庶民なんだよ? 贔屓って見られたりしないの?」
「それについては問題ありません。『春呼びの乙女』に護衛が付けられることは、これまでもありましたから。貴族の方だけでなく、庶民の方でもね」
「へ、へぇ~~~」
(まさか前例があっただなんて……)
「ずっと付いていてもらうのはちょっと申し訳ないし……」
「警務隊の仕事には要人の護衛も含まれている。ラウラが気にする必要はない」
「大丈夫ですよ。流石に家の中などプライベートな空間には立ち入りませんから」
「そう……」
(諦めさせられる理由が見つからない……!)
なんとか断れないかと口実を探すラウラに、じり、とセアルがにじり寄る。
「ラウラ」
視界の中で少し大きくなった深紅の瞳は、懇願の光を帯びて揺れている。
「ラウラは嫌かもしれないが、頼む。俺たちを安心させると思って了承してくれないか」
「わたしからも、お願いします。今回は何とかなりましたが、いつも助けられるとは限りません。それに、貴女に何かあると、春祭りそのものが行えなくなるかもしれないんです」
「うぅ……」
正面と横から、真摯な紅い瞳がにじり寄ってくる。ソファーに座っているから、逃げ場はほとんどない。
「頼む」「お願いします」
(あ~~~~、もう!)
「わかったから! わかったから離れてっ!!」
ラウラは二人分の物理的・精神的圧力に屈してしまった。
(今思っても、とんだ失態だったわね……)
「あの~、すいません」
遠慮がちにかけられたお客さんの声に
「はい! いらっしゃいませ!」
「えっと、血行促進の薬を……」
「一つでよろしいですか?」
「あっ、はい」
足元に置いた木箱から血行促進の薬を取り出し、カウンターに置く。その間にもお客さんは、ラウラの顔と『春呼びの乙女』であることを示すというブローチをじろじろ不躾に眺めていた。
(……こういう客、増えたわね)
ラウラが『春呼びの乙女』に選ばれてから、物見高い客が増えた。大体何か(十中八九一番安い血行促進の薬)を買っていってくれるからまあいいが、あまりじろじろ見られるのは好きではない。
(本当に必要な人に行き渡らなくなっちゃうじゃない。そんなことも分からないのかしら)
勿論そんな内心はおくびにも出さず、にっこりと微笑んで品物を差し出した。
「大銅貨三枚になります」
代金を渡すついでに触ってこようとする手をさりげなく避け、最後まで営業用の笑顔を崩さぬままお客さんを送り出した。
(少し前に昼一つ目の鐘が鳴ったから、あともう少し我慢すれば帰れる……)
ときおり来ては同情してくれる常連客に癒されながら、時間が過ぎるのを待つ。いつもはあっという間に営業終了時間になっている気がするのに、憂鬱なことが一つでもあればこんなにも時が長く感じるのか、と最早感心にも似た気持ちが湧いてきた。
(今頃セアルとイェセルは舞の稽古中かしら? それとも、お仕事?)
始めた時期から考えればラウラの方が頻繁に稽古に行かなければならないのだが、ラウラは庶民。金を稼がねば生きていけない。
(『手当を出すことも出来ますよ』とか言っていたけれど、流石にね……)
今更だが、本当は権力に近付きすぎるのはよくないのだ。魔女であることがばれたとき、影響が大きくなる。
(まあ、本当に今更なのだけど……)
ふう、ともう一度大きめに息を吐き出したとき、雪積もる地面に影が差した。頭上に長い耳の影と、癖の強い長髪の影。
「大丈夫か? ラウラ殿」
「アネス!?」
「アネスだが、どうした? 随分と憂鬱そうだが……」
「何でもないよ。ちょっとため息をつきたい気分だっただけだから。アネスはどうしたの?」
「ああ、もう昼二つ目の鐘が鳴るからな。帰るなら、送っていこうかと思ったんだ」
その言葉尻を追いかけるように、鐘が鳴り響く。ラウラは心の中で歓声を上げながら、魔術式カンテラの灯りを消した。
「少し買い物に行こうと思ってたんだけど……付き合わせるのも悪いし、今度にするね」
「私のことは気にしないでくれ、ラウラ殿。私たちの都合で護衛をつけるのを了承してもらったのだから、せめて自由にしていていただきたい。私たちなら問題ないから」
「でも、毛長馬を待たせてるんじゃないの?」
普段アネスに送られるときは大体毛長馬に乗せてくれるから、今回もそうだろうと思っていたら。
「ああ……実は今日、アイツは連れて来ていないんだ」
「どうしたの? 怪我?」
「いや……そうではなく……」
アネスが恥ずかしそうに話してくれた内容曰く、ラウラのことを何度も送っているのに廃教会の詳しい位置を知らないことは流石にまずいと思ったらしい。
「前に、セアルが魔結石を持って行ったことがあっただろう?」
「うん。そんなこともあったね」
「本当は、あれは私たち警務隊が行くべきことだったのだ。しかし正確な位置が分からず、ラウラ殿と親しいセアルに頼んだというわけだ」
「………………別に気にしなくていいのに………」
生真面目というか、何というか。まあ、アネスの気がそれで済むなら別にいいのだが。
「じゃあ、少しだけお買い物してから帰るから、付き合ってくれる?」
「承知した」
カウルとトーヴァには待っていてもらうことにして、アネスと共に中央広場から東西方面に伸びる白亜の道へと入る。中央広場と西広場の間で開かれている市の賑わいを、アネスはちょっと珍しそうに見ていた。
「珍しい?」
「ああ。恥ずかしながら、買い物を自分でしたことなどほとんどないのだ。普段は使用人たちが買って来てくれるし、仕事中に買い食いなどするわけにはいかないしな」
警務隊員が休憩時間以外で買い食いしたりしているのは、黙っておいてやろうと思ったラウラだった。
それはともかく、物珍しげなアネスと共に物珍しげな視線に曝されながらもてきぱきと買い物を終わらせる。荷物を持ってくれると言うので荷車までお願いして、カウルとトーヴァのところに戻った。
「お待たせ、カウル、トーヴァ」
おん、ときれいに揃って吠える二匹の首辺りを撫でてやり、結界縄を解き、買ったものを載せてもらった。
「じゃあよろしくね、アネス」
「任せてくれ」
朝に通ってきた跡は雪で埋もれてしまっていたが、『影の森』とアトーンドを手掛かりに住まいにしている廃教会へと向かう。
その最中、不意にアネスと目が合った。
「……そういえばラウラ殿は、旅暮らしなのだったな」
「うん。ここにいるのは……もうすぐ二年になるかな?」
「いつまでいる予定なのだ?」
「少なくとも、春祭りが終わるまではいるよ。私は今年の『春呼びの乙女』だから」
「そうか」
会話が途切れる。もうあと二ヶ月弱で春が来るとは思えないほどに、雪は絶え間なく降り続いている。そのうち白く霞む景色の向こうに崩れた塀が見えてきて、ラウラは少しだけ速足になってアネスを追い抜いた。
崩れた塀の前で振り返り、目を合わせないよう彼の胸辺りを見ながら微笑む。
「送ってくれてありがとう、アネス」
「礼を言われるほどのことでもない。………先ほどの話なのだが」
「どうしたの?」
また、目が合った。ヴィアスなんかよりよっぽどセアルに似た、柘榴石の瞳。
「私は、貴女に出来るだけ長くいてほしいと思う。別に強制するわけではないが、私が……いや、私たちがそう思っているということだけは頭の片隅にでも留めておいてほしい。………それでは、また」
警務隊の紋章が染め抜かれた紺色のマントが遠ざかっていく。それを見送って、ラウラは二匹のそり引き犬と共に廃教会の中に入った。
天井のない礼拝堂で、髪を解く。雪に似て見える髪は弱い光を反射して、足元の色硝子よりなお鮮やかに煌めいた。
「私だってそのつもりよ、アネス」
窓の一つからは、遠くアトーンドの姿が見える。その姿に焦がれるように、手を差し伸べた。
「私は、あなたたちを」
抱き締めるように、捧げ持つように、遠いその影を手の平で包む。口元には、自然と艶やかな笑みが浮かんだ。
「愛しているのだから」
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